最新更新日:2024/09/18 | |
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共に拓くとは講演のテーマは、「共に拓く学校づくり」であった。 このパワーポイントを創りながらひらめいた。 共には、教師も子どももという意味である。 何を拓くのかというのである。拓くとは開拓することである。 「教師も子どももまだ見ぬ才能を引き出すこと」が共に拓くということである。 授業で、子どもは教科の本質に頭の中から引き出されること。教師は教材観、指導観、子供観において新しい見方が引き出されることである。 今あるもので満足するのではなく、未知への挑戦であり、未知への開拓である。 だから、教師自身も成長するのである。 講演レジュメ http://www.schoolweb.ne.jp/weblog/files/2370003... それぞれの華朝顔とゴーヤの花が咲いた。 共にきれいだね。 朝顔はゴーヤになれない。ゴーヤは朝顔になれない。 なれなくたっていいじゃないか。それぞれがきれいなんだから。 どちらにしても花が華になったかどうか、そこが問題なの。 花の前に茎、葉、つぼみで終わっていませんか。 華を咲かせて実を残すんだよ。次へつながる種を残すんだよ。 それが天からの役割なんだから。 進路選びは人生選びテーマは、「進路を考えるってどういうこと」でした。 そこで、タイトルを「進路選びは人生選び」として書きました。 高校生向けの文章ですが、一般の方々にもわかるように書きましたのでご覧ください。 寄稿文 http://www.schoolweb.ne.jp/weblog/files/2370003... ご縁の力元気な人、静かな人、・・・いろんな方がいる。 それぞれにご縁ができる。 元気な人は分かりやすい。 反対に静かな人は、あまり話さないのでよく分からない。 しかし、ご縁がある以上何らかのメッセージをもっている。 こういうメッセージに触れると、ああそうだったのかと深くなる。 静かな人とは、じっくり待つことである。 野菜の力お花畑が広大に拡がっていた。ダリアが綺麗だった。 森のレストランによって遅目の昼食をいただいた。 野菜のバイキングがメインである。 1つ1つの野菜をかみしめて野菜の力を感じた。レタス一枚でも力がわいてくる。 コーンのひとつぶでも甘みを感じた。 ハンバーグもいただいたがこれまたジューシーであった。 銀河庭園 恵庭 http://www.ecorinvillage.com/ecorinvillage/ging... 森のレストラン 天満 http://www.ten-man.com/ 夢現大8 笑瀾万丈昨日の懇親会で生き方のこつを話しました。 その本が上の「夢現大8」です。 ヒロシの運命はいかに。 この本を読めば生き方のこつがわかります。 注文先 愛知教育大学生協書籍部 →生協への注文はこちら http://www.auecoop.jp/teacher/ 本気はいつやばい、つぶれそうになったら、本気がでる。 それまでアドバイスしてもなかなか聞いてくれない。 それが普通の人だよね。 普通でない人は、危機を予想する。 だから、先手先手と仕掛けていく。 上の本は、ベテラン教員の学級崩壊からの生還記録である。 「まさかこの私が」という教師が学級崩壊に直面したのである。 学級崩壊してもふつうは改善しない。 でも、この教員は、危機を乗り切った。ここに真理がある。 志水メソッドの精神もお役に立った。 つぶれそうになっている人は、ぜひ読まれたい。 今は、そうでない人も先手を打つためにぜひ読まれたい。 (100部しか発行していません。貴重な本です。) 注文先 愛知教育大学生協書籍部 →生協への注文はこちら http://www.auecoop.jp/teacher/ 志水廣先生のブックリスト http://www.auecoop.jp/teacher/images/teacher-01... 濁ると「くち」が濁ると愚痴になる。 悪口、陰口は聞きたくない。 愚痴の連続は、「ぐちぐち」。 ぐちぐち言われると周りが迷惑。 さわやかな言葉を使いたい。 時間の使い方人を楽しませるためにどれだけ自分の時間を使うか。 今、目の前の人に喜んでもらえるかと思って時間をすごすのと、 今、自分が喜ぶために時間を過ごすのと、大きな差がある。 本当は、どちらも成立すると、一番よい。 つまり、人も喜び、自分も喜ぶために時間を過ごすことである。 そうすると、大きな大きな宇宙貯金が貯まる。 学ぶことは楽しい?学ぶことは楽しい。 新しい知識、新しい知恵が頭に入るのだがらこれほどお得なことはない。 人の一生を振り返ってみると、小学校、中学校、高等学校、大学とこの頃が一番学ぶ。 ところが、社会人になると、あまり学ばなくなる。 電車の車内を見渡してみると、スマホを見る人は多いが、本を読んでいる人はわずかである。 これって、学校教育は、学ぶことは楽しくないと教えてきたのかなあ。 とても不可思議な現象である。 とらえる感性 2昨日の「今日のひとこと」で、チャンスと面倒が成功の岐路だと 書いた。 面倒だと思う時点で落伍者。楽して成功なんてありえない。 でも、「楽」は楽しいという意味ならよい。 その課題を遂行するのにわくわくの楽しいならば面倒さも乗り越える。 わくわく見つけをしたらいいよ。 とらえる感性目の前のチャンスをチャンスととらえることができるのか、この感性が一番大事。 ある人はチャンスととらえ、 ある人は面倒だなあととらえる。 まさに両極端。 神様はどちらの人を好むのだろうか。 素直になったらどうやできない人ほど反対する。もっともらしい理屈をつけて。 もっと、素直になるといいんだけれどね。 「できない」ことを認めると、心を許すことになる。 すると、「できたいな」と思い始める。 その結果、教えてくれる人が現れる。 教師の都合研究授業の参観後、授業者は指導案通りに行ったことで満足している。 この姿をみると、普段よほど最後までいかないのだなと思う。 これは、教師側の側面だ。 本当に議論すべきことは、40人の子どもの達成度である。 Aさん、Bさん、Cさん、Dさんが・・・・わかったのかどうか、できたのかどうかである。 授業中にそのことを診断して適切に対応して、わかった、できたという目標を達成したかどうかである。 教師の自己満足で終わっている限り、授業の質は変わらない。 こんにちは「こんにちは」の語源は、「今日は、ご機嫌いかがですか」の省略。 機嫌は自分でとるもの。 機嫌がよいと自然と微笑みがでる。 機嫌がわるいと、しかめつら、しぶい顔。 どちらがいいかはわかるね。 今日も微笑みがえしで「こんにちは」 誤作動通常のパターンでは誤作動は起きない。 ちょっと変わった動作をしたとき、前の認知行動のチェックを忘れる。 だから、誤作動が起きる。 よって、誤作動を起こさないためには、前の認知行動を確認することである。 指さし確認などもその1つである。 不思議な一致ある講演で上のフリップを見せた。 学校教育でできることは何だろうか。 学力と社会性を身に付けることである。 そこで、学力は、平均点がいくらかという漠然とした問題ではなくて、その生徒自身の問題である。つまり、個人に学力が身に付いたかどうかが問われるのである。 その生徒が、 漢字が読めるようになったのか、 計算ができるようになったのか、 理科でもその生徒がガスバーナーを動かせるようになったのか、 社会科で言えば地図の見方ができるようになったのか、 体育科で言えば跳び箱がとべるようになったのか、 これらは個人の問題である。 そこをフリップで表した。 さて、この講演の後で、ある校長先生から、地域の方から学力は個人の問題だと指摘を受けたと聞かされた。地域のかたと私が打ち合わせたわけではない。不思議にも一致したのであった。 同日に「個人」、「個人」とダブルに指摘されたのである。 だから、個人に迫る教育が大事なのだ。 協働とかいう前に、個人の看取りはどうなのか、個人への助言はどうなのか、 そこを考えないかぎり、教師集団に当事者意識は生まれない。 だから、○付け法であり、復唱法なのだ。 問題問題は起きる。現れる。 起きてほしくないと思っても起きる。 どうせ起きるのだったら、解決するぞーと決意する。 解決したら、以前よりもよい世界が広がる。 依然として以前のままだったら真に解決できていない。 よりよい世界になるまで解決しよう。 脳一度にたくさんのことを話されると、脳が拒否してノウ−となる。 一点に絞ん迫られると感動しておおー脳となる。 元気付け人どんな環境にいても自分の心をプラスに保つこと。 これが明るくさわやかな生き方。 そうすれば、そのプラスの気は移っていく。 こういう人を元気付け人という。 トップに立つ人は、元気付け人でないとやっていけない。 |
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