最新更新日:2024/09/25 | |
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必要で必然なのか事件は先に起きる。 意味はその後しばらくしてわかる。 あるとき進路が急に変わる。そのときは、なぜ起きるのか分からない。 何か月後、また何年後に「ああ、こういう人生行路だったのか」と悟る。 つまり。必要で必然だというのは、後から振り返ってみて思うことである。 当事者は、その時点ではなぜだか分からない。だから、もがき苦しむ。 では、どう考えればよいかというと、今の苦しみは後に起きる人生の宝物を得るための修行だと考えることである。 頑張る源目的と目標があるから頑張ることができる。 では、ない人はどうするのか。 とりあえず勉強することだ。 さっぱり冷蔵庫で冷やした甘夏をいただいた。 さっぱり(が)、ええなあ。 あたまにきたー写真は、新ショウガの酢漬けである。 これを食べたら、辛みが頭を突き抜けた。 スライスしてゆでないで漬けたので、辛みが残ってしまった。 そのせいか、とても効果があるような気分である。 流れ方教師が一人で話すよりも、子どもどうしの話し合いの方がよいことがある。 つまり、直流よりも交流の方がまんべんなくいきわたる。 答えがほしい講演会に来る人は、答えがほしいのである。 それなのに、皆さんと一緒に考えて行きましょうと言われると、引いてしまう。 明解な講演は、ずばり答えはこうですと言い切る講演である。 数の機能何事をするのにも目安が必要である。 目安は、何かの行動や心でもよいが、一番はっきりするのには、数値である。 10%が15%に上昇しただけで、良かったという判断をする。安心する。 これで良いのだと。 逆に、5%になったら、下がったなあと認識し、心も落ち込む。 数値で表せない目安も大切であるが、やっぱり「数値」の機能は大きい。 今の位置と上の位置その人の位置が明確化されると、意識が変わる。 例えば、3月末まで教務主任だったのが、4月1日付けで教頭先生になると、その瞬間から「教頭先生」と呼ばれることになり、教頭先生としての振る舞いを求められる。 教頭先生から校長先生に変わった瞬間も同様である。 校長は最終判断を求められ、最終の責任を負わなくてはならない。 だけれども、人はすぐには変われない。「変身!!」とはいかないものだ。 そのためには、教頭時代に校長先生ならどう判断するのだろうかということを絶えず、頭の中で思考実験しておくことである。 つまり、今の立場から見て、より上位の立場に立つ訓練を心掛けたいものだ。 機嫌は誰がとるの機嫌は誰がとるのでしょうか。 あなたは、誰かに機嫌をとってもらいたいと思っていませんか。 その気持ちは分かります。 認められたいからですね。 でも、そうすると、いつも機嫌をとってくれる人を探すことになります。 では、機嫌は、誰が取るのですか。 それは、あなた以外の人ではありません。 つまり、あなた自身なのです。 要するに、機嫌は自分で取るものなのです。 良いときは自分を誉めて機嫌を取ります。 悪いときは視点変換をして気分を変えるのです。 そして、機嫌を取り直すのです。 「どうせ」は現状維持「どうせ下手なんだから、勉強したってしょうがない。」 確かにそうかもしれない。 けれども、下手だからこそ、勉強する必要があるのでは・・・ 下手が下手のままで終わったら、前進はないよ。 同様に才能が足りない人は、努力でカバーするしかないよね。 集めると集まる魅力ある人は、呼びかけて集めなくても自然に集まってくる。 魅力ある人は、言葉、行動が違う。 周りにいる魅力ある人の研究を行った方がいいと思う。 ゆったりと5月7日に愛知県東郷町で町の教員を集めた研修会があります。 そのため、講演の準備をしています。 対象が小学校・中学校の教員にわたるため、講演テーマを 「主体的・対話的で深い学び−わくわく教師ライフ」としました。 教師にとっての「わくわく」を語りたいと思います。 そこで、教材研究を広げてやっています。 ゆったりとできる教材研究は最高です。 落ち込むと心が落ち込んだとき、とても苦しい。 しかし、いつまでも落ち込んだ状態ではいられない。 何か解決策はないかと模索する。 すると、過去の経験で成功したことを思い浮かぶ。 そうか、あの時のようにやれば脱出できるかもしれない。 ここで、ベクトルは上向きとなる。 後は、少しずつ登っていくだけである。 実地踏査久しぶりに社会科の実地踏査を行った。 役場や独立行政法人の方に親切にしていただき、学ぶことができました。 探究することで、わくわくしました。 子どものことば算数の授業で、わり算を学習した子どもが、 「わり算って究極のひき算だよ」と話したという。 教師は、子どもにその意味を問い返したら、 「だって、わり算は同じ数をどんどん引いて答えを出すことができるからだよ」という。 難しい言葉で言えば、同数累減である。 本当に鋭いなあと思う。 あなただけに人は差別されると怒る。 平等にしてほしいという。 さて、「あなただけに特別教えます。」というフレーズがある。 つまり、特別とか、限定という言葉には、弱い。 これは、あたなだけにえこひいきしますということである。 ひいきしてほしいのである。 だから、われわれは、平等とひいきのはざまに生きている。 処方箋通りに高血圧の患者がいるとする。 医者は患者を診断して、処方箋を書く。 患者は、処方箋の薬を確実に飲む。 すると、病気は回復していく。 ところが、薬を飲まない人がいる。 そして、血圧が高いから診断してほしいという。 こりゃあ、無理だよね。 教育コンサルティングをしていて、そんなことに遭遇することがある。 改善のための処方箋を書いて渡す。でもやらない。にもかかわらず教えてほしいという。 こりゃあ、無理だよね。 学校で言えば、生徒に宿題を指示しているのにもかかわらず、宿題をやらない。 教師はどうするの。まず、やらせるよね。 まして、コンサルティングの対象は、大人の教師である。 こりゃあ、無理だよね。 お裾分け嬉しい報告が届きましたので、お裾分けいたします。 <嬉しかったことがあったので、志水先生にお伝えしたくてメールしました。 先日、ブラジルから来日したばかりの児童が転入してきました。日本語は全く分かりません。担任の先生に「教室で使うみんなのことば」をお貸ししたところ、指さしでやりとりできて、とても役に立っていると喜ばれました。 志水先生の学習会で教えていただいた「180°をこえる角の大きさ」のフラッシュカードを作り、1時間の授業の流れを書いて20代の4年生の先生にお渡ししました。授業後、その先生がにこにこして、「フラッシュカードをやっている時、「あっ、分かった。」と子供たちの表情が変わるのが分かりました。子供も私も楽しい授 業ができました。」と報告してくれました。 こうして感謝していただけるのも志水先生のおかげです。人のお役に立てるって幸せですね。心から感謝しています。> お役に立てることはとても嬉しいことです。 いろんな所で学んだことを困った人に教えてあげる。 これって大事なことなのです。 与えるから、ご褒美が戻ってくるのです。 飲み会人と人とのコミュニケーションによって良いアイデアが生まれる。 特に、ノミュニケーションは、盛り上がる。 愚痴や批判のために飲むのはよくない。 生産性の向上する飲み会でありたい。 贈与教育は贈与である。 大人から子どもへの贈与である。 知識と知恵と知恵の生み出し方を学校教育で担う。 子どもはそれらを使って社会に出るために学ぶ。 何のために学ぶのかというと、自己の自立と社会への貢献のためである。 このことを大人は語っていきたい。 |
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