最新更新日:2024/04/24 | |
本日:2
昨日:27 総数:440308 |
キャリア教育とはキャリアとは、「職業・技能上の経験。経歴。」のことを言う。 キャリア教育とは、職業に就いて、経験を積むことができるような能力のことと考える。 知・心・体の部分で職業につけるように育成することである。 では、職業につくこととは、一体何か。 これは、生活のためにお金儲けをすることである。 ラーメンやならば、ラーメンを売ってお金を稼ぐことである。 サラリーマンならば、その会社の仕事をすることで、お金を稼ぐことである。 接客業ならば、笑顔で接してお客さんに喜ばせて、お金を稼ぐことである。 教師ならにば、子どもの知と心を育ててお金を稼ぐことである。 人間生きるためには、お金が必要である。 そのためには、お金を稼ぐことが大事だと教えなければならない。 お金は汚いなんて、教えてはならない。 正当な努力で稼ぐことは正しいことである。 もちろん、生き甲斐が大事なのは分かるが、生活費もなくして、生き甲斐なんかはあり得ない。 公務員は、誰から給料をもらっているか不透明だから、お金を稼ぐことが不透明になる。 子どもの親の税金から、教員は給料をもらっているのである。 親の願いにそうような教育をすることが、給料への対価である。 子どもに、キャリア教育をするということは、今たくさん勉強して、将来お金を稼ぐんだ。そのために、知と心と体を養うことを宣言すればいい。 そして、今の時代をさらに前進させるのが君たちの役割であると。 [学力アップを支援する志水廣の公式ホームページ] 算数語彙の研究会現在は、語彙指導のモデルについてまとめている。 今年度の研究の題材は4年生の面積である。 8月の日数教山梨大会で研究報告をする予定である。 1年間の成果2どの学年も大局的に見て向上していた。 志水メソッド+ミニテストの活用によって、成果がでてきた。 2月の志水塾九州大会において、研究主任よりミニテストの活用の報告があったが、これが実際の成果となってでてきた。 とても嬉しい報告である。 学校が一体化すると、学力は向上する。それぞれの学校の工夫と一体化こそが学力向上のかなめである。 この学校には昨年、2回訪問した。しかも半日ずつである。1回目の訪問の課題を二回目にはきちんと改善されている。熱心なのは、職員が愛知教育大学での講習会には職員を派遣し、福岡県である講習会には必ずほとんどの職員が参加する。ここが、一体化の根源である。校長先生・教頭先生、研究主任などの働きかけのおかげだと思う。感謝致します。 [学力アップを支援する志水廣の公式ホームページ] 1年間の成果「CRTの結果が、良かったです。 去年の結果と比べたら、伸びが良かったことと、社会の一つを除いてはどの領域もも全国平均を超えていました。 一年間の頑張りが実を結んだ気がして、うれしかったです。もちろん、これが全てとは思っていませんが。」 普通にやれば普通の結果しか出ない。 普通よりも上のことをすれば上の結果がでる。 本当は、普通にすれば、普通以下になる。これが真理である。 だから、普通よりかなり上のことをしないと、結果は出ない。 まして、さぼっていたら、見事に下がる。 だから、上の報告をされてきた先生は、普通よりもかなり上のことをした結果である。 それにつけても思うのは、授業力の公式である。 授業力={(教材把握力)×(子ども把握力)×(指導技術力)}×(精神エネルギー)である。 なかでも、子どもの実態をつかむことである。そこから、改善の手だてが考え出される。 [学力アップを支援する志水廣の公式ホームページ] 人事の季節人事の季節である。 人事は、「ひとごと」と書く。 つまり、自分では決められない出来事である。 誰かが人を動かしている。 だから人事異動は受け入れざるをえない。 さて、問題は異動した後である。 希望して異動しても、行った職場でうまく合わない人もいる。 希望しなかったのに、突然の異動があり、当初は戸惑い。やがて、本領を発揮する人もいる。 異動は、トランプのポーカーで配られた手のようなものである。 与えられた手に文句を言っているようでは、勝負に勝てるはずはない。 与えられた手で、どれだけ前進できるかである。 与えられた手をよく読み、自分も周りもハッピーになるような、次なる一手を考えていこう。 [学力アップを支援する志水廣の公式ホームページ] 相互補完スタッフの力量がみんな素晴らしいと、組織はうまくいくかというと、そうでもない。 それぞれがばらばらに行動するならば、個人の動きになってしまう。 今5人の人がいたとする。 a+b+c+d+eが組織としての力である。 このとき、a,b,c,d,eの動きが相互補完されているかどうかが大切である。 同じことを重複しているようだと、無駄なエネルギーのロスとなる。 相互補完の組み合わせこそが、組織内の人事である。 これがぴったりいくのかいかないのかで、4月からの学校経営が決まる。 校長の手腕が試される時期である。 [学力アップを支援する志水廣の公式ホームページ] 一斉指導と個別指導で学力が上がった一斉指導と個別指導の関係は、まず、一斉指導ありきである。 一斉指導でどれだけの子どもを「分からせる」ことができるめか。「できるようにさせる」ことができるのか。 そこが、第一歩である。 個別指導は後である。 では、個別指導しないでいいかとそうではない。 一斉指導ではどうしても救えない子どもがいるのだ。 だから、一斉指導と個別指導のバランスが大切である。 ヒント包含法、意味付け復唱法、適用問題定着法は一斉指導の技法である。 それに対して、○付け法は個別指導の技法である。 どちらも大切である。 本日、東北のある県の校長先生より連絡を受けた。志水メソッドの○付け法と適用問題定着法を1年間取り組んでみた。すると、NRTが50ポイントから57ポイントまで上がったという。嬉しい報告である。ぜひともセットで活用してほしい。 [学力アップを支援する志水廣の公式ホームページ] 子どもに委ねると 時間が短縮できる授業中、子どもに委ねると、時間が短縮できる。 教師が引っ張るよりも、子どもにゆだねる方が速いことがある。 それは次の条件のときである。 子どもが調べたい、考えたいと本気で思っているとき。 子どもが、調べる道筋、考える道筋が明らかになっているとき。 教師が子どもの動きを常に見て、瞬間的にアドバイスできるとき。 この3つの条件がそろっていると、子どもは動く。 [学力アップを支援する志水廣の公式ホームページ] 奈良県の高等学校の先生が研究室訪問昨年の1学期に語彙研究のことで相談に来られた。それ以来で二度目の訪問である。 濱田先生は、奈良県の長期研修員として昨年の3月に委嘱され、24年4月より県の研修センターで1年間研究されていた。 1学期に来られたときには、志水の語彙研究な゛とについて、ベネッセなどに問い合わせ、志水(と仲間の先生)が研究されていることを知り、尋ねて来られた。 6年前くらいからベネッセとともに組んで算数数学の語彙テストの開発研究を実施した。 その後、語彙の指導について毎年こつこつと授業研究をしてきた。これらを読まれて研究室に来られた。 実際の語彙テストの一部を見せて、濱田先生の語彙テストに役立つようにアドバイスした。 このとき、思ったことは、なんで高等学校の数学の先生が語彙研究に興味関心を持たれたかということであった。質問してみると、高校生でも数学の語彙の意味が不確かなことがしばしばあります。このことを抜きにして数学の学習はできないと日頃から感じておりましたという。そして、志水の研究にぶちあたったのである。 今回、研究のまとめとして、 『数学用語・記号の意味を大切にする視点を育成するための調査研究』という題目でレポートをまとめられた。 高校生1年生の2学期に調査されている。 語彙としては、「自然数」、「絶対値」、「累乗」など、26語を取り出して調査されている。非常に面白い結果がでている。この他の調査も行われている。 そのうち、奈良県の教育研究所がレポートして発表されることになると思う。 私としては、今回報告に来たいと連絡があり、とても律儀な方だと思った。志水らの初期の語彙テストと同じ手法を用いられており、役立ちとても嬉しい。 濱田先生と話していて、高校生に対してもきめ細かな指導が類推された。 ありがとうございました。今後のご活躍を願っている。 [学力アップを支援する志水廣の公式ホームページ] 表と裏つまずきの指導では、表の指導と裏の指導がある。 表の指導とは、当面現れた誤答に対しての応急処置である。 これは救急病棟のようなものである。 すぐに診断して、何らかの処置をする。 問題は、裏の指導である。一般病棟に移ってからの治療のほうである。 もともと病気になるのには、慢性の生活上のくせがあったはずである。 この原因を探りだし、こちらの生活改善をすることである。 そのためには、どういう実態があるのかをきちんと分析することである。 そして、どうすれば生活していくのかを子どもに提案することである。 表と裏の両面から攻めていこう。 [学力アップを支援する志水廣の公式ホームページ] この世の転生人は、この世で転生を繰り返す。 つまり、この世の中を生きていくとき、死んだり生き返ったりする。 もちろん、本当に死ぬわけではない。 この世での死とは、挫折体験の事を言う。 もうだめかと思う。苦しくて苦しくて辛いときがある。 でも、じっと我慢して動いていくと、新しい道が見えてくる。 このとき、生き返る。 しみじみと生き返ったことに感謝できる。 しかも、挫折体験で心が大きくなれる。 [学力アップを支援する志水廣の公式ホームページ] 心に対して親切な心に対して、親切な心で応じる。 また、親切な心を与えると、親切なことが返ってくる。 これが粋な心の交流。 [学力アップを支援する志水廣の公式ホームページ] 対話的説明型授業算数・数学の授業では、問題解決型授業が良いというのが定説である。 ところが、現状は、説明型授業が大半である。 説明型授業がそんなに悪い授業ならば、もうとっくに廃れているはずではないか。 問題解決型授業が旺盛をきわめているはずではないか。 現実は、ある意味真理を含んでいる。 つまり、説明型授業はベストとはいわないまでも、ベターである。 中学校、高等学校、大学にいたるまで、説明型授業が大半である。 これは事実であり、真理を含んでいる。 では、良いとか悪いとかの判断はどこですべきか。 子どもが「わかった」「できた」という声があがるかどうかである。 心の底から「ああ、わかった」と言えるような授業ならば、どちらの方であっても良い授業と認めたい。 ただし、この判断基準になると、結構、どちらの授業もうまく言っているかどうかとなると、あやしい。なぜなら、子どもが本当に考えているかどうかが問われるからである。 だから、私は、対話的説明型授業の効用をうたっている。 拙著 「算数力がつく教え方ガイドブック」には、そのあたりのことも含めて書いている。 http://www.meijitosho.co.jp/detail/4-18-540018-7 [学力アップを支援する志水廣の公式ホームページ] 明るい人は明るい人は、周りを照らし出す。 また、明るい人は、遠くまでを見通すことができる。 リーダーは明るい人でなくてはならない。 [学力アップを支援する志水廣の公式ホームページ] 熱く語るよりも熱く語ることは大切なことである。 語れなければならない。 でも、熱く語ると、聞いている方が引いてしまうことがある。 こうなると逆効果である。 相手の心に火を燃やすことがねらいである。 それには、相手の心のかすかな灯火を見つけて、少しずつ燃えるように風を送ることである。 大丈夫だよ。大丈夫だよと・・・。 その風がいつかは、小さな火となり、やがて大きな火となって燃えさかる。 キャンプファイアーのように。 教室経営でも、学校経営でも同じ原理である。 いけないのは、灯火に水をかけてしまうことである。 少しずつ風を吹いていこう。 緊張の原因は心がゆとりをもってくると、ちょつとしたことに腹を立てなくなる。 心が緊張状態にあるから許せなくなる。 その緊張はどこからきているのか。 ここの解明が大切。 何が堅く張り詰めさせているのか。 後から振り返れば、だいたいにおいて、どうでもいいことである。 どうでもいいことと判断するように、心をもっていこう。 人工と自然人工的な場所にいると、妙にイライラがつのる。 反対に、自然のある場所にいると、やすらぐ。 それがたとえ、荒々しい波の音であっても、やすらぐ。 不思議なものである。 知識と知恵ほんの12年前、これからは知識よりも知恵が大切と言われた。 だから、知識偏重教育はだめ。 内容の厳選と総合的学習が大切なんだと。 その当時、何を「あほな」ことを言っているのかと思った。 ある指導者は研究会で、知識より知恵が大事と高らかにうたった。 ならば、聞くが知恵だけを知っていても使えるのか。 豊富な知識がなければ知恵は生まれてこないのではないか。 知恵の格言だけを知っていても使えるのか。 時代は、急速に科学技術が進歩している。その際、知識がなければ新しい創造なんてありえないではないか。 子ども達には、もっともっと勉強しよう。読書もたくさんしよう。と言うべきではなかったのか。 そして、今は知識基盤社会だという。そこで、思考力・判断力・表現力が大切という。また、活用力も大切という。 知識偏重だと言っていたのが嘘のようだ。 要するに、知識と知恵はどちらも大切である。この世にうまれた限りはたくさんの知識と知恵を知り、新しい知識と知恵を生み出すような力をつけていきたい。 [学力アップを支援する志水廣の公式ホームページ] 花粉ショー気温が上がり、花粉が舞い散る季節となった。 眼がかゆい。 ハクション大魔王とともに鼻水たらたら。 ティッシュを慌ててとる。 その結果は鼻紙家の一族となった。 花粉ショーの開幕であった。 昨年はましだっが、今年はひどい。 眼を洗う。鼻うがいをする。ついでにのどうがいもする。 手の甲の指圧をする。 マスクで防衛。 でも、でるんだなあ。 ショウーがないか。 ご心配なく。本日は少し収まっている。 [学力アップを支援する志水廣の公式ホームページ] ごていあん年度末になり、来年度の企画が生まれる時期である。 ご提案することになる。 この「ていあん」の意味にはレベルがある。 「ご低案」ならば、困る。 「ご高案」でありたい。 すなわち、それは、「ご考案」である。考えて考えて練りに練った「案」でありたい。 すると、光り出す。 後光がさす、「後光案」である。 [学力アップを支援する志水廣の公式ホームページ] |
|