最新更新日:2024/03/22 | |
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1955年 今井鎌三郎胸像除幕式 昭和30年
昭和30年12月10日には、初代校長の今井鎌三郎先生の胸像の除幕式が行われました。上の写真左上が当時の胸像です。右上が芝生広場にある今の胸像です。まったく変わりがありません。上の写真の下が来賓玄関にある石こうで作られた胸像です。下の写真が除幕式の様子です。
第11代早川治郎校長先生(昭和25年から31年3月まで)は以下のように記されています。 今井先生の胸像、二宮金二郎の銅像があったが戦時中に供出され、その後、陶製の像が寄贈されていたが、ボールが当たり破損した。基台は立派であるため、初代校長の胸像を立てることになった。教え子のお骨折りで供金も集まり、職員室の写真をもとにして水南町の彫刻家能見八重夫さんに依頼した。少し太りすぎのようであるが感じがよくできているという話であった。毛布に包んで大切に黒崎の鋳造屋へ運んだ。値段は覚えていないが高いなあと思った。 ここで、いくつかの疑問がわいてきます。 ○ 戦時中の提出された胸像、昭和30年までの陶製の胸像は、いつ、だれが作ったのか。 ○ 芝生広場にある胸像と来賓玄関にある胸像との関係は。 能見八重夫さんは来賓玄関の石こうの胸像を作り、それをもとに芝生広場の銅製の胸像を作ったという推測ができます。 歴史ある下品野小学校です。 1953年 2階建校舎 給食室 改築 昭和28年
昭和28年には、2階建校舎と給食室が改築になりました。第二次世界大戦が終わって、少しずつ日本の経済も安定し、新築、増築、改築されるようになってきました。上が2階建校舎、中がその竣工式、下が給食室の写真です。今では影も形も残っていません。
給食の歴史を探ってみました。以下の記録が残っていました。 私の母校である下品野小学校にお世話になったのは昭和24年からです。入った当時は、みそ汁だけの給食でしたが、みんな喜んで食べました。その後、ミルク給食になり、道具のないまま手製のあわたて器(竹ぼうき)を使ってあわをたてたり、固くなったミルクをふるいにかけて溶かしたりしたこともありました。昭和28年2階建ての新校舎が建ち、その時給食室も新築されて10月8日より完全給食が実施されました。3人の給食婦さん、それにPTAのお母さん達の助けによって・・・・最初の日の献立は、ひじきのに付けで大きなはそりにいっぱい作られました。それ以降昭和38年3月まで同じ給食室で色々な献立の給食を作り児童達の偏食矯正に体力の増進にと力を入れてきました。 歴史ある下品野小学校です。 1952年 第3代伊藤源三郎校長記念碑除幕式 昭和27年
明治41年に伊藤源三郎先生が第3代校長に着任され、15年間校長をつとめられました。その遺徳を偲んで岩屋堂に記念碑が建てられました。記念碑に記されている内容は、1908年をご覧ください。上の写真は、当時開催された除幕式の様子です。
歴史ある下品野小学校です。 7/12 1学期終業式式辞まず、みなさんは「はやぶさ2」を知っていましたか。「はやぶさ2」は初代「はやぶさ」の後を受けて、2014年、今から5年ほど前に日本が発射した小惑星探査機です。人は乗っていません。 「はやぶさ2」が小惑星の「リュウグウ」に再着陸したのです。小惑星は、分かりますか。小惑星と言うのは、太陽の周りを水星、金星、地球、火星、木星、土星、天王星、海王星と8この惑星が回っていますが、これらの惑星ほど大きくない惑星のことを言います。小さい代わりに数え切れないほどたくさんあります。「リュウグウ」は、地球から2億5000万キロ離れており、大きさが約900メートルです。その「リュウグウ」への再着陸に成功したのです。 1回目の着陸は、リュウグウの表面の岩石を採取しました。今回の2回目はリュウグウの地下の岩石を採取したのです。地下の岩石は、約46億年前に太陽系が誕生したころのままの姿の物質を調べることができます。これで、太陽系の成り立ちや生命誕生の謎に迫れる可能性があります。 関係者は、「太陽系の歴史のかけらを手に入れることができた。言うことなし。パーフェクトだった。100点満点中1000点だ。」と振り返っていました。そして、「チームワーク以外のなにものでもない」と喜びを表していました。 さて、みなさんはこのニュースを知って、何を感じ、どう思ったでしょうか。 6年生:46億年前の太陽系の岩石を採取できるなんてすごいと思った。やはり、何をやるのもチームワークが大切なんだ。(大拍手) 令和元年7月12日 瀬戸市立下品野小学校長 浅井 大司 7/11 教室に
教室に美しい花が生けてあります。教室で鈴虫を飼っています。そんな落ち着きのある教室で学習ができることは、幸せですね。
7/9 ツマグロヒョウモン
ツマグロヒョウモンがさなぎから羽化しました。ツマグロヒョウモンの「ツマグロ」とは、「縁が黒い」という意味で、メスの羽の前半分が黒いので、この名前が付きました。写真はメスです。日本の本州、四国、九州に生息しており、山里、平地の草原や庭、道端、空き地など私たちの身近で見ることができます。幼虫は黒色の体をしていて、背中に赤い一本の線が縦に入っています。体にはとげとげの毛がたくさんあります。パンジーやビオラの中でよく見かけ、いかにも毒々しいのですが、毒もなく、刺すこともありません。もうすぐ、3匹羽化します。自然豊かな下品野小学校です。
7/8 暑中見舞い
暑中お見舞い申し上げます。例年とはちがい、1学期は今週で最後になります。他の市町村はまだ1週間1学期が続きます。この1週間を上手に使えるといいですね。
7/5 愛知県消防操法大会激励式
下品野消防分団は、瀬戸市の代表として7月20日にある愛知県消防操法大会に出場します。その激励の式を瀬戸市長、市議会議長、県議会議員、市議会議員さんたちが参加し下品野小学校の体育館及び運動場で厳粛に行われました。気合の入った号令ときびきびとした行動が印象的でした。あってはならないのですが、消防、防災は下品野消防分団に任せておけば安心です。地域の安心、下品野消防分団です。
7/5 さる?人?それとも宇宙人?
品野西保育園の子どもたちが育てているトウモロコシがおいしい部分だけ1つきれいに食べられていました。他のトウモロコシは異常がありません。びっくりです。さるでしょうか?人かも?まさか宇宙人?日曜日は七夕です。晴れて彦星と織姫星が天の川で会えるといいですね。
7/5 暑中見舞い
こんな暑中見舞いをもらったら、暑さなんか吹っ飛んでしまいますね。
7/4 教室が空っぽ7/4 クワガタランド7/4 愛であ朝ごはんコンテスト
愛知県教育委員会による「わが家の愛であ朝ごはんコンテスト」説明が栄養教諭からありました。「愛」には2つの意味があります。1つ目は、愛知県産の愛です。地元食材や郷土料理を使いましょう。もう一つは愛情いっぱいです。家族の愛が伝わる朝ごはんにしてください。
7/4〔食でハピネス〕 今日の給食
今日の給食は、発芽玄米ごはん、とうがん汁、厚焼き卵、なすのみそ炒め、牛乳でした。とうがんは、水分量が多く、今の暑い時期にはぴったりです。なすのみそ炒めは、瀬戸市産のなすを使いました。ごはんの進む味付けで、おいしくいただきました。
7/3 手をつなごう7/1 音楽集会
今朝の集会は音楽集会でした。1学期の音楽集会の発表は1年生、2年生です。まず、全校合唱で「手をつなごう」を歌いました。続いて1年生の「ジロクマのジェンカ」「みんなで遊ぼう」を発表しました。4月からたった3カ月ですが、急成長ぶりが見て取れました。最後に2年生の「線路は続くよどこまでも」の発表がありました。オペレッタ風でリズムにのって見ている方も楽しくなるような発表でした。あいにくの雨にも関わらず多くの保護者の方の参観があり、感謝いたします。
1948年 PTA発足 昭和23年
昭和23年3月にPTAが発足しました。家庭教育と社会教育を担当する教育上必要な組織であること、従来の後援会とはちがうこと、などの説明をアメリカ人の中尉し、三教室いっぱいの盛況ぶりでした。当時は、六三制やPTAなどわからないことばかりであったと記されています。
この年は、8月に教育勅語を返還したり、10月に第1回の教育委員の選挙があったりと教育が大きく変わっていった年となりました。 1947年 学校給食はじまる 昭和22年
昭和22年4月1日、六三制が施行され品野町立下品野小学校が発足しました。戦時中は軍隊の宿舎に転用され破損がひどく、教室に復帰するのが大変だったそうです。ガラス戸を作ってもガラスはなく補修は不可能でした。
昭和21年12月14日に東京、神奈川、千葉の三都県の学校で試験給食が実施されました。下品野小学校で学校給食が始まったのが、翌年の昭和22年11月とありますから、下のような写真の給食だったのでしょう。ミルク(脱脂粉乳)とトマトシチュー(スキムミルクと輸入トマトケチャップ)です。脱脂粉乳はアメリカから無償で与えられていました。主食のパンやごはんがなく、とうてい給食とはよべるものではありませんでした。 6/28 読書感想文大募集
本は読むだけでもいいのですが、感想文を書くと自分の考えが深まり、より心の栄養が蓄えられます。課題図書も購入しましたので読んでみてください。
6/28 ふれあい子育て交流会 |
瀬戸市立下品野小学校
〒480-1207 愛知県瀬戸市品野町6丁目223 TEL:0561-41-0074 FAX:0561-41-3044 |