最新更新日:2024/06/10
本日:count up3
昨日:32
総数:441533
新規「授業力アップわくわくクラブ」サロン会員のご案内  新規「授業力アップわくわくクラブ」サロン会員のご案内 

■鏡の原理の3つの法則

画像1 画像1
■鏡の原理の3つの法則
 教育とは,教師と子どもと親との信頼関係で成り立っています。この信頼関係に役立つのが船井幸雄が言う「鏡の理」なのです。船井氏はつぎのように述べています。
「船井幸雄の実践・人生道場」ダイヤモンド社 (一九九六) より          「人間にとって最も大事なことは「信頼されること」と「それに応えること」の2つです。そのための意義が、「鏡の原理の3つの法則」です。
(1) 他人の自分への態度は、自分の他人への態度の反映である。
(2) 人に好かれようと思ったら、まず自分から相手を好きになること。
(3) 人には優しく接する、特に相手が弱っている 時はそうすること。
 相手の一番してほしいことを、相手が一番喜ぶ方法で、相手が一番望んでいる時にしてあげることが、人間としての信用を獲得し、信頼を築くベストの方法です。人間は謙虚な人が好きです。それは、自分を受け入れてくれる、好きなことをいわせてくれるからであり、自分を認めてくれるのだから当然好きになります。」
 上の3つの法則は、教育ではぴったり当てはまります。教師と子どもとの関係,子どもと子どもとの関係,教師と親との関係などは、上の3つの法則にのっとっています。

三 大事法を教えよう

画像1 画像1
三 大事法を教えよう
 子どもを大事にすることとともに、子どもに対して「大事にすること」のよさを教えたいものです。
 第一に、生き物を大事にすることです。
 動物や植物を大事にするということは、生命を大事にすることにつながります。さらに、万物の霊長類である人間を大事にすることに、教え、実践させるのです。こうすれば、いじめなど考えられなくなります。
 偏差値や学歴だけを一番大事にしようとするから社会がゆがみ、子どもの心もゆがんでくるのです。一番の根源は、この世にうまれてきた「いのち」を大事にすることに価値をおくべきなのです。一つの「いのち」は、それなりの役割を持って生まれてきたはずだと考え、お互いが大事にすることによって社会が生成発展するのだという認識が重要です。 また、モノを大事にすれば消費社会から節約社会・リサイクル社会へと転換できます。

四 ある指導主事の話
 愛知県の一宮の指導主事から伺った話です。
 あるとき、その主事が中学校に勤務していたときの話です。同僚の先生が職員室で電話をしていました。「ああ、忘れ物したのか。それなら、先 生は学校で待っているから、とりにきなさい」と話していました。
 この電話を聞いて、その主事の先生は、その教師に対して叱ったそうです。「子どもが学校で忘れ物をしたらどうして届けてやらないのか。届けてやれば、教師の子どもへの思いやりが届くではないか」と。また、「わざわざ届けてくれたことに感謝して、子どもの方は心を入れ換えることになるだろう。ついでに家庭訪問もできるではないか」と。
 この話を伺って、私もハッとしました。この主事の先生は子どもを本当に大事にしているのだなと感じました。そこまでつくせる教師というのは素晴らしいと思いました。
 ついでに言いますと、この主事が中学校の教師でいた頃、その学校の学力テストは全国でもトップレベルであったそうです。教師が子どもを徹底的に大事にする。子どももそれに応えるという姿がそこに見られます。子どもを大事にしたからこそ成績が向上したわけです。
 別に甘やかせとはいっていません。大事にしてほしいということです。



大事法を知り、実践しよう

画像1 画像1
大事法を知り、実践しよう


一、大事法とは何か 
 船井幸雄氏の文章から、まず引用します。
 『人でもモノでも大事にすれば集まってきますが、そうでないと逃げていきます。   お金を貯める人は、お金を大事にします。人材を育てるのが上手な人は、人を大事にする人です。植物や動物は大事にすると必ず答えてくれます。機械や道具も大事にすれば長期間使えます。大事にすることは、とんでもない効果を与えてくれるのです。     したがって、人でもモノでも当然大事にしたほうがよいのです。』(「実践経営道場」より(PHP研究所))要するに、「大事にすれば集まってくる」という原理で、これを大事法といいます。
 二 子どもを大事にすること
 教育の世界では、人が関わるのは、子ども、親、同僚ということになります。今回は、子どもを大事にすることを考えてみましょう。
 読者の教師はそんなこと当然のことだと言われるでしょう。
 ところが、何年も教師をやってくると大事法を忘れてしまうのです。というよりは、感覚がマヒしてくるということでしょう。
 教師というのは、いつもいつも「先生、先生」と呼ばれていますからついつい偉くなったような気分でいます。子どもが本当に困った気分になっていても、それが分からないことが多いのです。子どもは先生の言うことを聞かざるをえませんから我慢していることが多いのです。
 船井氏は、小売店で大事法を実践するためには、「お客のいうことを徹底的にきくことである」と述べています。当然のことですが、これが難しいのです。         教育の世界で考えてみますと、大事法は、子どものいうことを徹底して聞くことです。  例えば、1年生の子どもは、教師のところへ「ぼく、昨日遊園地へ行ってきたんだよ」などど教師に報告にきます。これらを全部聞いてやることなのです。私も1年生の担任のときには、午前中はおトイレにもいけなかったほどです。取り合えず聞くことです。   つぎに、授業の中で子どもの多様な発想を聞くことです。この場合は、単に聞くだけではいけません。その子どもの考えを受入れ、つまり認めてどこがいいのかをほめることなのです。多様な発想をさせても結局教師が持つ正解を提示して終わりになるという授業は、一見認めたようで実は認めてていないのです。
 算数科の授業ではそういうのはよくあることです。例えば、算数科では学習のめあてを子どもに考えさせておきながら、教師の期待するものがないと画用紙に予め書いておいたカードで示すことがあります。これではサギです。あの場面を見ると、私はこの教師の姿勢を疑います。子どもに考えさせたら、子どもの言葉で板書するべきです。まとめの場面でも教師が書いたまとめを提示するのも感心しません。
 もし、授業で教師の考える反応がでないときは、素直にあやまるべきです。そうすれば、子どもは教師に対して素直に学習する姿勢になります。 そうすると、大事法というのは、子どもの気持ちになって何を求めているかを考えて、子どもの欲求にしたがいつつ、教師が意図的に指導していくことだと思います。
 何事も素直にならなければ実行できません。
 さらに、大事法の根底には、大事にしたいという気持ちが生まれなければなりません。それは、子どもがいるから私は教えることができ、それが教師の私にとっての喜びであると考えるべきなのです。子どもの存在が私にとってありがたいという気持ちになってこそ、大事にしたいという気持ちが発生します。言い換えれば、子どもに感謝するということです。

3.生成発展の理の教育学的応用

画像1 画像1
3.生成発展の理の教育学的応用
 生成発展の理を認めれば,教育の目的が明確になり教育のあり方も変わってきます。  教育の目的は,世の中の生成発展に寄与する人間を育てることです。つまり、「世のため人のために役立つ人間に育てる」ことです。決して自分自身のためだけではないのです。
 戦後の教育にこの視点が欠落していました。エゴが暗々裏に助長されてきたのです。だから,もうけるためには公害という私害を発生させても平気でした。また、宗教による殺人も行われました。いじめも自分だけよければいいというエゴの表れです。
 戦前の教育が国家のためを強調しすぎた結果,戦後はその反動が強いわけです。しかし,世のため人のために生きるというのは,時代を越えた真理です。アメリカの個人主義の影響も強かったのでしょう。エゴという自由がのさばり,責任ある行動が忘れられました。
 ここで、創造主を仮定するといいことがあります。「創造主は、人間に地球をよくするという使命を与えて、生成発展に寄与すると、その人間に喜びを与え、運というツキを与える。」これは、船井氏の理論をもとにした私の仮説です。
 子どもは、大人になって世の中に役に立つ必要があります。そのためには、学ぶ必要があります。生成発展してきた原理、社会、経済、科学、工学、人間、生物、地球などの進化してきた文化遺産を学ぶ必要があります。大脳新皮質が他の生物に比べてとてつもなく大きいのはそのためだと考えられます。
 創造主は、常にご褒美を考えています。学習したら快感ホルモンを出していい気持ちにさせてくれるのです。これが反対だと、誰が学習を続けると思いますか。人間の構造はうまくできています。最近、脳に関係する本をよく読むのですが、その構造の素晴らしさに創造主の存在を仮定せざるをえません。
 最近、船井氏は,創造主のことを至高存在という表現を用いていますが、どちらでもかまいません。
 世のため人のためというのは、大人になると身近に感じられます。例えば、私は算数教育の講演や示範授業をしたりします。そんなとき。終わって本当に共感してもらうと、お役に立てたという実感がわきます。後日、お礼のお手紙などを戴いたら本当によかったという気持ちになります。また、算数科の授業相談も受けます。相談にのること自体も嬉しいことですが、相談者の研究授業を成功させたときは、我がことのように嬉しいです。こういうとき、脳内モルヒネが出ており。脳波はα波がθ波になって脳が蘇生化しているときなのです。
 そこで、教師にとっての生成発展の理をどう受け止めればいいのでしょうか。
 実は、教育そのものが「世のため人のため」になっていることは自明ですね。つまり、子どもに知識や知恵を授け、引き出し、思いやりの心を育てることこそ、生成発展に寄与していると言えます。だから、子どもに学ぶ喜びを感じさせるような授業をして、共に生きることの大切さを教えていることが保障することです。
 そうすれば、子どもも教師も運がツクのです。 しかし、逆の場合はとても恐ろしい原理となります。子どもに学ぶ喜びを感じさせず、自分勝手な子どもに育てると、子どもも教師も運が落ちるのです。
 その運のよさは、教師の人相や雰囲気、教室の雰囲気に確実に表れます。だからこそ、教師は子どもへの教育は真剣に取り組まねばなりません。しかも、世の中は生成発展しているということは教える内容も生成発展しているのです。例えば教科書だって常に新しい内容を盛り込んでいます。それを絶えず教師は勉強しなければいけないのです。以前勉強した知識だけで教えようとするところに怠惰な心があるのです。そうして。子どもは教師を見放すのです。20代は20代なりに、40代は40代なりの授業ができなくてはなりません。マンネリが大敵です。読書と人から学ことを一生続けることです。
 私は、先週(2月22日)5年の「割合」の所を示範授業しました。初めての挑戦です。意識して生成発展の理を使っています。今日26日に子ども達から作文が届きました。とても嬉しい気持ちです。人生は常に新鮮な気持ちで取組みたいと考えています。
 さて、子どもの時代でも世のため人のためを意識させることができます。学級集団の中での役割を持たせて活動させることです。共生・共創の中でこそ、この意識が育ちます。また、本誌の趣旨であるボランティアは、外の社会との関わりにおいて世のため人のために役に立つことができる絶好のチャンスとも言えます。



三、『AandB』への教育への適用

画像1 画像1
 三、『AandB』への教育への適用  
 「新しい学力観」について考えてみます。新しい学力観は明らかに評価の観点から登場してきました。四つの評価項目の順序が変わりました。
(1)関心・意欲・態度、(2)数学的な考え方、(3)表現・処理、(4)知識・理解です。
この変更は画期的なことです。従来、知識偏重からの脱却するためにはいい政策でした。もっと授業を楽しくして子どもの意欲を高めて下さいという願いです。
 さて、ここからが問題です。位置づけは理解できても実際の運用を正しくしないと道を誤るのです。AorBの視点に立つと、今までの全面否定になってしまいます。つまり、過去は間違っていてこれからは正しいということになります。
 そうすると、新しい学力観を提唱するお偉い人は年配の人が多いでしょうが、その人達は過去の人間ですから新しい学力観を主張すること自体意味がなくなります。そうではないのです。過去にも子ども主体の素晴らしい授業実践もあったのです。過去があって現在があり未来があるのです。だから、過去のいいところに学び新しい学力観を目指していけばいいのです。だから、「新しい」という文字ばかりが強調されると危険です。AandBの立場に立てば、年配の方は自信を持って新しい学力観を主張できます。      
 さて、上の評価の四つの観点について考えてみましょう。私の専門は算数科教育学ですが、この歴史をひもとくと二つの主張の対立ばかりです。即ち、「知識・理解、技能」対「数学的な考え方、関心・意欲・態度」の繰り返しです。生活単元学習、系統主義、現代化運動、基礎・基本、問題解決運動など対立の繰り返しです。その結果、どちらの主張も勝ったとえ言えません。それは、AorBの立場に立ったからです。
 算数科ではどちらが欠けても失敗するのです。問題解決をしようとしてもかけ算九九の基礎的技能は大事なのです。新しい学力観で関心・意欲・態度の面ばかり強調されますが、授業が表面的な楽しさだけで終われば、結局子どもに基礎的な学力がつかないのです。文部省は決して知識・理解・技能を軽視せよとは言っていません。現場で指導にあたる人は、文部省が出した資料をもっと吟味してほしいものです。
 AandBの立場で、(1)から(4)までがバランスのとれた四拍子ひろった学力観が必要です。特に、算数科は累積性の強い教科なので基礎的なことが「分かる」「できる」ことが絶対必要なのです。それを子どもたちに保障してから、さらに思考力・表現力・判断力をめざしていくべきです。
 そう考えると、今度の新しい学力観は教師にとってしんどいことなのです。これまでだと、どちらかの立場に立てばよかったのが、みんな大事だよと言われているのですから。
 AorBからAandBへの視点に立つと、指導と支援、個別学習と集団学習、問題解決型授業と説明型授業、管理職と教職員、などの関係が見えてくるはずです。対立ではなく共生・共創へと調和を図るように考えてみて下さい。






船井幸雄の人間学の教育学的応用  [1]   「 AorB」から「AandB」で考えよう

画像1 画像1
人間観編
 船井幸雄人間学の教育学的応用     
「`AorB」から「Aand B」で考えよう                                             
   
                                                                                一、はじめに
 故郷神戸の地震をきっかけに論文「船井幸雄の人間学に学ぶ教育のあり方」を書きました。(現在、「夢現大3」に再収録しています。)これは,船井幸雄氏の著作物より学んだことを教育の世界へ置き換えたものです。船井幸雄氏は経営コンサルタントの会社の会長であり、また、人間学の研究の専門家です。なぜ、この論文を書いたかというと、船井幸雄氏は以前から時代の転換期であることを予測しており、また、これからの時代を乗り切る一つの指針を持っていると思っていたからです。
 この論文では、五つのキーワード<
(1)運のつくこつ、
(2)長所伸展法、
(3)創造の理、
(4)本物をめざすこと、
(5)プラス発想>にそって教育への応用を述べました。この五つは船井氏の基本となる哲学です。この論文を基に新しい論文を書きました。船井幸雄編著「THE FUNAI」:『本物教育のすすめ』(ビジネス社)に納められています。是非読んで下さい。
 これから、船井氏の人間学を基に教育のあり方について述べます。ただし、上の論文と同じことを書くのは精神衛生に悪いので、それを読むことを前提として話をすすめます。できる限り新しい視点で書くつもりです。                      
二、AorB から AandBへ   
 現在は時代の転換期です。何が起こっても不思議ではなくなっています。だから、何を信じたらいいのか分からなくなっています。しかし、はっきりしてきたこともあります。  船井氏は、それを「AorBからAandBへの時代」とを主張しています。確かにそうです。アメリカとソ連の対立の解消、自民党と社会党の共同政権、経済的国境の消滅、地球的規模の交流など統合化が見られてきました。
 教育の世界でも文部省と日教組とが和解したのはAandBの表れです。だから、物事を見つめるのにAorBではなくてAandBを考えていくとよいのです。言い換えると、対立から共生・共創の社会への変化です。
 船井氏は、『日本の最前線』(PHP研究所) という本の中で次のように述べています。  「いうならば世の中全体が要素還元主義から要素同化主義にかわりはじめたのです。『AorB』から『AandB』になろうとしています。」 そこで、船井氏は「包み込みの発想」が大事で あると言っています。AもBもお互いが慈愛を持ち長所を生かして調和をとることです。
 遠藤周作氏も『らくらく人間学』(青春文庫)の中で二分法なるものの弊害を説いています。
 また、元東京工業大学の森政弘氏も「まじめ」と「不まじめ」にあてはまらない「非まじめ」思考法を提唱し二分法からの脱却を説いています。


          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31