最新更新日:2024/09/22 | |
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人材育成人材を育成するのは長い道のり。 本を読むことだよ。 指導案を書くことだよ。 と、口頭で教えても、なかなか実行しない。 指導者と教わる者との根比べ。飽きずに繰り返し言えるがどうか。 そして、先輩は範を示すしかない。 [志水廣の公式ホームページ] ほんのり赤いほんのり赤いリンゴの木。 何に対して恥ずかしがっているのかな。 [志水廣の公式ホームページ] いい景色いい景色を見て、何度も深呼吸。 これで、疲れも回復。 [志水廣の公式ホームページ] 青森県岩木山 初めが大事何かをまちがいだと思い込むと、それを修正することはなかなか難しい。 だから、初めに入る情報は正しいものがよい。 [志水廣の公式ホームページ] ゆさぶりの条件子どもが発言したことに対して、概念の意味理解を深めるためには、「ゆさぶる」ことが1つの有効な方法。 ただし、いつでもゆさぶってよいとは限らない。 少数の子どもしか発言していないとき、少数の子どもしか発言の意味を理解していないときには、ゆさぶりは、逆効果となる。 おおくの子どもが確信をもっているとき、確信を持ち始めたときにはゆさぶりは有効である。 つまり、子どもたちの今の実態を空気として感じる・読むことが求められる。 [志水廣の公式ホームページ] 時代の末期現象ルールがきびしく、うるさくなってくると、組織や社会は末期となる。 なぜならそうしないと、組織がもたないからである。 そして、ある日突然、組織は壊れる。 組織の規範はゆるやかな方がよい。その方が創造性を発揮できる。 ここ数年間は、規制緩和という名目ばかりで、実質は規制強化であったと思う。 [志水廣の公式ホームページ] 元気のある人たち元気のある人たちとつきあうと、元気になる。 だから、落ち込んだときは、元気のある人に会いに行こう。 [志水廣の公式ホームページ] スローラーナーの特徴すこしレベルの高い問題に遭遇したとする。生徒と教師の応答。 S:「もういい」「もうだめ」 ↓ T:「さっきといっしょの問題だよ」「やってみなよ」 ↓ S:「あっ、ほんとだ。できた」 ↓ T:「そうだろ。できたでしょ」 ↓ S:「なんだ、簡単じゃん」 あきらめも早いが、復活も早いのが特徴。 生徒に「簡単じゃん」と言わせれば成功。 [志水廣の公式ホームページ] やりましたと言うけれど「□□をやりました」というけれど、「やったこと」と、「わかったかどうか」「できるようになったかどうか」は別問題。 □□に○つけ法、意味付け復唱法などの指導技術が入る。 本当にわかったならば、適用問題はすいすと解けるはず。 すいすいと解けないならば、実施した方法は効果なしである。 「わかったかどうか」を評価するには、子どもたちから「あ〜あ、わかった」という声が思わずでてきているか。 教師が「わかりましたか」というようでは、本当にわかったこととはほど遠い。 子どもたちが 「わかった」という声かがでたら、何がわかったかを問い返してみよう。そこで、素晴らしい考えが披露されれば、よい授業である。「わかった」と言っても何となくのことが多い。 このように子どもが「わかった」と言ってくれないから、教師は悩むのである。そして、いろいろな手だてを考えるのである。そして、あるとき、いろいろな手だてのうち1つが成功することがある。この成功がきっかけとなって、さらに工夫を重ねていく。 ところが、悩まない教師もいる。 そして、子どものせいにする教師がいる。この人は、永遠に悩まないところでくるくると回っている。悩まないから楽なんだよね。悩まないから、教育関係の本も読まないし、研修会を企画しても参加したいとは思わないし、先輩に聞こうともしない。 「愛」が足りない教師というよりも教育愛がない教師と言ってもよい。 やはり教育の原点は、「愛」である。 [志水廣の公式ホームページ] 段取りが終われば段取りが終われば、本番は怖くない。 段取りの要点は、 何を いつするのか、 誰がするのか、 どんな準備物があるのかなどを すべて書き出して、順序を考えて 配置することである。 [志水廣の公式ホームページ] 幸せになるために人が喜んでいるのをみるのは 幸せなこと。 人が悲しんでいるのをみるのは 辛いこと。 だから、人を喜ばせてあげよう。 [志水廣の公式ホームページ] 後でわかること人生の岐路がある。 その岐路は、自然にに行く場合もあるし、強制的に転換させられる場合もある。 そのときには、選んだ道の善し悪しは全くわからない。 後から、数年たって、いや何十年たって、 私の人生はこういう導きだったのかと思う。 だから、選んだ道についてくよくよ悩むことはない。 まあ、いいんではないのかな。 [志水廣の公式ホームページ] 数理の場所知多の鈴木詞雄先生と話の中で、でてきたこと。 以前、私が彼に数理の存在場所について話したそうだ。 子どもの頭の中に数理があると思うのか、 子どもの頭の外に数理があると思うのか。 2つの思いは大違い。 子どもの中にあると思えば、引き出してやりたいと考える。 子どもの外にあると思えば教え込みたい。 教師の根底にある思いで授業は大きく変わる。 [志水廣の公式ホームページ] 奥深さここのところ志水塾地方大会では、○つけ法と意味付け復唱法のセットか、○つけ法と適用問題定着法のセットで行っている。 適用問題定着法は、授業ではわずか1分から2分間のことである。それでも効果があがる方法である。 ただし、この方法は頭で理解できても実際となると難しいことを感じる。 というのは、3つの過程がある。 実際に教材をつくるための研究、また、教材研究したあとのフラッシュカードづくり、さらに、実際の演示。 特に、最後の演示はかなり高度な技である。 なぜ高度なのかはここでは書かない。 授業のうまい教師がする技は高度である。 しかも技の奥深さを感じる。 [志水廣の公式ホームページ] 笑顔返し子どもの発言を笑顔で 返すために、 教材研究しよう。 [志水廣の公式ホームページ] 教科研究この20年間、現職教育の話題は、総合、少人数指導、TT、キャリア教育、食育・・であった。 何が欠けていたか。 それは、教科研究がなされてこなかったことだ。 毎日、教科を教えているのにもかかわらず教科研究は十分ではなかった。 もう一度原点に戻って、国語はどうするのか、社会科はどうするのか・・・ といった教科研究をやるべきである。 大都市部では、若手の教員が増えている。 教科研究を徹底してやらない教師が育つことの怖さを感じる。 [志水廣の公式ホームページ] 頭はゼロに頭をゼロにすること。 ゼロにしないと、新しいことはできない。 ゼロにしないと、新しい考えを受け入れることもできない。 [志水廣の公式ホームページ] わかる・できる・楽しい「わかる」から「楽しい」。 「楽しい」から「わかる」。 「できる」から「楽しい」。 「楽しい」から「わかる」。 一体、どの順序なのか。 「楽しい」は先にこないというのが志水の考えである。 [志水廣の公式ホームページ] だまされたと思ってある研究会でX先生と出会った。 どこで、私を知るようになったの? 明治図書の「楽しい算数の授業」誌に愛知教育大学公開講座の広告がのっていました。 これを見て、「だまされたと思って申し込み参加したのです。」 なるほどね。私を知らない人にとっては、それだけ壁が高いということであろう。 「ところが、その公開講座が面白くてためになったので、今回、近くに志水塾が開かれると言うことで参加しました」という。 何が縁でつながるかわからない。 だまされたと思って行動するのも1つの手である。 自分にとってメリットがなければ離れればよいのであるから。 もちろん、私はだましはしませんよ。講座を実施することは、プロですから楽しませますよ。有益になるようにしますからね。 [志水廣の公式ホームページ] 一人と全員一人の子がよいことを発言したとする。 これを即時に評価して、全員にも促す。 よい動作をしても同様である。 教師は、一人のよさを見抜く力と、それを広める力が必要である。 [志水廣の公式ホームページ] |
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