最新更新日:2024/04/18 | |
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「思いやり橋」どうしてこんな名がついたのだろう?1960年(昭和35年)頃、建設省の木曽川河川改修工事のため、木製の小網橋の撤去が必要となり、架け替えが計画されました。しかし計画では幅3mの狭い橋でした。3mですから車はすれ違えません。そこで橋の中央部に長さ10m、幅5.5mの待避所を儲けたのです。そこですれ違うようにです。 しかし、計画した当時に比べ車が多くなり、度々トラブルも生じました。口喧嘩、取っ組み合いもあり、警察沙汰もあったと聞いています。それが「けんか橋」と言われるゆえんです。地元の方々が中心となり、譲り合いの気持ちをもとう呼びかけられ、譲り合いの看板を設置するなどして「けんか橋」から「思いやり橋」へと変わっていったのです。 この事柄から、2003年(平成15年)、公共広告機構(現:ACジャパン)が思いやりをテーマとした広告を製作。中部地方限定で広告されたこともありました。 ※写真は架け替えられる前の「思いやり橋」です。 「思いやり橋」 公共広告機構(現:ACジャパン)です。良かったら観て下さい。 http://nicotter.net/watch/sm29431169 |
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