最新更新日:2024/09/22 | |
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志水塾京都大会にて 1久御山町教育委員会のおかげで今年も開催できました。 お礼申し上げます。 京都のスタッフは、この日のために志水メソッドをみなさんに伝えるために打ち合わせてしてきました。講師の様子を拝見していても確かな実践に裏付けられた志水メソッドだということが分かります。ありがとうございます。 参加者は30名で20代の人が多かったです。世代交代の波を感じました。 遠くは広島県呉市、三重県桑名市、滋賀県からも参加されていました。 塾の内容は、以下の通りであった。 1 志水 廣の講演 若い人たち向けに授業づくりの初歩を話す。 2 中川先生によるレポート発表。2年目の教師とは思えないほどのしっかりした真実のレポート発表。 3 ○付け法と意味づけ復唱法の分科会に別れての演習 4 中村先生による適用問題定着法の講演と演習 講演資料 http://www.schoolweb.ne.jp/weblog/files/2370003... いつまでも退職しても志水塾のお手伝いをして下さった方がいます。その方が「こんな年になっても志水先生のに教わることができる。嬉しいです」と話されました。 こちらこそありがたいことです。 いつまでも学ぶ姿は美しいです。 アイデアを出すアイデアを生み出すには、ある問題を考え続けるしかない。 では、問題とは何かというと、問題とは、その人にとって、その組織にとって困ったことである。 または、将来困るであろうということである。 したがって、困ることがなければ、考えようともしない。その結果、アイデアもでない。 だから、リーダーの仕事は、困り感の演出である。 現場主義、現実主義宮崎県を訪問したとき、ある先生から「志水先生は、現場がほしいものを研究し、本として作られている」と言われました。 その通りです。 私は現場主義、現実主義なので、宙に浮いた理想を語ることはしません。 今、現場が何に困っているのかを見つめ、そして、その答えを研究や単行本、問題集として発表してきました。 ですから、私が新しい本を刊行したときは、そういう視点で見ていただくとありがたいのです。 写真は久部良小学校のみなさんです。 沖縄県与那国島に来ています与那国島の久部良小学校で授業診断と師範授業をしました。 今年度、2回目の訪問ですがとても進歩していました。 廣校長先生のリーダーシップによるものです。 ある高校の数学教師の言葉過去のプリントは一切使いません。 こんな言葉を高校教師からうかがった。 なぜなら、生徒のレベルと興味関心が異なるならです。 決めぜりふは、 毎日同じような口調で教えて、生徒の心にインスパイヤーすると思いますか。 ほんとそうである。 常に生徒と数学の教材の関係性を考えているからこそ、できる言葉である。 魂と魂のぶつかり合い授業は心と知の変容。 教師と子どもが教材をもとに、魂と魂のぶつかり合いを通して、心と知の変容がもたらされていく。 教師一人のすごいエネルギーでやっとこさ、子ども達が変容していく。 では、4人のグループ学習で、そのような魂と魂の真剣勝負が実現されるか。 まあ、10%くらいの実現性である。 下位の集団では、ゆるゆるの空気になる。 これで、変容は起きますか・・・。 グループ学習で、学び合いをやるのならば、真剣勝負になるように仕掛けていこう。 遠路はるばる本日の朝は、宮崎県都城市にいました。昼から鹿児島県鹿屋市で講演をしました。 もう一人は、鹿児島県の川内市の島からわざわざ前日に、本土、鹿児島市に入り、そして、都城市まで朝の9時に来られて再会しました。 1時間30分の懇談がとても有意義でした。 子ども達の伸びを感じられる実践をしているとのこと。同行の先生もそのことを報告してくださいました。 とても嬉しいです。 聞く力は復唱法でつけることができましたといいます。 お仕置き復唱ではありません。聞く力を育てる復唱です。 再会は、密度の濃い時間でした。その後、私は鹿屋市に向かいました。 4時間かかっても会いたい人には会いたいものである。 ずれ
1/17 今日のひとこと
ずれたら、合わせるように働きかけ、 しばらく合っていると、ずれをわざと起こす。 これが授業である。 「兵庫教育」1月号
兵庫県教育委員会発行の「兵庫教育」1月号に
伊丹市の村上先生の記事が掲載されました。 その中に音声計算の事例が記載されています。 http://www.hyogo-c.ed.jp/~kenshusho/06hyogokyoi... 人材の育成育てて出す。 これが人事の基本。 育てるのはなかなか難しいけれどね。 忙忙中、忙ありだあ。 隙間隙間をねらって何かの用件が入ってくる。 棒のようにぼうーっと立っていないで、動くしかない。 前提条件「まとめ」は子どもの言葉でやりたい。 私もそう思う。 ところが、だめな授業なのに、子どもの言葉でまとめたいと言ってもでて来る言葉が貧弱だとどうしようもない。 教師が教えたい言葉、子どもが感じている言葉。どちらも書けばまちがいない。 前提を明確にして議論したい。 参観者からのお便り12月末に木曽地区で示範授業をした。 その時に参観された先生から手紙をいただきましたので紹介します。 「先日は、木曽へお越しいただきありがとうございました。先生の示範授業を見せていただき、やはり授業者が楽しそうでなければならないと感じ、今年も元気をいただきました。」 歯磨き歯をブラシで磨いて、その後、「しかん」ブラシを探そうとした。 この名前が思い出せない。 目の前にあるのだが言えない。 脳が「しかん」していた。 今日はお休みだからか。 オー、ノウ。 一通りなのかどうか人生の問題解決に一通りの答えはない。 いろいろな選択肢がある。 だから、その場その場悪戦苦闘して答えを自分で見つけていくしかない。 でも、結果としては、一通りの答えを歩いている。 これが必要・必然だということである。 数値の力定期的に通っている健康検査で、数値の改善が見られた。 ほんの少し良いだけで、とても嬉しくなる。 数値の上下は気分に影響する。 3学期と4月当初は学力調査の時期。 学力調査があるにもかかわらず、何もしないというのは・・・。 上がれば嬉しい。だから、どうすればよいか・・。 必要・必然の理船井幸雄は、身の回りに起きるすべての出来事は、 あなたにとって、必要で必然だったのだと言います。 私の人生を振り返っても、あのときあのように行動せざるをえなかったということが多々あります。 この必要・必然の理を認めると、過去はすべてオール善だということも導かれます。 例えば、22歳の大学4年生のときに父親と祖母が亡くなりました。 これはどうしようもないことです。 その後、残された家族は生きるしかありません。 いないものを責めても意味のないことです。 もちろん、気分は落ち込みました。 だから、淡々と、毎日を過ごしました。 神戸市の教員になることの道を歩んだのです。 それから40年の月日が経ちますがこれで良かったのだと思えます。 共に共存共栄の世界でないと、物事は進まない。 二方良し。 三方良し。 四方良し。 となるような世界を考えてみよう。 すらすら力授業を受ける子どもは、今の話を理解できる子ども、なかなか理解できない子どもがいる。 なかなか理解できない子どもは、理解する前の知識・考え方などが不完全だと思われる。 授業を受ける力を伸ばしたい。 教師の話、友達の話をすらすらと理解できる力を「すらすら力」と呼ぶことにする。 すらすら力を付けるのが教師の役目である。 すらすら力に役立つのが、「どの子もできる10分間プリント」であることは間違いない。 |
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