最新更新日:2010/06/11 | |
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職員の参加記(百人一首大会)しかし、私の予想は大きく外れ、3連敗でした。対戦してわかったことは札を全部覚えているだけでは取れないということです。私の場合、上の句を心の中で唱えてから「さあ、取ろう」と思ったときには子どもたちにもう取られてしまっているのです。しかも得意札の場合は上の句の5文字ぐらいを聞いて、取ろうとしたのですが、子どもたちの中には2文字ぐらいで取ったりするのです。 何度もくやしさは感じましたが、改めの子どもたちの力のすばらしさに圧倒された大会でした。(みんな強かったねえ。お見事です。) 研修会の後も研修大好き人間がいるようです。まあ喜ぶべきことですが……。 還流報告
1月27日の研修会。
先週、日野市での研究発表会に参加した教頭の還流報告がありました。 「3分ぐらいで」と言いながら始めた「ミニ講演」。実物投影機やパソコンを使ってのプレゼンテーションです。写真を使った説明が分かりやすいのですが、それが通り一遍の感想ではなく、まるで「ミニ講演」です。身振り手振りで、話す方も、聞く方も真剣です。 ちょうど、校内研修会で話題になった算数的思考力に関したことだったので、なおさら職員はしっかりと聞きました。 授業のことだけではなく、研究テーマや学級掲示のことなども話題になりました。 とてもいい還流会でした。 講演ぶりを写真に。 低学年だけの登校す。 登下校は職員がついて安全を確認しましたが、それも不要なほど、低学年の子どもたちはしっかりとしていました。道路の横断も、いつものように確認していました。これは低学年の児童も素晴らしいけど、日頃、手抜きしないできちんと集団登校している高学年の子どもたちの成果でもあります。 思い出の旧校舎この校舎は昭和51年9月まで使われました。その後は元太郎生中学校の校舎を使っています。 昭和10年から昭和51年までの40年あまり使っていた旧校舎。この校舎で学んだ地域の方は多いはずです。私も、その一人です。 校舎の前には滑り台がありました。入学記念の写真はそこで写しています。 スクール55の記事http://www.school55.net/index/column17_20100118... 通常はこういった仕事での上の原稿は保護者の皆さんに見ていただくことはありません。いわば「裏話」的なことでもありますし、職務上のことでもありますから。 でも、関心を持っていただく方もいらっしゃるようですので、案内をさせていただきます。 この「スクール55」の記事は12回ということで依頼をうけました。今回が8回目となります。隔週での原稿送付です。 昭和39年の運動会「閉校記念誌」に使うつもりです。昭和39年の写真のようですが、間違っていないかな。 閉校記念誌を作る思い出の作文を読んでいると、いよいよ閉校だなあという思いを強くします。 小学校の子どもたちも、「太郎生小学校の思い出」という作文を書いています。 巡り合わせとはいえ、寂しい思いは否定できません。 校舎の写真を撮りました。 1月5日の連絡メールから
地球温暖化のはずなのに、今年の冬は寒いですね。カゼなどひかないように、お互いに気をつけたいものです。
冬休みも、残り2日となりました。子どもたち、宿題終わっているでしょうか。 さて、昨日もお願いした「閉校記念誌」への原稿、あまり集まっていません。よろしければ「太郎生小の思い出」をお願いします。家族でも、知人でもOKです。ただし、1月8日までにお願いします。300字前後です。 今日も、三重大学近くの印刷所へ写真を持って行き、打ち合わせもしてきました。 今日は、津市教委から数人が来校しました。備品を見るためです。いよいよ閉校が現実になってきました。でも、3学期の日々の学習をしっかりとしていくつもりです。 年賀状
年賀状をいただきました。静岡県の小学校からです。
年末に遊んだカルタを作ってくれた学校です。子どもたちに年賀状を見せる前に、ホームページで一足先に公開します。 ありがとうございました。カゼをひかないで、3学期もがんばって楽しく勉強してくださいね。 満135歳の太郎生小学校新しい年が始まるのは希望と夢にあふれたものでなくてはなりません。太郎生小学校の閉校も、次につながる「希望」を持って進んでいきたいと考えています。 太郎生小学校の創立は明治8年2月10日のことです。明治5年に「学制発布」がありました。 「わが国における近代の学校教育制度は、明治5年8月の『学制』の発布に始まる。『学制』は明治政府が定めた学校制度や教員養成に関する基本的な規定である。初等教育については、国民のすべてが就学すべきことを定め、発布から数年間に全国で2万校以上の小学校が整備され、約40%の就学率が達成された」とつくば大学付属図書館のWebには出ています。 全国で2万校以上の学校が整備されたそうですが、太郎生小学校もその中の1校でした。 明治初期の太郎生はまだまだ文明開化の恩恵を受けていたとは思えません。明治8年は、西南戦争の2年前であり、明治政府自体が混乱していたはずです。 当時の太郎生は江戸自体の生活そのままであったかもしれません。それでも、学制の通りに学校を作り、子どもたちの教育に当時の太郎生地区の皆さんは努力をしたのです。 記録によると、学校の設立には苦労を伴ったそうです。でも、それを乗り越えて、明治8年2月10日、84名の児童を迎えて太郎生小学校が創立されました。 学制の中の有名な一節を含む文を以下、載せておきます。格調高いです。 *********************************** 自今以後(じこんいご)、一般の人民 必ず邑(むら)に不学の戸(こ)なく、家に不学の人なからしめん事を期す。人の父兄たる者、宜(よろ)しくこの意を体認し、その愛育の情を厚くし、その子弟をして必ず学に従事せしめざるべからざるものなり。 ********************************** それから135年が過ぎました。学校の名前は変わりましたし、場所も変わりました。でも、太郎生に存在する学校として四千人あまりの卒業生を送り出し、教育の場として太郎生小学校はその歴史的な使命を果たし続けました。 太郎生小学校という学校名はまもなくなくなりますが、「邑(むら)に不学の戸(こ)なく、家に不学の人なからしめん事を期す」という学制の精神は消えることはありません。 統合する美杉小学校での学びが続きます。 元旦の校舎
あけましておめでごうございます。
2010(平成22)年1月1日の校舎です。周囲には雪があり、運動場も真っ白です。 1875(明治8年)年に創立したこの学校は満135年を終えることになります。 3枚の写真は2010年元旦の太郎生小学校です。 |
津市立太郎生小学校
〒515-3536 三重県津市美杉町太郎生2128-1 TEL:059-273-0324 FAX:059-273-0746 |