最新更新日:2024/03/18
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校訓「正しく 明るく 健やかに」

言われて気づくこと

 今日の集会では,先週行った文化祭に関わる内容の話をしました。

 2週続けて台風がこの地方に来ました。今回は暴風警報が発令されることもなく,無事に学校が始まりました。当たり前のように朝が来て,当たり前のように学校が始まる。このことを改めて感謝したいと思います。
 先週の金曜日に文化祭を行いました。2学期に入り,体育祭,文化祭と大きな行事が二つ終わりました。あとはマラソン大会を残すぐらいでしょうか。このような大きな行事があると,私は学年の先生,特に担任の先生をとてもうらやましく思います。生徒の皆さんは,行事に向けて本当に一生懸命取り組みます。そんな皆さんに対して,先生たちは強い思いを持って関わっています。いいものを創り上げて欲しい,準備や練習を通して学年や学級の絆を強め,深めて欲しい,人として大きく成長して欲しい,そんな思いです。もちろん,私も皆さんに対する思いは強く持っています。しかし,皆さんと直接関わることができ,喜びや苦しみを共有できる学年の先生をうらやましく思うのです。
 文化祭が終わり,品中生が退場した後,ホールの掃除をされた方から「こんな学校は見たことがない」という話がありました。全くゴミが落ちていない,椅子はきちんと折りたたんであったということで,このことを指しての言葉でした。この話を聞いたとき,品中生なら当たり前であり,「そうなんだ」ぐらいにしか思いませんでした。しかし,市内の中学校や近隣の高校など,多くの学校が文化センターを利用し,その後の掃除をしてみえる方からの言葉として考えてみると,これは決して当たり前のことではないと思いました。当たり前と思っていることは,人から言われて初めてその素晴らしさに気づくもので,改めて伝えることの大切さを思いました。当たり前のことは,良いことばかりではなく,悪いことの場合もあります。その場合,その人が当たり前にやっていることだとすると,本人は気づきません。そんなときにはやはりそっと伝え,本人に気づいてもらうべきです。ここで大事なことは,本人に伝えるということ。本人に言えば,それはアドバイスとなります。しかし,本人には言わず他の人に言ったとすると,これは陰口となり,決して良い結果にはなりません。悪い点を本人に伝えるのは勇気のいることです。なかなか面と向かっては言いにくいものです。でも,本人が気づいていないとすれば,伝えることは本人のためになることです。
 良い悪いにかかわらず,気づいたら本人に伝えたいですね。本人にとっては当たり前のことかも知れませんから。

行動が変わる

 今日の集会では,私がお彼岸に墓参りに行ったときのこととリフレーミングについての話をしました。

 一昨日の土曜日は秋分の日でした。秋のお彼岸の中日(ちゅうにち)でもあります。中日とは真ん中の日という意味で,お彼岸は中日の前後3日間と合わせて七日間です。お彼岸には,古くから墓参りをするという習慣があります。私も行ってきましたが,そのときに思ったことを二つ。
 さすがにお彼岸の中日ということで,多くの人が墓参りに訪れていました。すれ違うときには,どちらからともなく「こんにちは」とあいさつを交わしました。でも,中にはあいさつをしても「え?」という感じで返してくれないこともありました。改めて思ったのですが,全く見ず知らずの人でも,あいさつを交わすことによって何となく心が通じたようで,とてもうれしい気持ちになりますね。
 お墓によっては雑草がボウボウに生え,草むらの中に建っているかのようなお墓もあります。何らかの理由でそのお家が絶えてしまったのか,あるいは絶えてはいないものの,事情があって墓参りに来られないのかも知れません。ですから,これはけしからん,などとは思いませんが,なんとなくご先祖様が気の毒なような気がしました。
 さて,皆さんの前にコップがあり,水が半分入っているところをイメージしてみてください。これを見て「もう半分しかない」と思うか,「まだ半分もある」と思うか,どちらでしょう。
 保健室の壁に,「リフレーミング」について掲示されています。そこには,「リフレーミングとは『フレーム』をかえて見ることです」とあります。「フレーム」は,枠とか型といった意味です。「リ」は言葉に付けることで「変える」といった意味になります。「リホーム」などはその例ですね。コップに入った半分の水も,見方を変えたり状況によったりで随分違ってとらえられます。例えば砂漠の中でそのコップを見れば,「半分しかない」となるでしょうが,薬を飲む場面では「半分もある」となります。
 保健室の掲示では,人の性格について,短所と思われてもそれは短所とは限らない例がいくつか示されています。「頑固」という性格も,「一貫性がある」「意志の強い」「信念がある」という見方をすれば,長所となります。「臆病」についても,「慎重」「用心深い」「きちんとしている」と考えることができます。
 皆さんも,これから先,失敗したり苦しい場面に出合ったりすると思います。そして,落ち込んだり悲観したりすることもあるでしょう。失敗したことや場面は事実として変えることはできません。しかし,見方を変えることはできます。例えば,英語検定の合格を目指し,学校の宿題もこなしながら何日も一生懸命勉強したにもかかわらず合格できなかったようなとき,深く落ち込んだり自信を失ったりする人も多いでしょう。でも,そんなときこそ「こんなにも頑張れた」「今回勉強したことは無駄ではなく,次回に生かせる」「挫折を経験したことは自分にとっては大切な経験だ」といったように見方を変えることによって気持ちが楽になるでしょうし,さらに次への一歩を踏み出せるきっかけともなります。
 一つの事実に対してどのようにとらえるのか,どのように考えるのかによってその後の行動が違ってきます。事実が変えられないとしたら,その事実に対するとらえ方を変えてみましょう。
 また,自分や友達の性格も,短所と思っていたことが見方を変えれば長所となるのです。そうすることによって,自分や友達に対する見方まで変わり,よりよく付き合うことができます。
 「リフレーミング」をいつも心がけたいですね。

心の一時避難場所

 今日の集会では,ある会社の社長さんが北野たけしさんにインタビューしたときの内容について話をしました。

 昨日一昨日とせともの祭でした。美術窯業部やA組の人たちは,廉売市で一生懸命販売活動をしました。皆さんの中には,家族や友達と出かけた人もいるでしょうし,お祭りには行かず,部活動を頑張った人もいるでしょう。それぞれどのような休日を過ごしたのでしょうか。今日は月曜日。新しい週の始まりです。
 さて,皆さんは,北野たけしという人を知っていると思います。映画監督であり俳優であり,テレビ番組のコメンテーターとしても活躍しています。彼は,今から40年ほど前,ツービートというコンビ名で漫才師として登場しました。「赤信号,みんなで渡れば怖くない」という有名な言葉は彼らの漫才のネタです。(集会でこの言葉について聞いたところ,ほとんどの生徒は知らなかったようで,世代の違いを感じてしまいました)。これは,ルールを無視することを勧めているわけではなく,みんなでやれば気持ちが大きくなってしまうという,集団心理について言っているのだと思います。そんな彼に,ある会社の社長さんがインタビューした記事を読んだことがあります。
 社長さんはたけしさんに「現在と違う仕事をするとしたら,何を望みますか?」と聞きました。たけしさんは「プロ野球選手。しかもジャイアンツの4番で,デビューしてすぐに三冠王やMVPを何年も連続して取る,そんな選手を神様にお願いしたい」「でも,それではファンも自分も飽きてしまうから,スランプも経験し,こいつはもうダメだと世間から思われる頃に,復活して活躍する。こんなドラマチックな人生の演出も神様にお願いしたい」 こんなふうに答えました。そして「でも,それって,普通だよね。普通の選手だよね。神様にお願いしていない状態と同じだよね」と続けました。
 この社長さんは,会社の経営が苦しくなったときなど,このインタビューを思い出すそうです。そして,人間は100%の満足には絶対飽きが来ると思うし,自分は間違いなくそう言えると言っています。ですから,確かに自分も山あり谷ありの演出を望むかもしれないが,それは結局,今の人生そのものでしかない,ということです。
 私は,生徒の皆さんには,夢や目標を持ち,その実現を目指して日々努力を続けて欲しいと思っています。この努力が毎日をハリのあるものにし,それが皆さんを成長させてくれます。ですから,夢や目標をあきらめて欲しくないのです。しかし,現実はそうそう甘いものではありません。苦しくて投げ出したくなることもきっとあります。そんなとき,たけしさんのインタビューを思い出し,ちょっとした心の一時避難場所にして欲しいのです。そして,改めて気を入れ直し,夢や目標に向かって欲しいと思います。
 でも,ちょっと考えてみると,そんなことの繰り返しこそが人生そのものであり,普通のことなんですね。

2学期始業式式辞

 先週の金曜日9月1日に2学期の始業式を行いましたので,そこで述べた式辞の内容を載せたいと思います。

 暦の上では既に秋ですが,まだまだ夏がいろいろなところに残っています。しかし,今日(9月1日)はとてもさわやかな日になりました。雲一つない秋晴れです。夏休みの間,大きな事故や事件に巻き込まれたり,命に関わるような災害や病気にあったりという報告は聞いていません。皆さんがこうして元気に始業式を迎えることができ,うれしく思っています。
 先日の出校日当日,夏休みが残り2週間となったこの日になぜ出校日があるのか,その一つの理由は,そろそろ2学期に向けて気持ちを高めましょう,といった意味がある,という話をしました。皆さんどうでしょうか? 「さあやるぞ」「こんなことにチャレンジしてみたい」と気持ちを高めているでしょうか。中には「もう夏休みが終わっちゃって2学期かあ」と,気持ちが落ち込んでいる人もいるかも知れません。「サザエさん症候群」と言われる症状があります。日曜日の夕刻,「サザエさん」の番組を観て,土日の休みが終わり,明日から学校や仕事が始まると思うと,何となく憂鬱な気分になる,といった症状です。こんな症状が出ている人はいませんか? どんなに楽しいことでもいつか終わりが来ます。終わりがあるからこそ新たなことを始められます。新たなことを始められるから次へのステップに進むことができ,成長もあれば未来も開けます。押さえきれないほどの気持ちの高まりを持って2学期をスタートさせたいものです。
 さて,2学期は多くの行事に取り組みます。体育祭や文化祭,あるいは外部の方をお招きしての講演会など。体育祭や文化祭は準備が肝心。準備を通して学級や縦割り,学年の団結や絆が深まります。また,個々の能力も高まります。体育祭の応援合戦に向けては,3年生が既に準備を進めています。夏休みに登校して一生懸命取り組んでいる姿には本当に感心しました。この3年生の心意気を是非とも感じ取り,1・2年生も応援の準備に力を入れてください。
 講演会では,その分野のエキスパートや豊かな経験をお持ちの方からお話を聴きます。じっくりと耳を傾け,様々のことを感じ,考えて欲しいと思います。疑問点や意見を積極的に発言し,生徒の皆さん同士で互いに考えを深め,広げていけたらと思っています。
 行事はもちろん大切ですが,日々の活動はもっと大切です。授業や掃除,各種活動など。また,それらの活動の中で生まれる人との関わり。行事と日常が相互に影響し合い,人として大きな成長となるのです。
 今日は「二百十日」という日でもあります。これは,立春(今年は2月4日)から数えて二百十日目ということです。農家では,しばらくすると収穫期に入りますが,台風の季節でもあります。ですから,そろそろ台風に備えて準備を始めようという意味でこのような日を決めています。防災の日も9月1日。今年はたまたま同じ日になりました。
 このような話をするのは,生徒の皆さんには,日々を健康で安全に,安心して過ごして欲しいと思うからです。災害はもちろんですが,交通事故や病気などから身を守り,いつも元気でいて欲しいからです。そういった意味で,学校に危険があってはなりませんし,安心して通うことができる場所でなくてはなりません。1学期の終業式で,人の物を持って行ってしまう人がいるという残念な話をしました。そういった意味も含めて,品野中学校を安全で安心して通える学校にしていきたいと思っています。
 さあ,2学期が始まりました。生徒の皆さんは,多くを経験し,様々なことを感じ,大いに成長して欲しいと思っています。皆さんにとっても実りの秋となるよう,強く願っています。

終業式 式辞

 今日は1学期の終業式を行いましたので,そこで述べた式辞の内容を載せたいと思います。

 先週の土曜日,私はこんなふうにして一日を過ごしました。
 午前中は中総体に出場した女子バスケットボール部の応援,そして午後は男子の応援。その後は祇園祭のセレモニーで,我が品野合唱団が歌声を披露するので,それを聴きに。そして最後は祇園祭の会場を散策。
 バスケットボール部の試合では,最後まであきらめることなく力一杯プレイする姿を見せてくれました。リードされている中,時間は刻々と過ぎていきます。見ている誰もが敗戦を覚悟したでしょうし,何と言っても選手たちがそのことを最も感じていたのかも知れません。それでも最後まで相手に食らいつき,必死でボールを追う姿に感動しました。
 品野合唱団は,有志によって組織されました。多くの生徒が自ら手を挙げて,練習や本番に参加してくれました。その心意気をとてもうれしく思います。会場で地域の方が,「素晴らしい歌声をありがとう。明るくてさわやかな品中生ですね」と言ってくださいました。また,美術窯業部の人たちが飾り付けをしてくれた子ども御輿には,多くの小学生が担ぎ手として参加し,大好評だったようです。日頃から職場体験などでお世話になっている地域の方にこのような形で喜んでいただき,生徒の皆さんの心が伝わったのだと感じました。
 祇園祭では,品野の文化と伝統を感じました。また,すれ違う生徒がきちんとあいさつしてくれたり楽しく明るい表情を見せてくれたりしました。
 このように,この日は皆さんの素敵な姿を随所で見ることができました。
 さて,1学期も大詰めの今日,振り返ってみると,やはり皆さんの素敵な姿をたくさん思い出します。修学旅行などの大きな行事,普段の授業,清掃活動や部活動など,さすが品中生だと感じる場面が幾度とありました。2学期も大いに期待しています。
 非常に残念ではありますが,ここで話しておかなければならないことがあります。学年集会などで聞いて知っている人もいると思いますが,生徒の持ち物がなくなるということがありました。誰かが持って行ってしまったということです。なぜ持って行ったのかは分かりませんが,どのような理由があろうとも,これはあってはならないことです。被害にあった人の心情を思うと心が痛みます。同時に怒りを覚えます。
 かつて,学校によっては,個人のロッカーや教室に鍵をかけて安心・安全を守っていたところがありました。しかし,品野中はそんな学校ではないはず。例えば生徒玄関に置いてある本。自由に借りていき,読み終わったら元の場所に戻すという仕組みですが,これまでに置いてある本がなくなったことはありません。だからこそ本当に残念でなりません。このようなことが起こると,周りの人が信用できなくなるかも知れません。あるいは,あらぬ疑いをかけられ,さらに傷つく人が出る心配もあります。被害にあった人のショックや悲しみはもちろんですが,品中生全体に与える悪い影響もはかり知れません。今回のような心ない人は,ほんのわずかな人だと思います。残りの大多数は心ある人ばかりです。そんな人たちにまでこのような嫌な話をするのも非常に申し訳ない気持ちです。
 今後は,二度とこのようなことが起こらないよう,強く願っています。
 さあ,明日からいよいよ長い夏休みに入ります。できるだけ具体的な目標を定め,皆さん一人一人にとって楽しくて充実した夏休みにして欲しいと思っていますが,私からこれだけは是非と願っていることを話します。
 これは,長い休みに入る前に,毎回必ず話す内容ですが,それだけ大切だということです。それは,皆さんの健康と安全です。大きな病気やケガをしないよう,また,命を落とすようなことがあってはなりません。十分に気をつけてください。熱中症などの病気や大雨などによる災害,あるいは交通事故や犯罪に巻き込まれるなど,ましてや自ら命を絶ってしまうようなことは絶対にいけません。
 9月1日の始業式には,2学期の豊富を胸に抱きつつ,全員が元気に登校できるよう願っています。

山は哲

 今日の集会では,3年生の姿や「しなのday」の様子,登山について話をしました。

 今日の集会のとき,体育館に早めに集まっていた1・2年生が待つ中を,3年生が入ってきました。騒ぐことなく静かに,そして,少しでも待たせる時間が少なくなるように小走りする姿も多く見られました。中には一礼をする人もいました。1・2年生にとって,とてもよいお手本になったと思います。
 土曜日に「しなのday」を行い,体育館では全体合唱と各学年による合唱を披露しました。それぞれの学年で,今持てる力を存分に発揮し,素敵な合唱を聴かせてくれましたが,やはり3年生の合唱は素晴らしかったです。これも1・2年生にとって,目指すべきよいお手本です。各学年共にまだまだ完成ではありません。伸びしろは残っています。今後もさらに素敵な合唱を目指して欲しいと思っています。当日は学校評議員の方も参観され,合唱の素晴らしさだけでなく,あいさつや授業で学び合う姿を口々にほめてくださいました。
 さて,先日私は山に登ってきました。行き先は八ヶ岳。実は,八ヶ岳という山はありません。八つの山が集まったところを八ヶ岳と呼んでいるのです。私が先日登ったのは八ヶ岳の権現岳という山でした。既に雪はほとんど残っていませんでしたが,遠くに見える北アルプスや中央アルプスにはまだまだたくさんの雪が残っており,とても美しい姿を見せてくれました。
 登山家の岩崎元郎さんが,「山は哲」と言ってみえます。深い意味があると思いますが,私は,山に登るといろいろなことを考えさせてくれる,ぐらいにとらえています。実際,山頂を目指して登っているときは,一歩ずつ足を前に出したり,ときには岩場をよじ登ったりすることぐらいしかすることがありません。ですから,自然といろいろなことを考えます。
 山は,見る位置,見るときによって,それぞれ違った姿に見えます。こちらの方向から見ると三角形に見えても,別な方向からだと台形に見えるなどします。また,同じ山でも朝夕や季節によっても違います。
 山頂までのルートはさまざまあり,体力や経験などに応じて選択することができます。先日登った権現岳も,長野県側や山梨県側,あるいは県境の道をたどるなど,いくつかあります。
 山頂を目指して道に迷ったときに,なんとかなるだろうと無理に進むと遭難するなど,大変なことになる場合があります。迷ったときには一旦立ち止まり,周りの様子を眺めたり地図を確かめたり,後戻りしたりすることによって,目指す方向が定まります。
 多くの山は頂上に近づくほど登山道の斜度は増し,苦しみも増します。そして,苦しみが大きいほど頂上に立ったときの達成感は大きいものです。さらに,苦しみを乗り越えて頂上に立った者にのみ,すばらしい展望を見せてくれます。
 この,山について考えた文章の中の,「山」「山頂」といった言葉を「夢」「目標」といった言葉に置き換えてみてください。何か感じることがあるのではないでしょうか。

自浄(じじょう)作用

 今日の集会では,「自浄作用」について話をしました。

 生徒の皆さんの中で,北海道に行ったことのある人はそれほど多くはないと思いますが,北海道への行き方は知っているでしょうか。飛行機やフェリーを使う方法,青函トンネルを通って行く方法など,いくつかあります。青函トンネルとは,青森県と北海道との間にある津軽海峡という海の下を通るトンネルで,今から30年ほど前に完成しました。この青函トンネルができる前は,青函連絡船という船が運航し,本州と北海道との間を行き来をしていました。これは80年の歴史があり,多くの人や物を運んだようです。
 先日読んだ本の中に,こんなことが書かれていました。作者が昭和の30年代前半,今から60年ほど前,青函連絡船に乗ったとき,ゴミが出たら海に捨ててください,と言われたそうです。今では考えられません。ゴミが出たらゴミ箱に捨てるか,自分で持ち帰ってきちんと処分するか,これが今では当たり前です。当時はなぜゴミを海に捨ててもよかったのでしょうか。海には自浄作用というものがあります。少しぐらいのゴミなら,海は自分の力で分解し,きれいにすることができるのです。ところが今ではゴミが大量に出るようになり,また,ビニールやプラスチックなど,海では分解できない物を人間は発明し,使うようになったのです。これではいくら海に自浄作用があるとはいえ,限界を超えています。
 自浄作用は海に限ったものではありません。我々人間の中にもあります。守るべきルールやマナーを破ってしまえ,今が頑張りどきなのに怠けてしまえ。こんな気持ちになったことは誰にもあるはず。しかし,そんなときでも,これではいけないと考え直し,するべきことをきちんとする。こんな経験もあるはず。これが人間の自浄作用です。自律,とも言えます。
 自浄作用は個人だけでなく,集団の中にも存在します。授業中集中すべきなのに,他ごとをしてしまう人がいる,ゲーム機を学校に持ってきて遊んでいる人がいる。そんな人たちに,「きちんとやろうよ」「もって来ちゃダメじゃない」と注意ができ,注意したことを冷やかすこともなく,注意をきちんと聞いて正せる人たちの集団,こういった集団は自浄作用があると言えます。
 自浄作用のない集団は,どんどん悪い方向に進んでいきます。人は,たいてい苦しいことや我慢することは避け,楽な方,楽しい方に行こうとするからです。一方,自浄作用のある集団は,どんどんよい方向に進んでいきます。
 さて,皆さんの学級や学年には,自浄作用はあるでしょうか。品野中学校には自浄作用はあるでしょうか。
 常に自浄作用のある集団でありたいものですね。

修学旅行

 本校では明日から3年生が修学旅行に出かけます。そこで今日の集会では,修学旅行について,自分の思い出も交えながら話をしました。

 今週は修学旅行と1年生の校外学習,再来週には2年生の野外活動があります。大きな行事がありますが,準備,本番,そして終わってから,多くの体験を通して様々なことを感じ,学んで欲しいと願っています。
 3年生は明日から修学旅行に出かけますが,2年生は来年,1年生は再来年の今頃,やはり修学旅行に行きます。今から40年以上前,私も小学生や中学生時代に修学旅行に行きました。しかし,そのときの記憶はあまり残っていません。教員になってから何度も修学旅行に行っていますから,記憶がごちゃ混ぜになって薄いのかも知れません。でも,いくつかの記憶はしっかり残っています。
 中学生のとき,1泊目は東京都内でした。夜の東京を,バスに乗って宿に向かいます。車窓から眺める夜の東京は,ネオンサインでキラキラと輝き,とても美しく明るく,さすがに大都会東京だと強く印象に残りました。
 小学生のときは伊勢,鳥羽方面に行きました。学校に集合し,バスに分乗して名古屋駅に向かうわけですが,3台来るはずのバスが1台来ません。名古屋駅を出る電車の時刻も迫っています。そこで急遽,保護者の方が自家用車を出してくださり,バスに乗れない人を分乗させて名古屋駅に向かい,無事に電車に乗ることができました。こんな出来事が思い出として残っています。また,今では考えられませんが,小遣いを持って行かなかったのです。では,土産代などはどうしたのかというと,電車に乗ってから,担任の先生から500円札を一人ずつに配ってもらいました。お札を受け取るときの情景は,今でもよく憶えています。
 当時の修学旅行は,見学地での行動はクラス単位でした。ガイドさんを先頭にクラスでまとまって移動し,説明を聞きます。そして次の見学地に移動し,また説明を聞く。こんな修学旅行が当たり前の時代でした。
 今は自分たちで見学先を決め,交通機関を使いながら自力で移動します。現在でもクラス単位でしか行動しない学校もあると聞きます。いろいろな理由があるとは思いますが,少なくとも品野中ではそうではありません。
 様々なトラブルに巻き込まれても,自分たちで解決できるだろう。移動中や見学先で,ルールやマナーを守れる人ばかりだろう。集合時刻に間に合うように行動できるだろう。体験を通していろんなことを学んでくれるだろう。皆さんに対するこんな思いや信頼が先生たちにあるからこそ,自分たちで見学先を決め,自分たちで行動できるのだと思います。このことは,修学旅行だけに限らず,校外学習や野外活動でも言えます。自分たちは先生たちから信頼されているのだ,ということを,常に頭の隅に置いておいて欲しいと思います。

テストの目的

 本校では今週,中間テストを行います。そこで今日の集会では,テストの目的について話をしました。

 本校では衣替えの期間に入りました。気象条件に合わせ,夏服でも冬服でもどちらを着用しても構いません。今日の集会では,ざっと見渡したところ,夏服を着ている生徒はチラホラといった感じでした。これから気温が上昇してくると,多くの生徒たちが夏服になり,衣替えの期間が終わる頃には全員が夏服に替わります。
 先回の集会講話では「穀雨」の話をしました。この頃の雨はあらゆる穀物に恵を与えますが,穀物だけではなく,全ての植物がぐんぐん成長する時期です。ちょっと前までは枝に全く葉がついていなかった木々も,すっかりと新芽が吹き,優しい淡い緑色が目に鮮やかです。そんな緑も季節が進むにつれて深い色合いに変わり,目にしみるほどになります。そして,やがては実りの秋を迎えます。
 今年度がスタートして1か月。毎朝校門付近にいると,1年生も,ほとんどの人たちが自分から進んであいさつしてくれるようになり,随分品中生らしくなったなと感じると共に,うれしく思います。中間テストの後からは,部活動に1年生も正式に参加し,3学年がそろって本格的に活動が始まります。部活動だけではなく,修学旅行や野外活動など,各学年の行事や委員会活動など,様々な取り組みが本格化します。生徒の皆さんも,これらの活動を通してぐんぐん成長し,どのような実りを見せてくれるのでしょうか。とても楽しみです。
 さて,もうすぐ中間テスト。1年生にとっては初めての経験です。
 ところで,テストを行う目的は何でしょうか。一つは皆さんの学習に関する成績を付けるための資料です。ですから,この目的が大切なものであるには違いありませんが,もっと大切な目的があります。それは,テストを通して学力,特に得点力を高めることです。テストに向けて勉強し,努力すること。このことが皆さんの得点力を高めます。ですから,何の準備,勉強もすることなくテストをただ受けるだけでは意味がありません。テストとは嫌なものです。しかし,テストに向けて準備をしっかりとすることによって,その成果がテストによって確かめられると考えれば,嫌なテストも楽しみになってきます。テストを楽しめるように準備を進め,前向きにテストをとらえたいですね。
 テスト終了後は答案用紙が返却されます。得点も気になるところですが,正解や不正解の内容に注目してください。不正解だった問題については,なぜ正解できなかったのかをきちんと把握すること,そして同じ問題に出合ったときには今度こそ正解できるようにしておくこと,これが皆さんの得点力をさらに高めます。
 テストの目的をしっかりと意識して頭を働かせ,行動する。頑張ってください。

「合う」あれこれ

 今日の集会では,先週の「穀雨」について触れた後,「合う」について話をしました。

 随分暖かくなり,そろそろ衣替えかなと思う季節になりました。先週の木曜日,20日は二十四節気の一つ「穀雨」でした。二十四節気とは,1年を24の節に分け,それぞれに名前を付けたものです。「立春」「夏至」「秋分」「大寒」なども二十四節気で,これらは生徒の皆さんもよく知っていますね。
 「穀雨」は種まきや田植えの頃に降る雨,という意味で,この時期の雨はあらゆる穀物に恵を与えると言われています。ですから,この時期から農作業の準備を始める農家も多いようです。雨降りの日はちょっと残念な気がしますが,恵みの雨と思えば,雨に対しても感謝の気持ちを持つことができるかも。ちなみに,「穀雨」の次の二十四節気は「立夏」。暦の上では春も終わりを告げ,夏に向かっているということですね。
 さて,話は変わり,「合う」について。
 たくさんの物をみんなで「分け合う」のと「奪い合う」のとでは,それぞれの人の手元に物が残るという意味では,結果的にほとんど変わりがありません。しかし,その人たちの心の中身は随分違います。分け合っているときは,他の人にも心を配り,自分はこんなにもたくさんもらっていいのだろうか,あの人にももっと受け取ってもらおう,なるべくみんなが同じになるように,といった他を思いやる心が働きます。奪い合っているときにも他の人に心を配ります(他の人が気になります)が,そのときの心は,人よりも少しでも自分がたくさん手に入れよう,人のことはどうでもよく,自分さえよければ,と。そこには思いやりの心はありません。みんなが物を手にした後も,分け合ったときは誰もが満足し,ゆったりとした心に包まれることでしょう。しかし,奪い合った後には,必ずと言っていいほど不満に思う人がいます。また,何となくギスギスした雰囲気にもなるでしょう。
 現代は競争の社会と言われます。同じ競争でも,「競い合う」のと「足を引っ張り合う」のとでは随分違います。競い合うとは,互いに成長し,向上することを期待します。ですから,競い合うところには相手の成長や向上を喜ばしく思う気持ちがあり,そこには前進があります。一方,足を引っ張り合うところに前進はありません。自分が前進しなくても,相手が自分よりも後ろにいればいいのです。さらに,自分が後ろに下がったとしても,相手がもっと下がればいいのです。そんなところには成長も向上もありません。もちろん本当の幸せを感じることもないでしょう。あるとするならば,それはゆがんだ自己満足です。
 本校の授業で取り入れている「学び合い」は,どのような「合う」なんでしょうか。また,どのような「合う」にすべきなんでしょうか。

年度の初めに

 今年度も新学期がいよいよスタートしました。昨年度に引き続き,「校長室より」原稿を載せていきます。内容は,集会での講話や式辞を中心に,日頃考えていることや,本校の生徒への,校長としての思いを綴っていくつもりです。つたない文章ですが,ご一読いただければ幸いです。

 本日は,入学式と始業式を行いました。そこで,始業式で述べた式辞の内容を載せたいと思います。
 先ほどは,新1年生84名を迎え,入学式を行いました。また,新しく品野中学校に転入した職員の紹介を行いました。そして,始業式。新しい仲間を迎え,いよいよ平成29年度のスタートです。こうして3学年がそろい,無事にスタートできることを,まずは喜びたいと思います。
 先ほどの入学式では,次のような話をしました。2・3年生の皆さんには以前から折に触れて伝えていることですが,改めて意識してください。
 まずは,命を大切にして欲しいということ。自分はもちろん,自分以外の命も大切にしてください。これを強くお願いしたいと思います。
 次に,心を鍛え,育てようということ。行事や授業など,日々の生活の中で,強い心,感性豊かな心,優しい心を鍛え,育ててください。
 さて,2・3年生の皆さん,昨年,全校生徒が体育館に集まって行う全校道徳では,いろいろなテーマで話し合いをしました。その中の一つに,「残したい品野中の伝統は何か」というテーマがありました。合唱やあいさつ,掃除,応援合戦など,様々な意見が出されましたが,その中に,「伝統を引き継ぐという伝統」といったものもありました。これは,上級生の良い姿を下級生が見て,それを引き継ぐということです。例えば,3年生の合唱を1・2年生が聴き,その素晴らしさを1・2年生が引き継ぐ。あるいは2・3年生が自ら進んであいさつをする姿を1年生が見て,自分もあいさつしようとする。こういった姿勢を皆さんが持つことによって,品野中のよい伝統が,これから先もずっと引き継がれます。そして,皆さん自身の成長につながります。このことを常に意識して学校生活を送って欲しいと思います。
 昨日,3年生が学校に来て,入学式の準備をしてくれました。掃除や会場作り,教科書の配付など,本当に一生懸命活動してくれました。おかげで立派に入学式を行うことができました。3年生の皆さん,ありがとうございました。
 さあ,今日から新しい年度が始まりました。皆さんがどのような素晴らしい姿を見せてくれるか,楽しみにしています。みんなで品野中学校をより良い学校にしていきましょう。

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