最新更新日:2020/03/31
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横浜で「ララ物資」の記念碑を見つけました!

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 昨年(2017)6月に横浜港へ行った際、新港埠頭に石碑が建っていることに気づきました。よく見ると、全国学校給食週間に深く関係のある「ララ物資」の記念碑でした。
 当日はあいにく雨模様の天気だったので写真が鮮明ではありませんが、私がこの記念碑に遭遇したのも何かの縁だと思いますので、ここで「ララ物資」について少しふれてみたいと思います・・・

 昭和20(1945)年8月、日本は連合国に敗戦すると、国内では厳しい食糧危機が生じ、横浜市においても餓死者が続出する事態となりました。特に乳幼児や児童の栄養不足は深刻な問題で、栄養価の高い食料の供給を望む声が強くなっていました。こうした終戦後の日本の混乱は海外にも伝わり、アメリカで困窮者を救済するために結成されたのが「ララ(LARA)」でした。
 「ララ(LARA)」とは、Licensed Agencies for Relief in Asiaの頭文字をとったもので、日本語では「アジア救援公認団体」と翻訳されています。
 ララの構成メンバーは、アメリカの社会事業団体をはじめ、宗教団体、そして故郷の平和を願う在留邦人や日系人が中心でした。彼らはアメリカ国内をまわり寄付金や救援物資を集めるのに奔走されたそうです。
 昭和21(1646)年11月30日、ララが集めた救援物資が横浜港へ入港しました。その内容は、ミルク類などの食料品が最も多く、次いで衣料品や靴などがあり、乳牛やヤギなどの生き物も含まれていたそうです。「ララ物資」と呼ばれたこれらの救援物資は、横浜港から全国の社会福祉施設などに送られ、その多くが乳幼児や児童に分配されました。横浜市でもこの物資をもとに小学校で給食が提供されることになりました。

 記念碑には、「ララ物資」を送ってくれた異国の人々への深い感謝と、当時ご尽力された方々の功績を後世に永く残すことを目的に、多くの方々からの募金により平成13(2001)年4月にこの記念碑を建立した・・と、刻まれています。
 記念碑のとなりには、昭和24(1949)年に、香淳皇后(昭和天皇の皇后)が昭和天皇とともにララ物資の倉庫を訪問されたときに詠んだ歌が刻まれていました。そこには・・

ララの品つまれたる見て 
  とつ国のあつき心に 
      涙こほしつ

あたヽかきとつ国人の 
   心つくし ゆめなわすれそ 
       時はへぬとも

 ララ物資は昭和21年から27年までの6年間にわたって送られ続けました。
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