最新更新日:2018/10/22
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今週のめあては 時間を守って行動しよう です

布袋駅舎交流事業

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布袋ふれあい会館で行われた、布袋駅舎交流事業 に行ってきました。

主催者の布袋駅舎保存会 の皆さんは、布袋小学校がいろいろとお世話になっている人ばかりです。

今日は、
布袋の歴史
布袋駅について
まちあるき周遊QRコード
の講演や紹介がありました。

11月4日の布袋ぶらりん日和が楽しみです。

大正10年の学校日誌

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今日は、大正10年の学校日誌 を紹介します。

当時は、布袋尋常高等小学校という名前でした。

明治19年に、小学校が尋常小学校(修業年限 4年)と高等小学校の2段階となりました。
尋常小学校の4年間が義務教育です。

明治40年には、尋常小学校(義務教育)が6年間になります。

そして、明治41年(1908年)。
高等科を併設して、布袋尋常高等小学校 として、現在の場所に設置されました。

※ その前には、今の五明公民館あたりにあったと聞きました。詳しいことをご存じの方がいらっしゃったら情報をお寄せください。

したがって、布袋小学校は、現在の場所に移って今年で110年目になります。

布袋尋常高等小学校 4月1日の日誌を見てみましょう。

午前九時 入学式挙行

 本日入学セシ児童数左ノ如し
  尋常科 第一学年
   男 七十六名
   女 六十六名

  高等科 第一学年
   男 四十九名
   女 十七名

始業式挙行

午前九時ヨリ丹羽郡高等女学校入学試験ヲ本校にて挙行 
    


当時は、4月1日から入学式が始まったのですね。
また、高等科の女子の少なさも当時の状況を反映しています。

丹羽郡高等女学校は、今の尾北高校です。
しばらくして、本校講堂で丹羽郡高等女学校の入学式を行っています。

しかし、Wikipediaによると、丹羽郡高等女学校は大正11年設立になっています。
間違いでは?

児童数は、尋常科 872人、高等科を合わせると 983人の大きな学校でした。

校長は、体育前に胸像のある 伊藤鍵次郎 です。

昭和19年の学校日誌

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昨日に続き、昭和19年の学校日誌を紹介します。

昭和19年の日誌は、墨塗り部分がたくさんあります。

戦後、教科書の中の戦争に関係する記述が消されたように、学校日誌もそういった指令が出たのでしょう。

墨塗りの部分は、ほとんどの箇所が見事に消され、判読することができません。

ただ、3月30日の墨塗りは、読みとることができました。
次のように書かれていました。

一 警報 二十二時四分 警戒警報  二十二時 空襲警報
     二十四時三十分 解除

生々しい、かつ貴重な記録です。

昭和19年 学校日誌

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学校には、学校日誌というものがあり、校長室には、大正時代からのものが保存してあります。(抜けている年もありますが・・・)

今から74年前の昭和19年のものがあります。

昭和19年6月は、15日に米軍がサイパン島に上陸し、B29の本土空襲が始まっています。

下写真の右ページが6月23日(金)、左ページが24日(土)です。

いわゆる墨塗りで、終戦後、軍事色の強いところに墨が塗られています。

読み取るのは困難です。

他の日ですが、「警報解除」というのが墨で塗られていました。

23日には「午後一時より勤労作業」「午後三時半より職員会」
宿直記事の欄には、「引継時刻午後四時半」「奉安殿御異常ヲ認メズ」 「校舎内外異常無シ」「其他無」と書かれています。

この日の欠席は6人でした。

「奉安殿」は、南側にあったもので、天皇のご真影、教育勅語などが納められており、毎日、点検していたことがわかります。

昭和19年6月23日は、昭和新山ができた日ですが、そのことには触れられていません。

24日には、「午後一時ニ字常会」「午後一時ヨリ職員講習」とあります。
宿直記事欄には「春田訓導午後九時半頃忘物を取りに来校。職員室へ入室。直ちに帰る」とあります。

当時の様子が想像できます。

墨塗りの部分が気になりますね。

「管理に関する事項」−2−

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 和室の押し入れから発見された古い文書綴の一つ『布袋尋常高等小学校 大正元年11月改 施設一覧』の中から、「管理に関する事項」を2回にわたって紹介しています。

今日はその2回目、3,4ページです。
どうぞご覧ください。
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7 昼食時の秩序
  喫食中は左の事項に注意せしむ
    1 姿勢を正しくすること
    2 十分に咀嚼すること
    3 静粛にすること
    3 机上を汚さざること

8 休憩時間中の秩序
  看護当番は、風紀当番を指揮し、看護の任に当たる昇降口及び廊下便所の整頓
  尋常科第五学年以上の男子とその他の児童との運動場とを区別すること

9 備品室
  <strong>器具器械標本図書の一を一定し、使用後は直ちに所定の位置に置かんしめ、その他に置くことなからざむ<strong>                                      
10 学用品序
  筆墨紙及び帳簿類を一定せり
  
11 遺失物
  遺失物は広い物箱に入れ一般の児童に公示。

12 授業時間に関すること
  設備教員児童の三要件につき斟酌し尚心力体力及び便利とに注意せり
−−−−−−−−−−−−
 ここでも現代と共通することが色々とあります。
授業時間は、今は全国的に小学校45分、中学校50分を標準にしていますが、この頃は決まっていないようです。

「管理に関する事項」−1−

画像1 画像1 画像2 画像2
和室の押し入れから発見された古い文書綴の一つ『布袋尋常高等小学校 大正元年11月改 施設一覧』の中から、「管理に関する事項」を2回にわたって紹介します。

今日はその1回目、1,2ページです。
どうぞご覧ください。
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1 教室の整頓
  清潔と整頓とを旨とし、多少室内の装飾を行う

2 昇降口及び廊下便所の整頓
  学級により一定し、すべて混雑なからしむ

3 始業前の秩序
  用意の号令により左の事項に注意せしむ
    1 運動器具の整理
    2 用便
    3 服装の整正

4 始業並びに終業の秩序
  教室の出入り 級長の指揮号令による(尋常科第一学年を除く)
  行進中左の事項に注意す
    1 隊列をただす
    2 歩調を整うこと
    3 私語せざること
  授業の終始には号令により敬礼をなさしむ
  
5 授業中の秩序
  挙手法を確実にすること
  姿勢を正しくすること
  発言を明確にすること

6 終業後の秩序
  帰途の同じき方を一団となし、団ごとに整列せしむ
  夕礼を行う
  遠方の団より退校せしむ
−−−−−−−−−−−−
現代と共通することが色々とあります。この頃には、学校文化がすでにできあがっているのですね。

語彙が豊富なことにも感心しました。

「教授に関する事項」−3−

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和室の押し入れから発見された古い文書綴の一つ『布袋尋常高等小学校 大正元年11月改 施設一覧』の中から、「教授に関する事項」を3回にわたって紹介しています。

今日はその3回目、5,6ページです。
どうぞご覧ください。
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10 特別教授
  1 劣等生又は中途入学せしもののために特に時間を設けてこれを行う
  2 中学程度の学校入学志願者のために補修教授をなす

11 速算競技会
  尋常科第五学年以上にこれを行う

12 書き方及び綴り方競技会
  高等科、尋常科第5・6 尋常科第4・3 尋常科第2 尋常科第1の5部に分けてこれを行う
  ただし、綴り方は尋常科第1・2学年には講せず

13 書き取り競技会
  尋常科第5学年以上 尋常科第3・4学年 尋常科第2学年及び第1学年の4部に分けてこれを行う

14 教材園
  教具の完備を期す

15 雑誌の購読
  害虫駆除の売上金をもって購入し児童に閲覧せしむ

16 展覧会
  教育の上達を図り兼ねて家庭と連絡を期す
−−−−−−−−−−−−

害虫駆除の売上金で雑誌を買うという記述があります。
聞いたことがある気がしますが、詳しいお話をご存じの方、教えてください。

「教授に関する事項」−2−

画像1 画像1 画像2 画像2
和室の押し入れから発見された古い文書綴の一つ『布袋尋常高等小学校 大正元年11月改 施設一覧』の中から、「訓育に関する事項」を3回にわたって紹介しています。

今日はその2回目、3,4ページです。
どうぞご覧ください。
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  6 教授細目の修正=随時これを行う
  7 連合教授=毎週1回、唱歌体操に付きこれを行う

 校外教授
  地理、歴史、理科等に関係ある教授材料を研究するとき、郊外教授予定案によりてこれを行う

5 修学旅行
  地理、歴史、理科等に関する実地検分のためこれを行う

6 学校新聞
  児童の好奇心を利用し、科外に知徳を増補するをもって目的とす
  尋常科第4学年以下と、第5学年以上との2種として2箇所に掲示す

7 実物標本掲示棚
  随意、児童の五官に訴えて観察を遂げしむるものなり

8 成績掲示
  成績の優良なるもの、進歩の顕著なるものを掲示し、奨励鼓舞するに供う

9 学芸会
  知識技能を錬磨する等のため、毎学期1回これを開き、なお一部学芸会は随時これを行う。
−−−−−−−−−−−−
この頃から、遠足や修学旅行、学芸会が行われていました。

成績掲示も、かつては普通に行われていました。
今では考えられませんね。

大正10年度 学校日誌

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 校長室には、歴代の学校日誌が保管されています。
 大正10年を調べてみました。

 4月1日の日誌です。
 まず、入学式を行い、続いて始業式を行っています。

午前九時入学式挙行

本日入学セシ児童数 カクノ如シ
 尋常科第一学年
  男 七十六名
  女 六十六名
 
 高等科第一学年
  男 四十九名
  女 十七名

始業式挙行

午前九時ヨリ丹羽郡高等女学校入学試験ヲ
本校内ニテ挙行


4月1日から入学式・始業式とは、準備が大変だったと思います。

丹羽郡高等女学校 とは、現在の愛知県立尾北高校 のことです。

この年に創立されたのですが、おそらく校舎の整備が間に合わず、本校で入学試験を行ったことがわかります。

ちなみに、丹羽郡高等女学校の入学式も布袋小学校で行っています。

歴史を感じます。

学校日誌に見る戦争の記録

学校には学校日誌というものがあり、その学校でおこった出来事が毎日記されています。布袋北小学校の昭和20年の学校日誌より、そのころの学校の様子を調べてみました。
昭和20年というのは、戦争の最後の年で、最も空襲が激しかった年でもあります。
 ※は説明なので、原文にはありません。  

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昭和20年
4月より連日警報発令
例 4月5日     〜 , 〜
  4月6日 〜 ,

 ※ 警報には警戒警報と空襲警報があります。今の天気予報で、注意報に当たるのが警戒警報、警報に当たるのが空襲警報です。警報が出ると、授業も中止です

4月 7日 甘藷(さつまいも)種藷床作業   
        ※ 食べるものがなく、運動場はイモ畑になっていました。
   8日 炭焼材料切作業

5月17日 蓬(よもぎ)取リヲ行フ
  18日 蓬取リヲ行フ
  21日 栴檀ノ木切リ倒ス 開墾(5,6年生)
  22日 栴檀ノ木掘リ開墾 5,6年
  23日 草刈リ4年生
  24日 甘藷植エ付ケ,南瓜(かぼちゃ)苗植エ付ケ
         栴檀ノ木掘リ取リ作業,草刈り(4,5,6年)
  29日 甘藷植エ付,苗ハ学校長
  30日〜6月6日  桑ノ皮剥協力

6月 3日 桑ノ実回収 協力
       ※ 食べられるものは、何でも食べていました。
   8日 桑ノ皮剥,甘藷植エ付(6年生)
 16日 カンラン(キャベツ)盗難発見
      ※ キャベツが盗まれてしまいました。

7月 3日 脱穀機ニテ麦剥脱作業(5,6年生)
   5日 豆マキ(4年以上)
  5日〜9日 田植エ実習ノタメ家庭作業(4年以上)
  9日 野草莵集
 10日 竹材 防空壕ニ入レ蔽ヲナス
       ※ 学校にも防空壕がありました
  11日 職員 畑 人参(ニンジン)蒔
 12日 警報発令  〜 空発(空襲警報発令)  空解(解除)
        警報解除 ノタメ全職員防禦ニアタル 校下ニ火災起ル

 ※ この夜から、翌日未明にかけて、一宮で大きな空襲がありました。その余波を受けて、五明・今市場・木賀で被害があり、死傷者も出ました。

  13日 昨夜ヨリ今朝暁ニカケテ今市場・木賀ニ於テ戦災ヲ受ケシ家アリ
      児童ノ疲労甚ダシキタメ午前中授業トナス
     ・初等科一年○○○○  同 ○○○○ 戦災死ヲナス 
     今市場分隊葬儀ニ参列ス 関係職員ノミ会葬ス
       ※ 児童にも死者が出ました。

     ・空襲ニヨリ焼失セル家 
        今市場
         ○○○○ … 全焼 初一 ○○及母親死亡
         ○○○○ … 母屋全焼
         ○○○○ … ○○及弟妹二名及両親死亡
         ○○○○ … 全焼
        木賀新田
         ○○○○ … 全焼
16日 1時20分ヨリ3時20分ニ亘リ空襲アリ
         主トシテ桑名,沼津ヲ焼夷空襲セス
  24日 空襲発令 6:22〜11:44   
       同解除  :11〜18:22
       右ノタメ 1時55分児童集会 集会ノ式ノ挙行中叉モ
         空襲発令児童直チニ帰宅セシタメ授業ハ行フ事能ハザリキ
  25日 空襲警報発令長時間ニ亘リシタメ児童登校セズ
  28日 21時44分ヨリ3時半ニ亘リ警報発令サレ一宮市,大垣市空襲サル

    ※ この日にも一宮で空襲があり、特に五明では大きな被害にあい、死傷者も出ました。

 30日 空発 5:10〜17:17 右ノタメ児童登校セズ

8月 1日 午後5,6年 敵前武技錬成      
      ※ 学校で、武芸の訓練をしていました。

  8日 野草採取作業 全校児童
  9日 野草莵集煮沸乾燥作業
 15日 和平ノ大詔正午発表サル        
      天皇御自身ノ放送アリ
       午後三時 全校児童集合 校長ヨリ訓話アリ
     ※ この日が終戦。国民に敗戦が知らされました。

9月10日 防空壕撤去ス
10月 8日 給食作業トシテ児童甘藷給食ス        
   16日 御影還遷
11月14日 教科書削除ノ点検(航空二関スルモノ)
       航空関係ノ掛図 図面ノ消却
        ※ 教科書の軍国調の所には墨を塗らされました。

  21日 教科書ノ削除修正(神道ニ関スル事項) 
1月17日 御真影奉還
       ※ 御真影=天皇の写真

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いかがですか。
生々しい記録です。

当時の小学生は勉強どころではなかった事がわかります。

平和がいかに大切かがわかります。

布袋地区の当時の情報をご存じの方、ぜひ校長までお知らせください。
(このHPで紹介させていただく事があります。)
 hoteisho-kotyo@city-konan.ed.jp

「教授に関する事項」−1−

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和室の押し入れから発見された古い文書綴の一つ『布袋尋常高等小学校 大正元年11月改 施設一覧』の中から、「教授に関する事項」を3回にわたって紹介します。

どうぞご覧ください。
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   教授に関する事項

1,教授の方針
  児童の実力養成に注意し、あえて教授の形を求めず。
  児童の自己活動を重んじ、自動的に学習せしめんことを奨励す

2 教授上、特に注意すべき事項
  十分なる準備をすべし
  教授の要点を把握すべし
  既習の知識を反復練習すべし
  前後相連関せしむべし
  道徳に関する事項はこれを重んずべし
  教授したる後に於いて、その結果を反省すべし

3 教授上の統一
  1 教科研究会 各科教授の主義方針および材料の方法等を講究す
   事業  研究報告会、実地授業批評会
  2 他学校参観報告会 職員の報告に基づき研究す
  3 他学級参観 平素自己の課業なき時間に他学級を参観す 
  4 教材打合会 1週1回 全学年担任者相会し、教材の打ち合わせをなす
  5 教案 日々調整して教務部長および校長の検閲を受く
−−−−−−−−−−−−
とても興味深い記述が並びました。

大正自由教育運動という、画一的で型にはめたような教育のスタイルから、子どもの関心や感動を中心に授業を組み立てるスタイルに変わるのが1920年代からです。
しかし、大正元年(1912年)に、すでに「あえて教授の形を求めず」「児童の自己活動を重んじ」など、大正自由教育運動につながる教育が、ここ布袋で行われていたことに驚きます。

他の教科研究会、研究報告会、他学級参観など、今と変わらないことがこの頃にすでに確立していたことに、日本の教育のレベルの高さを感じます。

明日に続きます。

「訓育に関する事項」−3−

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和室の押し入れから発見された古い文書綴の一つ『布袋尋常高等小学校 大正元年11月改 施設一覧』の中から、「訓育に関する事項」を紹介しています。

今日は、その5,6ページ。
どうぞご覧ください。
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  5 風紀当番
   看護当番を補助するため、上級男子にこれを命ず

  6 応接当番
   外来人の接待及び教員より命ぜられたる事項を行うため上級女子にこれを命ず

  7 教材園手入れ
   尋常科5学年以上の男子これを司る

6 賞罰
  賞は賞詞、賞状、もしくは賞品を与う
  罰は訓戒、停学、及び退学とす
  児童 左の各号の1に該当するときは、これを褒賞し
    1 特に善良なる行為ありたるもの
    2 学業操行、共に優等なるもの
    3 一学年間皆出席のもの
    4 進歩の顕著なるもの

7 操行査定
  平素の行為に付き観察して査定し、併せて個性の矯正にしす
  各学級に操行査定簿を設く

8 個性調査
  個性を調査してその助長矯正に努む
  各学級に児童調査簿を設く

9 儀式
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ここで終わっています。

今につながるものが多く、学校文化の奥深さを実感します。
「応接当番」には驚きました。

「訓育に関する事項」−2−

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和室の押し入れから発見された古い文書綴の一つ『布袋尋常高等小学校 大正元年11月改 施設一覧』の中から、「訓育に関する事項」を紹介しています。
今日は、その3,4ページ。どうぞご覧ください。
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3 作法
   普通の礼儀作法は男女ともにこれを課す
   女児には鏡櫛を備え付け各自又は相互に理髪せしむ
   男児には理髪器を備え付け相互に理髪せしむ

4 服装
   男女ともに綿服の筒袖を着用せしむ
   高等科の児童には袴を着用せしめ、男子には帽(所定のもの)を用いしむ
   リボン、丈長、かんざし等はもちいざること

5 児童勤務
   級長副級長=各学級に於いて優良なる児童中より選抜してこれを命ず
   その勤務は左の如し
    教員の命令を伝達すること
    教室の出入りに児童を引率すること
    教室の整頓を図ること
    そのほか、特に命ぜられること

  2 看護組長(正副)=上級生よりこれを選抜し、通学の途上監督せしむ

  3 掃除当番=教室内外の掃除をなさしむ
    ただし尋常科第1学年児童を除く

  4 日誌当番  学級日誌の記入を司る
    これが記入事項は教授せられし大要運動遊戯の模様自己の所感等、その学級に関係あるものなり
    尋常科第4学年以上に課す
−−−−−−−−−−−−−
今と共通するものもあります。
1年生は掃除を免除されていました。
学校にバリカンがあり、お互いに刈り合っていたことが分かります。
明日に続きます。

「訓育に関する事項」−1−

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和室の押し入れから発見された古い文書綴の一つ『布袋尋常高等小学校 大正元年11月改 施設一覧』の中から、「訓育に関する事項」を紹介します。

大正元年というのは、名岐鉄道犬山線が開業した年です。
(当時は、今でいう名鉄名古屋本線にあたるものがなかったので、犬山線がメインの鉄道でした。)

毛筆で6ページにわたって書かれています。紹介します。

訓育に関する事項
(1)訓育の方針
 訓育の目的は、自主自律心の欲する所に従いて、矩を越えざるにありといえども、小学校の訓育としては、児童に良習慣を与え、知らず識らずの問いに心身の活動をしてこれに慣れしむるにありとし、本校の左の校訓及び児童心得を撰めり

  校訓
    正直  勤勉

  児童心得
    正直にしてきまりよくせよ
    おもしろく遊び一心にまなべ

(2)訓育の方便に関する方針
 習慣的訓育上、最良の方便としては模範感化を第一とし、教師の実践躬行に力むべきは勿論なれども、児童実在的理想の人物として左の二人を標的となさしむ。
  二宮尊徳
  ワシントン

(3)訓育の方便
 1 朝会
  訓練の統一を図るため、毎朝始業前に於いて、児童を運動場に整列せしめこれを行う。
   告示 訓戒 服装検査 体操等を行う

 2 訓話
   全校児童もしくは一部の児童を集め校長これを行う

−−−−−−−−−−−−−
明日に続きます。
大正元年は106年前。

これを読んで懐かしんでくださる人は、いないかな・・・。

【改訂】布袋尋常高等小学校 明治41年 校規綴

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本校の和室で見つかった古い文書綴の一つ『布袋尋常高等小学校 明治41年4月 校規綴』の一部を紹介します。

明治41年は、本校が現在位置に設置された年です。
(それ以前には、五明公民館のあたりにあったと聞いています。資料があれば教えてください。)

当時の時代が色濃く反映されていますので、ご覧ください。
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布袋尋常高等小学校校規綴

   第一章 御真影並びに勅語謄本の奉護
第一条 御真影並びに勅語謄本は唐櫃に奉蔵し鎖輪を施し、これを奉安室に奉置す
第二条 奉安室は常に清潔荘厳を保ちその清掃は校長及び訓導これを担当す
第三条 非常の事変に際し奉安室危険の慮ありと認むる時は、職員は速やかに左の仮奉遷所に奉遷し厳かにこれを奉護すべし
    仮奉遷所 布袋町役場内
第四条 奉安室並びに唐櫃の開閉は校長これを掌どるを常例とす
第五条 奉安室の鍵は宿直員これを保管す

   第二章 職員勤務
  第一款 学校長処務
第六条 学校長は教育勅語の旨趣を奉戴し法律命令に従いその職務に服事するものとす
第七条 法令上に規定せられたること外、学校長の処務を定むること左の如し
 一 学級の編成に関すること
 二 校規の創設及び改廃に関すること
 三 児童の入退学を容認すること
 四 児童の賞罰を執行すること
−−−−−−−−−−−−−−−
ここまで2ページですが、全体では、94ページ、第202条まであります。
当時の学校の様子がリアルに浮かんできます。
今と同じようなこともあれば、全く異なることもあります。
見てみたいという方は、どうぞ布袋小 校長にお声かけください。

その後に、学芸会成績判定標準が載っています。
当時は学芸会を評価していたことが分かります。

『連合国軍司令部報告書控綴』より

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本校で見つかった『連合国軍司令部報告書控綴』より、英文報告書を紹介します。

上がその鑑文、下が報告書の一部です。

鑑文の宛先は、第30軍政部司令官
差出人は、愛知県丹羽郡布袋町布袋国民学校長 丹羽金義

占領軍は、日本全土にかけて進駐したのち、実戦部隊の中から民事行政に適性のあるスタッフを集めて軍政部を組織しました。
このあたりを管轄していたのが、第30軍政部だったのでしょう。

その内容は、Sir,I send you the reports and copies of the directives concerning the revision of the education system,which have been issued since August,1945,as are shown in the annexed papers.

直訳すると、1945年8月以降に発行された学制改革に関する報告書と写しを別紙に記載した通りに送付します。

意味も分かりますね。

下の報告書のタイトルはThe report concerning the directives required from the general headquarters for the allied powers
直訳すると、連合軍総本部から要求された指令に関する報告書になります。

学校から教育委員会などを通さずに直接軍政部に提出していること、終戦直後なのに各学校が日本語及び英文でも提出していたことは驚きです。しかもきれいな筆記体です。

「公職より好ましからざる職員除去方に関する件」他

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本校で見つかった『連合国軍司令部報告書控綴』より、「公職より好ましからざる職員除去方に関する件」「ある種の政党政治的結社、協会及びその他団体の廃止の件」「航空関係研究所及び教育機関に関する件」を紹介します。

「公職より好ましからざる職員除去方に関する件」
命令書受領当日職員常会を開き文意並びに精神を徹底する
本命令書に該当するものない。(昭和20年10月12日、昭和21年1月11日、昭和21年2月11日 各々地方事務所長宛報告済)

「ある種の政党政治的結社、協会及びその他団体の廃止の件」
命令書受領当日職員常会を開き文意並びに精神を徹底する
本命令書該当事項なし

「航空関係研究所及び教育機関に関する件」
命令書受領当日職員常会を開き文意並びに精神を徹底する
本命令書該当事項なし
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昭和21年1月4日附連合国最高司令官覚書「公務従事に適しない者の公職からの除去に関する件」により、以下の「公職に適せざる者」を追放することとなりました。
1.戦争犯罪人
2.陸海軍の職業軍人
3.超国家主義団体等の有力分子
4.大政翼賛会等の政治団体の有力指導者
5.海外の金融機関や開発組織の役員
6.満州・台湾・朝鮮等の占領地の行政長官
7.その他の軍国主義者・超国家主義者

この文書は、それに先駆けて出た文書に答えています。

終戦で航空技術研究所はすべて廃止されました。
これにより、国産飛行機の開発は大きく遅れることになります。

「修身、日本歴史及び地理停止に関する件」他

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本校で見つかった『連合国軍司令部報告書控綴』より、「雇用方針に関する件」「修身、日本歴史及び地理停止に関する件」を紹介します。

終戦直後の日本の状況が分かります。
特に後者は、社会科教師としてとても興味があります。

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「雇用方針に関する件」
A 本命令書受領当日職員常会を開き、文意並びに精神を徹底する
B 復員軍人の新規採用を禁止した(本校に該当なし)


「修身、日本歴史及び地理停止に関する件」
A 本命令書受領当日職員常会を開き、文意並びに精神の遵奉実践について徹底する
B 昭和21年1月9日付丹学第17号の通牒により、修身、日本歴史、地理の授業を停止した
C 授業時間割中より該三科目の授業時間を抹消した
D 翌1月10日、該三科目の関係教授用掛図類を焼却した
E 昭和21年1月30日該三科目の教科書、教師用図書、編纂趣意書を回収し厳重に保管した。
F 昭和21年3月8日回収図書を地方事務所長の指示により、一宮市第三国民学校に搬送した。全数量2630冊(384,5kg)
G 授業停止により生じた授業時間は左の通り充当した
公民生活指導に毎週2時間
国語科(読み方)に毎週1時間(ただし初等科第6学年はローマ字)
理数科(理科、芸能科、習字)に毎週各1時間

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GHQにより地理と歴史は解体されたのでした。

しかし、昭和22年、教育基本法と学校教育法ができ、学習指導要領が作られたときには、新たに「社会科」が誕生しています。
ここでは、経験主義的な社会科教育が行われました。

「国家神道・神社神道に対する政府の保証支援保全監督並びに弘布廃止に関する件」

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本校で見つかった『連合国軍司令部報告書控綴』より、「国家神道・神社神道に対する政府の保証支援保全監督並びに弘布廃止に関する件」を紹介します。

終戦直後の学校の状況が分かります。と同時に、戦前の様子も浮かんできます。
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国家神道・神社神道に対する政府の保証支援保全監督並びに弘布廃止に関する件

Aa 職員常会を開き文意並びに精神につき之の遵奉実践を徹底する(昭和21年1月16日)
b 命令書の趣旨を徹底させるため、全校児童に訓話する(昭和21年1月16日)
B 教員は公的資格において神道宗教の保証支援保全並びに弘布講義参拝を禁止した
C 学校において明治神宮、伊勢神宮の遥拝取り止め
D 氏、神等に対する団体参拝の慣例を禁止した。
E 氏神祭日等の休業日を禁止した。
F 神宮大麻の頒布を受けないこと
G 神饌米の奉献取り止め
H 校内神棚を撤去する(昭和21年1月12日)
I 御真影を県に奉還爾後、奉安殿は倉庫として使用する(昭和2011月16日年)
J 現に使用中の児童教科書並びに教師用参考書から神道教義に関する事項を削除した(昭和21年1月13日完了)
K 「国体の本義」「臣民の道」「国史概説」「教学局編纂図書」並びに神道に関係ある図書、掛図、扁額、絵書は焼却した。
L 「大東亜戦争」「大東亜」「八紘一宇」「興亜」等の語の使用を禁止した。
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「八紘一宇」とは、天下・全世界を一つの家にすることという意味ですが、戦前には日本軍のアジア侵略を正当化するためのスローガンとして用いられました。そのために、GHQが、「大東亜」などの語と共に使用を禁止したのです。

「商業並びに民間航空に関する件」

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今日は終戦の日。

本校で見つかった『連合国軍司令部報告書控綴』より、「商業並びに民間航空に関する件」を紹介します。

GHQが日本の航空産業を壊滅しようとしていることが分かります。
そのために、日本の航空産業は、世界から大幅に取り残されました。
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商業並びに民間航空に関する件

A 命令書受領当日に職員常会を開き、文意並びに精神について徹底する
B 本命令書受領前に左の処置を実施する
a 「フープ」取りこわし(昭和20年12月7日)
b 航空に関する教材削除(昭和20年10月15日)
c 航空関係一切の掛図、図書、模型航空機の焼却(昭和20年10月29日)
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写真の前の2行は、昨日の命令書「日本教育制度の対する管理政策」の最後の2行です。

20年12月に取り壊した「フープ」とは?
ご存じの方がありましたら、布袋小学校校長までお知らせください。

戦後、初の国産機、YS−11は、昭和39年に就航しました。
そして半世紀後に続いたMRJは、納入が延期されています。

いかにGHQのプレシャーが大きかったかが分かります。
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学校行事
10/23 14秋の遠足ALT
10/24 2356秋の遠足
10/25 教育相談〜31日
10/26 ALT 三校合同パトロール 3年危険予知学習
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