最新更新日:2024/05/27 | |
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数理の場所知多の鈴木詞雄先生と話の中で、でてきたこと。 以前、私が彼に数理の存在場所について話したそうだ。 子どもの頭の中に数理があると思うのか、 子どもの頭の外に数理があると思うのか。 2つの思いは大違い。 子どもの中にあると思えば、引き出してやりたいと考える。 子どもの外にあると思えば教え込みたい。 教師の根底にある思いで授業は大きく変わる。 [志水廣の公式ホームページ] 奥深さここのところ志水塾地方大会では、○つけ法と意味付け復唱法のセットか、○つけ法と適用問題定着法のセットで行っている。 適用問題定着法は、授業ではわずか1分から2分間のことである。それでも効果があがる方法である。 ただし、この方法は頭で理解できても実際となると難しいことを感じる。 というのは、3つの過程がある。 実際に教材をつくるための研究、また、教材研究したあとのフラッシュカードづくり、さらに、実際の演示。 特に、最後の演示はかなり高度な技である。 なぜ高度なのかはここでは書かない。 授業のうまい教師がする技は高度である。 しかも技の奥深さを感じる。 [志水廣の公式ホームページ] 笑顔返し子どもの発言を笑顔で 返すために、 教材研究しよう。 [志水廣の公式ホームページ] 教科研究この20年間、現職教育の話題は、総合、少人数指導、TT、キャリア教育、食育・・であった。 何が欠けていたか。 それは、教科研究がなされてこなかったことだ。 毎日、教科を教えているのにもかかわらず教科研究は十分ではなかった。 もう一度原点に戻って、国語はどうするのか、社会科はどうするのか・・・ といった教科研究をやるべきである。 大都市部では、若手の教員が増えている。 教科研究を徹底してやらない教師が育つことの怖さを感じる。 [志水廣の公式ホームページ] 頭はゼロに頭をゼロにすること。 ゼロにしないと、新しいことはできない。 ゼロにしないと、新しい考えを受け入れることもできない。 [志水廣の公式ホームページ] わかる・できる・楽しい「わかる」から「楽しい」。 「楽しい」から「わかる」。 「できる」から「楽しい」。 「楽しい」から「わかる」。 一体、どの順序なのか。 「楽しい」は先にこないというのが志水の考えである。 [志水廣の公式ホームページ] だまされたと思ってある研究会でX先生と出会った。 どこで、私を知るようになったの? 明治図書の「楽しい算数の授業」誌に愛知教育大学公開講座の広告がのっていました。 これを見て、「だまされたと思って申し込み参加したのです。」 なるほどね。私を知らない人にとっては、それだけ壁が高いということであろう。 「ところが、その公開講座が面白くてためになったので、今回、近くに志水塾が開かれると言うことで参加しました」という。 何が縁でつながるかわからない。 だまされたと思って行動するのも1つの手である。 自分にとってメリットがなければ離れればよいのであるから。 もちろん、私はだましはしませんよ。講座を実施することは、プロですから楽しませますよ。有益になるようにしますからね。 [志水廣の公式ホームページ] |
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