今年もあと2週間ほど。そして、2学期もあと1週間となりました、まとめの時期です。寒い毎日が続きますが、寒さに負けず、学習に運動に取り組みましょう。

布袋中学校の歴史  銅像「大望」

画像1 画像1
 昭和40年度卒業記念の銅像「大望」は、最初の体育館竣工にあわせて、体育館前に設置され、昭和41年3月に除幕式が行われました。

 現在は、玄関前の庭に移されています。除幕式の時には、体育館前にまだ、尾北高校から移築された校舎が見えます。

布袋中学校 生徒数の推移

画像1 画像1
 開校した1947年(昭和22年)からの生徒数の推移です。開校したこの年は418人の10クラスでした。

 最も人数の多かったのは、1984年(昭和59年)、1985年(昭和60年)の1037人です。(5月1日現在)

 学級数も26クラスありました。ちなみに本年度(2014年)は589人の19クラスです。

 1984年は、ロサンゼルスオリンピックがあった年です。
 1985年は、日本の総人口が、約1億2100万人になった年です。また、日本航空123便墜落事故(世界最大の航空機事故)もありました。
また、布袋中学校の職員室に、はじめてパソコンが入った年でもあります。

布袋中学校 キャンプ(自然教室)の歴史

画像1 画像1
画像2 画像2
画像3 画像3
 布袋中学校の第一回キャンプは、昭和54年(1979年)に国際児童年記念事業として始まりました。場所は、大正河原キャンプ場(岐阜県加茂郡白川町)で行われました。一番上の写真(現在)
 
 昭和58年(1983年)に犬山八曽キャンプ場に変更になりました。2番目の写真(現在)

 昭和61年(1986年)に現在の郡上八幡自然園になりました。3番目の写真。
 以来、郡上八幡自然園は今年で28年目になります。多くの卒業生同様、明日からの自然教室でも、2年生が記憶に残るすばらしい体験をしてくれることと思います。

布袋中学校の歴史(8) 「百忍の岩」

画像1 画像1
画像2 画像2
 現在、体育館の東前にある「百忍の岩」は、昭和42年3月15日に卒業記念として設置されました。当時PTAの多大な協力により、遠く大垣にまで出かけ入手したものです。岩石名は、「紅廉石英雲母片麻岩」です。
 「百忍」は中国の古典「菜根譚(さいこんたん)」にある漢詩で、「百忍の岩」の隣にある石碑にその漢詩が刻まれています。

衰颯(すいさつ)の景象(けいしょう)は、就(すなわ)ち
 盛満(せいまん)の中(なか)に在り、発生の機緘(きかん)は
 即(すなわ)ち零落(れいらく)の内(うち)に在り
 故に、君子は安(やす)きに居(お)りて、宜(よろ)しく
 一心(いっしん)を操(と)り、以って患(うれい)を慮(おもんぱか)り、
 変(へん)に処(お)りて当(まさ)に百忍(はくにん)を堅(かた)くして
 以って成(な)るを図(はか)るべし。

衰退の兆しは隆盛の時に、既にその萌芽が兆しているのである。
芽吹きはおちぶれて、零落きわまった内に、既にその兆しが
ちゃんと備わっている。
故に、上に立つ者は繁栄している時に、油断せず将来の艱難に
覚悟して、しっかりと耐える準備をしておくこと。
それと同時に、異変に会った時には、不撓不屈の精神で艱難に
耐え忍び、成功を期せねばならない。

 創立30年記念誌には、この岩への思いとして、次のようなことも書かれています。
「中学生は感情の起伏が強く、時に挫折し、時に淵(ふち)に落ちることがあっても、崖(がけ)を這い上がるための克己努力によってのみ、新しい発想への転換と「耐えうる心の力」、さらに自己統制力が養われる」

布袋中学校の歴史(7) 修学旅行

画像1 画像1
画像2 画像2
画像3 画像3
 5月27日(火)から、3年生の修学旅行です。そこで、布袋中学校の過去の歴史を調べてみると、1973年(昭和48年)までは、関西方面へ修学旅行に行ったようです。1974年(昭和49年)からは、関東方面に換わったようです。

 昭和45年の万国博覧会が開催された年には、3年生は修学旅行の5月20日に見学し、2年生は、6月2日に遠足で訪れ、1年生も、6月5日に同じく遠足で行きました。結局、全校生徒が万国博覧会に行ったようです。
 
 また、関東方面では、東京のほかに、日光や鎌倉へも行きました。

 2011年(平成23年)は、3月11日(金)に東日本大震災があり、1974年以降、この年だけは、関西方面に修学旅行に行きました。

 それぞれの年の修学旅行に、いろいろな思い出があることと思います。

 今年の3年生も、生徒みんなの協力と心遣いで、よい旅行にしたいですね。

 

布袋中学校の歴史(6) 新校舎建設

画像1 画像1
画像2 画像2
 昭和46年8月2日に木造校舎の本館東半分の取り壊しが開始され、現在の鉄筋校舎の建築が始まりました。
 
 昭和47年2月28日に第1期−本館中央部が完成します。

 昭和48年3月10日に第2期−本館の両端部が完成します。

 昭和48年8月15日に第3期−北館ができます。

 昭和48年8月の学校全景の航空写真を見ると北館の東部は、まだありません。

 創立30年記念誌には
 「昔なつかしい木造校舎が次ぎ次ぎと姿を消し、2年半ばで、近代的な鉄筋校舎に粧いを新たにしました」
 「当時は、生徒諸君も転々として席暖まる暇もない毎日でしたが、よく困難な状勢に耐え、かえって各方面に、優秀な成績を収め、静穏な内にも、人生開拓の精神力の強い布中健児の真価を発揮して、又学校づくりに献身的な努力を尽し…」と書かれています。

布袋中学校の歴史(6) 旧体育館

画像1 画像1
 昭和41年2月28日に、布袋中学校の最初の体育館が竣工しました。
 当時、布袋中学校に必要なものは体育館であると言うことで、学校関係者や地域の方が建設にあたり、大変努力をされたそうです。おかげで、布袋中学校に、江南市で第1号となる、最初の体育館ができました。この体育館ができるまでは,朝礼などは、運動場で行っていました。また、式の時は、北舎の3教室の戸仕切りを外して式場にしていました。

 昭和40年度の卒業式を、この新しい体育館で行いました。その時の卒業生の方が、創立50年記念誌に「3年生の時、立派な体育館が完成し、そこで私たちの卒業式を行っていただきました。その時のことは昨日のことのように思い出されます」といってみえます。 

布袋中学校の歴史(5) 伊勢湾台風

画像1 画像1 画像2 画像2
 昭和34年9月26日の伊勢湾台風は、校舎のガラスや屋根瓦、国旗掲揚塔(くの字に曲がる)、校庭の樹木に被害が出たようです。

 創立50周年記念誌には、当時生徒だった方の次のような記述があります。
「台風一過の翌日は、雲一つない秋晴れで、空の青さがやけにしみました。その日は先生方と全校生徒で校内の後片付けに大わらわの一日でした。
 その年は台風被害のために楽しみにしていたはずの遠足と運動会がやむなく中止になったと記憶しています。」

 大切な行事にまで影響を与える大変な台風だったようです。

布袋中学校の歴史(4) 昭和33年に竣工した別館

画像1 画像1
画像2 画像2
 昭和32年には、尾北高校の改築に伴い、不要となった校舎を購入しました。この校舎の移動には、保護者や地域のみなさんの勤労奉仕に頼り、板とコロとウインチを使って、本校の東南角(現在の正門と体育館の間)へ移動しました。

 夏の炎天下の中、建設業者だけでなく、校下のみなさんが、毎日交代で弁当を持って、総力で移動させました。そして、特別教室として音楽室・図書室・料理教室・礼法室に利用されました。当時から、尾北高校とは、関係が深ったようです。グランドも境のフェンスや樹木もなく共用していました。

上の写真が、その別館が竣工した時のものです。(昭和32年11月)
 下の写真が、昭和33年5月の航空写真です。写真 右下に、別館が見えます。

布袋中学校の歴史(3) 木造校舎の全景

画像1 画像1
画像2 画像2
 平成25年3月17日に木造平屋建(普通教室2、特別教室2)が完成し、予定していた校舎がすべて完成しました。下の写真は、その竣工式の時の写真です。式の時は、3つの教室の仕切りを取って、写真のような式場にしたようです。

 上の写真は、昭和29年6月の江南市の誕生を祝した布袋中学校の全景の航空写真です。1番南は本館校舎で2階建、そして平屋の中校舎と北校舎があり、北校舎は教室兼講堂となっていました。行事があれば講堂に早変わりする便利な校舎でした。しかし、教室として授業を行っている時は、仕切りの板しかなく、隣の授業をしている先生の声が、お互いに良く聞こえたそうです。

布袋中学校の歴史(3)

画像1 画像1
画像2 画像2
 上の写真が、昭和24年5月 本館(木造2階建)の工事をしている写真です。同年7月にこの本館は完成します。

 下の写真が、その本館前の庭に植木作業をしているところです。
 
 戦後間もない時期の校舎建築であり、資材の乏しい中、地域の多くの方の努力もあり完成したようです。卒業生の皆さんや地域の方に長く愛されました。
 

布袋中学校の歴史(2) 校章

画像1 画像1
画像2 画像2
 開校した年の昭和22年5月20日に、校章が決定しました。
 昭和22年7月7日の布袋中学校文芸部が発行した「布袋中学新聞」には、次のようなことが書かれています。

「−校章決定まで−
 諸君我等待望の校章が決定した。我等の手によって我等の校章、我等の一人一人がありったけの知恵をしぼって考え出した結晶なのだ。多数の優秀な図案中より……」
という記述が残っています。生徒に「校章」の図案を募集したのでしょう。作成に向けて生徒達の意気込みが伝わってきます。

 そして、1年生の女子が考えた図案が決定され、男子用(帽子用?)と女子用(制服の胸用?)が決められたようです。

布袋中学校の歴史(1) 建設前の敷地と第1期(第1号校舎)

画像1 画像1
画像2 画像2
 本日より、布袋中学校の歴史について掲載していきます。卒業生の皆様にもご覧いただければと思います。

 布袋中学校は昭和22年4月18日、戦後の学制改革(小学校6年・中学校3年)により、新制中学校として、布袋町立布袋中学校として開校しました。

 最初は、布袋小学校の南木造2階建校舎を借り受けスタートしたようです。しかし、すぐに町政の大事業として布袋中学校の敷地は、現在の尾北高校(当時は丹羽高等女学校)の東の梅林、笹の生えた一体に決定されました。(上1枚目の写真)

 翌23年2月18日より、第1号校舎(木造平屋)の建設が始まりました。(上2枚目の写真)

 創立50年記念誌に、第1回卒業生の方が、布袋中学校が建つ前の敷地の様子について次のように述べて見えます。
「現在の中学校の敷地は奥山と呼んでいました。雑木林で背丈以上の笹竹が茂り、昼間でも薄暗く恐いところでした。夏の朝早く行くと、カブト虫、ゲンジ(クワガタ)、カンネブンブン(カナブン)がとれました。ドングリも沢山拾えました。こんなに立派になるなんて想像もつきませんでした。」
本当に、今からは、想像もつきませんね。
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        
学校行事
4/6 2・3年生登校日(式準備)
着任式
江南市立布袋中学校
〒483-8157
愛知県江南市北山町西7
TEL:0587-56-3063
FAX:0587-56-3349