最新更新日:2024/09/18 | |
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不思議な一致ある講演で上のフリップを見せた。 学校教育でできることは何だろうか。 学力と社会性を身に付けることである。 そこで、学力は、平均点がいくらかという漠然とした問題ではなくて、その生徒自身の問題である。つまり、個人に学力が身に付いたかどうかが問われるのである。 その生徒が、 漢字が読めるようになったのか、 計算ができるようになったのか、 理科でもその生徒がガスバーナーを動かせるようになったのか、 社会科で言えば地図の見方ができるようになったのか、 体育科で言えば跳び箱がとべるようになったのか、 これらは個人の問題である。 そこをフリップで表した。 さて、この講演の後で、ある校長先生から、地域の方から学力は個人の問題だと指摘を受けたと聞かされた。地域のかたと私が打ち合わせたわけではない。不思議にも一致したのであった。 同日に「個人」、「個人」とダブルに指摘されたのである。 だから、個人に迫る教育が大事なのだ。 協働とかいう前に、個人の看取りはどうなのか、個人への助言はどうなのか、 そこを考えないかぎり、教師集団に当事者意識は生まれない。 だから、○付け法であり、復唱法なのだ。 |
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