最新更新日:2024/06/01 | |
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続 衝撃 −大物の笑い衝撃の記事のその後。 現在、1年から6年にわたって、「どの子もできる・わかる」算数の問題集を作成している。来年の2月末には完成する予定である。基礎学力が間違いなくつく本である。 その問題の解答を学生にバイトとして依頼している。 本日、女子学生が研究室にきたので、進行状況を聞いた。 すると、なかなか厳しい日程だという。 「簡単な計算問題に結構な時間がかかります」という。 計算練習になるので、これはクレペリン検査の能力が上がります。」という。 笑いながら言った。 そうすると、キャリア能力も身につけているということか。 次に、通勤に2時間もかかる学生なので、「電車の中で解いています。」という。 電車に揺られながら立って、解いている」という。「これは、体の動きに役立つ」という。「バランス感覚ですね。」と、また笑いながら言った。 つまり、体幹を鍛えているわけだ。 バイトの課題は結構な量であるが、さすが大物、笑ってこなしている。 すごいなあ。 締め切りの方は少し伸ばした。とすると、今度は、私の方もきつくなる。まあ、笑ってやるかあ。 サトル悟るとは、サトル。 これを別の字に当てはめてみると、 「差」を取ること。 これはどういう意味かというと、 「差別」しないということ。 つまり、誰とでも分け隔て無く見ること、接すること。 これができるようになると、悟る境地になる。 1%の光り1%の希望の光りさえあれば、動きだせる。 まず、光りを見いだせること。 できれば、自分自身が光りになること。 身を任せるただ、単に流れに身を任せて生きる。 くるべき仕事がある。 それをすると、確実に、世の中に役立つ。 だから、私は、それを淡々とこなす。 そこには、任される喜びがある。 無限の宇宙の流れの中で、細い細い糸のような一筋の有限の流れを任されている。 そんな感覚である。 時を刻む上の写真は米子空港でとったものである。 4つの時計の針が異なっている。でも、同じ時刻を表している。 不思議なことだと思った。 もしかすると、人それぞれは、同じ時刻に生きているが、 心の年齢、知の年齢は異なっているのかもしれない。 すると、人それぞれに異なるのは当たり前かも。 上の一番右の写真 米子 中の写真 グァテマラ 下の写真 ブラジル 妄想明るい妄想は、元気にする。 こんなふうになりたいな。 あんな所に行きたいな。と、妄想をもとう。 妄想は、すくすく育つ。 まるで、竹のように。 強く根を張り、力強く天まで届く。 自分だけの楽しみとして妄想は人には迷惑をかけず、わくわくする。 妄想をエネルギーにかえて、わくわくして生きよう。 ps ちょっと、ダジャレ。 孟宗竹でした。 衝撃「これとこれをやってね」とバイトの依頼したら、 男子学生は、「ええっ!!!」 とびっくり顔。 女子学生は、にんまりとほほえむだけ。 さすが、大物。 男子学生の衝撃度はかなり激しかった。 二人の場面を見て、小劇ではあるが、笑劇であった。 名刺の数よりも仕事柄、名刺をいただくことが多い。 私も名刺を交換する。 思うに、名刺をたくさんファイルに入れていても、本当に友好関係になるのは、 0.01%にも満たない。 名刺をもらっても「ああそういう方なんですね」ということだけである。 こんにちは程度の挨拶だと思うとよい。 名刺をもらわなくても、私にとって大事な人はたくさんいる。 大事な人が一番重要なんだよ。 持続可能一発屋は、はでに見えるけれど、 大きな花火で終わる。 持続可能な手立てをとりたい。 必勝のために必勝するためには、気分転換が大切。 ユーチューブでお笑いをみて、必笑。 ギャグも言って、必ユーモア。 散歩して、気分を散分化。 あなたの気分転換策は何? 後押し何かをやろうとするとき、 後押しがあるとうまくいく。 まず、自力で立ち上がろうとする。 すると、どこからともなく後押しがやってくる。 「あっ」という間の「押し」である。 この「押し」は宇宙の計らいである。 だから、ふだんから宇宙貯金を貯めておくといいね。 ラッキー本日は、教職大学院の実習校への訪問で豊川小学校(基礎領域)と代田小学校(応用領域)を訪問した。 夕方自宅の近くまで戻ってきた。 コンピにに立ち寄った。 すると、「志水さん」という。 若い女性からの声かけ。 「ええっ?」 誰だろう。こんな所で会うはずはないのだが。 と思ったら、「床屋です」という。 ああ、床屋のお姉さんであった。 実は、コンビニの近くに来たときに、散髪したいけれど、あそこの散髪屋は予約で混んでいるかもしれないなあ…と思っていた。 だから、「床屋です」のかけ声に 「ああ、今から空いていますか」と尋ねたら、 「ちょうど、手が空いたところです」という。 ばっちりである。 すぐに床屋に行き。さっぱりしてきた。 不思議なものだ。コンビニで床屋の人に会うとは。 シンクロニシティだなあ。 蒙古襲来これを元寇(原稿)の役という。 毎日、一つは提出。 本日も思考力・表現力を高めることについて書いて、明治図書に提出。 出したらほっとした。 でも、まだまだある。 神風が吹かないかなあ。 問題の本質はどこか研究室にいらしたOさん。めがねが壊れたという。 だから、本日のビデオ撮影はできないという。 見ればめがねのフレームがはずれている。ねじがとれている。 そうか、それならば、めがね屋に行けば修理してもらえる。 だから、午前中の会議のめどがたったので、めがね屋を紹介して、いざ行くというときとなった。 そのとき、Kさんが、「ビデオ撮影のときは、めがねをかけていませんでしたよ」という。 そうかあ、メモを見るときには、めがねは必要であるが、ビデオ撮影のときはめがねをはずしていた。めがねの片側のフレームははずれているが、レンズは壊れていないのでメモを見ることはできる。 よって、問題は解消された。 めがねの修理は、午後でもできることとなった。 撮影は、少しずつ区切って行う。だから、問題はなかった。 よって、めがね屋に行く必要もなくなった。 早速、撮影に入り、1時間くらいで終えた。 問題の本質が見えていなかったので、少し混乱した。 問題の本質は、ビデオカメラによる撮影時にはめがねは必要なしだった。 このおかげで予定よりも1時間も早く収録を終えることができた。 良かった、良かった。 ps 本日、授業力アップわくわくクラブのDVDの後半部分の録画収録を終えた。 11月はじめには、私の示範授業のDVDと、志水とOさんによる解説を収録編集したビデオを会員の皆様には、届けたいと考えている。 お楽しみに。 直感ふとした直感。 それが正解。 直感にしたがって生きると、 やがてその直感の意味がわかってくる。 不思議なんだなあ。 2倍から3倍へ2倍の拡大図は教科書に掲載されている。 それを3倍まで考えさせた。 すると、いろいろな効果があった。 例えば、拡大・縮小の関係が3つ登場した。 ななめに来ていることもわかった。 一般化に向かった。 また、隙間の図があることもわかった。 子どもに問いの発生が生まれた。 どんな時もどんな時も、淡淡と一つずつこなしていく。 勤めている限り、仕事はなくならない。 ある仕事がもうすぐ終わると思うと、次の仕事が舞い込む。 この繰り返しである。 だから、仕事はエンドレス。 エンドレスだから、やらないでいると、すぐに溜まってしまう。 これでは、たまらん。 だから、淡淡とやるしかない。 いつ終わるかって? 全くわかりません。 もしかしたら、終わらないということが生きている証かも。 依頼されることがあること、すなわち、宇宙から私の役割を与えられているということだから。 依存から誰かに依存していると楽である。 しかし、依存は、自分で決められないということでもある。 それって面白くない。 自分の行き先は自分で決めたい。 ならば、依存からの脱却が不可欠である。 そして、自立を考え始めた。 すると、様々な障壁があるが、 それでもなんとか越えられる。 そして、何よりも自分で行き先を決めることのすがすがしさ。 責任は自分にあるが、成果も自分に返ってくる。 依存からの脱却は面白い。 津市の藤水小学校10月25日(土)に研究公開があり、その際、私が講演するため、打ち合わせを兼ねて挨拶に来られた。 いろいろと相談にのった。 話していて驚いたことは、「算数授業のユニバーサルデザイン」の本や「志水メソッドを生かした算数・数学の授業プラン」を読まれていることである。 6月くらいに算数の研究の方向性が決まり、その後なのに、よく勉強されている。 とても嬉しいことである。 研究公開が楽しみである。 新しい課題をいただく会議の途中で、新しい課題をいただく。 そう、急に言われても。 その場ではできる限りのアイデアを出した。 でも、当初の課題は解決していない。 すっきりしない。 会議が終わり、自宅に戻る。 ああでもない。こうでもない。 悶々とする。 あっ そうだ。これだ。 閃いた。 新しいアイデアは いくつかの難問をクリアする。 やったあ。 そのアイデアは、右端の領域にあったことと、左端の領域にあったことを組み合わせたらできた。普通はなかなか思いつかない。 悶々とするのがいいのだと思う。 |
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