最新更新日:2024/06/01 | |
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奈良県の高等学校の先生が研究室訪問昨年の1学期に語彙研究のことで相談に来られた。それ以来で二度目の訪問である。 濱田先生は、奈良県の長期研修員として昨年の3月に委嘱され、24年4月より県の研修センターで1年間研究されていた。 1学期に来られたときには、志水の語彙研究な゛とについて、ベネッセなどに問い合わせ、志水(と仲間の先生)が研究されていることを知り、尋ねて来られた。 6年前くらいからベネッセとともに組んで算数数学の語彙テストの開発研究を実施した。 その後、語彙の指導について毎年こつこつと授業研究をしてきた。これらを読まれて研究室に来られた。 実際の語彙テストの一部を見せて、濱田先生の語彙テストに役立つようにアドバイスした。 このとき、思ったことは、なんで高等学校の数学の先生が語彙研究に興味関心を持たれたかということであった。質問してみると、高校生でも数学の語彙の意味が不確かなことがしばしばあります。このことを抜きにして数学の学習はできないと日頃から感じておりましたという。そして、志水の研究にぶちあたったのである。 今回、研究のまとめとして、 『数学用語・記号の意味を大切にする視点を育成するための調査研究』という題目でレポートをまとめられた。 高校生1年生の2学期に調査されている。 語彙としては、「自然数」、「絶対値」、「累乗」など、26語を取り出して調査されている。非常に面白い結果がでている。この他の調査も行われている。 そのうち、奈良県の教育研究所がレポートして発表されることになると思う。 私としては、今回報告に来たいと連絡があり、とても律儀な方だと思った。志水らの初期の語彙テストと同じ手法を用いられており、役立ちとても嬉しい。 濱田先生と話していて、高校生に対してもきめ細かな指導が類推された。 ありがとうございました。今後のご活躍を願っている。 [学力アップを支援する志水廣の公式ホームページ] 表と裏つまずきの指導では、表の指導と裏の指導がある。 表の指導とは、当面現れた誤答に対しての応急処置である。 これは救急病棟のようなものである。 すぐに診断して、何らかの処置をする。 問題は、裏の指導である。一般病棟に移ってからの治療のほうである。 もともと病気になるのには、慢性の生活上のくせがあったはずである。 この原因を探りだし、こちらの生活改善をすることである。 そのためには、どういう実態があるのかをきちんと分析することである。 そして、どうすれば生活していくのかを子どもに提案することである。 表と裏の両面から攻めていこう。 [学力アップを支援する志水廣の公式ホームページ] この世の転生人は、この世で転生を繰り返す。 つまり、この世の中を生きていくとき、死んだり生き返ったりする。 もちろん、本当に死ぬわけではない。 この世での死とは、挫折体験の事を言う。 もうだめかと思う。苦しくて苦しくて辛いときがある。 でも、じっと我慢して動いていくと、新しい道が見えてくる。 このとき、生き返る。 しみじみと生き返ったことに感謝できる。 しかも、挫折体験で心が大きくなれる。 [学力アップを支援する志水廣の公式ホームページ] 心に対して親切な心に対して、親切な心で応じる。 また、親切な心を与えると、親切なことが返ってくる。 これが粋な心の交流。 [学力アップを支援する志水廣の公式ホームページ] 対話的説明型授業算数・数学の授業では、問題解決型授業が良いというのが定説である。 ところが、現状は、説明型授業が大半である。 説明型授業がそんなに悪い授業ならば、もうとっくに廃れているはずではないか。 問題解決型授業が旺盛をきわめているはずではないか。 現実は、ある意味真理を含んでいる。 つまり、説明型授業はベストとはいわないまでも、ベターである。 中学校、高等学校、大学にいたるまで、説明型授業が大半である。 これは事実であり、真理を含んでいる。 では、良いとか悪いとかの判断はどこですべきか。 子どもが「わかった」「できた」という声があがるかどうかである。 心の底から「ああ、わかった」と言えるような授業ならば、どちらの方であっても良い授業と認めたい。 ただし、この判断基準になると、結構、どちらの授業もうまく言っているかどうかとなると、あやしい。なぜなら、子どもが本当に考えているかどうかが問われるからである。 だから、私は、対話的説明型授業の効用をうたっている。 拙著 「算数力がつく教え方ガイドブック」には、そのあたりのことも含めて書いている。 http://www.meijitosho.co.jp/detail/4-18-540018-7 [学力アップを支援する志水廣の公式ホームページ] 明るい人は明るい人は、周りを照らし出す。 また、明るい人は、遠くまでを見通すことができる。 リーダーは明るい人でなくてはならない。 [学力アップを支援する志水廣の公式ホームページ] 熱く語るよりも熱く語ることは大切なことである。 語れなければならない。 でも、熱く語ると、聞いている方が引いてしまうことがある。 こうなると逆効果である。 相手の心に火を燃やすことがねらいである。 それには、相手の心のかすかな灯火を見つけて、少しずつ燃えるように風を送ることである。 大丈夫だよ。大丈夫だよと・・・。 その風がいつかは、小さな火となり、やがて大きな火となって燃えさかる。 キャンプファイアーのように。 教室経営でも、学校経営でも同じ原理である。 いけないのは、灯火に水をかけてしまうことである。 少しずつ風を吹いていこう。 緊張の原因は心がゆとりをもってくると、ちょつとしたことに腹を立てなくなる。 心が緊張状態にあるから許せなくなる。 その緊張はどこからきているのか。 ここの解明が大切。 何が堅く張り詰めさせているのか。 後から振り返れば、だいたいにおいて、どうでもいいことである。 どうでもいいことと判断するように、心をもっていこう。 人工と自然人工的な場所にいると、妙にイライラがつのる。 反対に、自然のある場所にいると、やすらぐ。 それがたとえ、荒々しい波の音であっても、やすらぐ。 不思議なものである。 知識と知恵ほんの12年前、これからは知識よりも知恵が大切と言われた。 だから、知識偏重教育はだめ。 内容の厳選と総合的学習が大切なんだと。 その当時、何を「あほな」ことを言っているのかと思った。 ある指導者は研究会で、知識より知恵が大事と高らかにうたった。 ならば、聞くが知恵だけを知っていても使えるのか。 豊富な知識がなければ知恵は生まれてこないのではないか。 知恵の格言だけを知っていても使えるのか。 時代は、急速に科学技術が進歩している。その際、知識がなければ新しい創造なんてありえないではないか。 子ども達には、もっともっと勉強しよう。読書もたくさんしよう。と言うべきではなかったのか。 そして、今は知識基盤社会だという。そこで、思考力・判断力・表現力が大切という。また、活用力も大切という。 知識偏重だと言っていたのが嘘のようだ。 要するに、知識と知恵はどちらも大切である。この世にうまれた限りはたくさんの知識と知恵を知り、新しい知識と知恵を生み出すような力をつけていきたい。 [学力アップを支援する志水廣の公式ホームページ] 花粉ショー気温が上がり、花粉が舞い散る季節となった。 眼がかゆい。 ハクション大魔王とともに鼻水たらたら。 ティッシュを慌ててとる。 その結果は鼻紙家の一族となった。 花粉ショーの開幕であった。 昨年はましだっが、今年はひどい。 眼を洗う。鼻うがいをする。ついでにのどうがいもする。 手の甲の指圧をする。 マスクで防衛。 でも、でるんだなあ。 ショウーがないか。 ご心配なく。本日は少し収まっている。 [学力アップを支援する志水廣の公式ホームページ] ごていあん年度末になり、来年度の企画が生まれる時期である。 ご提案することになる。 この「ていあん」の意味にはレベルがある。 「ご低案」ならば、困る。 「ご高案」でありたい。 すなわち、それは、「ご考案」である。考えて考えて練りに練った「案」でありたい。 すると、光り出す。 後光がさす、「後光案」である。 [学力アップを支援する志水廣の公式ホームページ] 「何を」から、「誰から」話を聞くとき、始めは「何を」聞きたいかを考える。 でも、同じ話だったら「何を」は消えてしまう。 そのとき残るのは、「誰から」である。 どうしても聞きたい人がいる。 営業でも、同じ品物ならば、「誰から」買いたいかを考える。 ここでも、この人から買いたいという人がいる。 学校でも教える内容が同じならば、「どの先生から」教えてもらいたいかが問われる。 最後は、「人」の魅力である。 [学力アップを支援する志水廣の公式ホームページ] 嬉しいサプライズ2月末が誕生日であった。 その日に学生の実習指導で授業を参観していた。 道徳の授業であった。 感謝の言葉、嬉しい言葉などを題材として扱っていた。 まめちゃんの日記の絵はその紙芝居であった。 授業の最後の44分目に、先生の感謝の印として、志水先生にプレゼントします。 ということで、上の寄せ書きをもらった。 すると、担任の教師は、ハッピーパースデーの歌を即座に合図して、子ども達が歌ってくれた。 実に粋な計らいをする学生と担任の先生であった。寄せ書きには、学生3人の文章があった。 ありがとうございます。 とっても嬉しいです。 [学力アップを支援する志水廣の公式ホームページ] 教材の価値エネルギー教材のもつ価値はエネルギーである。 このエネルギーは波動で表せると考える。 教師がこの価値エネルギーを感じることである。 このエネルギーの度合いによって、波動が高いか低いかが決まる。 子どもは教材と対峙することで、価値エネルギーを感じようとする。 それは、波動によって伝わる。 だから、元々の教師の価値エネルギーの高さが一番ものである。 算数の授業を見ていると、単に解き方を教えている授業と、 教材の価値を教えようとしている授業ではかなり落差がある。 3+2=5のどこに算数の価値を感じるか。 三角形、四角形の弁別のどこに算数の価値を感じるか。 そのためには、なぜ、この教材が生まれてきたのか。なぜ、この教材が今の子どもにとって必要なのか、そこのところを考えたい。 [学力アップを支援する志水廣の公式ホームページ] 自己重要感人は、誰でも自己重要感を満たしたい。 なのに、人に自己重要感を与える人は少ない。 なぜか。 それは、自己重要感は与えられるものだと思っているから。 でも、それを待っているといつやってくるかは分からない。 むしろ、自己重要感を与える方が楽である。 あなたは「えらい」。 あなたのおかげて助かりますよ。 と言うだけで良いから。 すると、やがて、与える人は与えられることになる。 [学力アップを支援する志水廣の公式ホームページ] ○付け法への招待128 自己有用感教職大学院の基礎領域の修了報告研究のテーマに、自己有用感、自己肯定感、自己重要感、自尊感情と言う言葉がいくつか見られた。 これらと、「わかる」「できる」こととの関連性について実践面から追究していた。 これらの言葉は、結局何かというと、 1.あなたは「えらい!」。 2.あなたは、人のお役に立っている。 の2つのことである。 だから、授業の中では、「えらい!」という場面を作り出すことである。しかも、その子どもにとって低いレベルではだめで、ほんの少し上のレベルに到達させることである。 「えらいね}と褒めるとよい。だから、○付け法、意味付け復唱法である。 授業の局面で、教材の価値について褒めていくことである。 ○付け法と意味付け復唱法は教材の価値を褒める道具である。 そうすると、教材の価値研究が不可欠である。 単に、態度だけを褒めていても不十分である。 褒めるために、教材の価値を見つけていこう。 [学力アップを支援する志水廣の公式ホームページ] ひかれる
3/2 今日のひとこと
ある人に惹かれるというのは、 その人の心の中にもつ、価値観が内在するからである。 つまり、同じ考え方をする人は、無理なく自然に惹かれていく。 違う考え方をする人は最初から寄りつかない。 また、最初は同じ考えであっても、お互いに違ってくれば、離れていく。 考え方が違うのであるから、無理に引き留めてもお互いが苦しくなるだけである。 人生の楽しさは、同じ考え方の人たちと心を共感・共鳴して、友として共に行動できることである。 [学力アップを支援する志水廣の公式ホームページ] 井手町学力向上へその石浦主事からのお礼のメールがきたので、抜粋して、紹介する。 「昨日は、お忙しいところお時間を取っていただきありがとうございました。 とても意義のある時間になりました。 来年度、引き続き本町のスーパーバイザーとしてお世話になりますが、よろしくお願いいたします。 志水先生とお話しさせていただくと、いつものことながら、元気とやる気がわいてきます。 来年度の方向性も見えてきました。 再来週の推進委員会で提起し、協議したいと思っています。 志水先生との打ち合わせは、講演などを聴くときとはまた違った充足感が味わえます。 この感覚を他の教員にも感じさせられたらなぁと思っています。 教務主任や研究主任レベルの教員なら、自校の学力実態とそれに向けた方策について語れると思いますし、またそれができないと困ります。 でも、そんな時間は取れないので、年間3回も訪問いただけるだけでありがたいことです。 それでは、ここ数日は暖かいようですが、寒さがぶり返すこともあろうかと思いますので、どうぞご自愛ください。」 石浦先生、ありがとうございます。 井出町には井手小学校、多賀小学校、泉ヶ丘中学校と3校ある。3回訪問する。これらを午前と午後をうまく回して、各学校を2回は訪問している。 学力の向上の成果はでてきた。授業の質も、また学力テストの数値も上がってきた。今後はさらなる充実である。 石浦先生と相談しながら、来年度の作戦が見えてきた。相談の中で光りが見えるものである。 石浦先生は、志水のHPやメール通信などを通じて、「愛で育てる」という志水哲学に共鳴されている。 このことが、井手町の教員にも伝わっている。ありがたいことである。 さて、相談の中で、「よろしいやん」という言葉がとても印象に残った。方向性を見据えた割り切りである。私も心を決めたひと言であった。 ありがとうございました。 [学力アップを支援する志水廣の公式ホームページ] |
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