最新更新日:2024/09/22 | |
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日常の中の微分と積分毎日の生活は、変化という観点からすればとても微々たるものである。 ところが、1週間、1ヶ月間すると、学級はその特性を現してくる。 つまり、微々たる変化の集積が形として現れてくる。 だから、微々たることに心を込めてやることである。 すると、いつのまにか積分されて、大きな変化となる。 この人しかいない依頼を受けた仕事が迫っていた。 ところが、行けなくなってしまった。 本当に困った。 豊田のO先生にお願いするしかないと思った。 O先生に代理として行ってもらった。 素晴らしい講演だったと主催者からうかがった。 推薦して本当によかった。 本当にありがたいことだ。 生きていると言うこと定年間近な教師のAさんがいつも楽しみにしている研修会に参加した。 そのことを同僚から、「定年間近なのにまだ勉強するの?」と言われたそうだ。 勉強する年齢に早い遅いはない。 なぜなら、人間の脳の仕組みは、学ぶことが楽しいというふうに作られている。 それが生きている証である。 学ぶことが楽しいという現在進行形の教師に子ども達は教わりたいものである。 感謝のわき起こりふだんは気づかないが、事が起きると、 情を大いに感じる。 感謝、感謝の日々です。 行動すると行動すると、事態が変化していく。 失敗の変化、成功の変化。いずれも経験することになる。 失敗と成功の比は、90失敗して、10成功するくらいである。 だから、行動しないのではないの。 だから、行動するの。 行動しないと、成功する見込みは全くないから。 かけ算の場面最後の式は面白いですね。 国が違うと、式も反対になるのです。 ノートを改善すると、誰が喜ぶのか最近、ユニバーサルデザインについて話すことが多くなってきた。 具体的にどうあればよいか。例えば、ノートの改善があげられる。 ノートが整然としてポイントが見えてくることである。 子どものノートがきれいになってくると、お母さん、お父さんの見る目が変わってくる。 その見る目は、 1.子どもに対して褒め言葉がでる。 2.次に、授業に対して安心感が出る。 つまり、ノートを良くすると、親に対してとても良い情報を提供することになる。 さらに、教師からの赤丸がついていると、親は喜ぶ。授業中に教師は確認しているんだと。 人の特性人は、自分のことは棚において、他の人には変わってほしいと願う。 つまり、自分が変わるのは嫌。 これが人の特性である。 このことを適用すると、 教師は、子どもには変わってほしい。変容してほしい。 つまり、自分が変わるのは嫌。 ということになる。 言語力の育成まずは、場面と活動の用意。 プロセスの重視。 ようく観察して成功させる。 指揮と答えの結果を勝たせるだけではいけない。 経過のプロセスを語らせる。 また、そのときの思いを語らせる。 そのとき出たことばが概念の基盤をつくる。 経験230日の今日のひとことで「自分の経験以上のものは見えない。」と書いた。 志水は、年間300人以上の授業を参観してアドバイスしている。 普通の教師は、生涯にわたって研究授業を50から100程度だろう。 志水の場合は、これまで4000人以参観及び指導をしてきた。 ほんとうにいろいろな授業があり、教師もいろいろな方がいるものだ。 だから、自分の狭い経験で見てああだこあだと批評しているだけでは、 力はつかない。 サンプル数が少ないのだから。 一方で素晴らしい授業をする人がいる。すごいなあと思う。 他方で、授業参観に言っても板書案のない人、発問案のない人など呆れ てしまう人もいる。 そういう人は、生涯にわたって教師をやっていても、並のレベルにもいかない。 それでも、せっかく出会ったのだから、私は淡々とアドバイスしている。 伸びてほしいと思うからである。 また、子どもがかわいそうだからである。 今の状態から授業力をアップさせたいのであれば、自ら求めて研究会に参加、教育の本を自腹をきって読むのがよい。それでも、だめなら、教育委員会訪問、保護者参観などをとらえてチャンスだと思って頑張ることである。 そうすると、問題意識ができてくる。 つまり、経験が少ないならば、新しい行動をして経験を積むしかない。 そして成功するかと思えば、実は失敗する。 だから、行動しないという人が多い。そこが違うんだなあ。 実はその失敗も成功へのステップである。 失敗したら失敗する方法を学んだのである。 だから、今度は、その手は避けるようになる。 人生はこの繰り返しである。 経験自分の経験以上のものは見えない。 2月のカレンダーは美しい2月のカレンダーは数学的に美しい。 1日が日曜日から始まり、28日が土曜日に終わる。 ちょっきし4週間で収まっている。 場合を分けると緊急時の場合分けの難しさ。 やるならやる。 やらないのならやらない。 Aの場合に「やれ」といい、Bの場合に「やらない」という。 こんな複雑なことを入れるのは、緊急時には難しい。 どちらか一方にそろえること。 これがユニバーサルデザインの基本である。 指導者指導者は、指導するのが仕事。 言いにくいことも言わないとだめ。 子どもの「心」はどうなの?ある研究会の反省会のこと。 年配の先生お二人とお酒を交わしながら話しました。 その先生がおっしゃられるには、 「若いときさ数学の面白さ、教材開発の面白さに目がいきました。 しかし、最近、退職前になって 心の面に目が行くようになってきました。 先生の授業力の公式の精神エネルギーに目が行くようになりました。 結局、子どもの心がどんなふうに育つのかどうかなんですよ。」 と話して下さった。 その通りなんだよなあ。 授業で大切なことは、本時の授業を通して、子どもの「心」に変容があったかどうか。 「心」が育ったかどうかである。 子どもが学ぶことの面白さを感じ、自分もやればできると自尊感情を高めることができたかどうかが一番大切なことだと思う。 平常通りセンター入試の監督をしていて思うことは、リスニングの監督のただならぬ緊張感である。 普通に監督していても緊張感があるのに、 さらにリスニングは、機器の調子、その他の音などのアクシデントがあればストップとなる。 開始して30分間、受験生のみなさんには頑張ってほしいという気持ちとともに、何事も起こらないでほしいとひたすら願う。 ひとたび事が起きれば、いろいろな方面に影響する。 30分間がすぎて、テストの終わりの時刻になると、ほっとする。 どっと疲れがでる。 平常にうまくいって当然という世界はとても厳しい。 断定も必要時には断定すること。 自分の指針がない子どもたち、大人には、こちらがいい! と断定してあげることが親切。 迷わせたら、どんどん迷ってしまう。 セレンディピィティ1月10日付けの今日のひとことにおいて、志水塾京都大会に行くことを書いた。 その際、セレンディピィティを期待してと書いた。 実際に、そのセレンディピィティがあった。 ここではその内容は明かせないが、志水塾をご縁にAさんとBさんと、そして志水が結びついた。 不思議なご縁であった。 当てやんといてある女性の先生と懇談の中でこんな言葉がてできました。 「当てやんといて」 「私は小さい頃、算数が苦手でした。だから、分からない子どもの気持ちがわかります。先生は、私に『当てやんといて』と思いながら算数の授業を受けていました。」 授業の内容がわからない子どもの気持ちは、 「当てやんといて」 分かる子どもの気持ちは、 「当てて」 両極端の世界である。 どの子も「当ててほしい」となるような授業にしたいね。 淡々とした授業淡々とした授業に遭遇する。 本人は教えているつもりであるが、情熱がない。 子どもにとっては感動がない。 淡々は、短調の曲のようにくらいか。 子どもがクライしているよ。 淡々は、単調なリズム。 つまり、フラットな授業。 ではどうすれば、ねらいを1つに絞ることだ。 つまり、シャープにすること。 シャープペンシルを見よ。 先は、一点に絞られている。 これを教えたいと決めよ。 そして、感動させることを考えよ。 感動する授業は、圧巻である。 感動しないのは、あっかんである。 あっかんどうー。 |
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