平成30年度が修了式しました。いろいろとご協力をいただきありがとうございました。

尾北寫眞画帖−最終回−

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政木写真館の先々代政木 貞弌が大正元年頃に撮影した写真を編集した尾北寫眞画帖 を紹介しています。

【写真上】犬山鵜飼

【写真下】犬山焼

尾北寫眞画帖−12−

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政木写真館の先々代政木 貞弌が大正元年頃に撮影した写真を編集した尾北寫眞画帖 を紹介しています。

【写真上】不老瀑布

 犬山遊園駅から桃太郎神社へ向かう途中にある不老公園は、「日本ライン」の名付け親 志賀重昂氏を称えた碑があります。道を渡ると、すぐに眼に入るのが不老の滝です。
 枯れたことがないことからその名が付き、打たれると健康で長生きすると云われています。
 写真を見ると、今と水量が違います。なぜ?

【写真中】寂光院
 今や「尾張の紅葉寺」と言われる寂光院は、この写真の頃はあまり紅葉が目立ちません。
 今度行ったときには、同じアングルで撮影してみます。

【写真下】瑞泉寺
 名鉄犬山遊園駅の裏手にある臨済宗妙心寺派の古刹。
 本堂は変わりませんが、鐘楼は今の方が屋根が大きい気がします。
 右手の上にある建物は今はあるのかな?
 見に行ってきます。

尾北寫眞画帖−11−

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政木写真館の先々代政木 貞弌が大正元年頃に撮影した写真を編集した尾北寫眞画帖 を紹介しています。

【写真上】犬山城
 犬山城らしいアングルです。

【写真中】針綱神社、犬山祭
 基本的に、今と変わりません。

【写真下】木曽川、工兵爆発演習
 写真には「爆沈演習」となっています。
 工兵第三大隊の恒例行事のように記されています。

尾北寫眞画帖−10−

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政木写真館の先々代政木 貞弌が大正元年頃に撮影した写真を編集した尾北寫眞画帖 を紹介しています。

【写真上】明治館・愛知館
 明治館、愛知館共に情報をお待ちしております。
 『古知野町史』にはありそうな気がしますが、後日調べてみます。
 明治時計に関係があるのかな?

【写真中】富士山・入鹿池
 基本的に、今と変わりません。

【写真下】犬山町・犬山停車場
 本町通りも面影がありますね。
 犬山駅はさすがに変わりました。

尾北寫眞画帖−8−

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政木写真館の先々代政木 貞弌が大正元年頃に撮影した写真を編集した尾北寫眞画帖 を紹介しています。

【写真上】絹織物同業組合
 詳しいことをご存じの方は教えてください。

【写真中】古知野倶楽部
 小さい頃、丸輪町にあった建物に似ているけど・・・・

【写真下】曼陀羅寺
 わが家の隣の曼陀羅寺です。
 随分、さっぱりしています。

尾北寫眞画帖−7−

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政木写真館の先々代政木 貞弌が大正元年頃に撮影した写真を編集した尾北寫眞画帖 を紹介しています。

【写真上】若宮八幡社
 力長にあり、古来より安産守護、子供の神様として崇拝されている安産守護神です。

【写真中】古知野町・古知野停車場
 古知野の町と古知野駅です。

【写真下】報光寺山門
 子どもの頃の遊び場である報光寺。今と変わりません。

尾北寫眞画帖−6−

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政木写真館の先々代政木 貞弌が大正元年頃に撮影した写真を編集した尾北寫眞画帖 を紹介しています。

【写真上】布袋公園
  忠魂碑のある表忠園といわれている所です。布袋神社もあり、サクラの名所の一つとなっています。

【写真中】県立農業試験場
  写真からは後の愛知県蚕業試験場ではないかと思います。

【写真下】織物同業組合
  情報がありません。詳しいことをご存じの方は教えてください。

尾北寫眞画帖−5−

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政木写真館の先々代政木 貞弌が大正元年頃に撮影した写真を編集した尾北寫眞画帖 を紹介しています。

【写真上】正眼寺
 小牧市三ッ渕にある曹洞宗の寺院です。

【写真中】布袋本町・布袋停車場
  今の本町通りはこの面影を残しています。
  布袋停車場とは布袋駅のことです。

【写真下】丹羽郡役所
旧 警察官舎のあった所にありました。

明治11年(1878年)12月20日 - 郡区町村編制法の愛知県での施行により、行政区画としての丹羽郡が発足。「丹羽葉栗郡役所」が小折村に設置され、葉栗郡とともに管轄。

この写真が撮られた頃は、明治39年(1906年)5月1日 - 以下の町村の統合が行われています。いずれも新設合併。(4町24村)

古知野町 ← 古知野町、東野村、和勝村、旭村、両高屋村、秋津村[山王・北野・石枕・尾崎]、栄村[赤童子]
布袋町 ← 布袋町、秋津村[東大海道・今市場・力長・安良・寄木]、栄村[木賀・中奈良]
千秋村 ← 豊富村、青木村、浮野村、幼村[加納馬場・芝原]
岩倉町 ← 豊秋村・島野村・岩倉町・幼村[八剱・井上・石仏・神野]

7月1日 - 以下の各村の統合が行われる。いずれも新設合併。(4町17村)
丹陽村 ← 九日市場村、二川村、三重島村、多加森村[猿海道・多加木・森本・吾鬘]
西成村 ← 多加森村[馬見塚]、浅渕村、赤羽村、穂波村、時ノ島村、瀬部村

10月1日 - 以下の町村の統合が行われる。いずれも新設合併。(4町9村)
犬山町 ← 犬山町、岩橋村、高雄村[上野・木津]
扶桑村 ← 高雄村[高雄]、山名村、豊国村、柏森村[柏森]
大口村 ← 柏森村[余野]、小口村、富成村、太田村
城東村 ← 善師野村、岩田村、今井村

尾北寫眞画帖−4−

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尾北寫眞画帖−4−

政木写真館の先々代政木 貞弌が大正元年頃に撮影した写真を編集した尾北寫眞画帖 を紹介しています。

【写真上】一宮・古知野市場
どこにあったのか、ご存じの方教えてください!

【写真中】岩倉停車場
名古屋電気鉄道は、押切町 - 枇杷島(庄内川東岸で、名古屋市側)間は枇杷島線として1910年5月に先行開業しました。昨日紹介した庄内川橋梁の完成を待ち、1912年(大正元年)8月6日に押切町 - 岩倉 - 西印田間の一宮線と岩倉 - 犬山間の犬山線が全通しました。

岩倉停車場はそのターミナル駅となりました。

【写真下】小牧山
今、発掘ブームの小牧山。
織豊系城郭と呼ばれる城郭体系の原点とも言われますが、この写真の頃はわかっていませんでした。
たった400年前のことなのに・・・。

尾北寫眞画帖−3−

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政木写真館の先々代政木 貞弌が大正元年頃に撮影した写真を編集した尾北寫眞画帖 を紹介しています。

【写真上】国府宮・大県神社
 国府宮は、尾張大国霊神社(おわりおおくにたまじんじゃ)。近くに尾張国の国衙(国府)があったことから、国府宮神社と呼ばれました。
 毎年旧暦1月13日に執り行われる儺追(なおい)神事、通称「国府宮はだか祭り」で有名です。

 大縣神社(おおあがたじんじゃ)は、愛知県犬山市にある神社。旧社格は、式内社(名神大社)・尾張国二宮・旧国幣中社・別表神社。 


【写真中】真清田神社
 大縣神社が二宮なのに対して、真清田神社(ますみだじんじゃ、眞清田神社)尾張国一宮。 
 愛知県一宮市真清田にあり、式内社(名神大社)、旧社格は国幣中社で、現在は神社本庁の別表神社。

【写真下】尾張大根切干
 大根を細く切り、屋外で天日に干して作られる切干大根。
 冬の寒風「伊吹おろし」が吹き降ろす尾張北部では、その気候を活かし、古く江戸時代から切り干し大根の生産が盛んでした。特に一宮産の切干大根は太くてしっかりとした歯ごたえがあるのが特徴です。
 

尾北寫眞画帖−2−

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政木写真館の先々代政木 貞弌が大正元年頃に撮影した写真を編集した尾北寫眞画帖 を紹介しています。

【写真上】枇杷島鉄橋
  現在は、庄内川橋梁 (名鉄名古屋本線)として、旧鉄橋の上流に作られました。

【写真中】枇杷島青物市場
  枇杷島青物市場は、清須市西枇杷島町橋詰町や南問屋町周辺に存在しました。起源もはっきりしていませんが、1622年(元和8年)に問屋6軒が成立したという説があるそうです。問屋は尾張藩に保護され、のちに38軒を数えるまでになりました。尾張・美濃・三河・伊勢・駿河だけでなく、京阪方面からの物品が運ばれ、万物問屋とも称されました。

【写真下】清洲城
  信長が那古野城から移って大改修を加えた後、本拠として居城した城です。信長は、この城から桶狭間の戦いに出陣するなど、約10年間清須を居城としました。
  ここから生駒屋敷に通ったのです。  

尾北寫眞画帖−1−

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政木写真館の先々代政木 貞弌が大正元年頃に撮影した写真を編集した尾北寫眞画帖 を紹介します。

布袋のもの以外もありますが、「布袋の歴史」カテゴリーにアップします。

【写真上】表紙
【写真中】編者識す
【写真下】名古屋城、名古屋電鉄株式会社

元祖 職場体験は?

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1990年10月18日 中日新聞朝刊(東海版)を紹介します。

遠足 選択の自由 
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文部科学省は、キャリア教育の一環として、職場体験を推奨しています。
中学校職場体験ガイドも作られています。 
 http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/career/05010502/026.htm

そこには、平成16年で、すでに全国の中学校の90%で職場体験を行っていることを示しています。

それでは、その起源はどこか?

実は、平成2年に布袋中学校が行ったこの写真かもしれないのです。

この年は、秋の遠足に替えて行いました。見学(職場訪問)も多かったのですが、これ以後は職場を体験する方にシフトしました。

これが「内外教育」に紹介され、阪神大震災、神戸連続児童殺傷事件でショックを受けた兵庫県教育委員会の視察を受け、トライやる・ウィークとして実施。
これが全国に一気に広まりました。

東京職場訪問を始めたのも、平成3年の布袋中学校からです。

歴史はこうして作られていくのです。

明治4?年度の通知表

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小牧市の学校で見つかった、布袋北小学校の前身、丹羽郡布袋尋常小学校の1年生児童の通知表です。
明治四十の次が空白で、いつのものかは不明です。

表紙には、次のように書かれています。

 布袋尋常小学校児童の本領
常々学校の体面を重んじ 身体を強壮にし 教育勅語の趣旨を奉体し 行をつつしみ 誠実に勉強してよい日本人になるのであります

学業成績は、次の等級があります。
 甲:優等のもの
 乙:普通のもの
 丙:劣等のもの
 丁:一番劣等で不合格のもの

この児童は1年生なので、修身、国語、算術、唱歌、体操、操行 に等級がつけられています。住所地は「安良」になっています。
下には、判定「及」、賞「有」とあります。

時代を感じます。

ご家庭に、この時期の学校の記録がありましたら校長に見せてください。
よろしくお願いします。

布袋尋常小学校、布袋尋常高等小学校の卒業証書

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小牧市の学校で見つかった、布袋尋常小学校、布袋尋常高等小学校の卒業証書を紹介します。

布袋尋常小学校とは、現在の布袋北小学校のこと。
秋津村尋常小学校が、明治40年に布袋町と合併して布袋第二尋常小学校となり、明治41年7月から布袋尋常小学校となりました。
卒業証書は、大正2年3月20日、岩田圓五郎校長 名で出されています。

布袋尋常高等小学校は、現在の布袋小学校のことです。
布袋尋常小学校だったのが、秋津村と合併したことにより布袋第一尋常小学校となり、明治41年に高等科を併設したことにより、布袋尋常高等小学校となりました。
卒業証書は、大正4年3月20日、伊藤鍵次郎校長 名で出されています。

どちらも「愛知県平民」と書かれています。

「布袋尋常小学校」は、明治40年以前は現在の布袋小学校のこと、それ以降は現在の布袋北小学校のことなのです。

学校から賞品がもらえた時代がありました

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かつて、成績優秀者や、1年間欠席しなかった子に対して、賞品を与えていました。
その記録をした「原簿」がいくつか本校にも残っています。

写真上の右は、大正12年からの布袋尋常高等小学校、尋常科4・5年生、高等科1年生への授賞原簿です。
中を見ると、「硯箱」「文字のくずし方」「自然界の不思議」「裁縫全書」「女子の修養」「歴史物語」「化学の話」「忠勇義烈」「雑記帳三冊」などと、一人一人に書かれています。

写真上の左は、昭和20年からの国民学校の初等科1・2・3年生の精勤賞です。

写真中は、布袋尋常小学校(現在の布袋北小学校)で実際に渡した賞の目録です。「乃木大将一冊」などと書かれています。

写真下は、2枚の精勤賞です。

家庭にこのようなものがありましたら、校長までご紹介ください。

丹羽高等女学校の卒業証書・修業証書 −2−

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小牧市で見つかった丹羽高等女学校の卒業証書を紹介します。

丹羽高等女学校(現尾北高校)は、大正10年に開校しています。

写真上は、本校(布袋尋常高等小学校)の学校日誌です。
4月21日(木)「午前9時より、郡立高等女学校始業式を本校において挙行」と書かれています。
5月16日(月)「郡立高等女学校 山本幸太郎氏 新任挨拶のため来校」と書かれています。

写真中は大正14年3月の卒業証書です
本科(修業年限4箇年)なので、初代の卒業生ということがわかります。
第24号という数字からもわかります。
校長は「正六位 山本孝太郎」と書かれています。
学校日誌の「幸」は誤字のようです。

写真下は、花道の修業証書です。花道教師は、広間 八尋 と書かれています。
いわゆる部活動でしょうか。

当時の様子がわかります。

丹羽高等女学校の卒業証書・修業証書 −1−

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布袋尋常高等小学校の卒業証書・修業証書を紹介しています。
今回、本校卒業生より情報をいただきました。
(お許しを得て、氏名も掲載させていただきます。)

上は丹羽高等女学校(現在の尾北高校)昭和4年の本科(修業年限四カ年)の卒業証書です。
校長名に「従七位」という位階が入っています。

下は同じく、昭和5年の補習科の修業証書です。
校長名には「正七位」に上がっています。


情報提供をありがとうございました。

布袋尋常小学校の校長先生は?

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小牧市内の学校で、布袋尋常高等小学校時代の卒業証書、修業証書等が見つかり、本校に寄贈されました。

本校の沿革史によれば、明治41年に布袋尋常高等小学校として現在位置に移って以降、昭和9年までが伊藤鍵次郎 校長です。

しかし、いただいたものを見ると、布袋尋常小学校 大正2年3月は 岩田圓五郎 校長、大正3年3月や大正4年3月 舟橋清五郎 校長 です。

これは、明治41年7月以降の「布袋尋常小学校」とは、布袋北小学校のことだからです。

布袋小学校の前身の「布袋尋常小学校」とは、明治29年から明治39年まで今とは別の場所に存在しました。
明治41年に今の場所に移り、「布袋尋常高等小学校」となったのです。

江南市歴史民俗資料館が紹介されました

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今朝の中日新聞に、江南市歴史民俗資料館が紹介されました。

メインは「石かご」。
このかごに木曽川河川敷の丸石を詰め、堤防をつくりました。

ぜひ記事をご覧ください。

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