日中は汗をかくようになってきました。水分をこまめにとりながら、学習や運動にしっかりととりくみましょう。

フラワーパーク江南 「熱帯性スイレン展」

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テレビで紹介されていた、フラワーパーク江南で開催中の「熱帯性スイレン展」 へ行ってきました。

睡蓮には「耐寒性」と「熱帯性」の種類があり、「熱帯性」は、最も暑い夏に花を咲かせる貴重な花です。

今回は、熱帯性スイレンを、何と50品種 展示されており、東海三県では初めてのことです。

スイレンにもいろいろな種類があることを、今回初めて知りました。

例えば、咲き方にも、「ノーマル咲き」「八重咲き」「丁字咲き」

花びらの形にも、「丸弁」「剣弁」「細弁」

開いたときの花の形も、「カップ咲き」「フラット咲き」「スター咲き」

さらに、葉の形や模様にもバリエーションがあります。

スイレンは奥が深い!  

フラワーパーク江南へ、ぜひお出かけください!

社会科フィールド・ワーク −中村公園スポーツセンター−2−

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12日、丹葉地区の社会科教師のグループで、フィールド・ワーク(以下 FW)に行ってきました。

今回は、中村公園スポーツセンターの報告 第2弾です。

※ 以下、説明を聞いたことをもとに書きますが、間違っていたらご指摘ください。 写真撮影は許可を得ています。

前回紹介しましたが、中村公園スポーツセンターは、名古屋けいりんの会場となるのです。

「競輪」は公営事業で、その収益金は、2014年までの累計で、5兆円2千億円弱が、公共事業に使われているのです。

私たちは、来賓室(写真上右上)に通され、そこで樋口さんから説明を聞きました。

この日の最初のレースは10時35分に発走。スタンドは、まだ人はまばらでした。

夏は、冷房のきいた有料の観覧席に人が集まるようです。

競輪事業は、売り上げの7割は場外売り場、23%がいわゆるネットによる販売で、競輪場での売り上げは7%しかないのです。

名古屋競輪場の入場者は、1日あたり2千人から3千人で、大きな大会の時には6千500人が集まるそうです。


バンクは、1周約400m(写真中)。ここを4周か5周します。

最後の200mは、11秒前後。
時速60キロ近くになります。

そのため、カーブは斜度30度以上。(写真上左上)歩けないほどです。

レースが終わると、多くの仲間?でしょうか、地下通路まで迎えに来ました。(写真下左上)

競輪全体の売上高は6千300億円。これは、ピークであった平成3年の3割ほどしかありません。
平成3年といえば、あの中野浩一選手が引退した頃です。

ケイリンは、日本で生まれた世界のスポーツです。
リオ・オリンピックでは、日本選手は予選で敗れました。

東京オリンピックに向けて、さらなら強化が望まれます。

丁寧に説明してくださった樋口さん、ありがとうございました。





社会科フィールド・ワーク −中村公園スポーツセンター1−

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12日、丹葉地区の社会科教師のグループで、フィールド・ワーク(以下 FW)に行ってきました。

今回は、中村公園スポーツセンターを見学した時の様子を報告します。

※ 以下、説明を聞いたことをもとに書きますが、間違っていたらご指摘ください。 写真撮影は許可を得ています。

中村公園スポーツセンターは、名古屋市中村区の中村公園の北に位置します。中村高校の南東100mほどです。

写真中をよく見ると、中村公園スポーツセンターと書かれた下に、「名古屋競輪組合事務所」と書かれています。

上の地図を見てもなんとなく分かるように、ここは、名古屋けいりんの会場となるのです。


「競輪」は、一部事務組合が運営をしています。

組合といっても、労働組合や生活協同組合とは違って、複数の地方公共団体や特別区が、行政サービスの一部を共同で行うことを目的として設置する組織で、地方自治法284条2項により位置づけられているものです。

たとえば、江南市は、犬山市や岩倉市、丹羽郡で、愛北広域事務組合をつくっています。
そこでは、愛北クリーンセンター、尾張北部聖苑の管理運営をしています。

「名古屋けいりん」は、名古屋市と愛知県が「一部事務組合」をつくって管理運営する、
公営なのです。

競輪場は全国に43ありますが、一宮競輪が2年前に廃止になったように、経営は楽ではないようです。


今回は、もと競輪選手で、60才直前まで現役を続けられた樋口さんから説明を聞きました。

まず入った部屋が、自転車の整備場。そこから、地下を通ってバンク(競技トラック)に出られるのです。

ここは、写真撮影禁止で、携帯電話の使用もできません。

今回出場する、12レース3日間分の自転車が並んでおり、専門の人が整備をしていました。

出口に近いところには、第1レース用の7台、その横に第2レース用の7台と並んでいました。

競輪用自転車のおおよそ値段は、タイヤは1万円ずつ(5シーズンほどで交換)、ハンドル4千円、サドル1万円、チェーン2千円、ペダル1万円、フレームはいろいろ。
見るからにシンプルです。
プロ用といえども、100万円もするわけではありません。
詳しくはここをご覧ください。
 http://ameblo.jp/rave-slave/entry-11533152348.html

当然、個人持ちです。
値段が高ければよいというものでもありません。体に合っていることが重要なのです。

当日、着るユニフォームは貸し出されます。


この日は撮影もできないほどの厳重に管理された部屋ですが、普段は、近所の人が使用する卓球場です。

あくまでも「中村公園スポーツセンター」なのです。


明日に続きます。

布袋中学校 平成8年度卒同窓会

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昨日は、名古屋市で、布袋中学校を平成8年度に卒業した生徒による同窓会がありました。

お盆のなかでしたが、全国各地から多くの参加者がありました。
なかには、現在の布袋小学校での保護者も7,8人いました。

下の写真は、当時の3年6組、吹奏楽部の集合写真です。

5年後の厄年の折りには、布袋小学校へも寄付をしていただけるとのこと。

よろしくお願いします。

社会科フィールド・ワーク −東海ラジオ放送3−

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12日、丹葉地区の社会科教師のグループで、フィールド・ワーク(以下 FW)に行ってきました。
東海ラジオ放送を見学した時の様子を報告しています。

今日はその第3弾です。

※ 以下、説明を聞いたことをもとに書きますが、間違っていたらご指摘ください。 写真撮影は許可を得ています。

写真上の左上は、Bスタジオです。次の番組の準備が行われています。
帰りの車の中で、山浦・深谷のヨヂカラ!
ヨヂカラ大喜利 を聴きましたが、おそらくここで放送されたのでしょう。

AスタジオとBスタジオは、交互に収録が行われるのです。


次に入った部屋は、レコードやCDの部屋です。

昔から疑問に思っていました。

放送中にかける音楽は、どうやって管理しているの?

その謎が解けました。

番組中にかかる音楽の音源は、全てここに保管されています。
図書館のように、パソコンで検索すると、保管されている場所が表示されるのです。
実際に「君の瞳は10000ボルト!」と打ってみると、10種類以上も音源がありました。

CDはもちろん、いわゆるドーナッツ版やLPレコード、CDシングルなど、その量は膨大です。
中写真の右下は、いわゆる効果音です。

写真下の左上は、今日使って返却されたもの。

右上は、レコード会社から送られてきたもの。

そう、これらのCDは、レコード会社から無償で送られてくるのです。
「放送で流してください」ということなのでしょう。

「会社の歴史が古いので、貴重な音源もたくさんあります」という説明でした。


C−Eスタジオは録音スタジオです。
キム ヨンジャ さんが出演中でした。これは写真は撮れません。

また、アイドル系の子達も出演中で、こちらに向かって手を振ってくれました。
これも写真はありません。

東京のタレントは東京のスタジオで収録するのが普通ですが、名古屋公演中にはこのスタジオで収録します。
その時は、追っかけのファンが1階に溜まるそうです。
ファンはよく知っているのです。

最後の写真は営業部の部屋。
そして1階です。


以後は、説明中に出てきた言葉です。

東海ラジオは、民間ラジオ放送局では老舗の一つです。
ミッドナイト東海は、深夜放送の先駆けとなった番組です。
それ以後、オールナイト日本など、他へも広がっていきました。

社員アナウンサーは12人。うち4人がスポーツ実況担当です。

プロデューサーは何をする人か?メインはお金の管理です。

その他、いろいろなお話を聞きました。

ラジオ放送は、運転中や仕事中に聴いている人は多いでしょう。
何より、災害の時には大きな力になります。

社会の大切なツールとして、これからも活躍をお願いします。

丁寧に説明していただいた 北 制作部長さん、放送中にスタジオに入れていただいたきくち教児さん、大変お世話になりました!

社会科フィールド・ワーク −東海ラジオ放送2−

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一昨日、丹葉地区の社会科教師のグループで、フィールド・ワーク(以下 FW)に行ってきました。
東海ラジオ放送を見学した時の様子を報告しています。

今日はその第2弾です。

※ 以下、説明を聞いたことをもとに書きますが、間違っていたらご指摘ください。 写真撮影は許可を得ています。

東海ラジオには、スタジオが5つあります。
そのうち、AスタジオとBスタジオが生放送用。交互に使用します。

Aスタジオをのぞかせてもらいました。

この8月から始まった新番組、FINE DAYS! の生放送中でした。
 番組HP https://www.tokairadio.co.jp/topics/info/fine_days.html

きくち 教児さんと青山 紀子アナが本番中です。

そうしたら、教児さんが手招きをしてくれました。

「入ってらっしゃい!」

これには驚きました。
CM中に、いろいろと説明してくれます。

そして、「10秒前」の後も説明が続きます。

まさに、1秒前で切り替え、放送が始まります。

聴視者からのFAXからペットのネコをネタにしていました。
目の前で、ふたりが楽しそうに会話をしているのです。
青山アナが読み、教児さんがコメントをし、それに青山アナが反応する、というパターンです。

そのFAXとは、昨日紹介したAD(アシスタント・ディレクター)さんが取りに来たものです。

動いているのです。

よく言えば「臨機応変」、悪くいえば「ぶっつけ本番」、そんなイメージです。

私は咳が出そうになったのを、ハンカチで口を押さえ、マイクが雑音を拾わないように必至に我慢していました。

そして、またCMがはじまると、教児さんが私たちの相手をしてくれました。

「一期一会だからみなさんとの出会いを大切にしたい」と、全員に名刺をくださいました。
「あの震災で友人を亡くしてからそう思うようになった」

これがCM中なのです。
そして、CMが終わったと同時に、「今日は、愛知県の社会科の先生方がスタジオを訪問されました。・・・・」
と、私たちをネタにしています。

「頭の回転がよくないとできないな・・・。」

率直にそう感じました。

そして、驚異の時間感覚

10秒あれば何が話せるかを、感覚的につかんでいると思いました。

青山アナも、私たちの相手をする教児さんに話を合わせながら、手元の資料をチラ見しています。笑顔で応対しながら、頭の中では次の話題を組み立てているのです。

そのプロ意識に感心しました。

東海ラジオ放送、続きます。

ポンペイの不思議−6−

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2002年に名古屋でポンペイ展が開かれた時、朝日新聞社に依頼されて、7回にわたって紙上に連載した原稿を紹介しています。

今回の原稿は私のものではありません。現在岩倉南部中学校長の高橋先生作です。

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ポンペイ市民は超グルメ

地中海といえば、おいしい料理とワインが思い浮かびますが、ポンペイの人たちもまた、たいへんな美食家ぞろいであったことが分かっています。

会場には、ワインを絞るのに使った道具やフライパンなど、豊かな食生活を想像させる展示物が多く見られます。

中でもユニークな形でひときわ目を引くのが、「オリーブ油製造用ひきうす」です。(写真左上)

二つの半球形をした巨大な石うすを、石の桶の中で回転させてオリーブをすりつぶす仕組みになっています。
石の桶の直径は百五十センチほどもあり、一度に大量のオリーブの実をすりつぶすことができました。
オリーブ油づくりは、ワインの醸造とともにポンペイの重要な産業の一つでした。

では、当時のポンペイの美食家たちは、どんな食事をしていたのでしょう。

それを知る手がかりは、古代ローマ時代にペトロニウスが著した『サテュリコン』という書物です。
そこには、大富豪トリマルキオが行ったケーナと呼ばれる晩餐の様子が詳しく記されています。

メニューは、イノシシの丸焼きに練り物で作った子豚が乳を吸うように添えられた料理や、レーズンを詰め込んだツグミなどで、複雑で豪華な料理が何皿も並べられました。

そして飽くことなく何時間も食べ続けました。
飽食こそ、ローマ人の最高のステータスだったのです。

右上写真は、ポンペイ近郊のボスコレアーレで発見された「ピサネッラ荘」といわれる農園別荘の復元模型です。

中庭でブドウ酒の醸造が行われていることが分かります。


左下写真は、ブドウを搾る機械の模型です。

右下写真は、ブドウ栽培の様子を表しているフレスコ画です。

【クイズ】古代ローマの宴会では、人々はどんな食事の仕方をしたでしょう。

1 床にあぐらをかいて車座になって食べた。 2 立食パーティー形式で食べた。 3 ベッドに横になりながら、ひじをついて食べた。

正解は?
答えはこちら!

社会科フィールド・ワーク −東海ラジオ放送1−

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昨日、丹葉地区の社会科教師のグループで、フィールド・ワーク(以下 FW)に行ってきました。今回は総勢17人。

FWは、工場や市場、港・空港、役所など、私たちの生活を支えている事業所などを実際に訪問して、説明を聞きながら見学することです。

学校で子供達に教える時、実際に見たことがあるとないでは、大きな違いがあります。
そこで、毎年、仲間と一緒にいろいろなところを訪問しています。

今回は、中村区の中村スポーツセンター、東区の東海ラジオ放送を見学しました。
まずは、記憶の新しい東海ラジオ放送から。

※ 以下、説明を聞いたことをもとに書きますが、間違っていたらご指摘ください。 写真撮影は許可を得ています。

東海ラジオは、東海テレビの親会社です。何か逆のように感じますね。最近、資本の関係が横並びになったそうですが・・・・。

東海テレビの建物の9階から12階が、東海ラジオ放送株式会社です。
会議室で、制作局の制作部長 北 敏明さんにお話を伺いました。

会社の概略は、社員が72人。(79人とも?)
採用は毎年あるわけではなく、数年に1度、複数を採用するそうです。
(その競争率は数千倍?とか・・・)

建物の9階が技術部門、10階が制作部門、11階が営業部門、12階が総務や経理部門に分かれていますが、これがそのまま、会社の組織にあたります。

年商 約30億円。 そのほとんどがCM収入です。
CM料金は、20秒で2、3万円ほどだそうです。

メインは七宝送信所 1332kHz。他に9つの中継所があります。
アンテナを立てる場所は、湿地帯がよいのだそうです。

写真中の右下が、電波を七宝送信所へ送る心臓部。

放送局は、災害時にはとても頼りになる存在です。
耐震、電源確保、火災対策など、考えられています。


写真下の右上は、編集室です。
録音したものを、編集する部屋です。
実際に、一つの部屋で作業をされていました。(写真は遠慮しました。)

その下の写真は、FAXの受信機です。
写っている人は、オンエアー中のAD(アシスタント・ディレクター)さん。
聴視者から届いたFAXを、スタジオまで届けます。

※ オンエアー中の番組(FINE DAYS!)については、明日紹介します。

右上のBOXは、番組名のシールが貼られています。
送られてきたFAXは、それぞれの箱に入れられるのです。

右下の電話は、聴視者からの電話が入るところです。

まさに、本物の迫力でした。

いよいよスタジオに入ります。
明日に続きます。

ポンペイの不思議−5−

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2002年に名古屋でポンペイ展が開かれた時、朝日新聞に依頼されて、仲間と共に7回にわたって紙上に連載した原稿を紹介しています。

今回は「医学」がテーマです。

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医 学

帝王切開、ヘルニア治療、白内障治療のための水晶体除去、尿道結石の除去、美容整形、頭蓋骨の手術、脱臼や骨折・・

これは、総合病院の案内ではありません。

何と、2000年前にポンペイで実際に行われていた医療なのです。
そのレベルの高さには驚かされます。

ローマの医学は、ギリシアから輸入されました。
帝国の領土拡大政策により戦争が増え、負傷者を治療するために発達しました。


ポンペイ展で展示されているメスなどの医療器具(写真上左)は、つい最近まで使われていたようにさえ思えます。
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写真上右は、婦人科医が使った子宮鏡です。


写真下の上はカテーテル。
多くの種類が見つかっているそうです。


ここで問題です。写真下の下はある医療器具です。

何に使われたのでしょうか?

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今から2000年前に、外科手術や美容整形が行われていたことが驚きですね。


問題の答えは 抜歯(歯を抜く)でした。

麻酔はあったのでしょうか?

【校長日記】 日航機墜落事故から31年 慰霊の登山続く

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見出しは、NHKニュースの見出しです。
 ここから http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160812/k10010632631000.html

今日、8月12日は私の誕生日。
それまでは、何てこともない普通の日でした。

31年前の今日。

私が、布袋小学校で6年生を担任していた時、アマチュアオーケストラ「名古屋シンフォニア」 のメンバーとして、中国演奏旅行に出かけていました。

上海と南京で演奏し、蘇州で観光が入っていました。
曲は新世界とメンコン、野人。
ソリストは、大谷 康子さん。

※ 新世界は、ドボルザークの交響曲第9番。
  メンコンとは、メンデルスゾーンのバイオリン協奏曲。
  野人は、渡辺浦人作曲 交響組曲「野人」

その(たぶん)最終日の夜、南京で、メンバーが私の誕生日を祝ってくれていました。
ただ、やたらにテレビに日航のジャンボジェットが静止画で映っていたことが印象に残っています。
内容はむろん分かりません。

そして、日本へ、小牧空港に帰ってきました。
兄が迎えに来てくれましたが、その時に言われました。

「知らないのか!? 日本中、てんやわんやだぞ!」

知るよしもありません。

「坂本九や清国の奥さん、阪神電鉄やハウス食品の社長も亡くなったぞ。」

まだことの大きさが分かりません。
分かったのは、自宅に戻り、新聞を見てから・・・。

想像もできない大惨事でした。



それからです。
毎年8月12日には慰霊祭、慰霊登山などのニュースで覆われました。
毎年、毎年、私の誕生日はそのニュースがお決まりだったのです。


昨年、30年たった時、大手新聞社が「来年以降は記事を縮小します」と載せていました。

亡くなった方、遺族の方には申し訳ないのですが、どこかでキリをつけないと・・・、そう思いました。


そして、その1年後。

産経新聞は今年も社説に取り上げました。(他社は取り上げませんでした。)

さらに、テレビではNHKも含めて取り上げています。


昨日は、祝日「山の日」でした。

原案は、8月12日だったのです。

しかし、日航機のが墜落したということで、被害者感情を考慮して1日前倒ししたのです。


まだ、残っていたのです。

それが日本なんだと思いました。
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ポンペイの不思議 −4−

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2002年に名古屋でポンペイ展が開かれた時、朝日新聞に依頼されて、7回にわたって紙上に連載した記事を紹介しています。

その4回目はポンプです。

改めて確認しますが、ポンペイの時代(西暦79年)は、日本では弥生時代。登呂遺跡の頃です。

その頃に、ポンペイでは既に水道がありました。
宮殿には、噴水まであったのです。

記事を紹介します。

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ポンプ

生命の源は何といっても「水」。水の確保は人類の永遠のテーマです。

ローマ帝国は、今も使われている水道橋で有名なように、早くから水道が整備されていました。

それより南に位置するポンペイは、火山灰が積もった台地の上にあり、水には恵まれているとはいえません。それは家の中に雨水を溜める貯水槽がつくられていたことからも分かります。

そこでポンペイでも、最も高台にある分水場から、公共泉水、公共浴場や噴水、一部の裕福な邸宅へと鉛の水道管(写真)を使って配水していました。

そして一般の民衆は、公共泉水から水を汲み出して使用していました。

水不足の時には、はじめに裕福な邸宅の栓を閉めたことから、当時の社会は意外と民主的だったことが分かります。

ポンペイ展で見られる水道設備はすばらしく、水車の復元模型や水道栓・水道管の実物が展示され、町の水道についてビデオで鮮やかに紹介されています。

特に写真に見られる青銅製の吸い上げポンプは、その金属加工技術に驚かされます。

日本は川が多く、また地下水に恵まれていたため、水道はあまり発達しませんでした。その日本から見ると、二千年前の町に水道がひかれていたとは驚きです。

水と人々のくらしについて調べてみましょう。


ここで問題です。

下写真右のらせん式水あげ機は、ギリシアの有名な科学者発明したと言われています。

<img src="http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/eb/a63433966b20808941a8e473235cd38e.jpg">

この有名な科学者とは、誰でしょう。

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いかがでしょうか?

「水の確保は人類の永遠のテーマ」と書きましたが、決して誇張でも何でもないことはおわかりですね。

水道度は、文明度を表しているのです。

この答は アルキメデス です。

ポンペイの、いや、ローマの文明には、改めて驚かされます。

ポンペイの不思議 −3−

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2002年に名古屋でポンペイ展が開かれた時に、朝日新聞社に依頼されて、7回にわたって紙上に連載した原稿を紹介しています。

今日はその3回目。

「貨幣」です。

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「今と変わらない!」

ポンペイ展を参観した人の多くが抱く感想です。
それだけ、ローマの文化は成熟しており、現代につながるものが多いのです。

なかでも「ウェスパシアヌス帝の銅貨」(写真)は今でも立派に通用しそうです。

UFJ銀行貨幣資料館(名古屋市中区)によれば、紀元前650年には古代ギリシア最古の硬貨が使われています。

ローマでもその形状は引き継がれ、アウグストゥス帝(前27年〜)以降は、表面に皇帝の肖像を描くようになりました。この形式が、以後の西欧の基本デザインになったのです。

一方、日本では7世紀後半の「富本銭」が貨幣の歴史を変えましたが、庶民の間で使われるようになったのは、それからずいぶん時を経なければなりません。


さて、ポンペイ展では、当時の物価も紹介されています。

●3人家族1日分のパン  2〜8アス
同じくチーズ 2〜4アス
●普通のワイン(約1リットル) 1アス
●高級ワイン(約1リットル) 4アス
●ラバ           2千アス
●奴隷           1万アス

こうしてみると、当時の人々の生活がしのばれます。
物価は、そのころの生活を知る大きな手がかりです。調べてみるとおもしろいですよ。

そこで問題です。下写真のつぼは、何に使われた物でしょうか?

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以上が原稿です。

当時の物価を見ると、ワインが安いと思いませんか?

「奴隷」というのも、当時の社会の状況がわかります。
今の「出稼ぎ」とはワケが違います。

さて、答えは 貯金箱 でした。

注目すべきは、壺を割らないと中のコインが出せないことです。

当時も今も、貯金の難しさは変わりません。

夏休み特集 −12−

夏休みも折り返しました。

毎日オリンピックのニュースが流れ、ますます時の流れが速く感じられます。
現在、男子体操個人総合が行われています。

今回は、かんばこうじのおもしろ工作を紹介します。

「子供の科学」の簡単工作に発表した工作を紹介されています。
工作集もあり、簡単科学工作としても面白く、自由研究にぴったりです。

ここから・・・・
http://www.kanbakousaku.com/

工作は動画で紹介されています。

すたこらラプター(輪ゴム動力)

 エッ!?どうやって動いているの?
 とてもユーモラスです。


工作用紙で作ったモノレール

 これはすごい!
 街もつくれば、ジオラマです。


これらの他、メトロノーム振り子、サルウエイ、モンスターラーメン、8コマアニメーション。

発想がユニークです。
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1学期をふりかえる

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写真で1学期をふりかえります。

6年生の修学旅行、東大寺大仏殿前の集合写真です。

写真は政木写真館からいただきました。

カーテン工事

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7組の教室にカーテンを取り付けていただきました。

体育時の更衣等に使わさせていただきます。

ありがとうございました。

今日のプール開放2

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今年度最後のプール開放に217名の児童が参加しました。

夏休みも半分が過ぎました。

これからお盆にかけては家族との時間を大切にしてほしいです。

今日のプール開放

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気温31度 水温25度 快晴の下、夏休み最後のプール開放に多くの児童が来てくれました。

受付を終え、これから準備体操が始まります。

子どもたちの腕や背中には日焼けのあとが見られます。

ポンペイの不思議 −2−

2002年に名古屋でポンペイ展が開かれた時に、朝日新聞社に依頼されて、7回にわたって紙上に連載した原稿を紹介しています。

名付けて、「発掘!ポンペイ展のふしぎ 子どもたちのための見学ガイド」−2−

今回のテーマは「織機」

2000年前の織物事情は・・・。

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織物の歴史は古く、古代エジプトでは麻、インドでは木綿、中国では絹により布が織られていました。
日本でも、縄文時代早期の土器に布の跡が見つかっています。

ローマ時代にも織物は広く行われ、特に毛織物は、ポンペイの主産業だったといわれています。

織機は縦型で、縦糸には重りがつけられ、布地は上から下に向けて織っていきました。
糸を紡ぎ、機を織る仕事は、当時の女性の重要な仕事で、幼少時から家庭でしつけられていました。
ポンペイでも、機を織る女性の姿が町中で見られたことでしょう。
機織りにまつわる伝説は世界各地に残っていますが、そのいずれも女性が主人公なのは偶然ではないでしょう。

ポンペイ展では、毛織物の仕上げ工場の模型のほか、たて置きの織機や重り(写真上)、紡錘車、はさみや縫い針(写真下)が展示されています。

特にはさみは、和ばさみと同じ形なのが興味深いですね。


織物は、生活の基本です。

織物から始まった産業革命は、人類の生活そのものを変えてしまいました。織物と人類の歴史を調べてみるのもおもしろいテーマですね。

さて、ここで問題です。

ポンペイの毛織物の仕上げ(縮絨=しゅくじゅう)工房では、水とソーダとあるものを混ぜた水槽に毛織物を浸して、足で踏み固めました。

Q このあるものとは何でしょうか?


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原稿は以上です。

自分で言うのも何ですが、織物の歴史を簡潔にまとめていると思います。
新聞記事は字数制限が厳しいために、よく練らないといけません。

字数制限は、文章を書く上でよいトレーニングになります。


問題の答は、尿(おしっこ) でした。

びっくりですね!

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1学期をふりかえる

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写真で1学期を振り返ります。
6年生の修学旅行、鹿苑寺金閣での集合写真です。

写真は政木写真館からいただきました。

江南市児童生徒サミット(6年生)

 布袋小学校代表として、6年生から2人がサミットに参加しました。いじめ防止をテーマに活発な議論が行われ、2人も積極的に意見を発表しました。
 話し合いの結果、「江南市いじめ0宣言」が採択されました。
・一人一人が小さな勇気をもとう
・一人一人が正しく思いやりのある言葉を使おう
・一人一人が仲間のいいところをみつけよう
となりました。
最後に、ケーブルテレビのスターキャットさんが取材に来ていたところ、布袋小の2人が選ばれて、サミットの感想を撮影されました。8月17日(水)16時から放送されるようです。よろしければ、ご覧下さい。
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学校行事
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江南市立布袋小学校
〒483-8148
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TEL:0587-56-3200
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