最新更新日:2013/03/25 | |
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5・6年遠足(1)太平山は関東十勝地のひとつ。豊かな自然環境に恵まれ、かつて明治・大正の国学者岡吉胤が謙信平からの眺めを「陸の松島」と称えたほどすばらしく、南方はるかに秩父連山をはじめ、渡良瀬川との間に点在する丘や林がまるで海に浮かぶ島々のように映るという。 5・6年遠足(2)5・6年遠足(3)5・6年遠足(4)5・6年遠足(5)5・6年遠足(6)5・6年遠足(7)5・6年遠足(8)5・6年遠足(9)5・6年遠足(10)寛永11年(1568)関東平野を競い、対立した越後(今の新潟県)の上杉謙信と小田原の北条氏康は大中寺で仲直りした後、上杉謙信はその軍を引き連れて太平山に登り兵馬の訓練を行った。 その時に謙信は南の方に空の果てまで広がった平原を見渡して、あらためて関東平野の広さに目を見張ったと言われている。その場所が「謙信平」と呼ばれている。 今では春の桜、秋の紅葉の名所だ。 5・6年遠足(11)5・6年遠足(12)随神門からはいったん長い階段を上がることになる。それを子どもたちは知らない。 随神門は太平山神社の神門で、享保8年(1723)徳川8代将軍吉宗公の建築。表に左右大臣、後ろに仁王の守護神を配したもので、太平山が寺院の山として栄えていた頃の名残である。 天井の龍の絵は第14代将軍家茂公時代の五楽院法眼等随の筆で、雲を起こして昇天した龍が空高く舞い遊ぶ構図である。 また、建て方は入母屋造り扇垂木で俗に傘(からかさ)天井という。 5・6年遠足(13)50分あまりの時間をかけて降りに降りて、やっとお昼のお弁当の予定地、大中寺にたどり着く(写真)。 歴史と伝説の大中寺。清らかな水の流れと心休まるひとときを味わうことができる。 大中寺ははじめ真言宗の寺であったが、荒廃していたのを延徳元年(1489)に快庵妙慶禅師が曹洞宗の寺として再興され今日に至っている。 この寺の縁起は今昔物語、雨月物語などの青頭巾の話として名高く、境内にある七不思議の伝説も広く知られている。 5・6年遠足(14)山道を歩き詰めで 喉は渇くしお腹は空くし… (≧∀≦*)ノ~・゚★,。・*:・゚☆ いざ、食べるぞ!! 5・6年遠足(15)いざ、食べるぞ!! 5・6年遠足(16)いざ、食べるぞ!! 5・6年遠足(17)大中寺不思議の一つ、馬首の井戸。 土地の豪族晃石(てるいし)太郎が戦に敗れ寺へ逃げ込んだが、かくまってもらえなかった。その恨みとして馬の首を切って井戸の中に投げ込んだ。その後も井戸の中から馬のいななきが聞こえたという。 残り6つの不思議は、「不断のかまど」「根無しの藤」「油坂」「開かずの雪隠(せっちん)」「東山一口拍子木」「枕返しの間」だ。 大中寺の7不思議は、以下のアドレスからアクセスできます。 http://www.cc9.ne.jp/~o-nantyu/ohira/ohira22.htm 5・6年遠足(18)
太平山
大平山には山本有三が執筆した「路傍の石」の石碑がある。石碑があるところは太平山の中で最も見晴らしの良い謙信平(けんしんだいら)で、春桜の季節には眺めの良い花見を楽しむことが出来る。(謙信平は上杉謙信が騎馬隊をここで練習させたことにちなむ史跡である。) 花見のときには茶席も催されている。眺めが良い場所からは晴れていれば東京タワーや、富士山を眺めることもでき、地上が霧になると霧の上から島のように付近の山々がみえることから「陸の松島」とも言われている。 六月にはあじさい坂といわれる太平山神社に向かう階段状の参道にあじさいが咲く。中腹には太平山神社(頂上に奥の院がある)があり、年末年始には初詣客で賑わい、商売の神様が祭られているので商売の人は良く訪れるという。 下記のアドレスから詳しい情報が見られます。 http://www.pref.tochigi.jp/shizen/sonota/shizen... |
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