最新更新日:2024/06/10
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笑瀾万丈65 ☆奇跡というしかない

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65 ☆奇跡というしかない

後から話を伺うと人事とは全く不思議なつながりである。私は根本博先生の後任に当たる。根本先生は、北海道教育大学から愛知教育大学に移籍されて、二、三年在籍された。根本先生はその後、文部省の中学校の教科調査官になられて転出した。私は、その後任人事に当たる。人事はいろいろ紆余曲折したあと、実践畑の教官を採ろうとなったと聞く。そこで、私をはじめ数人に声が掛けられたれた。
当時、附属小学校の算数部は、滝、正木、志水、田中、夏坂の五人であった。手島先生は前年くらいに上越教育大学に転出されていた。私に声を掛けられたということは上の人から見れば意外だったと思う。「なぜ、志水に声が掛かったのか?」
それは、愛知教育大学側からの条件がそうだったからである。40歳前後でなおかつ修士をでているという条件であった。だから、その条件に合致したのが私であった。でも、先輩からすれば不満だったと思う。
 後日聞いた話によれば、私は大学院を修了していた。ここが大きい実績であった。しかも、業績に関しては、学会の論文、著書、雑誌の原稿等かなりの分量であった。だから、公募者の中では圧倒的な優位にあった。だから、うまく大学の教員として合格となった。国立大学の場合、業績審査はかなり厳しい。事前の審査、選考委員会の審査、そして教授会の投票をもって決められる。ある人は、教授会の投票のときにもめて駄目になったことがあった。そんなこともあって、私はなんとラッキーなことだと思った。
大学院に行くときの様々な妨害、いじめは筑波大学附属小学校や愛知教育大学の教員になって、報われた。それにしても28歳のとき、なぜかしら大学院に行きたいという魂の声を無視できなかった。普段は大人しい私だが、どうしても行きたいと思ったのである。我を通したのである。人は、この世に生まれた使命をもっている。この使命は長い人生行路の中でわき起こってくるものである。

教訓:魂の声を無視できない。魂の声に従って生きることができれば、艱  難辛苦があっても結果的には魂が喜びとなる。


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