最新更新日:2024/06/24 | |
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「個」とは何か?「個」を大切にするということは研究会ではいつでもどこでも言われている。 ところが,この「個」とは一体何なのか。あなたは辞書で調べたことがあるだろうか。おそらくないだろうと思う。私もそうであった。ある年,「個を生かす算数の授業」という講演をたてつづけに依頼された。そこでやむをえず調べてみたのだ。漢和辞典(旺文社)をみた。つぎのようにあった。 解字:人が死んでガイコツとなる意。のちに,物を数える言葉として用いる。 ガイコツだというのだ。これで私の持っているイメージはぐらついた。ということは,「個」を大切にするということは,人を殺してガイコツになることを大切にすることではないかと。これはとんでもないことだ。子どもを育てるどころか,真反対の意味になってしまうのである。 そこで,つぎに,意味の所を見た。 意味:1.物を数えるときにそえる語 2.全体に対する一つ やっと求める意味が出てきた。2の「全体に対する一つ」である。授業で言えば,学級集団が全体であり,それに対して一人ひとりが個である。私は,全体に対するという語が重要だと思う。つまり,全体がないのに個という概念は考えられないということである。だから,学級集団と一人の子供というのを対峙して考えていくべきである。 [志水廣の公式ホームページ] 連鎖一つの行動が、二つ目、三つ目の行動へと連鎖していく。 現在、「夢現大」の自選集3と自選集4を作成中である。 今回は、自選集1と2の最近の好評さからして、もっと広い読者に提供したいという思いが強くなった。 そのため、自選集3と4を作るにあたって、バーコードとISBNを取得するべき、知人のOさんにお願いした。 それを快く引き受けてくださった。 あっけなくオーケーとなった。ありがたいことである。 バーコードとISBNの発行は、夢現大の本が書籍の流通にのることができることを意味する。だから、読者層が広がる。 そして、実際に自選集3と4の骨子が決まったので、具体的にお願いをしてみたら、今度は、「自選集3と自選集4とナンバリングされているので、自選集1と自選集2もバーコードとISBNもできますよ」と言われた。 まさかという感覚である。こんなありがたいことはない。 またまた、自選集1と2のコードについても、お願いしたらそれらも発行してくださった。 したがって、「夢現大」の自選集は1から4までが流通にのることになる。 たくさんの人に読まれることが期待できる。 なんとか皆様に「夢現大」を読んでいただき、元気のクスリになればよいと思っている。 思いの強さがラッキーの連鎖を創り出した。Oさんに感謝しています。ありがとうございます。 [志水廣の公式ホームページ] ある・ない□□がないから、幸せでない。 お金がないから幸せでない。 ご飯食べれないから幸せでない。 時間がないから幸せでない。 結婚できないから幸せでない。 □□の数は無限大。 こういうのを「ないから」人生という。 □□があるから幸せ。 いのちがあるから幸せ。 少しでもお金があるから幸せ。 歩けるから幸せ。 仕事があるから幸せ。 お風呂に入れるから幸せ。 眠れるから幸せ。 目覚めたから幸せ。 学校があるから幸せ。 家があるから幸せ。 □□の数は、夢現大。 幸せの基準を下げるとたくさんでてくる。 「あるから」人生に変わるといいよね。 [志水廣の公式ホームページ] いい顔しているね教えているときのあなたはいい顔しているね。 笑顔が教室のみんなを照らす。 笑顔が安心感をもたらす。 だから、学びも進む。 安心は安全につながる。 だから、どんなときにも笑顔でいよう。 [志水廣の公式ホームページ] ピンチかチャンスか子どもが授業中に「わからない」という顔をする。 こんなとき、教師は「困ったなあ」と思う。 だから、ピンチである。 これが続くと、「わからない」という顔をしてほしくなる。 なんで、わからない顔をするのか。 悲しさから移行して怒りになる。 でもね。子どもが「わからない」という反応を返してくれるからこそ、つぎの手を打てるのである。つまり、ありがたい正直な反応である。 だから、今度は子どもに分からせてあげるチャンスである。 問題は、「分からない」という顔をしたときに、次の一手、二手を考えていないから難しいのである。 この次の一手目は、「どこが分からないのか」を明確にすることと、 二手目は、具体的な図、操作、数直線、例示でわからせることができる。 この二手目を考えておくと事態は打開可能である。 [志水廣の公式ホームページ] 『夢現大』自選集3、4の作成中上の「夢現大 自選集1」と「夢現大 自選集2」は数年前に作った。 1月に販売を再開してまた申し込みがある。 ありがたいことである。 そこで、引き続き「夢現大 自選集3」、「夢現大 自選集4」を作ることを決意した。 ほぼ原稿ができてきた。 6月の愛知教育大学公開講座にはお披露目できると思う。 決意してから作り上げるまではこつこつとやりつつ、最後は一気に作り上げつつある。 皆さんの喜んでいただけるように、話題を精選して加筆修正して工夫した。 楽しみにしておいてほしい。 [志水廣の公式ホームページ] 補足 上の自選集1と2の販売については、下記のアドレスで紹介しています。 http://www.schoolweb.ne.jp/weblog/index.php?id=... 同じ志同じ志(こころざし)を持つ人が集まることほど、楽しいことはない。 好きなことを言うし、シビアな意見も飛び交う。 それでも安心なのは、 お互いが頑張ってきたから。 話の内容が濃いから。 許し合っているから。 だからほっとする。 そして、次へのエネルギーが生まれる。 こんな人たちに囲まれて幸せである。 では、どんな志か? 子どもをベースにおいた教育論、授業論である。 それを理論と実践がかみ合った人たちの集まりである。 だから楽しい。 [志水廣の公式ホームページ] ウランの力人を恨んではいないか。 恨んでも恨んでも、相手の人は何とも思っていない。 恨む時間は浪費である。頭はそのことに費やしている。 そんな時間があったら新しいことに生産するほうがまし。 アナタが恨んで眠れないとしても、相手は確実にぐっすり眠っている。 割に合わない話。 また、恨んでいるときに自分が出す悪い波動がウランのように放射能で浴びている。 さらに割が合わなくなる。 ウコンの力ならば元気になるが、ウランの力は体をむしばむ。 感情では押さえられないから、理性の損得で考えてやめるとよい。 [志水廣の公式ホームページ] 周りが見方一つのことをやろうとすると、必ず壁がたちはだかる。 その壁は、一見すると邪魔な壁のようである。 ところが、本当は邪魔ではなくて、応援の壁だったりする。 そうすると、壁を解消するための手だてはあるはずで、相談していけばうまく壁を消せることになる。 その消え方は、応援の力があるから案外速く解消する。 解消すればより安全で安心なシステムに生まれ変わる。 [志水廣の公式ホームページ] 粘るべきところ粘るところを間違えると、飛んでもないことになる。 嫉妬、恨み、不平、不満、怒りなどのマイナスの感情に粘ると、さらなるマイナスに引き込まれる。 嬉しい、楽しい、面白い、穏やか、ありがたいなどのプラスの感情に粘ると、さらなるプラスのステージが待っている。 見ていると、マイナスの力の方が大きく、全身全霊を込めてマイナスに粘っている人がいる。まるで綱引きをするかのように。 要は、マイナスに引っ張られないようにしよう。 もし引っ張られそうになったら、「ああよかった」「もう大丈夫」と言って言霊を使おう。 [志水廣の公式ホームページ] 運がよくなる運がよくなるためには、運のいい人にくっつくこと。 いいかなあ。 これ以外にはない。いい師匠につくことである。 運のいい人にくっついて、学んで行動することである。 では、何を学ぶか。何を行動するか。 運のいい人は、謙虚なんだなあ。 どんなことにも感謝ができる。つらいことにも感謝できる。つまり、「ありがとう」と言える。 あんなに大変な場面でも、「ありがとう」、「ありがたいなあ」と言える。 これを学んで、実際に言えるようにするとよい。 さらに、運のいい人は、「ありがとう」と言われる人である。 たくさんの人から「ありがとう」と言われている。 運を分け与えているのだから、たくさんの「ありがとう」が返ってくる。 これは、一段上のレベルである。 「ありがとうと言う」レベルから「ありがとうと言われる」レベルへと目指す。 師匠はどんなことで「ありがとう」と言われているか、 深く観察して真似てみる。きっとあるはずだ。 学ぶことはできる。でも実践となると、かなり難しい。 でも、少しずつ観察してレベルアップしていけばよい。 まずは、いい師匠を見付け、くっついてこう。 [志水廣の公式ホームページ] 変わり目季節が変わるとき、気温の上下が激しい。 今回の冬から春への動きも激しい。 変わるときには、終わるものがある。終わることがある。 しかも変わり目の終わりには、引き続き連続的に終わっていくのである。 終わると思うと、悲しく淋しいものである。 本当に悲しいことだろうか。悲しいばかりではない。 本当は、終わりは新しい始まりでもある。 また、新しいことが始まるんだな。 どんな新しいことだろう。 それは、私の人生にとってどんな意味があるのだろう。 と考えていくとわくわくする。 [志水廣の公式ホームページ] 自分に○つけ法いじめはよくない。 なぜなら、卑怯だからである。 犯罪でもある。 いじめは周りの者がいじめる。これが普通である。 もっと身近にいじめる者がいる。 それは、自分自身である。 自分が自分に対して気にくわないで自己嫌悪に陥る。 これが自分いじめである。 自分いじめは際限がない。 なかなか立ち直れない。 せめて、自分くらいは自分をいじめないで認めてはどうだろうか。 最後に自分を守るのは自分。 自分さんありがとうと、自分自身に○つけ法を。 [志水廣の公式ホームページ] 集中するには何事も集中して取りかかれば処理は速い。 一心不乱にそのことに打ち込む。 すると、どんどん進む。 書き物をすると、自分でも考えたこともないアイデアが浮かぶ。 子どもはすぐに集中する。 算数の問題だよ、理科の実験だよ、跳び箱を跳ぶよなど、すぐに集中する。 あれだけたくさんのことを毎日こなすわけだから、集中しないと、うまく進まない。 集中の源は、目の前のことだけを見ていればよい。 大人になると、目の前のこと以外の情報にも気になる。だから、気持ちが分散する。 いかに他の情報を捨てるかである。 捨てるために一番よいのは、とりあえず始めるということである。 脳は、その瞬間スイッチが入る。 [志水廣の公式ホームページ] [志水廣の公式ホームページ] 全部教えては10の内容があるとすると、それを教師は10を教えたいと思う。 だけど、10教えたら、今度は子どもは自ら考え、自ら学ばなくなる。 8ぐらいにして、後の2を自分で補充させるようにしたい。 教える内容と教えない内容との割合は学級によって異なる。 もちろん、後の2についてきちんと調べたか、考えたかを確認することは必要である。 教えすぎもだめ、教えなさすぎもだめ。 ちょうどいい加減のところを探すのが教師の役目。 [志水廣の公式ホームページ] リーダーと決断リーダーと部下の違い。 リーダーは、諸般の事情が見えている。大きな流れが見えている。 だから、部下がどんなに反対しても、組織や部下のためには決断をしなければならないときがある。 この決断には勇気がいる。 しかし、部下にはその決断が誤った判断だと映る。 だから、リーダーは追いつめられることがある。 まあそれもやむを得ないことである。 時間をかけて説得すべきことであるが、時間のないときもある。 だから、決断をせざるをえない。 やがて、数ヶ月後、数年後にその決断の評価がわかることになる。 私の書籍の関係でも、学校が作った本の中には校長先生の覚悟と決断で一気に進んだ事例がある。その本がでたおかげで研究は進んだし、また職員の力も引き出せたし、さらにその本のおかげでおおくの人がハッピィーとなった。 リーダーとは孤独な中で決断をする役割である。 [志水廣の公式ホームページ] 「らく」と「わくわく」私はこれまでみんなの人が「今よりももっとよくなりたい」と思っていると考えていた。そのためには、努力は当然だと。 でも、先日、ある人と話していたら、 「楽したい」、できれば「手を抜きたい」と考えている人の方も案外多いと言われた。 もっと言えば「さぼりたい」と。 なるほど、そういうことか。 だから、そういう人は「できない」とか、「仕事が多い」とか言うのだ。 私は、大学院時代から仕事が多いのは当然の世界で、約30年近くをその世界に生きてきたから、そんなことでぼやくことはしなかった。むしろ仕事の成就感や喜ばれ感の方に生き甲斐を感じてきた。 世の中、不平・不満を言う人が多いというのは、「楽」をして生きるということしか考えていないからである。あわよくば「楽」をしてうまくやりたいと。 「楽」の意味が違う。 「楽」とは、「楽しい」「わくわくする」ということである。わくわくして仕事をやれば成功する。 もしかしたら、わくわくする仕事を見つけること、いやな仕事でもわくわくするところを見つけてすること、これらは才能かもしれない。 さらに言うと、努力するということ自体が才能かもしれない。 あなたの才能を開花させるためには、「さぼる楽」の道を捨てて、「わくわくする楽」の道に転換することから始まる。 小さなわくわくから始めよう。 [志水廣の公式ホームページ] 教える立場から教わる立場に本日から、教職大学院の授業が始まった。 定員(50名)を満たしているかどうかが問題となるが、 愛知教育大学は、毎年ほぼ10名ずつ増加し、今年は45名の入学者となった。 とてもありがたいことである。 今年の印象は、教室いっぱいに基礎領域と応用領域が混じって院の授業を受けていることである。大学院の授業で40名ほどの授業をすること自体が驚きである。 学生達の期待の目にわれわれ教員も身が引き締まる。 そんななかで、応用領域は現職の教員である。 普段は、教室の前で教えている立場である。 ところが、今度は学生として教わる立場である。 すると、生徒机に座っていることに慣れていない。 はるか昔の学生時代のとき以来、一日席についている必要がある。 これは案外苦痛である。 私も29歳で大学院に行ったときその記憶がある。 立場が逆転してみてわかることである。 この気持ちを忘れずに教壇にもどってほしい。 [志水廣の公式ホームページ] 親身になるお店人は楽しく語り合えるところに集まる。 Daiguという居酒屋がある。 そこは、安くておいしい。しかも客の味の好みまで記憶しているる だから、人は集まる。 飲むときは、みんな平等だ。 店主は、一人一人が帰るときにも必ずカウンターからでてきて見送る。 平等である。 親身になってくれる人や所に集まる。 開店して半年でお店は満杯が連日。 たいしたものだ。 [志水廣の公式ホームページ] 競争レベルからの脱却競争社会だという。 競争には勝ち負けがある。 これは、お互いに競争しなければならないというレベルだからである。 競争しなくても勝てることがある。 それは数段レベルが高いところだと競争が生じない。 よって、常に常勝である。 数段高いと、負けという意識もない。はじめから戦争をしないからである。 あのことは、あの人にまかせようという世界である。 世の中みんなあの人にまかせようというレベルの世界に行けば、本当の共生社会が生まれる。 どんぐりの背比べで共生なんていうから、世の中前進しないのである。 共生社会というのは、とてもきびしい世界だと認識して動きたい。 [志水廣の公式ホームページ] |
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