最新更新日:2010/06/11 | |
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次年度へ私は終日、校長室を出たり入ったりしながら、片付けを進めた。戸棚の中はほぼ片付いた。でも、机の引き出しはまだ手をつけていない。 校長室は今は段ボールと荷物が無造作に置かれている。倉庫に近い状態。 この校長室で、2年間仕事をしてきた。保護者からのクレームは一度もなかった。真に建設的な仕事が出来た。大澤先生が息せき切って入ってきて「校長先生、やっぱり授業が大切ですね」と言ってきたこともあった。廣崎先生が写真を持って来て、「データにしてください」と言うので、その場で複合機のスキャナで読み込んでデータにし、gmailで送ったこともあった。 この校長室には仕事ができるものがだいたいそろっていた。スキャンスナップも活躍した。閉校記念の音楽CDはこの部屋でマスタリングをしたものだ。 そして何よりも、日々の「たろうっこ」やHPはこの部屋から発信した。 しかし、私はあくまでPRマン。教室での、体育館での、運動場での素晴らしい実践を行う教師がいた。 この2年間、やれることはすべてやった。そう思う。職員も、私も手応えを感じた。子どもたちが自信を持った。多くの保護者に喜んでもらえた。 30日は異動先の学校での引き継ぎを受ける。職員はすでに新しい学校でのことを考えている。私は少し遅れたが、30日から異動先での仕事を考えよう。私を待ってくれている子どもたちがいると思いたい。 写真下は、雪の降る寒い中、花を整理し、洗面台をそうじしてくれている職員。 あるブログいつものように更新HPに書くのは、直接は保護者のためであるが、同時に自分の足跡を記録するためでもある。 いわば日記。 いわば実践記録。 いわば備忘録。 いわば私の教師修行の場。 いわば太郎生小学校のPRの場。 太郎生小学校のHPはなんでもありだった。美杉中の野球部のおっかけをしたこともあった。美杉中の野球部の真剣な姿はきれいだった。堀山先生の指導の一言一言を聞き逃さないようにした。甲子園球児という看板だけではなかった。そんな看板がなくても一流だった。 その野球部のメンバーも、大きな体で、太郎生小の合唱練習に参加し、21日も歌ってくれた。うれしかった。素晴らしかった。 今、BGMにシューベルトの即興曲がなっている。ブレンデルが奏でるシューベルトを聴きながら、太郎生小のHPを更新できる幸せ。あと3日もそれができる。 片付け午前中はあるレポート作成。6000字。昼前に完成。提出の準備も終わる。 午後、元校長の益川先生に電話する。そして、閉校記念行事のDVDのことを話す。合唱を指導した長谷先生とメールをやりとりする。閉校記念行事のこのDVDはぜひとも保護者に配りたいと思う。 保護者もビデオカメラを回していた人がいるが、小学校の職員が録画したもののほうが、位置がよかったので、きれいに撮れているはずだ。体育館とは思えない。左右からの照明に、タロウTシャツが映えている。何よりも、子どもたちの顔。神々しくも見える。中学生も顔を上げて歌っている。 28日の夕方、ようやく校長室の戸棚の書籍類を運び出した。書籍と雑誌を合わせると200冊以上の本を持ち込んでいる。もちろんそれが私の教育書のすべてではないが、今、関心があったり、最近購入した書籍が並んでいる。 昨年の10月、堀田先生が来校されたとき、これらの書籍をご覧になった後、「6割は私も持っています」と言ってくださった。たまたま太郎生小学校の書棚の教育を見て、6割といわれることは、膨大な書籍をお持ちのことなのだろう。そうじゃないと、私が読んでいる書籍を見て、6割という数字がでることはない。 校長室の荷物を片付けながら思うこと。「退職じゃなくてよかった」と。私にはこれらの私物を次に持ち込める学校がある。もう一度、学校で子どもたちと関わることができる。職員の皆さんとの出合いもある。閉校になるさびしさや子どもたちと別れるさびしさがあっても、1週間後にはあらたな学校で、あらたな子どもたちと出会える。あらたな夢を描くことができる。 そう考えると、校長室の片付けも、少しは元気が出る。 燃えるゴミを透明のビニル袋に入れた。でも、もう用務員さんの勤務は終わっている。講師として太郎生小学校を支えてくれた職員も、すでに最終の勤務日が終わっている。月曜日からはもう出勤しない職員が何人もいるのだ。愛すべき職員だった。でも、すでにちりぢりになっている。 私にはあと3日の時間がある。 写真は、太郎生小学校の子どもたち、本当の最後の合唱風景。平成22年3月25日午前10時。卒業生も歌っている。38人全員が歌っている。後ろの保護者も立っている。 表彰式
東京で行われた「第10回インターネット活用教育実践コンクール」の表彰式の様子です。残念ながら卒業証書授与式と重なり、太郎生小学校からは参加できませんでした。代わりに津市教育委員会の指導主事が参加し、賞状やトロフィーを受け取ってきてくれました。
代理とはいえ、指導主事先生は、太郎生小が7月8日に出発するときは、太郎生まで見送りに来てくれました。また、9日は答志島に来て、子どもたちと一緒に活動もしました。宿にも来てくれています。 皆勤賞
5年前からこの学校に勤めていますが、太郎生小学校の子どもたちは本当に学校を休みません。昨年の卒業生には6年間皆勤という子どももいました。(ちなみに中学生になった彼女は皆勤賞7年目に突入だそうです。)
おうちの事情で休む場合はしかたがありません。しかし「病欠」が全学年を通して非常に少ないのには本当に驚きます。 「子どもが健康だから病欠が少ない。」一言でいえばそれで済むのでしょうが、親でもある自分としては「子どもがいつも健康な状態でいる」ということが簡単なことではないと知っているつもりです。 健康な体のための基本的な生活習慣、もっと言えばおうちの方が子どもの健康管理を毎日きちんとして下さっていることが根本にあるおかげでこのような結果になるのでしょう。本当に頭がさがります。 また、子どもでも「なんだか今日は行きたくないなあ。」と思う日もあるはずです。(大人でもありますものね(^^;))それでも、きっとおうちの方が明るく子どもたちを学校に送り出してくださっていたのだと思います。 おうちの方々にしっかりと支えられて、毎日があったことを改めて感じました。 ありがとうございました。 ※皆勤賞を渡しているところ。19日に卒業した6年生にも、渡しました。おそくなってごめんなさい。 またブログに
涙がとまりません。どうかしています。
こんな記事を書いてくださいました。太郎生小学校という名前を全国に最初に紹介していただいたのが、このサイトでした。そして何度か、話題にしていただきました。検索すると、11回も取り上げてくださっています。こんなに多いとは。 そして、今回のコンテンツには次のようなことが。 「修了証書をもらう子どもたちの堂々とした姿勢、きりりとした表情。実に美しい。この姿勢は練習を積み重ねればできるというものではない。子どもたち一人一人がとてつもなく大きな自信を体の芯に持ったからこそ、自然に生まれてくる姿だと思う。まさに太郎生小学校の教育ここにあり!」 保護者の皆さん、皆さんのお子さんのことなのですよ。これは。 保護者が学校を信頼することが、このような教育を可能にする学校を作ったのです。職員だけの力ではありません。 一番下は、職員(ピアノを弾く長谷先生とカメラウーマンの廣崎先生は写っていないが)。子どもたちと同じように、顔を上げ、背筋を伸ばして、立っています。手にはPTAからいただいたこれまたサプライズのマグカップが。児童と職員の集合写真とTAROシャツのオリジナルデザインも。これもいつ、どこで相談がまとまり、どうなったのか、未だに分かりません。大好きなコーヒーをこのマグカップで飲みます。自宅で使います。ありがとうございました。 いただいた感謝状
3月25日、修了式の直後、「PTAの皆さんから」ということで始まったサプライズ。
いただいた分厚いファイル。そこには90ページにわたり、写真やメッセージがずらり。メッセージを書いていただいたかたは190人にも。 読むのに1時間近くかかりました。「感謝状」も。一体誰が、いつ書いたのでしょうか。 修了式から
どうどうとしています。
修了式から
胸を張り、顔を上げる子どもたち。太郎生の子です。
修了式から
みんなかっこいいですね。
皆勤賞・3
下の写真は離任の挨拶をしているところ。
皆勤賞・2
半数以上の児童が皆勤賞です。
皆勤賞がなかった児童も、1日から3日程度の欠席でしかありません。 皆勤賞も
下の2枚は皆勤賞の児童。
皆勤賞を出す学校は少ないかもしれませんが。 サプライズ 仕掛け人が 仕掛けられ
関わっていただいた皆さん、ありがとうございました。皆さんへのご恩返しは、太郎生の子どもたちが今後、健全に成長することを見守ることです。直接の関わりでなくとも、わたしも「たろうっこ」。応援し続けます。
そして、もう一つの恩返しは退職までの後2年、元気に「のりたか先生らしさ」を発揮することだと思っています。 「教育は感動」を身をもって知りました。ほほを涙が流れ落ちるのをとめることが出来ませんでした。 サプライズのお礼
夕方、スポ少の監督さんがご夫婦で、校長室に。
サプライズのファイルを見ていただく。 サプライズのお礼を保護者につたえていない。これは修了式の後のことなので25日の「たろうっこ」には書いていない。そして、たろうっこはすでに最終号になっている。 もう1枚書きたい気持ちはある。そして、こんなサプライズに対してお礼の気持ちを表したい。でも、いまごろそんなことをすることがはたしていいことなのかどうか。 そもそも、いまごろまだ未練がましくHPを更新することがいいことなのかどうか。 でも、31日まではHPを更新し続けないとやりきれない。太郎生小学校の職員である3月31日まではお許しいただきたい。 閉校式の後も
3月27日、土曜日。職員が3人出勤。することはいくらでもある。校長室で、太郎生小学校のHPを更新していると、これからもずっとこの仕事ができるような錯覚に陥ってしまう。太郎生小学校の仕事ができる幸せを、このところずっと感じさせてもらっている。
午後、太郎生地区でお世話になっている方を訪問して、お礼を言う。半分以上のお家が留守。お礼の手紙をポストに入れて失礼する。2時間あまりかかる。 冬タイヤの交換を自動車工場で行う。2年前は自分でしていたが。 その後、太郎生地区連合自治会長さん宅を訪れる。閉校式・記念行事がとてもよかったという声が多かったとねぎらっていただく。本来はねぎらうのは私の方なのに、恐縮する。さらに「記念誌」の評判も極めてよいとのこと。 学校に卒業記念写真が残っていたのがなによりもありがたかった。百周年記念事業で集めたという。先人の努力に感謝したい。明治44年以降の卒業写真が残っている学校はそうはあるまい。しかし、記念誌については反省点も多い。ご迷惑をかけた方がいる。申し訳ないと思う。 夕方、一人で校長室に入る。つい物思いにふけってしまう。この校長室には何人もの来客があった。とくに11月17日、堀田先生、玉置先生、そして中村先生を迎えての、シンポジウムの打ち合わせを忘れることはできない。 この部屋で、この椅子で、4人で進行の打ち合わせを「ごく簡単」に行った。緊張しながらも、幸せだった。 その後、3人の先生方がどれほど多忙な日々かを知ることになる。そんな中、この太郎生小に何時間もかけて来ていただいた。 それは中林のためではない。太郎生小学校のためでもない。きっと日本の教育にプラスになるからこそ来ていただいたのだろう。閉校になる今、太郎生小学校の歴史的な役割を、当事者としてぜひそう思いたい。 思えば多くの方に助けていただいた2年間だった。多くの方の応援をいただいた2年間だった。 スクール55の連載
スクール55というサイトに12回の記事を書かせていただきました。
太郎生小学校の半年を、ほぼ同時進行の形での連載記事となりました。こういった形で、一つの学校を採りあげていただくことはありません。内容については「自由に」ということでした。これもありがたかったです。 内容や写真については、編集部の方からの注文は何もありませんでした。ですから、わたしが折々に一番書きたい思ったことをそのままコンテンツにしていただいたのです。 専門誌などへの寄稿と違います。ネット上のコンテンツですから、保護者も見ることができます。きれいごとやウソは一切許されません。学校の内側のドラマではありますが、保護者の目にも耐える内容だと思っています。あるいは学校の「裏話」的なところもあり、それは保護者にとっても関心を持ってもらえるかもしれません。 津市立太郎生小学校は閉校にはなりますが、その学校で取り組んだ実践は長くこのサイトに残ることになります。当事者としてこんなにうれしいことはありません。 12回連載のすべてが終わりました。でも、もう一回追加で書かせていただけることになりました。「閉校について」です。4月以降になります。元太郎生小学校職員として、少し気持ちの整理ができてからペンを起こします。今は何を書いても、涙に暮れてしまうのです。それは歴史の目には耐えられません。 修了式から
この姿勢。この表情。たろうのこ。
あと5日も仕事ができる
3月27日。土曜日。
まだ出勤でき。あと5日も太郎生小学校で、太郎生小学校の仕事ができる。 校長室の片付けの合間にHPを更新しよう。閉校式が終わったのにまだアクセスが続いている。HPを見ていただく方がいることが、どれほどの応援になったことか。 名前も、顔も知らないけど、太郎生小学校のHPをお気に入りに入れて、毎日アクセスしていただいている方が百人以上はいる。一期一会。ありがとう。 |
津市立太郎生小学校
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