最新更新日:2010/06/11
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閉校にはなりますが、4月以降もこのサイトは存続します。「過去の記事」の2009年度をクリックすると、見られます。更新するとはありません。アクセス、ありがとうございました。

サプライズ 仕掛け人が 仕掛けられ

 関わっていただいた皆さん、ありがとうございました。皆さんへのご恩返しは、太郎生の子どもたちが今後、健全に成長することを見守ることです。直接の関わりでなくとも、わたしも「たろうっこ」。応援し続けます。
 そして、もう一つの恩返しは退職までの後2年、元気に「のりたか先生らしさ」を発揮することだと思っています。
 
 「教育は感動」を身をもって知りました。ほほを涙が流れ落ちるのをとめることが出来ませんでした。
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サプライズのお礼

 夕方、スポ少の監督さんがご夫婦で、校長室に。
 サプライズのファイルを見ていただく。

 サプライズのお礼を保護者につたえていない。これは修了式の後のことなので25日の「たろうっこ」には書いていない。そして、たろうっこはすでに最終号になっている。
  
 もう1枚書きたい気持ちはある。そして、こんなサプライズに対してお礼の気持ちを表したい。でも、いまごろそんなことをすることがはたしていいことなのかどうか。
 そもそも、いまごろまだ未練がましくHPを更新することがいいことなのかどうか。

 でも、31日まではHPを更新し続けないとやりきれない。太郎生小学校の職員である3月31日まではお許しいただきたい。
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閉校式の後も

 3月27日、土曜日。職員が3人出勤。することはいくらでもある。校長室で、太郎生小学校のHPを更新していると、これからもずっとこの仕事ができるような錯覚に陥ってしまう。太郎生小学校の仕事ができる幸せを、このところずっと感じさせてもらっている。

 午後、太郎生地区でお世話になっている方を訪問して、お礼を言う。半分以上のお家が留守。お礼の手紙をポストに入れて失礼する。2時間あまりかかる。

 冬タイヤの交換を自動車工場で行う。2年前は自分でしていたが。

 その後、太郎生地区連合自治会長さん宅を訪れる。閉校式・記念行事がとてもよかったという声が多かったとねぎらっていただく。本来はねぎらうのは私の方なのに、恐縮する。さらに「記念誌」の評判も極めてよいとのこと。
 学校に卒業記念写真が残っていたのがなによりもありがたかった。百周年記念事業で集めたという。先人の努力に感謝したい。明治44年以降の卒業写真が残っている学校はそうはあるまい。しかし、記念誌については反省点も多い。ご迷惑をかけた方がいる。申し訳ないと思う。

 夕方、一人で校長室に入る。つい物思いにふけってしまう。この校長室には何人もの来客があった。とくに11月17日、堀田先生、玉置先生、そして中村先生を迎えての、シンポジウムの打ち合わせを忘れることはできない。
 この部屋で、この椅子で、4人で進行の打ち合わせを「ごく簡単」に行った。緊張しながらも、幸せだった。
 その後、3人の先生方がどれほど多忙な日々かを知ることになる。そんな中、この太郎生小に何時間もかけて来ていただいた。
 それは中林のためではない。太郎生小学校のためでもない。きっと日本の教育にプラスになるからこそ来ていただいたのだろう。閉校になる今、太郎生小学校の歴史的な役割を、当事者としてぜひそう思いたい。
 思えば多くの方に助けていただいた2年間だった。多くの方の応援をいただいた2年間だった。
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スクール55の連載

 スクール55というサイトに12回の記事を書かせていただきました。

 太郎生小学校の半年を、ほぼ同時進行の形での連載記事となりました。こういった形で、一つの学校を採りあげていただくことはありません。内容については「自由に」ということでした。これもありがたかったです。
 内容や写真については、編集部の方からの注文は何もありませんでした。ですから、わたしが折々に一番書きたい思ったことをそのままコンテンツにしていただいたのです。
 専門誌などへの寄稿と違います。ネット上のコンテンツですから、保護者も見ることができます。きれいごとやウソは一切許されません。学校の内側のドラマではありますが、保護者の目にも耐える内容だと思っています。あるいは学校の「裏話」的なところもあり、それは保護者にとっても関心を持ってもらえるかもしれません。
 
 津市立太郎生小学校は閉校にはなりますが、その学校で取り組んだ実践は長くこのサイトに残ることになります。当事者としてこんなにうれしいことはありません。

 12回連載のすべてが終わりました。でも、もう一回追加で書かせていただけることになりました。「閉校について」です。4月以降になります。元太郎生小学校職員として、少し気持ちの整理ができてからペンを起こします。今は何を書いても、涙に暮れてしまうのです。それは歴史の目には耐えられません。

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修了式から

 この姿勢。この表情。たろうのこ。


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あと5日も仕事ができる

 3月27日。土曜日。

 まだ出勤でき。あと5日も太郎生小学校で、太郎生小学校の仕事ができる。

 校長室の片付けの合間にHPを更新しよう。閉校式が終わったのにまだアクセスが続いている。HPを見ていただく方がいることが、どれほどの応援になったことか。
 名前も、顔も知らないけど、太郎生小学校のHPをお気に入りに入れて、毎日アクセスしていただいている方が百人以上はいる。一期一会。ありがとう。
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三重テレビ

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 太郎生小の閉校関係のことを、三重テレビが取材してくれました。何度か、太郎生まで来て、長く取材されていました。「ビデオを回しすぎ(今はHDDでしょうから、回すというのは正確ではないですね)ですよ」と素人の老婆心で口走ったほどです。

 放映は3月31日午後5時40分と午後9時55分のニュースの中で、特集的に扱ってくださるはずです。切れ味の鋭い、しかも温かみの山口アナウンサーは太郎生小学校のファンになってくれたかもしれない、と思うほど、何度も来校されました。

 三重県の皆さん、ぜひこのニュースを見てください。これが放送されたら、私はその感想をこのHPに書くことにします。それが太郎生小学校のHPの最後の更新になるかもしれません。
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再び野中信行先生のブログ

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 またパソコンの前で涙を流してしまった……。

 野中信行先生のブログを見て。

 これを、あと2年間のエネルギーに変えたい。一度もお会いしたのない野中信行先生、ありがとう。
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ミニ研修会

 研修会をしている場合ではありません。でも、3月26日ミニ研修会をしました。

 兵庫県で指導主事をしている先生から電話がありました。昨日のことです。「閉校というのはどんなものか経験がありません。よろしければ訪問したい」とのことです。この先生とは私は東京の研修会で2回ほど会ったことがあります。で、私はすぐに「はい、どうぞ。お待ちしています。でも、お願いがあります。30分で良いですから研修会に入ってください」とお願いしました。たいへん失礼な提案にもかかわらず、「いいですよ。勉強になりますから」と答えてくださいました。
 
 さて、26日、午後4時30分頃、K先生が到着です。まずは職員との記念写真です。
 校舎を回ってもらった後、研修会に入っていただきました。大澤先生が授業案を提案した後、いくつかの点についてアドバイスしていただき、みんなでわいわいと話し合いました。25分で終了し、その後、おみやげのお菓子をいただきながら学校における女性パワーについて話がもりあがりました。
 K先生の滞在は1時間足らず。でも、太郎生小学校の(一部の)職員の記憶に残る訪問ででした。ありがとうございました。
 135年の歴史の太郎生小学校への最後の公式訪問者となることでしょう。
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修了式の後

 修了式の後、子どもたちとお別れをした。

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修了式そして引っ越し

 3月25日は修了式。子どもたち一人ひとりに太郎生小学校で学んだという記念になるものを渡した。一人ずつ全員に。その姿を、19日に卒業したばかりの子どもたちも全員が見てくれた。そして、後ろには保護者や地域の方、太郎生書学校を応援していただく方、30人ほどが。

 担任が一人ずつの名前を呼ぶ。そして一人ずつ演台に来る。その後、進級認定を行った。
 ここでも子どもたちはしっかりとしていた。微動だにしない。座っているときはまっすぐに前を向いて。いつまでも、太郎生の子だ。
 この1年、そしてこの2年。教えるべきことは指導した。子どもたちも、保護者の皆さんも、自信を持って美杉小や美杉中へ踏み出してもらいたい。
 太郎生小学校で学んだ子どもたちはどんな場でも、適応し、がんばれる力を持っている。一人残らず。そのことを太郎生小学校教育の最後の責任者として、ここに約束したい。

 思わぬサプライズ続きのため、修了式の終わりが遅くなった。8:45に始まり、終わったのは10:25だった。後半のことはもう書くまい。言葉では伝えられない。その場所に居あわせたものだけが体験した特別な時間だった。いただいたメッセージを竹森さんに数えてもらった。190人。ただただお礼をいうしかできない。

 11:30に一斉下校をする。いつものように見送った。今日はカメラを持って来なかった。本当の最後の下校。太郎生小学校からでていく子どもたち。カメラに収める元気はなかった。いつものように、「さようらな」と見送った。子どもたちはいつものように「さようなら」と元気に帰って行った。
 高学年の子どもたちは、ここから一斉下校をすることはもうないことを知っているのだろう。でも、なんの気負いもなく、いつものようににこにこしながら下校していった。この子どもたちの前向きな姿に何度助けられたか分からない。
 
 保護者からメール。ありがたい。

 夜は職場の親睦会。また涙が。この職場の皆さんと一緒だったからこそ、太郎生小学校の教育活動が可能だった。私や家族の太郎生小との関わりを話す。こんな個人的なことを他人に言うのは初めて。今後もないだろう。

 3月26日。引っ越しの日。8:30に業者のトラックが来る。すでに廊下に出ている荷物を玄関に職員が総出で運ぶ。業者任せにすることはなかった。ここでも、太郎生小の職員はよく働いた。
 教材や子どもたちの机を満載して、トラックが出て行った。私は見送れなかった。

 船出である。子どもたちの机が美杉小へ運ばれていく。そこではまた新たな教育実践が育まれていく。太郎生小学校の保護者が願っていた複式解消ができる。適正規模となり、教育環境が整った。
 みんなで美杉小学校を応援したい。美杉小学校の子どもたちを応援したい。
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修了式が終わりました

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 アクセス、ありがとうございます。
 
 今日は,卒業式、閉校式よりも涙を流してしまいました。それも、修了式がおわったあとのサプライズ。

 私の知らない間に100人以上の方を巻き込んでのサプライズ。未だ、その仕掛けの全貌が分かりません。職員も、一部を知っていただけのようです。教頭は全体を知っていたらしい。後で追求します。
 
 修了式には保護者、祖父母、中学生、太郎生小を応援していただいている方も参加していただきました。

 まだ退職と違うのに。

 なぜなんだというふっきれぬ思いと、周囲の「策略」を見抜けなかったことへの悔い。
 
 感動という言葉はあまり使いたくないけど……。

 教育は感動と思いました。

「学校便り」を1つを除いて最終号までアップしました。
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つながっていく命

 閉校式の日に配られた閉校記念誌「幾多の日々ここに」には、なんと明治28年の卒業名簿から載っています。そして卒業写真も明治44年から載っているのです。(「先生、なんかすごい髪の人が写っている」と子どもが言いました(^^;))たぶん子どもたちのひいおじいちゃんやひいおばあちゃんの年代、もしかしたらそれ以上の人もいるかもしれません。

 子どもたちと、昨日一緒に閉校記念誌を見ました。「お父さんも写ってるで。」「おじいちゃんを見つけた!」「おばあちゃんもおるねん。」「お母さん、今とそっくりや!」「お母さん、私とお姉ちゃんをたして2で割ったような顔してる」と大盛り上がりです。
 
 子どもたちの盛り上がりが一段落したあと、「昭和4年」の卒業写真を見せました。「この中の何人かの人は戦争で亡くなった人がいるかもしれません。」というととたんにシーンとなりました。「国津神社には太郎生から戦争に行って命を落とした百人あまりの人の慰霊碑があるのを知っていますか?」と尋ねると何人かが知っていると答えました。
「この人達はたぶん今のあなたたちと同じように、遊んで勉強して、笑ったり喧嘩したりしていたでしょう。でもこの写真の人たちの中には、この後戦争に行って、誰のお父さんにもおじいさんにもならずに途中で命を絶たれた人がいます。」と話すと、子どもたちは真剣に耳を傾けてくれました。

 その後、絵本「戦争で死んだ兵士のこと」(小泉吉宏 作)を読みました。
 そして、ずっとずっと平和でみんなが誰かのお父さんやお母さんやおじいちゃんやおばあちゃんになるまでずっとずっと元気でいてほしい。平和な世の中をつないで、命をつないで欲しい、というような話をして授業を終わりました。

 太郎生小学校は閉校にはなりますが、ずっとずっと幸せな子どもたちの笑顔がつながっていくことを祈ります。
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修了式前日

 明日が修了式。春休みはありますが、太郎生小の新学期はありません。太郎生小学校の22年度はありません。
 
 たくさんのアクセスをいただいています。野中信行先生はブログで、「どういうことになるのであろうか。 私は、固唾を飲んで、ホームページと中林校長の学校便りに注目したい。」と書いてくださいました。
 そんな思いで太郎生小学校のHPを見ていただいている方がいるのでしょうか。
 
 3月24日。修了の前日。朝、職員室で日程のことを相談していたため、子どもたちの登校を校門ででむかえることができませんでした。なんということを。あと2回しか子どもたちの登校を見られないというのに。

 教室を回った。おそらくは授業は今日が最後になるはず。でも、子どもたちはなんの気負いもない。1年生は私が入っていったことにも気づかずに百マス計算をしていた。

 初めて「Vサインをしてもいいよ」と言ってみた。Vサインで写真を撮られることになれていない太郎生小の子どもたち。Vサインが様になっていない。子どもたちはVサインをしなくても十分にかわいい。
 
 いつものように、3月24日が終わっていった。子どもたちが一斉下校をするそばに「閉校記念碑」が何事もないようにたっている。そのそばを子どもたちはいちべつしただけで、何も言わないで下校の途についた。 

 もっともっと思い出作りをしておきたかった。閉校が1年以上も前に決まっていたのに、十分なことができなったという思い。閉校関係のことに確かに時間をかけた。しかし、そのやり方はよかったのだろうか。

 明日は修了式。
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津市長を訪問しました

 インターネット活用教育実践コンクールにおいて入賞しました。そのことの報告に、3月23日、津市長を訪問しました。いわゆる表敬訪問です。参加したのは、卒業したばかりの6年生7人とこの行事の担当者の廣崎先生、そして私。
 以下は廣崎先生の感想です。

 市長さんを訪問するということが、すごく特別なことであることが、行ってみてよくわかりました。あの独特な雰囲気に、一気に緊張感が増したのですが、さすが本番に強い6年生。バスの中で練習していた以上にしっかり話しをしていました。聞かれたことにもはっきり答えられていました。それに比べ私は、さっぱりダメでした。いっぱい考えていたのに…(>_<)  でも、いい経験をさせていただいたことに感謝しています。
市長さんも、とても気さくな方で、故郷を離れると故郷の良さもわかる。故郷を大切に…と話された言葉がこどもたちの心に深く刻まれているといいなあと思います。

 確かに特別な場所でした。テレビで見ますよね。総理官邸に行き、総理大臣に面会するときは、お客さんが部屋で待っていると、後で総理がにこやかに入ってくるという場面。まさにあれでした。
 時間調整のために2回待ちました。最初は教育長室で、教育長、理事、課長という教委の幹部の皆さんと一緒に5分ほどの時間を過ごしました。教育長室も普通は入ることはありません。校長の私の場合、管理職の内示を受け取るために過去2回入っただけです。そんな場に、教育長さんから「今日は皆さんが主役ですよ」という温かい言葉をかけていただき、7人の6年生は終始リラックスモードでした。
 教育長さんは太郎生小の卒業式で私たちを驚かすような素晴らしいはなむけの言葉を述べてくださいました。すでにこのサイトに書いたとおりです。さらに閉校式にも来てくださっています。太郎生小学校の教育のことをたいへん理解していただいています。それは閉校になるというきっかけがあったにしろ、太郎生小学校の教育実践そのものをも評価していただいたと私は確信しています。
 時間がきたので、市長室のあるフロアーに異動します。入ると、秘書の皆さんが何人かにこやかな表情で迎えてくれました。さらに取材用のテレビカメラや新聞記者が3人も。
 特別な場所で、特別なことでした。応接室では子どもたちはやや緊張しながらも、「主役」として立派なソファーに座っています。大人の皆さんは周囲に立って、子どもたちを見てくれています。
 いよいよ市長に面会するための部屋に入ります。3つめの部屋に入ることになります。7人が座り、廣崎先生と私も椅子をすすめていただいたので、座らせていただきました。
 ここでも5分ぐらい話をしていると、隣の部屋からニコニコを松田市長が入ってこられました。私も緊張は隠せません。受賞報告を最初に教育長がされ、ついで私が実践内容を簡単に言いました。
 その後は松田市長が進める形で、子どもたちに感想を聞いていただきました。7人の子どもたちの感想は具体的だったので、市長からそれについてさらに質問したり、コメントしたり、話がはずみました。笑いが何度も起こりました。
 非日常の空間でした。こんな特別な扱いをしていただくに値する実践だったと評価してもらったことが学校としてはとてもうれしいです。この場に居合わせることが出来たのは、7人の卒業生と2人の職員だけ。でも、前から何度も言っているように、この名誉は保護者の皆さんが受けることなのです。学校を信頼して、わが子を3日間太郎生小の職員に預けていただいたことが、すべての発端なのです。それがなければ、進まない体験活動でした。
 市長との面会は30分近くに及びました。長い時間をとってくれました。しろもちくんのキーホルダーを市長から直接いただいたあと、集合写真を撮りました。この集合写真での子どもたちの表情は非常に誇らしげで、しかもにこやかで、柔らかいです。とてもいい表情です。三重テレビのニュースで見て、そう思いました。
 こんな素晴らしい場を設定していただいた松田市長や津市教委の皆さんにお礼を申し上げます。

※写真は三重テレビのニュース画面をカメラで撮りました。三重テレビさん、お許しください。
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うたおにのHPから

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 閉校記念行事は合唱団「うたおに」の皆さんに構成をしていただきました。照明も、映像も、音響も、すべて。前日、夜遅くまで準備してくださいました。

 太郎生小の閉校記念行事という重みを十分に受け止めていただいた準備と演奏でした。子どもたちだけの合唱ではとても全体を構成することが出来ません。子どもたちに無理をさせないためにも、子どもたちの負担を軽減するためにも、「うたおに」の皆さんの力が必要でした。
 
 小柴先生、そして「うたおに」の皆さん、ありがとうございました。子どもたちの心にしっかりと残りました。

 うたおにのホームページに太郎生小学校のことを書いていただいています。
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あと2日

 閉校式・閉校記念行事は終わりました。卒業式も終わりました。でも、修了式までは子どもたちは普通に登校しています。
 修了式は3月25日。あと3日。それなのに、23日は外せない出張が、午前と午後に入っており、学校に戻ったのは午後7時前。暗くなった校舎に入り、書類の決裁をいつものように済ませました。
 まだ、書類が回ってくるだけいいのかもしれません。まだ、学校には入れるだけいいのかもしれない。

 あと2日。

 この校舎は子どもたちの生活そのものでした。笑い、遊び、けんかし、涙し、学んだ学校。

 朝、登校すると、職員室のドアを開けて、「おはようございます」という太郎生の子。
帰るとき、職員室に「さようなら」という元気な声をかける子どもたち。こんな子どもたちだからこそ、私たちもがんばれた。
 話を聞くときは顔をしっかりと見ていた。集会の時は頭がそろっていた。

 合唱のことはもう言うまい。

 あと2日で太郎生小学校での教育活動は終わる。新学期は来ない。
 
 できることなら、閉校の当事者にはなりたくなかった。
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職員の感想(卒業式・閉校記念行事)

【会場の花】
 卒業式の証書を受け取る卒業生が、歩く道を飾ったパンジーの花は、この日に合わせて7人を祝うために満開で咲くようにと、太郎小学校を最後に退職された益川和子元校長が思いを込めて育ててこられたものだった。
 愛情が格別深く注がれていたパンジーは、子どもたちの花道をしっかりと美しく輝かせてくれていた。

【見えない思いやり】
 卒業式場のしおれた花を摘んだり、廊下の手洗い場の汚れを最後に拭いてきれいにしてくださったりなかなかみんなが気がつきにくいところをそっときれいにしてくださっている先生を目にした。
 誰もが自分の仕事に目が行き、忙しく動いている当日の朝だというのに…。

 閉校式の朝には、別の先生が体育館の舞台の映像を映し出す壁の汚れが気になったようで、うたおにの方が映し出してくださる「135年の太郎生小学校の思い出」を美しく映し出すようにと女性なのに軽々と脚立を抱えて来て、届く範囲できれいに拭いてくださっていた。その先生は20日(土)の夜、午後10時まで体育館の準備を手伝い、翌日は7時過ぎに学校に入っていた。
 こんな思いやりがあちこちにあるからこそ、あの素晴らしい式場が整えられていったのだなあと、その先輩たちの姿を見て私もそんな人になりたいと思った。
 思えば、いつもそうだった。太郎生小学校はいつもそんな学校だった。
 どんな時も、パズルをはめていくように足りないところは誰かが必ずそっとサポートしてくださっていた。この最後の太郎生小学校の職員は、みんな優しさと思いやりにあふれた方ばかりだった。自分もその一人であったと思いたい。それが仕事なのだから当たり前だと言われるかも知れない。
 でも、その当たり前がこんなにも美しく見えるのは、この太郎生小学校が本当に素晴らしい学校だったから。


【閉校式の片付けで】
 式が終わってから、椅子と机などが早速片付けられていった。その中に、卒業した中学生の姿が。
「暇やから」と言いながらも、掃き掃除・モップがけ・ストーブの片付けといった手伝いをそれがまるで当たり前というように動いてくれていた。これが太郎生の力だと思った。子どもにもちゃんと受け継がれている素敵な力。

【動き回る教頭先生】
 卒業式・閉校式の朝、始まる際までジャージ姿なのだ。普通は、早めに着替えてデーンと座っているのかと思いきや、なんだか一番忙しそうに動き回っておられる。
 後で聞くと、テントを建てるかどうかの判断や受付のやり方、さらには靴を入れるための袋を体育館の玄関に用意して置いたはずなのに、朝、見ると見当たらないのであわてるということなどがあったらしい。そのほかにもいろいろと当日ではないと対応できないことがあったはず。
 準備が悪くて動き回っておられるのではない。職員がサボっているからでもない。全てにおいて細やかな気配りと気遣いの方なのだ。今頃、疲れ果てて寝込んでおられないかと心配。
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閉校式での挨拶

 3月は別れと出会いの季節であると言われます。太郎生地区にとりまして、今年の3月はとりわけ寂しいことになりました。135年の歴史を持つ太郎生小学校が閉じられることになったのです。
 一昨年、太郎生小学校PTAの皆さんは何度も会議を持ち、閉校・統合について話し合いを重ねました。私は時のPTA会長・日置光昭氏が「135年の歴史を閉じる判断を我々の世代で行ってもいいものか」と悩む姿をそばで見ました。まさに苦渋の決断だったのです。
 そして、今日、とうとう閉校式を迎えました。しかし、太郎生小学校の閉校はさみしいことではありますが、悲しいこととはとらえたくありません。私たち大人が、子どもたちの教育環境を整えたいと考えて判断したことです。美杉小学校に向かって夢と希望を持ち、前向きに進んでいく子どもたちを心から応援したと思っております。
 太郎生小学校の最後となったこの1年。しっかり話を聞く子どもたち、学校を信頼してくださる保護者の皆様、そして子どもたちに一層の学力をつけようと努力する職員。太郎生小学校の教育実践は、この三者が一体となって押し進めることができる学校だからこそ、可能となりました。
 ここで教育活動の内容を申し上げる時間はありませんが、太郎生小学校では充実した教育を行ってきましたと自信を持って言い切れることが、誇りであります。 
 皆さん、今、顔を上げてしっかりと話を聞いている子どもたちの姿をご覧ください。この姿こそ太郎生小学校がもっとも誇るべきところのものであると私は思っています。
 太郎生小学校で学んだ子どもたちは変わらず今の姿勢を保って新たな環境で学び続けていきます。太郎生小学校がなくなろうとも、「学びの心は永遠に」続くのです。「話をしっかりと聞く」という太郎生小学校で学んだ子どもたちのまっすぐな姿がこれからも引き継がれて行くであろうことを、母校である太郎生小学校の最後の校長として皆さんの前で申し上げたいと思います。
 さて、ここにお集まりの皆様。このあとの記念行事では、合唱団「うたおに」、「美杉コールフォレスト」、美杉中学校の皆さんの協力を得て、合唱をお聴きいただきます。太郎生小学校の体育館で、太郎生小学校の子どもたちの合唱をお聴きいただくのは最後となってしまいました。私の知る限り、全校児童がこんなに素晴らしく合唱が出来る学校は他にはありません。
 子どもたちの心を一つにした歌声と子どもたちの素晴らしい姿をどうぞ長く記憶の中に留めていただきますようにお願いいたします。それが太郎生小学校がこの地に残す教育の証の一つでもあります。
 最後に太郎生小学校の長き歩みに関わったすべての方々に深く感謝申し上げ、私の挨拶とさせていただきます。ありがとうございました。

 ※写真の2枚は、最後に会場の皆さんと一緒の大合唱の様子です。「校歌」と「さようなら」。このサイトにアップしてあります。右下のデータ欄です。
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閉校式、終わる

 3月21日、太郎生小学校の閉校式・閉校記念行事が終わりました。500人ほどの皆さんが参加していただきました。
 
 私は、疲れ果てました。HPの更新は明日行います。アクセスしていただき、ありがとうございます。

 ※写真の2枚は、最後の校歌の大合唱。

 下は記念碑の除幕。「学びの心は 永遠に」

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学校便り

データ

津市立太郎生小学校
〒515-3536
三重県津市美杉町太郎生2128-1
TEL:059-273-0324
FAX:059-273-0746