最新更新日:2006/03/22
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TV会議で発表

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私たちは、12月2日に東高森台小学校とTV会議をしました。
私たちが調べたこと・考えがしっかり伝わったと思います。

戦争体験をした人たちにアンケートをとって・・・。

私達は、戦争体験をした人たちに、アンケートをとりました。
・戦争は「ひどい目にあった。」「苦しい。」
・空襲はいつくるか分からないので、昼も夜も
・防空壕でローソクで勉強していたという。
 私達は、防空壕で勉強するのは大変だと思いました。
・食事が少なくてひもじい思いをしました。
・お米がないので、さつまいも・豆が主食でした。
・学校は、空襲でいも畑になりました。
・ぜんぜん授業はしず、畑しごとの手伝いをしました。
・戦争を一言でいうと、「人間同志のばかげた戦い。」・「絶対してはならないもの。」

恐ろしいユダヤ人迫害

第二次世界大戦当時のドイツでおきたユダヤ人迫害のことについて調べました。ユダヤ人とは、昔から自分達の国がなく、世界各地に住んでいた人達です。その民族は、たいへんかしこいと言われていました。そこでヒトラーという人が現れました。
「自分の民族よりかしこい民族は消えてしまえ!」とユダヤ人虐殺の計画と実行を考えました。 その作戦はなんと実行されてしまったのです。その計画を実行した人達(ヒトラーの意見に賛 成した人)をナチスドイツといいます。
ナチスドイツは、占領した地域にユダヤ人強制収容所をつくりました。特に恐ろしかったのは、「アウシュビッツ収容所」です。この収容所では毒ガス室があり、一日に100人の死者を だしたのです。何の罪もないユダヤ人を殺す計画を実行したヒトラーは4月に自殺しました。 
 私たちは、とてもこわいと思いました。

原子爆弾について

第二次世界大戦も終わりに近ずいてきたときに、アメリカの大統領トルーマンにより、世界最大 の原子爆弾が日本の広島、長崎におとされました。私たちは、その原子爆弾について調べまし た。広島には「リトルボーイ」、長崎には「ファットマン」というあだ名の原子爆弾がおとさ れました。
広島の原爆は、「リトルボーイ」というかわいいあだ名なのですが、すごいいりょくなのです。 死者10万人をこえる恐ろしい原爆です。原爆の放射線をあびると、その時に死ななかった人 たちも後遺症というあとに残る障害でガンなどの病気で死んでしまうこともあるのです。
長崎の原爆は、「ファットマン」というあだ名です。このファットマンは、今の医療にも使われ ているのですが、リトルボーイとほとんど同様のいりょくです。ファットマンでは、死者7万 人をこえます。
原爆とはこれほど恐ろしいのです。

調べたこと

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今から60年前の第二次世界大戦では、日本も参戦した戦争でもあります。
その第二次世界大戦のことを調べました。

まとめ

私達は、戦争をやめさせることは出来ないけど、自分たちができることをしていきたいです。そして、戦争がなくなって、世界のみんなが仲良くできたらいいと思います。

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小牧市立桃ヶ丘小学校
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「この学習は、平成17年度CEC
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