最新更新日:2024/09/25 | |
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上に立ってみて仕事柄、校長先生や教育長さんらと話すことがある。 上の者に立って思うことは、部下の幸せを考えることである。 いきいきと能力を発揮してほしいと願う。 ただし、構成員の想いは多様であり、この多様の想いの華を咲かせることの困難さである。 直接、上の者から言うことは簡単だが、それで果たして動くかどうか。 ここが勘所である。 素直、プラス思考、勉強好きな人には、意見はすうっと入る。 ところが、そうでない場合には、どこで波長を合わせることができるかである。 直接言えないのならば、間接しかない。周りの人に応援になってもらってその人が伸びる策を考えることである。まあ、平たく言えば同僚性への支援ということになる。 [志水廣の公式ホームページ] 間違えても間違えてもいいんだよと先生は言うけれど、 間違えたらいやな顔をするんだよ。 ぼくの先生は。 この一言は、何を意味するの? [志水廣の公式ホームページ] 困ったときこそ困ったときこそ、知恵がわく。 電車に乗り遅れた。いまの私鉄電車では、名古屋乗り換えだと予定のJR特急しなのには間に合わない。 うーむ、 一本おくらせるかどうか。 一時間あとになるな。 いや 待てよ。 あの特急は千種に止まるはずだ。では、金山乗り換えに挑戦。 千種にいけば 間に合うかも。 結局、予定の特急電車に乗れた。 困ったときには 脳は検索エンジンとして働き、最善の解答を引き出す。 だから 知恵を引き出すには困った状況を作り出すことだ。 [志水廣の公式ホームページ] 体験から体験から生まれた 言葉は、強い。 だから、体験することだ。 Aを引き出したいときはAを引き出したいときは、Aの反対を強調してみよう。 すると、逆に、Aが際だち、引き出しやすくなる。 [志水廣の公式ホームページ] 表と裏人は自己防御のために、ジャブを打つ。 その例としては、にこにこ顔で愛想を振り撒く。 弱いからこそ、 防御になる。 だから、本当の笑顔なのかどうかを見抜いてつきあうことである。 そして、心から笑顔になるように願う。 [志水廣の公式ホームページ] 発火点を探せこどもが燃える授業をするためには、こどもの弱点を探すこと。 つぎにその弱点を克服したいかどうかを聞き、挑発することだ。 その接点こそが、こどもが燃える発火点だ。 [志水廣の公式ホームページ] 突然の同窓生広島県熊野第四小学校の校長室で、兵庫教育大学大学院修了生を友人の佐伯陽から紹介された。なんと、校長室には私も含めて5人も集まった。 私が修了したのが25年前。 各地で活躍されている。 突然、同窓生が集まり、この大学院の意義がわかった。 今、私は愛知教育大学の教職大学院で同じことを歩み始めた。今度は教える側である。 10年後、20年後の希望をもった。 [志水廣の公式ホームページ] アクセス総数が 40000件です。偶然に出会いました。 ありがとうございます。 志水廣 たまにはたまには、教師の発問はぼやけてみるとよい。 そして、教師の意図をくみ取るような子どもを育てたい。 この発問は、意図的に行うのである。 すると、子どもの脳が??になって、考え始める。 いつも教師の説明や発問が完璧だと、脳にとってはわかりやすいが、 丁寧さや易しさになれてしまい考えようとはしなくなる。 あくまでも「意図的、たまには」、が条件である。 いつも発問がぼけた授業は迷惑な話である。 [志水廣の公式ホームページ] 答えはあるどんな問題でも答えはある。また、解決の仕方もある。 ただし、答えや方法の見通しがもてないものだから、不安になる。 ただそれだけだ。 [志水廣の公式ホームページ] 算数の言語表現写真は、4年 変わり方の授業で、数のペアをとり、それに対して気づいたことを記述した文章である。 冒頭の「18本使って」という表現が光っている。 数学は、「if〜〜then〜〜」という命題表現が望ましい。 もし18本ならば、・・・。もし、20本ならば・・・。 このような子どもにそだてたいものである。 御器所小学校の授業より [志水廣の公式ホームページ] パソコン修理体育科と同じ名古屋の御器所小学校を訪問して授業参観・指導をした。 教職大学院の大学院生の角屋直樹さんが所属する学校なので指導をかねて訪問した。 松尾校長先生とお話していた。先生は、算数科も体育科と同じ原理だという。 「わかる」「できる」「身に付く」そして、「なぞる」こと。 同じですねと話された。 算数科だって、「考える」ことは大事だけれど、 本当に「わかる」につながっているのか、 「できる」につながっているのか、 「身に付く」につながっているのか。 「考えさせた」だけに終わってはいないか。 ふりかえってみてほしい。 [志水廣の公式ホームページ] つなぎを見付ける1年生の授業参観をしていて、教材のつながりが見えた。 「おさらい」と「本時」との間である。 それは、おさらいの部分で、 10の束が5つと1のばらが4つある。 だとすると、これは右の本時の問題と同じである。 だから、おさらいの部分を見せながら、「10の束と、1のばらでお話してみよう」。または、「54」という数字カードを見せて、「10の束と1のばらでお話してみよう」と発問するとよい。 行間を埋めるとはこういうことをいう。 [志水廣の公式ホームページ] 今、分水嶺を超えたか京都の和束小学校に行ったら、お茶畑のあとを次という人が現れてきた。 町へ出ていったのが、戻ってくる時代になったという。 一流大学をでて証券会社につとめていた人が戻ってきた。 会社がつぶれる前に戻ってきている。 教育の世界も規制緩和なのか、規制強化なのかわからない細かい世界になってきた。 これは行き着くところまでいき、いや行ったかも。 だから、分水嶺を超えた。 これからが楽しみだ。 もっと真の人間性回復の教育へ向かう。 ゆとりと充実ではない。どんどん燃えていくなかで、新しい自己改革していく教育である。 ps このメールを書いた後、朝刊に、現政権は小泉路線との決別をうたっていた。つまり、構造改革はやめたということである。さてさて、教育の世界での構造改革とは何だったか? [志水廣の公式ホームページ] 活動の楽しさ算数的活動で授業が生き生きとする。 活動の楽しさから、算数を学んでいた。 生き生きと取り組んでくれたら勝ち。 [志水廣の公式ホームページ] 慈愛の世界子どもたちを本当に好きでたまらない。 無条件の「愛」を感じる授業であった。 それが顔に表れている。 素直に感動した。 [志水廣の公式ホームページ] 月は満ちたり欠けたり月は、満月もあればやがて、欠けていくこともくる。 人も組織も満月もあれば三日月もある。 では、三日月は本当に欠けたかというと、見えないだけである。 だから、本来の月は丸く存在する。 見えないのだったら、見えるように光りを当てればよいではないか。 [志水廣の公式ホームページ] 「心」と「知」への変容「愛」で育てるとは、子どもに思考の外化を求め、キャッチ&リスポンスして、子どもの「心」と「知」に変容させることである。 そのキャッチ&リスポンスの道具が、○つけ法であり、意味付け復唱法である。 [志水廣の公式ホームページ] |
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