最新更新日:2024/09/18 | |
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なぜ○付け法が必要なのかけれど、私から見れば、本当に見ているかどうかはあやしい。 すぐれた考えをノートに書いているのにもかかわらず、その考えを取り上げない授業。 途中の計算でつまずいているのにそれに対して手だてを打たない授業。 こんな授業を多く見てきた。 いったい、子どもが書いた情報を何と思っているのか。 単なる文字列たど思っているのか。 子どもは今書いたら今評価してほしいのである。 良い評価、悪い評価いずれであってもよい。 はっきり評価してくれなければ、次への一歩を歩み出せないではないか。 ○付け法は、教師に子どものノートをその場で見ざるをえなくなる。 だって、全員に○をつけするから全員のノートを見ることになる。 しかも、○をつけようと思えば、書かれた思考過程と結果に対して○かどうかを教師は判断しなくてはならない。 いい加減に○とはつけられない。 教師の○とは、子どもにとってすごく大きな意味をもつ。 だから、責任重大である。 いやおうなく子どものノートを見ることになる。 これが○付け法を進める理由である。 いやおうなくと言ったが、本当は、子どものノートを見ることはわくわくすることである。 いやおうなくから→わくわくへと転換すれば義務感から幸福感へと転換できる。 そんな○付け法を目指したい。 [志水廣の公式ホームページ] |
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