最新更新日:2024/09/22 | |
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ムードメーカー教室にムードメーカーがいると、とてもなごやかな空気になる。 そのムードメーカーが授業中に新しい気づきを起こすと、さらに活気がでてくる。 できれば、日替わりでムードメーカーができると、みんなをヒーローにできる。 [志水廣の公式ホームページ] レベルレベルに合わせること。 分からないから 固まる。 意味が不明。 その意味とは、事実、理由、方法。 事実がわからない。 理由がわからない。関係性も含む。 方法がわからない。 子どもも 大人も同じ。 [志水廣の公式ホームページ] 宿題宿題とは、残業である。 だから、本来は、残業代を支払はなくてはならないのに、それはなし。 しかも、宿題をやってこないと、先生から叱られる。 これは、子どもの身になってみれば理不尽なことである。 できることならば、勉強は学校だけにして、その代わり宿題はなしにしてやりたい。 だから、適用問題定着法で授業時間中に定着させたい。 そうは言っても、技能の定着のためには、家で復習をさせることも不可欠である。 記憶に落とすためには、24時間以内に再度勉強することが必要だからである。 ならば、なぜ、宿題が必要なのかを脳科学の視点から説明してあげたい。 残業をやってきた子どもによくやってきたという思いで迎えたい。 [志水廣の公式ホームページ] 挑戦者の世界挑戦者の行く道は、狭く細い。 いつどこに出るかも分からない。 目の前の景色があるのみだ。 ずうっと、その景色が続く。 先は見えない。 しばらく行くと、ほとんどの人が見たこともない景色にぶつかることがある。 それが素晴らしい景色なのだ。 こんな体験は初めて。 挑戦者だけが見える世界。 また、見えない世界が続く。 やがて、明るい道が突然出てくる。 このときやっと成果らしいものが見える。 挑戦者の世界は、常にわくわくどきどき。 だから楽しい。どんなことを言われようとも本人は楽しい。 しかもお役に立つことをしている。 だから、忘れない。 挑戦者の道を。 [志水廣の公式ホームページ] 自らの手で明らかにしたい<算数好きな子どもを増やしたい。子どもは「もっと算数が分かりたい,できるようになりたい」と思っている。 ただ単に,機械的に計算ができても,また,教師から一方的に説明されても知的な満足度では弱い。やはり,算数の問題を子ども自らの手で解きたいのである。そして,その結果,算数の問題にひそむ「発想」や「わけ」を明らかにしたいのである。そうなれば,子どもは真に算数の喜びを知ることになる。 そのためには,教師は算数の授業力をつける必要がある。今よりももっと力をつける必要がある。> 『算数好きにする授業力』(明治図書)より [志水廣の公式ホームページ] やたら「やたら」 がつくと怪しい。 やたら すみません すみませんを連発する人がいる。 やたら、ありがとうございます。ありがとうございます。を連発する人もいる。 やたら 高飛車な人もいる。 やたら、へりくだる人もいる。 厄介なのはやたら へりくだる人である。 やたら出てくるというのは習慣病である。 自分の身を守る道具として へりくだっているだけである。 本当は、へりくだってはいないからである。 もっと気楽に生きようよ。 しっかりとした自分をもっていれば、へりくだることもない。 [志水廣の公式ホームページ] 伸びるエネルギーを生み出す合唱部の顧問と話していた。 人を伸ばすには、どうすればよいかという話をしていた。 人の能力には、いろいろな長所と短所がある。 長所が3つ、短所が2つだとする。 このとき、短所の是正に目がいきがちである。 でもこれは能力を伸ばすには効率の悪い方法である。 まずは、長所を見つけて、それを最大限までひき上げる。 それから、短所の是正をやってみる。長所を見つけて伸ばす方が、伸びるエネルギーが増える。 これを長所伸展法という。こんなことを話した。 顧問に尋ねてみた。あなたはどうされますか? 「同じです。まず、伸びそうなところを伸ばします」という。 「だいたい、短所を引き上げようとしても、目標の水準まで達しません。 限られた時間には達成できません」という。 確かに、達成しない。不満足な状態となる。 何かを伸ばすということは、エネルギーを生み出すような伸ばし方をすることである。 [志水廣の公式ホームページ] びっくり授業力アップセミナー伊丹大会で、○付け法の実演をした。そのときの様子をビデオで撮影した。それを本日、You Tube にアップした。 http://www.youtube.com/user/mugendaihiro はじめて、志水 廣の○付け法を動画で公開した。 13時にアップしたら、15時に見ると60件のアクセス数の表示がでた。わずか2時間で60人も見たことになる。 あまりの速さに驚いた。 あなたの夏だからこそ、You Tubeを見ましょう。 「Tube」ですよ。 [志水廣の公式ホームページ] ゆとりの連鎖が生まれる志水は、愛知の地で公開講座や志水塾本大会を毎年実施している。 この会に毎回参加する常連さんがいる。 この常連さんに質問したAさんからの報告。 「どうして、Tさんは志水先生の会に毎年参加されるのですか?」 すると、Tさんは答えた。 「参加すると、新しいアイデアをいただけます。帰ってから、授業で実施してみると、子どもたちが変わります。授業が楽しくなるのです。また、授業にゆとりが生まれるのです。そうすると、空いた時間で別のこともできるようになります。公開講座などでは、毎回、授業改善のヒントがあります。だから、参加するのです。」 という。 Aさんは、このことに対してコメントした。 「確かに、改善のヒントをもらうと授業が楽しくなるから参加したくなりますね。また、志水先生の会の常連さんは、ゆとりがありますね。Bさん、Cさん・・いずれもゆったりしていますね。それでいて、ばりばりやっているんですよね」 という。 ほんと、そうなんだよね。ゆとりのある人が多い。ありがたいことである。 ゆとりの連鎖を引き起こして、授業を明るく楽しくしてほしい。 私もさらに明るく、楽しく語っていきたい。 [志水廣の公式ホームページ] 肯定してみる以前のことであるが、中学校のK先生から、「まだ、私のクラスには指を使って計算をするのです」と相談された。 そのとき、回答したのが、「指を使うなと言うからいけない。指は使ってもいいよ。ただし、使うならば、速く使いなさい。計算は遅いとストレスを感じるからね」と話した。 それをK先生は実行した。 その事後報告があった。 「志水先生、指の計算が速くなりました。本当に速くなりました。そのうち、指がとれると思います」と。 Kさんは、「私の回答が、まずは肯定してみる」ということに感心された。 現状を認め、そして打開する道筋を示す。 それが、肯定してみるという精神である。 [志水廣の公式ホームページ] 固まっているのはなぜ?2つの講演会で冒頭から固まっている空気があった。 えらい硬いなあ。 これでは、私の話は通じない。緊張状態では、頭の中に入っていかない。 そこで、柔らかくなるように意味付け復唱法の実習をしていった。 すると、だんだんとほぐれてきた。 さて、なぜ、硬いのか。 この原因を考えてみた。 1.講師に馴染みがない。 2.新しい用語があり、理解に苦しんでいる。 3.話のレベルが受講者に合わない。 4.進んで会に参加しているとはかぎらない。 話のレベルに合わないのは、こちらにも原因があるので、落とせば良い。 そこで、休憩時間の後、低いレベルをイメージして、ぐんと落として話してみた。 すると、反応がよくなった。 最後に、低いレベルのままではいけないので、今後の勉強の方向について話した。 受講者のみなさんにまた、主催者のみなさんにお願いしたい。 予習をしてきてほしい。 簡単なことである。「志水廣のHP」を見てきてほしい。 10分間ですむことである。 これだけで、固まりはかなり減る。逆にわくわくする。 さて、講演の内容のレベルを下げることを体験したので、もう大丈夫である。 私はツイテイル。 [志水廣の公式ホームページ] 教師はどうするの?日数教大会で助言者をしたので、その感想を述べる。 各地からレポートが寄せられて真摯に研究されていた。これには敬意を表する。 今年の特徴として、表現力からの育成がテーマとして多かった。 今、話題のことである。 また、グループ学習のレポートも多かった。 レポートを聞いていると、自力解決の悩みはあまり聞かれない。 あたかもすぐに本時の問題が解決できたというようなレポートが多かった。 解決できるようにするために、交流学習として4人くらいのグループ学習のレポートしていた。 私が気になったのは、教師の出る場がほとんど感じられないということである。 また、教師は子どもの考えの看取りも甘いことである。 本当に子どもがどこで悩み、どこでわかるようになったのか、それらを教師がつかんでいるのかどうかあやしかった。 確かにグループ学習をすればできるようになる。でも、それは、本当にできない子どもができるようになったのかというと、単にやり方を友達から聞いたからかもしれない。 こんなのは、カンニングしているだけである。 もっと、子どもは問題ができないことに困らなければならない。 もっと、教師は、その姿を見て困らなければならない。 この困った状態から、つまずきの研究やそれに対する助言の研究が生まれてくるのである。 ○付け法をすると、教師は困るのである。子どもの解決過程を見て解釈する必要がある。だから、ノートを真剣に見ざるをえない。 また、意味付け復唱法をすると、教師は困るのである。子どもの発言に潜む数理を見つけださなければならない。だから、真剣に聞かざるをえない。 授業において、なんとはなしに見たり、聞いたりしていることからの脱却を図りたい。 そこに、教師の出る場がある。 [志水廣の公式ホームページ] 年に一度の日数教大会年に一度の日数教大会が新潟県で開催された。志水は、分科会の助言者をつとめた。また、研究発表(鈴木・落合など仲間とともに)もしてきた。 助言者でご一緒した山本浩昭先生はすてきな方でした。発表者に対して肯定的な評価をしつつも端的にアドバイスされていた。その人が出す空気がすてきなんだよね。 昼休みに会場を回った。知り合いが多かった。一声かけた。東京時代のときからの知り合いにも会えてハッピーだった。 本日、帰りのバスで一緒になったのは、愛知教育大学公開講座に来られた先生である。 その人と語った。できない子どもの視点に立っていた。本当に優しい人なんだなあと感心させられた。 [志水廣の公式ホームページ] うなずきの往復子どもの発言を教師が聞くとき、表情が硬くなる。 なぜ、硬くなるのか。 それは、子どもの発言が正解かそうでないかを判断しているからである。 教師の動作を見ていると、うなずいて聞いていない。 子どもの発言を聞くときには、教師はうなずきながら聞きたい。 うなずきながら、「そうか、そうか」と応答したい。もちろん判断するのだけれど、まずは丸ごと受け止めるうなずきでありたい。 教師がうなずくと、子どももうなずき返す。 教師と子どもとのコミュニケーションは、うなずきの往復運動でありたい。 [志水廣の公式ホームページ] 虚像と実像できる人は、できないことを自覚して行動する。 7割しかできないと自分の守備範囲を思っている人は、まずはそのことを認める。そして、3割を人にゆだねる。 できない人は、できないことの自覚がなくて行動する。 7割しかできない人なのに、自分の守備範囲が分からないから、自分ができないことを言わない。だから、7割しかできないのに、9割できると宣言してしまう。だから、その差の2割で苦しむ。いや、苦しまないかもしれない。できたと錯覚しているから。でも、周りに迷惑をかける。 結局、あの人は、5割しかできないのだと判断されてしまう。 リーダーの条件とは自分でできることと、できないことの区別がついていることである。 [志水廣の公式ホームページ] 自ら考える教師ある市の研修講座の場面であった。 1+2+3+・・・+9+10の問題を解説していた。 10までの総和を求めて、その解き方について話し合った。 次に、100までの総和、1000までの総和について求めさせていた。 すると、会場の最前列の先生が、ノートに10000までの総和を求めていた。 これを発見したのである。このノートを見て、次に話すときに、話題にしてみた。 「10000までの数を求めている人がいますよ。素晴らしいですね。」と。 自ら学ぶ教師だとコメントした。 そこで、さらにその人に質問してみた。 「なんで、10000まで求めようと思ったのですか?」と。 すると、教師は答えた。 「だって、この次は、10000まで求めさせて、きまりはないかと質問してくるのでしょ。と思いました。」という。 この返答にはまいった。 その通りである。 私の意図をくみ取って行動している。 だめな教師は、1000まで求めなさいと言っても、計算しようとしない。 面倒なのか、分かっているのかはわからないが、講師が言っても計算しないのである。 普通の教師は、1000までの総和を求めて面白いなあ、と気づいている。 良い教師は、講師の意図を見抜いて、次の発問を考えようとしている。 3段階の教師がいる。 あなたはどれに当てはまるのか。考えてみてほしい。 意図を見抜ける教師でありたい。 [志水廣の公式ホームページ] きょうりょく本日の午前から午後にかけて、日数教新潟大会と、広島県三次市の研修講座についての打ち合わせを同時並行で行った。 新潟大会については、落合先生と鈴木先生、三次市については小林先生。 基本的には、新潟大会の「語彙力」の研究のことをやっているのだが、横から小林先生が三次の講座について「意味付け復唱法」について質問をしてくる。 だから、答えざるをえない。 私の頭はどうなっているのだろうか。 ともかくも、強力に協力してくださる人たちがいるからこそ、志水メソッドの研究や普及活動が進む。ありがたいことである。 今日も、新潟大会の「語彙力」のことを議論していたら、「意味付け復唱法」との関係性がわかってきた。 これも一部屋で仕事をしているおかげであった。 [志水廣の公式ホームページ] より根源に立ち戻る昨夜、茨城の志水塾を終えてより愛知に戻ってきた。 自宅のパソコンでネットするために、ランケープルをつないだ。すると、つながらないのである。おかしい。それで、もう一台のパソコンにもつなぎ換えた。それでもだめ。それではと、別の新品のランケーブルにもつないでみた。これもだめだった。 暑さのせいで、ネット環境がおかしくなったのか?と思ってもみた。 大学のパソコンも動かなくなっているし、困ったなあ。 もやもやの中で、眠りについた。 朝、ひらめいた。 ランケーブルをつなぐ別の差し込み口があるのではないか。 あった。いくつか機械があり、それには、差し込み口があった。そこにつないでみた。 すると、ネットがつなかった。 ああ、よかった。 端末の機械でもだめだったので、少し手前の機械につないだらうまく行った。 より根源に立ち戻れば、正常な接続になる。 迷ったときは、より根源な見方に戻れば正確な判断ができるということである。 [志水廣の公式ホームページ] 荷物は、さておいて子どもは家庭という背景の荷物を背負って、登校してくる。 荷物は軽い荷物、重い荷物、楽しい荷物、悲しい荷物・・・がある。 けなげにも登校してくる。 学校では、その背景という荷物をおろしてあげたい。 教室で安心して学ぶところでありたい。 自己の能力の可能性に目覚める場としたい。 また、集団との調和の関係で自己の存在感を保つことができる場としたい。 そのための第一歩が○付け法であり、意味付け復唱法である。 [志水廣の公式ホームページ] 教師になるためには教師になるためには、 上の3つ。すなわち、1.体力、2.知力、3.心力がいる。 このことは、昨日のHPで書いた。 では、具体的に話そう。 1.体力とは、絶対に休めないということである。子どもが登校してくるのに、教師が休んでいてはどうにもならない。担任のいない教室というのは、かわいそうである。 少々の病気ならば無理してもででくるのが普通の姿である。 次に、立ち仕事というのはかなりしんどいことである。1時間目から6時間目まで立ってみると、それが分かる。 2.知力とは、具体的には、まずは記憶力がいる。教える内容を即座に理解して頭にたたき込むことである。教科書をのぞき込みながら説明するようでは、話にならない。小学校の教科は、8科目ある。毎日、6時間目まで違う内容を教えなければならない。毎日毎日である。前日に即座に記憶しないと、明日の授業にそなえられない。 次に、思考力である。ますば、どんな教材も正しくレシピにしたがって調理しないといけない。でも、最後は、自分の学級の子どもたちに合うように調理しなければならない。そ れが「思考」力である。 知力を継続させる根源は、勉強が好きということである。 3.心力からの第一は、人間関係能力である。子どもとのコミュニケーション、保護者とのコミュニケーション、同僚・上司とのコミュニケーションの3者とうまくやっていかなければならない。体力・知力があってもコミュニケーションがうまくとれないことは教師としてふさわしくない。相手の思いを受け止めることができない、また自分の思いを伝えることができないとスタートの時点でつまずいている。 心力からの第二は、精神エネルギーである。精神エネルギーというのは、深い愛情である。どうしてもこの子どもたちに分かってほしいという気持ちから、教師の行動が生まれてくる。 結局、子どもが好き、大人も好きでないと勤まらない。 これらの3点ができてこそ、専門職としてのアイデンティティを保つことができる。 [志水廣の公式ホームページ] |
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