最新更新日:2010/06/11
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閉校にはなりますが、4月以降もこのサイトは存続します。「過去の記事」の2009年度をクリックすると、見られます。更新するとはありません。アクセス、ありがとうございました。

閉校記念誌を作る

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 「閉校記念誌」作りがほぼ大詰めです。
 思い出の作文を読んでいると、いよいよ閉校だなあという思いを強くします。
 
 小学校の子どもたちも、「太郎生小学校の思い出」という作文を書いています。
巡り合わせとはいえ、寂しい思いは否定できません。

 校舎の写真を撮りました。
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仕事日記

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1月9日、セミナーに参加しました。場所は東京大学の中にあるホー
ルです。東京大学に入るのは初めてです。昼休み、有名な安田講堂を見に
行きました。すると写真を撮っている人がいます。観光スポットのようで
す。
私も写真を一枚。
上の写真はセミナーのようす。9時30分から午後5時ま
で。授業をどう作るのかというのとを模擬授業などを通して学びました。
太郎生小の研修会で報告します。



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3学期の始業式

  3学期の始業式では初めて子どもたちに対して、太郎生小学校が3月末で閉校になることを伝えました。子どもたちすでに知っていることではあります。
 始業式ではもう一つ「夢を持とう」ということも話しました。エピソードとしては国際宇宙ステーションに長期滞在する野口さんのことと、火星の鮮明な写真を取り上げました。 
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太郎生見学会・4

 無事に試食までできました。少し忙しかったですね。
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太郎生見学会・3

 ソバ打ち体験をしました。場所は「清貧庵」です。
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答志島の写真

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注文された方、都合のいい時に学校へ取りにきてください。会議室に置い
てあります。
大きいので保護者の皆さんに直接、お渡しさせていただきたいと思いま
す。よろしくお願いします。



1月5日の連絡メールから

 地球温暖化のはずなのに、今年の冬は寒いですね。カゼなどひかないように、お互いに気をつけたいものです。
 冬休みも、残り2日となりました。子どもたち、宿題終わっているでしょうか。
 さて、昨日もお願いした「閉校記念誌」への原稿、あまり集まっていません。よろしければ「太郎生小の思い出」をお願いします。家族でも、知人でもOKです。ただし、1月8日までにお願いします。300字前後です。
 今日も、三重大学近くの印刷所へ写真を持って行き、打ち合わせもしてきました。 今日は、津市教委から数人が来校しました。備品を見るためです。いよいよ閉校が現実になってきました。でも、3学期の日々の学習をしっかりとしていくつもりです。
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年賀状

 年賀状をいただきました。静岡県の小学校からです。

 年末に遊んだカルタを作ってくれた学校です。子どもたちに年賀状を見せる前に、ホームページで一足先に公開します。
 ありがとうございました。カゼをひかないで、3学期もがんばって楽しく勉強してくださいね。

 
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満135歳の太郎生小学校

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 平成22年が始まりました。

 新しい年が始まるのは希望と夢にあふれたものでなくてはなりません。太郎生小学校の閉校も、次につながる「希望」を持って進んでいきたいと考えています。

 太郎生小学校の創立は明治8年2月10日のことです。明治5年に「学制発布」がありました。
 「わが国における近代の学校教育制度は、明治5年8月の『学制』の発布に始まる。『学制』は明治政府が定めた学校制度や教員養成に関する基本的な規定である。初等教育については、国民のすべてが就学すべきことを定め、発布から数年間に全国で2万校以上の小学校が整備され、約40%の就学率が達成された」とつくば大学付属図書館のWebには出ています。
 全国で2万校以上の学校が整備されたそうですが、太郎生小学校もその中の1校でした。

 明治初期の太郎生はまだまだ文明開化の恩恵を受けていたとは思えません。明治8年は、西南戦争の2年前であり、明治政府自体が混乱していたはずです。
 当時の太郎生は江戸自体の生活そのままであったかもしれません。それでも、学制の通りに学校を作り、子どもたちの教育に当時の太郎生地区の皆さんは努力をしたのです。
 記録によると、学校の設立には苦労を伴ったそうです。でも、それを乗り越えて、明治8年2月10日、84名の児童を迎えて太郎生小学校が創立されました。

 学制の中の有名な一節を含む文を以下、載せておきます。格調高いです。
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自今以後(じこんいご)、一般の人民 必ず邑(むら)に不学の戸(こ)なく、家に不学の人なからしめん事を期す。人の父兄たる者、宜(よろ)しくこの意を体認し、その愛育の情を厚くし、その子弟をして必ず学に従事せしめざるべからざるものなり。
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 それから135年が過ぎました。学校の名前は変わりましたし、場所も変わりました。でも、太郎生に存在する学校として四千人あまりの卒業生を送り出し、教育の場として太郎生小学校はその歴史的な使命を果たし続けました。
 太郎生小学校という学校名はまもなくなくなりますが、「邑(むら)に不学の戸(こ)なく、家に不学の人なからしめん事を期す」という学制の精神は消えることはありません。
統合する美杉小学校での学びが続きます。
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清水寺.4

 世に言われる「清水の舞台」で見学しているところです。

 
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歳末餅つき大作戦・3

 仕事の後は昼食です。できたばかりのお餅をいただきました。豚汁もおいしかったです。

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歳末餅つき大作戦・4

 高学年もがんばっています。

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元旦の校舎

 あけましておめでごうございます。

 2010(平成22)年1月1日の校舎です。周囲には雪があり、運動場も真っ白です。

 1875(明治8年)年に創立したこの学校は満135年を終えることになります。

 3枚の写真は2010年元旦の太郎生小学校です。
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歳末餅つき大作戦・2

 子どもたちも重たい杵を持って、「よいしょ」と。

 お餅を丸める方が楽しそうです。
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太郎生見学会・2

 「太陽の道」(関心のある方はネットで検索してください)について、太郎生道里夢の方から説明を聞いているところ。

 写真に見える山は大洞山(おおぼらざん)。

 写真下はまちかど博物館「かじや木の工房」を訪れたところ。大勢でおじゃましたので、写真がうまく撮れませんでした。見せていただき、ありがとうございました。
 石にも感動。
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太郎生見学会・1

 12月29日、仕事納めの翌日、「太郎生見学会」がありました。太郎生小学校が閉校になることを知った小学校の教員十数名が太郎生に集まりました。大阪、奈良、滋賀、そして三重から。
 
 最初に日神の石仏群の見学です。平家の6代君のお墓と言われています。
 
 下の写真は、石についているコケを写真に撮っている先生。
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歳末餅つき大作戦・1

 12月23日、美杉の社会福祉協議会が中心となって「歳末餅つき大作戦」が行われました。
 太郎生小からもたくさんの皆さんが参加していただきました。

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清水寺・3

 大きな足跡です。

 弁慶が使ったといわれるつえと下駄。重いです。
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清水寺・2

 仏足石、つまりおしゃかさんの足跡が刻まれた石にさわっています。いいことがあるそうです。
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清水寺・1

 清水寺の通称、目隠し門の前で。「仁王門」が正しい名前です。
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学校便り

データ

津市立太郎生小学校
〒515-3536
三重県津市美杉町太郎生2128-1
TEL:059-273-0324
FAX:059-273-0746