最新更新日:2018/08/16
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以前よりは過ごしやすくなってきましたが、まだまだ熱中症にご注意ください

「国家神道・神社神道に対する政府の保証支援保全監督並びに弘布廃止に関する件」

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本校で見つかった『連合国軍司令部報告書控綴』より、「国家神道・神社神道に対する政府の保証支援保全監督並びに弘布廃止に関する件」を紹介します。

終戦直後の学校の状況が分かります。と同時に、戦前の様子も浮かんできます。
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国家神道・神社神道に対する政府の保証支援保全監督並びに弘布廃止に関する件

Aa 職員常会を開き文意並びに精神につき之の遵奉実践を徹底する(昭和21年1月16日)
b 命令書の趣旨を徹底させるため、全校児童に訓話する(昭和21年1月16日)
B 教員は公的資格において神道宗教の保証支援保全並びに弘布講義参拝を禁止した
C 学校において明治神宮、伊勢神宮の遥拝取り止め
D 氏、神等に対する団体参拝の慣例を禁止した。
E 氏神祭日等の休業日を禁止した。
F 神宮大麻の頒布を受けないこと
G 神饌米の奉献取り止め
H 校内神棚を撤去する(昭和21年1月12日)
I 御真影を県に奉還爾後、奉安殿は倉庫として使用する(昭和2011月16日年)
J 現に使用中の児童教科書並びに教師用参考書から神道教義に関する事項を削除した(昭和21年1月13日完了)
K 「国体の本義」「臣民の道」「国史概説」「教学局編纂図書」並びに神道に関係ある図書、掛図、扁額、絵書は焼却した。
L 「大東亜戦争」「大東亜」「八紘一宇」「興亜」等の語の使用を禁止した。
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「八紘一宇」とは、天下・全世界を一つの家にすることという意味ですが、戦前には日本軍のアジア侵略を正当化するためのスローガンとして用いられました。そのために、GHQが、「大東亜」などの語と共に使用を禁止したのです。

「商業並びに民間航空に関する件」

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今日は終戦の日。

本校で見つかった『連合国軍司令部報告書控綴』より、「商業並びに民間航空に関する件」を紹介します。

GHQが日本の航空産業を壊滅しようとしていることが分かります。
そのために、日本の航空産業は、世界から大幅に取り残されました。
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商業並びに民間航空に関する件

A 命令書受領当日に職員常会を開き、文意並びに精神について徹底する
B 本命令書受領前に左の処置を実施する
a 「フープ」取りこわし(昭和20年12月7日)
b 航空に関する教材削除(昭和20年10月15日)
c 航空関係一切の掛図、図書、模型航空機の焼却(昭和20年10月29日)
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写真の前の2行は、昨日の命令書「日本教育制度の対する管理政策」の最後の2行です。

20年12月に取り壊した「フープ」とは?
ご存じの方がありましたら、布袋小学校校長までお知らせください。

戦後、初の国産機、YS−11は、昭和39年に就航しました。
そして半世紀後に続いたMRJは、納入が延期されています。

いかにGHQのプレシャーが大きかったかが分かります。

命令書「日本教育制度の対する管理政策」への回答書

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連合国軍司令部よりの指令に関する報告を紹介します。

命令書「日本教育制度の対する管理政策」
実施事項

Aa 命令書受領当日職員常会を開き、文意並びに精神の遵奉実践について徹底する。
 b 命令書の主旨を知らしめるため全児童に訓話を行う。(昭和20年11月16日)
B 全職員について軍国主義、極端なる国家主義的思想の調査をする
本校にその該当者なし(昭和20年10月5日)
C 本命令書受領前、地方事務所長の指示により体錬科武道並びに教練は廃止し体操に充当した。(昭和20年10月5日)
D 武道具教連用具等は左の通り処理した。
木刀70分、木薙刀80本、木銃30本、剣道用防具10組(昭和20年10月29日焼却完了)
Ea 教授用具並びに教授用図書、掛図、地図、標本、模型、扁額、掲示物は之を焼却又は破棄する。(和宇和20年11月11日完了)
b 昭和20年9月11日地方事務所長の指示に基づき、教科書並びに、教授指導書に検討を加え命令書に合致しない事項は削除した。(昭和20年10月25日完了)
児童使用の教科書についても削除させる
F 基本的人権の確立と実践指導のため、毎週公民生活としての指導並びに反省の機会を特設した。
G 職員常会、授業研究会は自由討議により批判的、理知的に評価研究することとする。
H 高等科に英語科を仮設した。
I 新聞記事・ラヂオ放送により、敗戦の実情、並びに占領軍の目的、及び政策を知らしめることに努む。
J 授業形態、学級自治会は努めて討論法による。
K その他
 a 児童朝礼の廃止
 b 投票による児童役員の選出
 c 登下校における隊列廃止
 d 号令による一斉礼の廃止
 e 体操は自由隊形とする

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いかがでしょう。

終戦直後に、いかに戦争色を消し、民主主義を取り入れようとする努力がよくわかります。
「児童朝礼」や「集団登下校」、「号令による礼」まで廃止するのはいかにも行き過ぎで、当時の混乱ぶりが伝わってきます。

学校所有の刀剣類提出に関する件(昭和20年12月13日)

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昭和20年12月13日付けで丹葉地方事務所長より、管内の国民学校長へ出された通知を紹介します。
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学校所有の刀剣類提出に関する件

学校保管の兵器、教練の武道用具、資材等の処置に関しては、しばしば次の通牒によりすでに処理済みのことと存ぜらるるも、標記刀剣類においても、未処理の向きは速やかに所轄警察署に連絡、その指示により処置相成度、なお今般家宝、または美術的骨董的価値ありと認め裏に刀剣保管証を交付され、その所有または所持を認められたる一切の刀剣類も今月20日までに所轄警察署に提出すること相成りたるに付き、学校において国宝又は重要美術品として指定ありたる刀剣類有之向は特に左記御了知の上、所轄警察署に連絡提出方配意相成りたく

         記

一 頑丈なる札を附し所有者の住所氏名の名称を記載すること

二 国宝または重要美術品として指定せられあることを一見して判明するよう表示すること

三 すでに供出せしもの、又は今回供出のものに、ついては左記詳細報告のこと(文部大臣宛に通縣経由提出)
 一 種別(国宝又は重要美術品の区別)
 二 名称(刀剣銘、作者名、製作年代)
 三 員数
 四 所有者住所氏名
 

『丹羽郡小学校長会 記録簿』

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会議室で見つかったお宝。

今日紹介するのは、『丹羽郡小学校長会 記録簿 明治四十三年二月起』

現在も、丹葉地方小中学校長会 というのがあり、私(校長)がその会長を務めています。

これは、明治43年2月から昭和14年2月までの、丹羽郡小学校長会の会議録です。当時は、まだ中学校はありません。

末尾には会計簿もあります。


ご覧になりたい方は、校長までご連絡ください。

交通秩序の徹底に干する件(昭和20年10月4日)

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校内で発見された、昭和20年10月4日に、布袋警察署長から布袋南国民学校長へ出された通達を紹介します。

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交通秩序の徹底に干する件

連合軍の進駐を控え、今般連合軍より、交通能率確保のため、左記各項厳守方要望有りたる旨、上局より通牒有之たるに付き、町内会長、隣組、国民学校児童を通じて之が徹底方お取りはからい相成度此殷及ご依頼候なり



一 連合国軍の自動車の追い越し禁止
  特に星印のある車輌は将官以上の乗用車にして、米国軍自体においても追い越しを禁止せられ有る趣に付き格別注意を要す

二 左側通行の厳守

三 横隊通行の禁止

四 路上の遊技の禁止

五 路上出張物の禁止

六 車道歩行の禁止(都市へ旅行したる場合)

七 斜行横断の禁止(都市へ旅行したる場合)

八 停留所の軌道に沿って一列励行の厳守(都市へ旅行したる場合)

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連合国軍の自動車を追い越してはいけなかったのですね。
 

『卒業の部 優等賞 授賞原簿 布袋尋常高等小学校』

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会議室で見つかったお宝。

今日は、『卒業の部 優等賞 授賞原簿 布袋尋常高等小学校』 を紹介します。

大正3年から大正12年までに、卒業した子ども達に優良賞が贈られた原簿です。

賞品には「金言集」「日本礼儀作法」「皇太后陛下十二徳の御詠」「立志美談」「郷土のほまれ」「日本外史」「硯箱」「イソップ一冊雑記帳三冊」などがありました。

本人が希望したものでしょうか?

ご覧になられたい方は、校長までご連絡ください。

『伊勢湾台風 被災関係綴(受)』

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昨日紹介したものは、布袋小学校から発送した文書です。

今日は、布袋小学校が受け付けた文書『伊勢湾台風 被災関係綴(受)』 を紹介します。

伊勢湾台風の被害について受け付けたいろいろな文書が綴じてあります。

写真左は伊勢湾台風被災児童生徒見舞金配分表 愛知県学校災害対策本部 尾北協議会(仮称) という文書名で、管内の学校の被害状況が表になっています。

見舞金額を多い順に並べると

1位布袋小学校 6,495円
2位古知野中学校 6.387円
3位楽田小学校 6,147円
4位大口北小学校 5,598円
5位古知野北小学校 4,521円でした。

布袋小学校が、最も大きな被害に遭っていることが分かります。

連合国軍進駐に対する学徒の指導に関する件(昭和20年8月15日)−2−

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昨日に続き、終戦の詔書が出された昭和20年8月15日に文部省から出された文書を紹介します。

最初の一行は、前回の写真の末尾になります。

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 4 流言蜚語に惑わざるよう、あくまで当局の指示に従い、自らも行動すると共に、一般国民の指導にも任ずること

二 連合国軍進駐後における心構え

 1 外国の軍人に対しては、個人が直接接触することは努めて避けること。ただし、先方より求め来たる場合、毅然たる大国民的態度を以て接すること

 2 外国の軍人に対しては、これを崇拝し、あるいはこれに媚びるがごとき態度はもちろん、徒に敵愾心もって、感情を刺激し、または蔑視排撃するがごとき態度は厳にこれをいましむること

 3 いかなる事態に於いても、絶対に腕力沙汰に訴えざること

 4 外国人との間に問題発生したる場合は、自分勝手に個々に談判することなく、詳細を官憲に届けること

 5 単なる好奇心等より、半可通の外国語をもって、外国人に個々に接触するがごときなきようすること

 6 外国人と交渉接触するを要する事態発生に対すべく外国語を解する男子教職員の活用を予め考慮し置くこと。

 7 女子教職員学徒は、特に日本婦人としての自覚を持って、妾○○外国人に隙を見せざること。すなわち目を惹くごとき華美なる服装化粧等はこれを慎むはもちろん、媚に見えるごとき微笑みを残し、または対手に不○を感ぜしむるごろき笑声発するごときは厳にいましめ、あくまで容姿厳正にして質実剛健の態度を堅持すること

 8 外国人が片言の日本語を以て呼びかけ来るも、婦女子は決して相手にならず、極力これを避けること

 9 外国軍隊駐屯地並びに出入りする土地付近にありては、婦女子は夜はもちろん昼間においても、人通り少なき場所の一人歩きは絶対にこれをなさざること

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とてもリアルな内容です。

これだけの文書を8月15日に出したということは、何日前から準備をしていたのでしょうか?

とても興味深いところです。 


『伊勢湾台風 被災関係綴(発)』

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会議室で見つかった資料を紹介します。

『伊勢湾台風 被災関係綴(発)』

表紙をめくると
伊勢湾台風災害見舞金配分額(最終分)
全壊生徒児童数 59
  100円×59=5900円

半壊生徒児童数 35
   29×35=1015円

家が全壊した児童には100円、半壊した児童には29円の見舞金が配られたことが分かります。

また別の資料では、三、全壊流出住居 五十五人 というものもありました。

資料には、被災した児童名と簡単な住所も載っています。
また、職員の家の被災状況、布袋小学校へ集団疎開してきた児童の氏名なども載っています。
もし、「資料を見たい」という方は、校長までメールでご連絡ください。

校長連絡先 hoteisho-kotyo@city-konan.ed.jp
 (返信に時間がかかる場合もあります。)

連合国軍進駐に対する学徒の指導に関する件(昭和20年8月15日)−1−

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前回同様、終戦の詔書が出された昭和20年8月15日に文部省から出された文書を紹介します。貴重な文書です。

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 連合国軍進駐に対する学徒の指導に関する件

連合国軍は新聞紙報道のごとく、いよいよ逐次我が本土に進駐を致すことと相成り候の処、その風俗習慣は我が国民と非常なる懸隔有之候に付いては、徒らに激して敵愾心を示し、若しくは蔑視排撃の態度を示すがごときにより、彼らの感情を刺激するに於いては、ただ一人の過誤も、幾百人の無 の生命を奪い、或いは数人の過誤により、連合国軍の日本占領期間を延長せしめ、或いはその占領地域を拡大して苛烈なる占領地行政に移行するなど、不幸なる結果を招来する懼あるをもって、この際、みだりに事態を刺激せざるよう、深く戒め、特に左記事項につき、学徒並びに教職員の指導に関し、万遺憾なきを期せられ度



一 連合国軍の進駐に対する心構え

 1 連合国軍の進駐は、一切我が政府と折衝の結果、平和的に実施さるを以て特に平静を記すること。
 2 不要不急の旅行を慎み、交通輸送を妨害せざること
 3 治安の維持に関しては、特に警察憲兵等、関係官憲の指示に従うと共に、積極的に協力し、沈着冷静各自の本分に精勤すること

(続く)

文部省訓令第5号(昭和20年8月15日)

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さっそく、終戦の詔書が出された昭和20年8月15日に文部科学省から出された訓令を紹介します。

また句読点を補ったところもあります。

本文を紹介します。

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8月14日、米英支蘇四国の共同宣言を受諾給うに際し、畏くも大詔を渙発総力を将来の建設に傾けんことを懇諭し給ふに、誠に允に恐懼に堪えず大東亜戦争勃発して已に殆ど四年、その間、地方総監並びに地方長官は熱誠克く管下の学校教職員を統督し、学校長並びに教職員は、盡忠克く垂範促進、実を挙げ、学徒は或いは前線に勇戦し、或いは銃後に敢斗し、忠誠純真克く奉公の節を効せりと難戦局並びに世界情勢の相次ぐ急変−残虐なる爆弾の出現とは遂に未曾有の国難を結果し、国歩の蹉跌を招来するに至れり。是し偏に我らに匪窮の誠足らず報告の力乏しくして皇国教学の神髄を発揚するに未だしきもの有りしに由ることを反省し、この痛恨を心肝に刻み臣子たつ責務の完遂を今後に誓わざるべからず。激情を戒め隠忍を諭へ道義志操の教を申ねさせ給うを拝しては、苟も教育に関係する者にして感奮興起せざる者有らんや。
 各位は深く此の大詔の聖旨を対し奉り国体護持の一念に徹し、教育に従事する者をして克く学徒を薫化啓導し其の本分を謬なく恪守せしむると共に、師弟一心任の重きに堪え、祖孫一体道の遠きを忍びて教学を荊蕀の裡に再建し国力を焦土の上に復興し、以て深遠なる聖慮に応え奉らしめんことを期すべし。

昭和20年8月15日   文部大臣  太 田 耕 造

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昭和20年8月14日に、日本は御前会議において鈴木貫太郎首相が昭和天皇の判断を仰ぎ、ポツダム宣言の受諾を決定しました。

その翌日にこの訓令が出されたことが驚きです。
事前に内々に準備されていたのかもしれません。

当時の様子が伝わってきます。

『連合軍関係書類』『連合軍司令部 報告書綴』

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昨年、本校和室の押し入れより段ボールの箱が出てきました。
その中を見たら、何と、

『連合軍関係書類』

『連合軍司令部 報告書綴』

など、大正時代から戦前、戦後の文書がたくさん出てきました。

まさに、歴史の生きた教材です。

連合軍司令部から学校にどのような通知が来て、また、学校からはどのように報告したのか、今後、時間を見つけて報告します。

「布袋の歴史」に連載します。

昭和2年 卒業写真帳

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先日、布袋の古い写真を貸してください とお願いしたところ、さっそく多くの写真を貸していただきました。

今日は、丹羽郡布袋尋常高等小学校 昭和2年3月 卒業記念写真帖 を紹介します。

写真中は、高二男組、写真下が高二女組です。

高等科二年男子は53人いるのに対して、高等科二年女子は14人しかいません。

当時は尋常小学校6年間が義務教育で、高等科は義務ではありませんでした。
男女の数は、当時の時代を物語っていますね。

今ご存命なら105、6歳の方です。

講演メモ「江戸時代 江南の歴史の秘密ー信長の子どもたち&尾張七代藩主徳川宗春と江南市」

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昨日、江南市民文化会館で、講演「江戸時代 江南の歴史の秘密−信長の子どもたち&尾張七代藩主徳川宗春と江南市」 を聴いてきました。
講師は、高家寺住職 北川宥智 氏です。

その講演の内容をメモしたものを、私(校長)のブログにアップしました。
あくまでもメモなので、誤解や曲解もあり、私の解釈も加わっています。
それでもよければ、ここからお入りください

もっと詳しくは、北川宥智氏の著書をお読みください。(私もさっそく注文しました。)

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昭和9年の布袋小学校

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ある児童が、「おばあさんが校長先生に写真を見せてほしいといわれて持ってきました」と校長室へ来てくれました。

昭和9年の布袋尋常高等小学校の紀元節を記念した撮影です。

布袋小学校や布袋小学校区の古い写真を募集しています。

ぜひ紹介してください!

田代墓地

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昨日は、3年生に生駒吉乃のお墓を案内しました。

写真は田代墓地です。
吉乃が荼毘にふされた所とです。

墓地は、神聖な場所として、地域で守ってきた所です。

田代墓地はかなり個性的で、(おそらく)地蔵菩薩が何十体とあることです。
○○家代々の墓石の隣にもあるほどです。

また正面両脇にある六体の地蔵菩薩は、いわゆる六地蔵像かもしれません。

仏教には六道輪廻の思想というのがあり、六道のそれぞれを6種類の地蔵が救うとする説から生まれたものです。
その名はいろいろあり、持ち物等である程度区別できますが、また、後日、じっくりと見てみたいと思います。

みなさんもお地蔵さんを見かけたら、手に何を持っているか見てみてください。
蓮華、錫杖、香炉、幢、数珠、宝珠など、いろいろです。合掌して何も持っていないお地蔵さんもいます。

こうしてみると、お墓やお寺に行くのが楽しくなりますよ。
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清水山墓地

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常願寺のやや南を少し奥に入ったところに、清水山墓地があります。

ここは、生駒 利勝(いこま としかつ)の墓所です。
利勝は江戸時代の尾張藩士、第6代尾張生駒家当主。

尾張藩士肥田孫左衛門の長子でしたが、母方祖父の生駒利豊が男子に恵まれず、利豊の養子として生駒宗家を継ぎました。

尾張藩2代藩主徳川光友に仕え、3代藩主綱誠の傳役(ふやく=守り役)を務めました。
尾張生駒家中興の祖と呼ばれる。

元禄7年(1694年)、66歳で死去しました。

織田信雄 焦りの書状

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昨年7月8日の中日新聞 朝刊に、「織田信雄 焦りの書状」という見出しの記事が掲載されました。
再掲します。

書き手は、布袋小学校区で産まれた織田信長の次男、織田信雄です。

注目なのは、書かれたのが、清洲会議(天正10年6月27日 1582年)の開かれた3日前だからです。

会議に集まった織田家家臣は、柴田勝家、丹羽長秀、羽柴秀吉、池田恒興。

ドラマなどでは、秀吉が三法師(信忠の嫡男)を擁立し、勝家が信孝(信長の三男)を後継者に推して対立したということになっていますが、どうも実際には違うようです。


織田家の後継を、二男・信雄と三男・信孝が互いに主張したため、勝家や秀吉らが、事前に三法師を立てるように了解済みであったという記録が残っています。

そもそも、信雄と信孝は、母が異なり、誕生日もどちらが早いのか明確ではないのです。


この書状は、信孝との後継者争いに絡んで、秀吉の気を惹こうとする意思が読み取れます。

歴史は、生身の人間が生きた跡なのです。

続 江南市縁の7人の戦国武将 −3− 位階とは?

明日から修学旅行。この旅行をきっかけに、歴史に興味を持ってくれたらと思います。

今日は昨日の続き。マニアックなテーマです。

正一位(しょういちい)は誰?

正一位は、関白や太政大臣、征夷大将軍などのそうそうたる顔ぶれです。
その他、国家に対する偉勲の著しい者が叙されているということですが、実は、全然知らない人もたくさんいます。このあたりは、政治的な思惑もあるのでしょう。

生前に叙された人は史上6人しかいません。
多くは、亡くなってから贈られています。

有名なところでは、

藤原不比等 右大臣

橘諸兄 左大臣

藤原良房 摂政、太政大臣

菅原道真 右大臣

徳川家康 征夷大将軍、太政大臣

楠木正成 武将、検非違使、河内守

岩倉具視 右大臣

三条実美 太政大臣、公爵

豊臣秀吉 関白、太政大臣

織田信長 右大臣


この中で生前にもらっているのは、橘諸兄、三条実美のみです。
秀吉や信長に至っては、大正時代に叙されています。

また、時の権力を握った藤原道長や頼通は叙されていませんし、
徳川以外の征夷大将軍、源頼朝や足利尊氏・義満らはもらっていません。

また徳川将軍で唯一もらっていない人もいます。
15代将軍慶喜です。

この他、明治期に正一位になった人には・・・

楠木正成 武将、検非違使、河内守
新田義貞 武将、正四位下、左近衛中将、播磨守、越後守
徳川光圀 水戸藩主、従三位、権中納言
島津斉彬 薩摩藩主。従四位上、左近衛権中将兼薩摩守。
徳川斉昭 水戸藩主、権中納言、従三位
岩倉具視 右大臣
三条実美 太政大臣、公爵

これらは、明治政府の権威付け、および正当性を保証するためであると思われます。

戦後正一位はゼロです。
事実上、従一位が最高位です。
この正一位と従一位は、天皇から直接与えられる「親授」とされています。

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26 27 28 29 30 31  
学校行事
8/20 出校日

PTA

その他

ほけんだより

道徳教育の歩み

江南市立布袋小学校
〒483-8148
江南市布袋下山町南167
TEL:0587-56-3200
FAX:0587-56-3421