最新更新日:2024/09/22
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教師は「しゃべるな」

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5/13 今日のひとこと
私の示範授業を見せた後、
大学から直進してきた学生の質問がありました。

『「教師はしゃべるな」と言われました。どうなんですか。』

たぶん、私の示範授業では教師がしゃべっていると思ったのでしょう。
説明で必要な所は話しています。また、誘導の部分は話しています。
ただし、子どもに考えさせており、見つけた性質や答えは、子どもに言わせております。

つまり、教師の行動してどこで説明すべきか、どこで子どもに考えさせるべきかについての区別がついていないから、このような質問がでてくるのだと思います。

「教師はしゃべるな」ということの背景には、教師がしゃへりすぎて、子どもに考えさせていないということがあります。確かにこういう授業を見ることがあります。

この「しゃべりすぎ」ということについて、否定されると、「教師はしゃべらない方がよい」という風に解釈されていきます。
すると、教師の発言量の多さ少なさで授業の良い悪いが評価されてしまいます。

問題は、発言の質なのです。教師の発言の質、子どもの発言の質なのです。
教師がしゃべらなくても子どもが考えてよい発言をする授業があります。
でも、教師がしゃべらなくて、子どもの発言がだめな場合もあります。

教師がしゃべりすぎで子どもの発言の質が悪い場合があります。
でも、教師はかなり発言しているけれど、それに負けないくらい子どもが発言し、しかも質が高い場合もあります。
そいう授業は、教師と子どもとのコミュニケーションがうまくいきながら、普通の授業の1.5倍くらいのスピードで情報がうまく処理されています。

ですから、単に「教師はしゃべるなと」という言い方では、授業の良い悪いは判断できないのです。
特に、算数数学の場合は、概念の定義があって性質を見つけていきます。このとき、定義の部分を教師がしゃべらないではスタートを切ることはできません。

前提条件をもとに議論したいものです。
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