最新更新日:2024/09/18 | |
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うまい具合に本日、みよし市の緑が丘小学校に示範授業と講話をしてきました。 とても面白く授業ができました。 今日の話題はそれではありません。 校長先生と面談したときに、「私の学校の給食の配膳をされている方が志水先生の講演を聴かれたそうです。」 そして、示範授業後、14時50分頃に一階を歩いていたらばったり、配膳の方と出会った。ちょうど帰るところだった。校長先生がその方を紹介してくれた。 会うようになっている人には会える。 上手い具合に会える。 すごい低い確率でも会える。 逆に言うと、どんなに身近にいても会えない人には会えない。 これがご縁だというもの。 紀元前か紀元後か機嫌がよい方がよい。 機嫌はB.CとA.Cの境目。 キリストが生まれた年。 不機嫌な人をマイナスの機嫌なので、負機嫌とかこう。 つまり、機嫌前の人である。 B.C10年の人もいれば、B.C1000年の人もいる。 やはりプラスの機嫌でいたい。 つまり、機嫌(後)X年でいたい。 キリストは機嫌よく生きようと愛を説いたのではなかろうか。 あなたは、A.C何年だろうか。 ある日突然奇跡とは、ある日突然やってくる。 何だからわからないけれど、こつこつと積み上げていく。 そのときは、全く未来が見えない。 でも、周りに対して愛と光を出していくと、 ある日突然、運のよいことがやってくる。 まさに、奇跡が起きる。 奇跡とは、愛と光を出した軌跡から生じる。 庄内小学校訪問2示範授業のあと、子どもたちの成長を喜んでおられました。 研究とは研究とは研究者の自己満足である。 自己が課題をもち、自己が解決していくことである。 解決したから、自己満足に陥る。 自己満足しないような研究を人に役立てることなどできない。 研究したら他の人は喜ぶかというと、そうではない。 喜ぶ人もいるし、喜ばない人もいるし、また無関心も人もいる。 反応は様々である。 反応を気にしていたら研究などできない。 研究できるのは自己満足が根底にあるからするのである。 友あり友もあり、遠方より来る。 親友の佐伯陽先生(広島大学附属小学校副校長)が名古屋に用事でいらした。 夜、夕食をともに歓談した。 29歳のとき、兵庫教育大学大学院で知り合った縁は、今も楽しい。 数学教育論、マネジメントで議論を戦わした。 本音で語り合えることは楽しい。 わくわくする授業へ教職大学院では、基礎領域の学生には10週間の実習が課せられている。 その授業でわくわくした授業を見ることができた。 上の教科書の場面で、5年 分数を小数に直す授業である。 問題の一番に3/4と2/3を配列してあるが、院生は2/3を二番の最後にもってきた。 一番で3/4を0.75になることを指導したあと、問題二番で練習に入った。最後は2/3である。子どもたちはここではたと困った。 0.66666・・・と続くからである。 ここで問いが発生した。 そこで、院生は分数には小数できちんとあらわせないものもあることを知らせた。 とてもうまい展開だった。 成長の波人の成長には波がある。 上がったり下がったりする。 ただし、勢いがあると、 次の下がったときは、前回の下がったときよりも少し上の位置にいる。 つまり、全体的には、右上がり傾向にある。 したがって、長い目でみないと人の成長はわからないものだ。 [学力アップを支援する志水廣の公式ホームページ] 戦いの後の祝杯新算数教育全国(堺)大会が終わり、難波でビールを一杯。 示範授業会場にかけつけた4人で祝杯をあげた。 自力解決の大切さと子どもの心を読むことの大切さを確認できた。 新算数教育研究全国大会私は特別公開授業をした。 今回も自然な流れを演出できた。 子どもの思考のよさを板書に生かすことができた。 「ああ、わかった」「ちがう。できないよ」とおもわずつぶやく子どもたち。 これがあるから教師はやめられない。 中盤、終盤で盛り上がる授業、これが本当の意味での楽しい授業である。 そのためには、子どもをとにかく見ること。それに合わせていくことしかない。 また、その後の一般公開授業の助言者もした。 さらにその後、元筑波大学附属小学校の坪田耕三先生が講演をされた。久しぶりに聞く坪ちゃん流の話にうなった。 ありがとうございました。 掲示物にまとめと子どもの言葉の挿入院生の実習訪問をした。 掲示物に子どもの言葉がかかれてあった。 担任の先生が院生に指導したものである。 「無限」「上も下も・・・」 子どもの言葉っていいですね。 生きている。 海抜東京の地下鉄「表参道」の駅からでたところである。 海からかなり離れてところなのに「海抜」が書かれていて不思議に思った。 参考 海抜とは http://kotobank.jp/word/%E6%B5%B7%E6%8A%9C 想像力の育成「先生、ありがとう」 と言った子どもは、その前に先生からどんなことをされたのであろうか。 このことの想像力を育みたい。 すなわち、子どもを喜ばせる手段である。 たった一言でもいい。 また、何かの行動でもよい。 最後に、「先生、ありがとう」と言わせたら。 教師の勝ち。それは、価値あることである。 実態把握の難しさ子どもの思考過程を見ないでおくと、どれぼと授業がやりやすいだろうか。 「わかった?」「いいよね」「次に進むよ」 という言葉で授業できると本当に楽である。 本当にノートやワークシートに書かれた情報を見ていくと、 怖くなってくる。 A子にはどう対応すればよいか。 B男にはどう対応すればよいのか。 C子、D男・・・ 本当に考え出すときりがない。 ご苦労様です。 それでも教師は逃げられない。 悩んだ分だけ教師の脳のシナプスがつながっていく。 つまり、賢くなっていく。 だから、悩みながら最善手を求めていこう。 おまかせ自分の人生を振り返ってみて、どうしてこんなにも仕事があるのか。 生き甲斐となる仕事がやってくるのか。 自分から仕掛けて仕事を増やしたのは少ない。 どこかから依頼されるからやっているだけである。 この原稿を書いて欲しい、本を作ってほしい、算数の指導をしてほしい、示範授業してほしい、授業力をあげてほしい・・・ と依頼されるからそのたびに勉強しているだけである。 これだけ増えてくると、おまかせの人生となる。 宇宙におまかせである。 そうすればなんとかなるだろう。 つべこべ言っても、仕事はやってくるのだからやるしかない。 それで、とりあえずうまくやってきた。 もちろん失敗もあったが、なんとか乗り越えてきた。 だからおまかせの人生を生きるしかない。 プラス思考で力発揮豊田市のH小学校の公務手さんは、「夢現大7:プラス思考は許すことから始まる」を親子で購読された。その結果、娘さんは、試合に勝ったという報告をY先生から受けた。 この出来事について、公務手さんの直接メールを紹介しよう。 「こんばんは!娘は高校に入ってから一度も試合で勝てませんでした。技術的に未熟ですが、気持ちの上でもあきらめていました。先日の試合は途中で追い込まれて負けそうでしたが、必死で心の中で「プラス思考!できる!勝てる!」と念じたそうです。 すると粘り強く球を拾う事ができ逆転勝ちできました。プラス思考で気持ちが前向きになると、いつも以上の力を発揮できると娘が驚いていました。 今は毎日「ついてる!ラッキー」が私と娘の合言葉です(^-^)」 おめでとうございます。 親子で購読されてとても嬉しいです。 おそらく、親子でこの本の波動を感じる素直さがあるからラッキーになっていくのだと思う。 [学力アップを支援する志水廣の公式ホームページ] 怒りっぽい人怒りっぽい人は、どんなことにも怒りたいのである。 何か1つのきっかけで怒りたいのである。 だから、きっかけは何でもよい。 怒ることによって、心が安定するのである。 でも、怒る波動は、怒りたい現象を引き寄せる。 だから、またまた怒る。 心が安定したいとは言っても、結局、安定しないことになる。 まあ、自分だけ怒るのならよいが、周りに怒ることをまき散らすようだと迷惑なので、やめてもらいたい。 一人孤独に怒ってほしい。 小国小学校訪問 報告3 予想の検証カレンダーのきまりを見つける場面であった。 どんなきまりがあるのか考えさせた。 「たし算ではない」と私は宣言した。 すると、「かけ算」、「ひき算」、「わり算」という声があがった。 真ん中の数かける3が正解である。 だから「かけ算」という予想に飛びついてもよかった。 けれど、あえて、ひき算、わり算も板書した。 そこで、一つ一つ検証していった。 予想がでることがまず良いことである。教師は、その予想を検証すればよい。 かけ算のきまりの発見についてのドラマをHPで報告した。 ひき算では、1+2+3=6のときには成り立たないことがわかった。 わり算はどうかというと、普通はだめだと思う。 でも、突然ひらめいた。彼らは6年生。だから、「できる」と。 2÷□=6となる数はあるかということを板書した。 分数があるじゃないかと、3の逆数の1/3である。 [真ん中の数]÷(1/3)である。 ここで、新たな発見があった。 このことを、「目からうろこ」だと小関校長先生がつぶやいたのであった。 授業は「知」と「心」の変容である。 これは子どもだけでなく教師もそうである。 この場面を通して、教材の新たなる価値を見いだした。私も変容した。 そういう子ども達に出会えたことに感謝したい。 小国小訪問報告2 ドラマは小さな発言を受け止めることから起きる非常に落ち着いた学級である。 カレンダーをみて気がついたことについて、ななめの方向で6ずつ増えていることの発言があった。このとき、「8」とつぶやいたA君がいた。 このA君を発表させた。すると、「逆ななめに見ると、8ずつ増えている」と説明した。 この「逆」という言葉を板書した。 A君は、問題2の自力解決のとき、計算はしていたが、式を書いていなかった。○付け法で回りながら、式を書きなさいと話した。すると、どんどん式を書いていった。 二度目の○付け法ではたくさん○をつけることができた。 その後も、A君は前向きになっていった。 最後は、B君のヒントの発言に「あった、わかった」という声をあげた。 発表させると、大正解であった。「真ん中の数字に3をかける」と発言した。 この授業で自己肯定感をもったのは間違いない。 たった1つの発言から、最後の数理の気付きにつながった。 まさに、授業とは「知」と「心」の同時変容である。 この同時変容を促すもとは、子どもの発言を引き出すこと、さらに発言に対して価値付けすることである。これは、教師にしかできないことである。傾聴とは、子どもの発言の中に「知」と「心」の振動を見つけることにほかならない。 意味付け復唱法とは、単なるリピートの道具ではない。 子どもの振動が起きてこそ価値ある方法である。 担任の先生の温かい目を感じて示範授業できたことに感謝したい。 ありがとうございました。 忘れたパソコンで文書をプリントアウトした。 120枚あった。 「印刷」→「Enter」を押した。 どんどんでてくる。 「あっ、ページ番号をうちわすれた」 仕方ない。 「うららうらら、うらうらら・・・どうにも止まらない」 仕方なく、いや喜んで、1枚ずつあとで番号をつけていった。 番号をつけながら「ながら読み」をしていった。 ここで強きの発言。 「いいや、ついうっかりと忘れたのではない。意図的忘れである」 と言い換えた。 自分でもこの強気発言におかしかった。 「いと、おかし」である。 この後、80枚の印刷があった。このときは、ページ番号の指令を忘れなかった。 今度は、「意図的、実行」であった。 |
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