最新更新日:2020/03/31
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3月24日(火)1〜5年生臨時登校日(9:10下校)  4月7日(火)にじの丘学園小中学校入学式  4月8日(水)にじの丘学園小中学校始業式                                

ごあいさつの日(9月5日)

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 今日は“5のつく日“です。2学期最初の「あいさつ運動」が児童玄関で行われました。
 まだまだ‘お休みモード'から抜けきれないのかな・・あいさつの声が小さな子が目立ちました。

 次回はもっと元気にあいさつできるとよいですね。

こんなこと がんばるよ(3年1組)

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 9月4日(月)の5時限目、3年1組の授業風景です。
 今回、子どもたちは「こんなこと がんばるよ」というワークシートに、2学期の行動目標を書き込んでいました。
 「宿題をちゃんとやって、忘れ物をしない」
 「サッカーやバスケットボールの試合でゴールを決める」
 「運動会で発表するダンスをがんばる」
 「おじいちゃんのために、お経を覚える」・・

 いろいろな目標がありました。みんな、頑張ってね!

防災すごろく(4年1組)

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 明日の「避難訓練」をひかえて、お隣の4年1組の教室では子どもたちが「防災すごろく」で災害時の行動について学習していました。
 火災が起きたとき、どのように人に知らせたり、安全に避難したりするかについて話し合いながら、ゴールをめざしました。

玉虫(タマムシ)ゲットだぜ!

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 9月4日(月)の5時限目の授業が終わろうかとする時、おおぞら組の教室にタマムシが飛んで入ってきました。
 タマムシと聞いて、私たちの世代が思い出すのは・・・たくさんのタマムシの羽根を飾り付けて完成したと伝えられてる国宝「玉虫厨子」(たまむしのずし)です。
 私が小学生の頃の教科書には、この厨子について記述されたページがあり、当時の子どもたちは、いつかは実物が見たいと思っていました。

 国宝「玉虫厨子」は、飛鳥時代(7世紀)の仏教工芸品です。厨子のあちこちには仏教絵が描かれ、その中でも右側面の「捨身飼虎図」(しゃしんしこず)が有名で、厨子が単なる工芸品ではなく、仏教の教えに従った調度品であることを物語っています。
 しかし、この厨子が有名になったのは、何と言ってもその名前の由来になった玉虫細工です。框(かまち)などの細長い部分に使われた金銅製の部材には、唐草模様の透かし彫りの細工がほどこされていて、その下に虹色の縞模様を見せる玉虫の羽が入れられています。
 しかし長い歳月を経過するうちに、部材は変色し、現在ではタマムシの羽根のほとんどが失われてしまっています。私が小学校の修学旅行で初めて実物を見た時は、あまりにもイメージした姿とかけ離れていて、がっかりしたことを覚えています。

 これまでに、この玉虫厨子の姿を再現しようと多くの人がチャレンジしています。昭和30年代に「日本鱗翅学会」が懸案となっていたタマムシの羽根を集めて制作したり、平成に入ってからも、岐阜県高山市の造園業の方が1億円超の私費を提供して計画、大工や蒔絵師(まきえし)ら延べ4000人以上がこのプロジェクトにかかわり、2万匹以上の玉虫の羽根を使用して復刻版(レプリカ)を完成させたりして、当時の輝きをよみがえらせています・・・

9月1日の朝

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 楽しかった夏休みが明けて、子どもたちが学校へもどってくる日の朝を迎えました。

 午前8時、パンパンにふくらんだ手提げ袋を持つ子、大きな紙を丸めているのは自由研究でしょうか?たくさんの作品をかかえて子どもたちが登校してきました。
 中にはちょっぴりベソをかいている子もいるようですが・・・きっと“これから頑張らなくちゃ!“という前向きな気持ちの表れなんだと思いました。(えらい!えらい!頑張って!)

 いよいよこれから2学期のスタートです・・

平成29年度 2学期 始業式

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 午前8時40分、学習ひろばで「2学期 始業式」を行いました。
 点呼してみると・・「お休みゼロ!」。51名の子どもたち全員が始業式の朝にそろいました!
 1学期末に約束したことを子どもたちはちゃ〜〜んと守ってくれました。まずはこのことに大感激!そして子どもたちに拍手!さらに保護者のみなさまに感謝!

 校長式辞では、夏休みのニュースを紹介して、「2学期もみんなで力をあわせて、チームワークで行事に取り組もう!」と子どもたちに話しました。

学級活動 (1)

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 始業式、清掃活動が終わって、それぞれの教室では学級活動が行われました。そのようすを紹介させていただきます。まずは低学年(1・2年)の教室から・・

 1年1組では佐藤教諭が、子どもたちが小学校生活ではじめて体験する運動会についての話をしていました。
 2年1組では課題の提出をすませた子どもたちが、佐脇教諭の引率で図書室へ移動していました。

学級活動 (2)

 こちらは3年生(1組とおおぞら組)の学級活動のようすです。
 後期用の教科書を配ったり、日誌の答え合わせをしたり・・昨日までののんびりモードから“学校モード“にきりかえです。
 おおぞら組の男の子は飼育舎へ行って、ウサギたちのお世話からスタートです10匹のウサギたちは食欲バッチリ!暑い夏を乗り切って、秋の訪れを迎えられそうです・・
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学級活動 (3)

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 高学年(4〜6年)の教室での学級活動の風景です。
 2学期に予定されている行事を説明する担任、絵画をはじめ、自由研究、工作など、夏休みに取り組んだ課題をどっさりと積まれた配膳台、日誌の答え合わせなどに集中する子どもたち・・いろいろな風景がありました。

○深川小のあゆみ(昭和61〜63年度 −1−)

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【昭和61年度】 児童数:251名

 4月3日、入学式には45名の児童が入学しました。
 6月26日、名古屋フィルハーモニー交響楽団より10名の団員が来校。音楽鑑賞会が行われました。 
 年が明けて3月25日、業者さんにより運動場の南側に防球ネットを設置するための工事が始まりました。

【昭和62年度】 児童数:229名

 4月3日、新1年生 36名が入学しました。
 4月9日、防球ネットが完成しました。
 年が明けて、昭和63年1月31日、愛知環状鉄道線が 岡崎 - 新豊田 - 高蔵寺間で開業しました。

【昭和63年度】児童数:216名

 4月4日、新1年生31名(男子11名、女子20名)が入学しました。

 63年度は子どもたちにとって、学習環境が大きく整備される年でした。それは建設されてから20年以上経過した校舎の大規模改修工事が行われたのです。
 工事は老朽化した箇所の修理や児童用トイレの改修をはじめ、教室の間取りの変更、新教室の設置、さらには外壁塗装まで行われ、学校施設のリボーンとなりました!


○深川小のあゆみ(昭和61〜63年度 −2−)

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昭和63年8月31日、校舎の大規模改修工事が完了しました。3階西端にあった複数の教室の壁を取り除いて、大きな一つの空間ができました。ここは「学習ひろば」という名前の特別教室に生まれかわりました。
 9月11日、体育館で「深川連区 敬老会」が行われました。高学年の子どもたちが受付に待機して、来場するお年寄りの胸に花をつける微笑ましい姿が記録されています。式典後のアトラクションでは鼓笛隊の演奏でお客様の長寿をお祝いしました。

 10月16日の改修工事完了検査を経て、11月1日は記念式典が行われました。会場はできたばかりの「学習ひろば」でした。
 この式典には、当時の瀬戸市長・井上氏をはじめ、加藤教育長らを来賓としてお招きして、保護者、地域のみなさんも参加の中で、盛大に開催されました。 

○深川小のあゆみ(昭和61〜63年度 −3−)

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 昭和63年12月になると、校舎2階西に新設された家庭科室が授業で使用されるようになりました。画像は12月13日、家庭科室での調理実習一番乗り(?)の6年生がイチゴショートケーキをつくっているところです。(写真 1・2)
 また12日には、当時としてはユニークなデザイン(台形や半円形)の座卓30ほどが、家具店から納入されました。23日には、学習ひろばを使用する子どもたちの姿が記録されています。(写真 3・4)

 年の明けた1月7日(土)、昭和天皇・崩御にともない、8日(日)より新元号「平成」が施行され、時代は「昭和」から「平成」になりました。
 2月24日(金)は「大喪の礼」で、学校は休業日となりました。

○深川小のあゆみ(平成元年・2年度)

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 時代は昭和から新しい元号の平成にうつりました。

【平成元年度】 児童数:212名

 この年に行われた大きなイベントとして忘れられないのは、名古屋市で行われた「世界デザイン博覧会」(以下 デザイン博)でした。
 「デザイン博」は7月15日に開幕し、11月26日までのおよそ5ヶ月間にわたるロングランの博覧会でした。
 テーマは、「ひと・夢・デザイン−都市が奏でるシンフォニー」で、会場を「名古屋城」・「白鳥」・「名古屋港」の3つに分散しての開催となりました。
 思えば、この時に登場したマスコットの「デポちゃん」が、現在の「ご当地キャラクター」や「ゆるキャラ」の元祖のようにも思えます。(写真 1)
 深川小学校からは、11月2日に5・6年生が白鳥会場に出かけています。
 この他に、7月に1階児童トイレの改修工事が行われ、10月27日には、名古屋銀行より寄贈された「イチイ(一位)の木」を玄関前に植樹しました。
 年が明けて3月10日には、体育館ステージの緞帳(どんちょう)が新調されました。

【平成2年度】 児童数:208名

 8月7日、体育館に放送設備が設置されました。「学校沿革誌」のページをめくると、
「11月12日、天皇陛下即位正殿の儀のため、休日となる」との記載がありました。

 画像は4月4日の入学式のようすです。前年度まで入学式の会場は体育館でしたが、この年より学習ひろばに変更になったことがわかります。
 1年1組の担任は加藤(な)教諭でした。(写真 2〜4)

 全校児童数が200名より多いのは、この年度が最後となりました・・

○深川小のあゆみ(平成3年度)

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 【平成3年度】児童数:196名

 「学校沿革誌」の平成3年度のページを開くと、保険団関連の記事が二つほど見つかりました(保険団なんて、懐かしいひびきの名前ですね・・)

「6月7日 ウォータークーラー買い替え(保険団)」という記載があります。なつかしいですね。当時の学校には、金属製の箱で足下のペダルを踏むと冷たい水が出る機器がありましたね。
 10月20日にはPTA保険団 ママさんソフトボール大会で深川小が準優勝しました。
 年が明けた2月11日、業者さんの工事によって運動場南側に二つの遊具(雲梯、ジャングルジム)が設置されました。
 また17日には佐藤校長の作業によって、「タイヤ跳び」が設置されました。

○深川小のあゆみ(平成4年度)

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 【平成4年度】 児童数:179名

 平成の時代に入って教育現場で働くわれわれにとって記憶に残る出来事の一つが「学校週5日制」の導入でした。
 週5日制・・といっても現在のようなシステムではなく、毎月第二土曜日だけが休業日となるものでした。
 システム導入までに「保護者が仕事のために留守家庭になってしまう場合の子どもの受け皿はどうするのか・・」といった話し合いがもたれて、当面は学校休業日には体育館などの施設を開放して、子どもの居場所をつくるなどの措置をとった学校が多くありました。
 さて、土曜日がはじめてお休みになった記念すべき日は、2学期に入ってからの9月12日のことでした。
 耐火金庫に大切に保管されている「学校沿革誌」には、
「今月より毎月第二土曜日が学校休業日となる。運動場のみ開放。学校開放管理責任者を置くことが教育委員会より指示され、PTA役員が交代であたることになった。運動場で遊んだ児童のようすを記録、管理責任者の感想とともに教育委員会へ報告」
と記録されています。
 今の深川っ子に
「むかしは土曜日も授業があったんだよ。」と話したら、どんな反応が返ってくるのでしょうか?
 
 画像は年が明けた2月22日に行われた「親子バイキング給食」のようすです。この時は2年生と5年生の児童とその保護者が学習ひろばに集まって、いっしょに給食を食べた後に、ゲームで遊んだり、歌や器楽合奏を発表したりしました。

○深川小のあゆみ(平成5年度 −1−)

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  小中学校の「道徳」の時間はこれまで教科外の活動という位置付けでした。学校教育法施行規則の改正により、道徳が「特別の教科 道徳」、つまり教科へ格上げされた・・というニュースは記憶に新しいところです。
 小学校ではいよいよ2018年度(平成30年度)から完全実施されることから、教育現場では「道徳」という言葉が重要なキーワードとしてしばしば登場するようになりました。
 さて、さかのぼること平成5年5月6日、深川小学校は当時の文部省(現在は、文部科学省)より「道徳教育推進校」の指定を受けました。
 実際にはその前年の平成4年4月から愛知県教育委員会より「道徳教育」の研究委嘱を受けていたので、研究・実践はすでに二年目を迎えていました。「体験活動」を重視した道徳教育の実践が計画されるなど、当時の深川小は先駆的な取り組みをしていたんですねぇ。

 【平成5年度】児童数:174名

 7月13日、「収穫祭・たなばた会食会」では、運動場にやぐらを組んで、みこし踊りを披露する計画でありましたが、雨天のためやむなく会場を体育館に変更しての実施となりました。
 年が明けて1月31日、「創立90周年記念事業」として、職員・児童の集合写真、2月24日には運動場に並んでの航空写真が撮影されました。当時の児童数は174名、みんなで、運動場に「深川」の人文字をつくって、撮影用の飛行機が上空にやってくるのを待ちました。

 2月26日、校内マラソン大会が行われました。競技終了後、子どもたちには、あったか〜い「ぜんざい」がふるまわれ、「ぜんざい会食会」となりました。

○深川小のあゆみ(平成5年度 −2−)

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 3月11日、モンゴルの首都ウランバートル出身のシンガーソングライターであり、NHK紅白歌合戦にも出場経験のあるオユンナさんが来校。学習ひろばで子どもたちに、その天使の歌声を披露したり、母国モンゴルの民族衣装や民芸品、代表的な楽器(馬頭琴など)を紹介したりしてくださいました。
 当時の子どもたちにとっては、国語の教科書に掲載された物語「スーホの白い馬」で、モンゴルはなじみ深い国であったことと思います。

○深川小のあゆみ(平成6年度 −1−)

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 【平成6年度】 児童数:174名

 4月6日、入学式が行われ22名の新1年生(男13名,女9名)が仲間入りしました。
 6月7日、定光寺野外活動センターで野外活動が行われました。この年より5年生の活動に1年前にキャンプを経験した6年生も参加することになりました。また前年度まで二泊三日であった期間を短くして、一泊二日のキャンプとなりました。
 
 6月16日にプール開きが行われ、翌17日にはプールサイドにマットが敷設されました。これは照りつける太陽光で熱せられたプールサイドのコンクリートは裸足では歩けないほど高温となるための対策でした。

 7月4日、ミニトマトの鉢植えや学級園で栽培の栽培をしてきた子どもたちが、体育館で「収穫祭」を行いました。
 いっぱいの日光をあびて、たくさんの野菜が収穫できました・・・
 

○深川小のあゆみ(平成6年度 −2−)

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 保管されている記録写真を見ると、高学年児童が家庭科室でカレー作りなどの調理を担当していたようです。
 完成したカレーが体育館に運び込まれ、栽培してきたきゅうりやミニトマトなどの収穫を祝い、楽しい「たなばた会食会」が行われました。
 
 この年の夏は異常気象で梅雨の季節でありながら、ダムのある水源地において、ほとんど降雨がありませんでした。愛知県の水がめに蓄えられるはずの水量がなく、公共機関や家庭には「節水」が呼びかけられました。小学校では学級園への水やりの制限も始まりました。
 7月15日、渇水対策として深川小学校では屋上タンクのバルブが閉められました。夏休みに入ると、異常渇水はさらに深刻さを増して、とうとうプール開放が中止となりました。
 

○深川小のあゆみ(平成6年度 −3−)

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 平成7年は「第49回 国民体育大会 秋季大会」(わかしゃち国体)が愛知県で開催された年でした。瀬戸市体育館は「ウエートリフティング」の会場となりました。(平成29年8月現在も、市民公園の交差点には国体を記念したマスコットキャラクターが飾られていますね)
 国体本番が翌週にせまってきた10月23日(日)、「大会旗・炬火リレー」が瀬戸市内で行われました。
 瀬戸市では、陶土採掘場で採火された「窯の火」が市内の9区間を代表走者によってリレーされて、ゴール地点である雲興寺まで運ばれました。その後はクルマによる輸送で、隣接する藤岡町へ届けられると、豊田市内から届けられた「車の火」と合火して「産業の火」となり、さらにリレーされました。
 深川小学校からは6年生の金井さん、水野さん、岩本さん、牛田さんの4名がリレー選手として参加しました。

 「わかしゃち国体」は10月29日(土)に開幕しました。開会式ではファンファーレ隊の登場、そして「開式通告」により、選手団の入場が始まりました。
 それまでの国体の開会式では、社会人や高校生のブラスバンドがファンファーレ隊を担当してきました。小学生で編成されたファンファーレ隊による開式通告はこの「わかしゃち国体」が当時としては史上初だったそうです。
 瀬戸市からは八幡小学校と幡山西小学校二校の児童が選出されて演奏を担当しました。
 11月1日、6年生が瀬戸市体育館でウエートリフティング競技を観戦しました。
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瀬戸市立深川小学校
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