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紫におう 雲見が峰の 日々新しき 光をあびて 今に花咲く 若草若木 みんな元気に 元気にのびる ああ下品野 たのし学びや

1925年 大正の校舎

 学校名についてはもう少し変遷があります。
昭和16年  品野町立下品野国民学校(国民学校令施行)
昭和22年  品野町立下品野小学校(6・3制施行)
昭和34年  瀬戸市立下品野小学校(瀬戸市へ合併)
 校舎は、一番上が大正14年、二番目が昭和2年(幼稚園も併設されました)、一番下が昭和29年です。
歴史ある下品野小学校です。
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1910年 頌徳碑建設 明治43年

 初代今井鎌三郎校長先生は、教育行脚と称して各家々を訪問したり、庚申講や念仏講に出席して教育の必要性を説きました。着任当時の就学率49.83%、出席率56.76%に対して、明治40年には就学率98.65%、出席率94.75%まで向上しました。
 今井先生は月給をそっくり村長のもとへ提出し、一日も早く新校舎を建設するよう懇請されました。その話を聞いた善明老尼も寄付をして、校長の意思を尊重するように乞われました。そこで明治35年の新校舎の竣工をみたわけです。
 明治43年(1910年)には、今井校長先生の頌徳(しょうとく)をたたえて有志、門下生によって岩屋堂に碑が建てられました。歴史ある下品野小学校です。 
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1908年 第3代校長着任 明治41年

 明治41年に伊藤源三郎先生が第3代校長に着任され、15年間校長をつとめられました。その遺徳を偲んで岩屋堂に碑が建てられました。このように記されています。

 先生は、明治十五年一月一日、愛知郡幡山村菱野に誕生。若くしてその資を認められ、下品野小学校今井校長の許に代用教員として薫陶を享け、明治三十六年、愛知県第一師範学校卒業後、瀬戸町外八ケ村二高等小学校に奉職。同四十一年、再び下品野尋常小学校訓導兼校長として着任。爾来十五年間名利をよそに孜々として本町教育に盡粋され、その教えを享けた者壱千五百余名。
 先生は体躯堂々、温容溢るる如く高潔なる人格に加うるに、激務の寸暇を割いて博く研鑽を怠らず。特に語学は最も蘊奥を極められ、典型的な師表として村を挙げて信望を聚められていた。後、瀬戸窯業学校に転じられ、左職約五ケ年で退職された。第二次世界大戦のために二男、三男を失われ、戦災者として最も不遇の中に昭和二十五年十二月二十八日、六十九才を以て尊い教育者としての生涯を終わられた。その訃を哀み、その徳を追尊する子弟相集いここに碑を建て先生の遺徳を永遠に伝えんとするものである。
   昭和二十五年五月建立  門下生一同
歴史ある下品野小学校です。

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瀬戸市立下品野小学校
〒480-1207
愛知県瀬戸市品野町6丁目223
TEL:0561-41-0074
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