最新更新日:2024/03/28 | |
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記念誌「すいなん」より(戦時下の学校)
1931年(昭和6)、満州事変をきっかけに日本と中国との対立は、やがて太平洋戦争へと拡大していきます。
戦争への足音は徐々に学校現場にも響き始めました。子どもたちは「日参団」として、毎日のように「戦勝祈願」のために小金神社などへ行きました。(写真 上) 昭和19年2月には、児童体位向上を目的に「味噌汁給食」が始まりました。 同年12月の名古屋大空襲の際には、「高射砲破片や機銃弾などが本校の校庭にも落下した・・」という記録が残されています。 戦中・戦後と食糧難が続き、空いた土地を見つけて野菜作りが行われる光景が見られました。(写真 中 6年社会科教科書より) 水南小学校の敷地内でもイモなどが栽培されました。写真は担任の先生と一緒に収穫したイモを計量している場面です。苦しい生活でしたが写真にうつった子どもたちの明るい表情にホッとさせられます。(写真 下) 戦中・戦後のわずかな期間に学校の名称は次のように変わりました。 昭和16年4月 水野村南国民学校と改称 昭和22年4月 水野村立南小学校と改称 |
瀬戸市立水南小学校
〒489-0069 愛知県瀬戸市東松山町154 TEL:0561-82-2084 FAX:0561-82-2829 |