最新更新日:2024/09/22 | |
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こんにちは「こんにちは」の語源は、「今日は、ご機嫌いかがですか」の省略。 機嫌は自分でとるもの。 機嫌がよいと自然と微笑みがでる。 機嫌がわるいと、しかめつら、しぶい顔。 どちらがいいかはわかるね。 今日も微笑みがえしで「こんにちは」 誤作動通常のパターンでは誤作動は起きない。 ちょっと変わった動作をしたとき、前の認知行動のチェックを忘れる。 だから、誤作動が起きる。 よって、誤作動を起こさないためには、前の認知行動を確認することである。 指さし確認などもその1つである。 不思議な一致ある講演で上のフリップを見せた。 学校教育でできることは何だろうか。 学力と社会性を身に付けることである。 そこで、学力は、平均点がいくらかという漠然とした問題ではなくて、その生徒自身の問題である。つまり、個人に学力が身に付いたかどうかが問われるのである。 その生徒が、 漢字が読めるようになったのか、 計算ができるようになったのか、 理科でもその生徒がガスバーナーを動かせるようになったのか、 社会科で言えば地図の見方ができるようになったのか、 体育科で言えば跳び箱がとべるようになったのか、 これらは個人の問題である。 そこをフリップで表した。 さて、この講演の後で、ある校長先生から、地域の方から学力は個人の問題だと指摘を受けたと聞かされた。地域のかたと私が打ち合わせたわけではない。不思議にも一致したのであった。 同日に「個人」、「個人」とダブルに指摘されたのである。 だから、個人に迫る教育が大事なのだ。 協働とかいう前に、個人の看取りはどうなのか、個人への助言はどうなのか、 そこを考えないかぎり、教師集団に当事者意識は生まれない。 だから、○付け法であり、復唱法なのだ。 問題問題は起きる。現れる。 起きてほしくないと思っても起きる。 どうせ起きるのだったら、解決するぞーと決意する。 解決したら、以前よりもよい世界が広がる。 依然として以前のままだったら真に解決できていない。 よりよい世界になるまで解決しよう。 脳一度にたくさんのことを話されると、脳が拒否してノウ−となる。 一点に絞ん迫られると感動しておおー脳となる。 元気付け人どんな環境にいても自分の心をプラスに保つこと。 これが明るくさわやかな生き方。 そうすれば、そのプラスの気は移っていく。 こういう人を元気付け人という。 トップに立つ人は、元気付け人でないとやっていけない。 道徳はワクチン道徳の授業では、当然と思われる徳について議論される。 人の心に潜む良い徳と悪い徳との価値葛藤を生じさせることから生み出される。 良い徳だけで議論を進めると、通り一遍の話しで心に残らない。 だから、ゆさぶりがかけられる。つまり、悪い徳への心をあぶり出すことが不可欠である。 これって生体反応で言えば、抗原抗体反応である。 ワクチンは雑菌である。これを打ち込むことによって、身体に免疫反応が起きる。 教師からのワクチン(ゆさぶり)のない授業は、いつまでやっても頭の上を通り過ぎるだけである。心に響く授業をすることだ。 期限仕事には期限があるけれど、健康には期限がない。 病気にならないと期限を自覚しない。 つまり、未病の状態は期限なし。 病気の人は、これを読んで機嫌悪くしないでね。 勝つ相手は人に勝つ前に、自分に勝つ。 人が働いているときは、自分は2倍働く。 人が休んでいるときは、自分は1倍働く。 それじゃあ、いつも働いているばかりじゃんだって。 いいの。ワークアズライフなんだから。 仕事と生活を区別するのが・・・ それで楽しいんだから。 常識をこえる常識は必要。 でも、常識ばかりで生きているとつまらない。 非常識は困るが、常識を超えればよい。 超常識になればよい。 高すぎず、長すぎず目的の次に目標を立てると、自分の先が見えてくる。 次に、目標は高すぎない方がよい。また、時間的に短い方がよい。 3日坊主の人ならば、3日間はダイエットするでもよい。これだけでも3日間続いたのだから立派なものだ。 4日目はダイエットを休憩して、5日目からまた3日間ダイエットすればよい。 これだけでも確実にやせていく。 高すぎず、長すぎずがちょうどいい。 アクシデントアクシデントはできるだけ起きない方がよい。 万全の対策をとることが大事である。 それでも、起きることもある。 起きた場合は、何が一番最善の手をうつ。 その原因は何か。 原因に対する手立てを解明する。 そして、ここからが重要なのだが、手立てが確実にうったかどうかの検証をすることである。 手立てを立てて終わりと思うから、また同じようなことが起きるのである。 検証は、評価システムと言ってもよゆい。システムだから、自動的に評価されて報告がなされるシステムを作ることだ。 悪口悪口を言うのは、自己重要感が不足しているから。 その原因の一つは、人と比べるから。 その人の能力が低くても比べて不満が出る。 高くても比べて不満がでる。 どちらにしても不満人間。だから憤懣人間となる。 確実に言えることは悪口の毒素をまき散らし周りの気分を悪くし、また己の毒素に心が傷つく。 勘弁してよね。 へんこうある主張をしたら、変な風に変更されていた。 しかも、偏向した見方でとらえられていた。 偏向した変更は困ったものだ。 自己重要感自己重要感を高めるのは誰か? 自分なのか、他の人なのか。 自分だとしたら自己満足になる。 他の人がその人の自己重要感を高めるのである。 教師対子どもならば、教師が高める。 親対子どもならば親が高める。 校長対教職員ならば校長が高める。 だから、子どもの自己重要感が低いというのは、上に立つ立場の人の問題である。 誇れる誇ることができる学校、教師、子どもでありたい。 誇れるとはどういうことを指すのか。 自己重要感が高まる状態を言う。 別の言葉で言えば、自慢のできる学校、教師、子どもということだと思う。 では、どうすれば自慢できるようになるのか。 学校のおかげで、教師のおかげで子ども自らの能力が高まったという自覚をもつことだ。 そういう仕掛けを作るようにしたい。 トップの気持ちある調査で、毎年最下位というのはすごい記録である。 この原因は、いくつか考えられる。 1.調査のことを信用していない。 2.調査のことを無視している。 3.現在の指導の仕方を変えていない。 4.現在の指導の仕方が悪いと思っていない。 5.まあ、最下位でいいではないか。 ざっとこんな感じである。 私のメソッドを実践している学校では、プラス8ポイント上がった学校がある。 私のお弟子さんは、いつも秋田県よりも上の数値をたたきだす。 学校の役割は、子どもに学力をつけることである。 トップは、真剣に考えたらどうかなあ。 リフレーミングゴールデンピーチという品種のももを買って食べた。 2こで298円なのでとてもお値打ちである。 さて、食べてみたら、 Mさんは「ちがう。これはももではない」 という。 私はおいしかったのだが、・・・。 確かにももの味ではない。 しいて言えば、「マンゴーかな」という。 確かにそう言えばマンゴーだ。 2個目を食べたとき、Mさんは「お得なマンゴーを食べよう」と言った。 勝手に言い換えたのであった。 この言い換えの作業をリフレーミングという。 ももと思うから「ちがう」となるが、マンゴーと思えば、とても安くてよい。 ものは言いようだなと思った。 3人一人ではできないけれど、3人よればできることがある。 それが、本日、開催された豊田市のでの3校合同研修会である。 3人の気持ちが志水を動かし、校長先生を動かし、職員を動かした。 同じ「志」をもつ人が3人いると強い。 模擬授業の振り返り三重県津市立高野尾小学校でみんなで交代で模擬授業しました。 模擬授業の様子を筆記とビデオで記録を取りました。 全部終わって校長室で研究主任にお願いしました。 何だと思いますか。 筆記の記録から授業の原則化をお願いしました。 記録に下線をひくだけでもよいのです。 模擬授業という場でみんなで審議したことは、みんなで共有化していくとよいからです。 ここから学校の一体化が始まります。 |
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