最新更新日:2024/09/22 | |
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良い言葉ある会に行ってもちつきをしました。 そのとき、服装をほめられました。 茶色のダウン、緑青のセーター、そして ベージュのパンツ。 何気なく組み合わせただけなのにほめられました。嬉しいです。 その際、最後に言われた言葉が 「勉強になりました」 自己肯定感が上がります。 特に、おしゃれな人から言われると格別です。 なるほど、この言葉は使えると思いました。 言葉だけでは言葉を発することはまず第一段階である。 でも、言葉だけでは信用できない。 言葉を発したら、次への行動を起こすことである。 行動でその人の気持ちが表れる。 結局、言葉だけの人は信用を失う。 指導技術が身に付くとは「指導技術」は、教えてもらうことが必要である。その際、どんなときにその技術が使えるかも教えてもらうことである。 そして、実際に使ってみる。すると、うまくいくときと、うまくいかないときがある。そうして、教訓を得ていく。この繰り返し作業によって技術が身に付いていくのである。 だから、数回使ってだめだからあきらめるのは早すぎる。 算数の授業では、子どもがある内容を習得するのに、わかる→できる→身に付くの3段階があるが、教師の指導技術についても3段階が当てはまる。 行事学校行事が多い。 小さいことから大きなことまで多くある。 多いのは分かった。 次はどうするか。 多いから減らすのか。 多くても教師の力量の向上でカバーするのか。 どちらしかない。 しょうがない「しょうがない人」という言葉がある。 これは、「使用がない人」つまり、使いようがない人という意味か? はたまた、「塩うがない人」つまり、塩気がない、味気がない人という意味か? それらは、マイナスの意味がある。 でも、「しょうがない人ネ」というのは、愛嬌がある。ほっとけない人という意味である。 だから、そういう意味ならオーケーか。 復活復活しました。 ばりばりやります。 かいてん2学期は猪突猛進であった。 毎週のようにイベントがあり、それらをこなしてきた。 廣くん、よく頑張りました。 頭は、回転休業の状態である。 沖縄の那覇市に来ています。昨日、名古屋中部空港をたち、那覇市に来ています。 落合康子先生といっしょにきました。 那覇市立小禄南小学校を訪問しました。廣 幸和校長先生のお招きによるものです。 昨日は、5校時に5年「割合」の準備の所を授業しました。 とても活発な子どもたちでした。 そして、○付け法、意味づけ復唱法の講話と演習を小禄南小学校の職員向けに行いました。 演習は、落合先生と共同で行いました。 とても楽しくできました。 本日は、同じ小禄南小学校で、県の算数研究会主催による研究大会があり、示範授業をさせていただきます。当然、5年の「割合」の授業です。 割合の授業は問題解決型というよりも、概念説明型の授業になります。つまり、誘導が多い授業です。その中で子どもたちとともに割合の概念を創っていけるか楽しみです。 10年目の岐路勤めて10年したとき、ふと感じる。 誰も教えてくれないことを。 だから、自分から求めていくことが不可欠である。 ごひいきに「ご贔屓してもらっています」 という言葉がある。 人は特別扱いを喜ぶ。 このことが分かっていると、人に喜んでもらうことができる。 突然の指名綾小路しみまろとヒロシで微妙な笑いをやりました。 楽屋裏でふくらくんが、「先生があんなことやるなんて信じられない」と言っていたとのこと。 出番が終わり、着替えて会場席に着きました。 ほっとしていると、次の池田先生の演目の最後に「なぞかけ」がありました。 人ごとで聞いていたら、本日の登場者にやってもらおうというのです。 びっくりしたけれど、登壇しました。 謎かけなんてやったことがありません。 私の貧弱なボキャブラリーでできるのか、不安でした。 お題は、会場から「中高年」と来ました。 はじめに玉置先生がやられました。 その間に私も思いつきました。 志水の回答です。 中高年とかけて、小学1年生の休み時間ととく。 その心は、どちらもすぐにトイレに行きたくなります。 ウケました。 ほっとしました。心臓に・・・。 訪問者来週の12日に学校訪問するための資料を事前に持参されたのでした。 歓談の中、「算数授業のユニバーサルデザイン−指導技術編」の事が話題になりました。 偶然にも鞄の中に入っていました。見ると、マーカーがたくさん引いていました。すごい勉強好きですね。 短い時間でしたが、楽しいひとときでした。 朝、インターホンが鳴るインターホンの音が鳴りました。 宅配便かと思って玄関に出ました。 すると、見かけない女性が立っています。 誰かなあと思っていたら、 「嬉しかったんでー」と言います。「あれはお正月に飲みます」と言いました。 認知しました。 近くの散髪屋さんに勤めているAさんでした。 ユニフォームと普段着は大違いです。 なんと、袋を渡してくれました。 それには、するめが入っていました。 というのは、Aさんは今月で散髪屋を結婚のためにやめることになりました。 この話は、先週の金曜日に散髪屋へ行ったときに知りました。 その後、自宅に戻ってお祝いの日本酒をプレゼントしました。 Aさんは日本酒が好きだと話していたからです。 そのときは私が急いでいたので、ほんのひと言、話しただけでした。 それが今朝の出来事につながりました。 気さくな人なので良い結婚生活をいとなまれることでしょう。 おめでとうございます。 1つの話1つの話がある人を救う。 心に貯まった悩みを浄化する。 1つの話ですっきりやわやかに生きていくことができる。 降参降参とは敗北の意味に使われる。 でも、参りましたというのは、良いときにも使うことができる。 「あなたの魅力に参りました」 これはステキなことである。 生きている限り、そう言われたいものである。 終わる前に何かが終わるときは、静かに終わるが普通である。 つまり、フェードアウトする。 しかし、終わりは始まりである。 始まりにはエネルギーが不可欠である。 フェードアウトだと、ゴールしたときは、エネルギーはゼロである。 これでは、つまらない。 だから、始まりにするためには、ゴール前が大事となる。 つまり、フェードアウトはやめて全力で駆け抜けることである。 すると、未来が開けてくる。 舞の里小学校での示範授業より昨日、福岡県の舞の里小学校の研究発表会に行きました。 全学級が授業公開をしました。はつらつとした授業を見てすがすがしかったです。 みなさんの成長ぶりに感激しました。 私も示範授業と講演をしました。 示範授業では学びが多かったです。 1から10までの和について授業しました。 計算の工夫についてA男からいきなりアイデアがでました。 すごい直感です。 でも、A音はその前に「1から10までを計算するのは面倒である。」特に、「繰り上がりがあるから面倒だ」と発言しました。 授業は、11と10のアイデアでまとめました。 ガウスの和についても触れました。 最後のB子さんがまとめとして発言したのは、「繰り上がりがあるから面倒だけれど、計算の工夫をすれば簡単になることがわかりました」と発言しました。 つまり、B子の中には、授業中にでた他の子どもの発言が累積されていて、つながっていたのです。 すごいですね。 1つの授業で友だちのいくつかの発言が関連していたのです。 結局終わってみれば、A男の「繰り上がり」「11のまとまとり」がきっかけで最後のまとめにつながりました。 A男がこの授業でのキーマンでした。 ありがとうございました。 できる子も、できない子どももできる子も、できない子どもも困っている。 できない子どもは問題解決に困っている。 だから、教師の支援・指導が必要である。 つまり、ユニバーサルデザインの考え方が必要である。 つぎに、できる子どもも困っている。 問題は解けた。 その後、どうしたらよいのか分からない。 もっと、算数を楽しみたい。 でも、教師からその手立てを教えてくれない。 退屈モードになる。 次の世界を教えてほしい。 では、次の世界とは何か。 次の世界は、より高度な問題を解く世界もあるが、 もっと素敵なのは、算数をさらに創造する世界である。 これを味合わせたい。 今、学習した定義や性質を使って新しい算数を創造するのである。 今年、上の写真にあるように2冊の本を刊行した。 4月に、「2つのしかけで算数授業のアクティブラーニング」(明治図書) 10月に、「算数授業のユニバーサルデザイン−指導技術編」(明治図書) http://www.meijitosho.co.jp/search/?mode=1&coun... できる子どもにも、できない子どもにも上の二冊は私の答えを示すものである。 時期と磁気何事にも時期がある。 ある時期になると、成就することがある。 それは、何かの事、人、物、会などがあるものを引っ張ってくる。 それは、まるで、磁気を帯びて引っ張ってくる。 ただし、じっと待っていてもチャンスはめぐってこない。 何かを思い、行動したときに、磁気を発生し、プラスとマイナスがくっつくように引っ張ってくる。 だから、まずは「志」をもち、次に「動く」ことだ。 対等に人はほめるよりもほめられたい。 よって、人をほめる人は貴重である。 そのためには、まず自分をほめよう。 自分をほめ、人をほめる。 自分も人も対等にほめてあげたい。 |
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