最新更新日:2024/09/22 | |
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UD7 確実にすること算数の授業でユニバーサルデザインを考えたとき、 問題解決において、「最低限この方法だけけは身につけさせたい」というラインを決めておくことである。 どの子どもにも本時で一番大切にしたいアイデアを取り組ませ、身につけさせたい。 それが習得された上で、もう一つの別の解法があれば取り上げる。 何でもかんでも多様性がよいと言って、多様性におぼれる授業はよろしくない。 一つ目の基本的な解き方を知ったとしても、別の問題で適用できるかどうかは別のことである。しっかり習得させてから、別の方法へいくのならよい。 だけれど、多様性におぼれる授業は、すべての子どもに習得まで保証しているとはいいがい。 あまりできない子どもは多様性があるために混乱する。 よーく子どもを見て指導してもらいたい。 一問だけでも確実に 分かる できる ことを保障すること どの子どもも という観点から言えば 多様な考えは邪魔だあ UD6 視覚化・焦点化ユニバーサルデザインの授業の要素として視覚化・焦点化がある。 本日、教職大学院生の授業を参観してきた。 点対称の性質を見つける授業である。 上の写真は、前時「線対称」定義を復習したものである。フラッシュカードでここが大事ですよと、視覚化・焦点化されている。しかも、赤い波線がある。これは、「対称の軸」へと結びつける工夫である。ここでも、焦点化がはかられている。 下の写真は、点対称の中心を指さし確認しているところである。 しかも、小さい強力磁石で明確に示している。焦点化している。 「点対称の中心は」と音声言語で話していても、どの子もそれがわかっているかどうかは不確かである。このように磁石と指さしによって視覚化・焦点化がはかられる。子どもに教科書またはノートの図で中心を指さし確認させてもよい。 さらに、対応する点を結んだ直線も色を変えている。白色のチョークだとどうなるか。区別しにくい。 これらの工夫によって、どの子も「わかる」授業が作られていく。 UD5 大羽沢子先生の「眼」福岡県の大羽沢子先生に特別にお願いしてユニバーサルデザインについてときどき寄稿していただくことになりました。 楽しみにしておいてください。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 「ユニバーサルデザイン」の波がキタ―――!!!の背景(1) おかげさまで、志水先生との著書「算数授業のユニバーサルデザイン」は売れ行き絶好調!私もこっそり書店に行き、「あるある。」と一人ほくそ笑んでおりました。書店は「春の教育書フェア」を設定していましたが、やはり「ユニバーサルデザイン」関連の本がよく売れているようでした。 なぜ、こんなに「ユニバーサルデザイン」が注目されているのでしょうか。また、そもそもユニバーサルデザインとは何なのでしょうか?「算数授業の・・」では、紙面の関係から充分にお伝えできなかったことをコラム風にちょっとずつお伝えしたいと思います。 また、私はこの度退職し、鳥取大学の井上雅彦先生の下で臨床心理士として研究・実践に取り組むことになりました。そこでの学びも交えてお伝えします。乞うご期待!! まず、最初に定義をはっきりしておきましょう。 【ユニバーサルデザインとは?】 ユニバーサルデザイン(Universal Design:UD)は、ノースカロライナ大学のロナルド・メイス(RonaldMace)が文化、言語、国籍の違い、年齢や性別の違い、障害・能力のあるなしを問わず、誰でも利用することができる施設、製品、情報の設計の配慮として提唱した概念です。ユニバーサル(Universal)とは、普遍的な、あまねくという意味の英語です。授業に置き換えると、どの子も分かりやすく、適切な環境で学習できる教師の配慮や工夫といえます。(参考:兵庫教育大学名誉教授 成田滋先生による「兵庫教育大学同窓生ニュース」) 私が「ユニバーサルデザイン」という言葉を初めて聞いたのは、約20年前、神戸で行われた総合的学習の時間についての研修会でした。世間ではようやく「バリアフリー」ということが浸透している頃でした。あくまでも「何かハンディを持った人のための」という 「特殊教育」の考え方に近いものでした。そこへ「誰にでも利用できる」という視点はとても新鮮で、特別支援教育について全くの素人だった私でも、「なるほど!」と思ったことを鮮明に覚えています。 しかし、これが社会の変化と密接に結びついていることを知ったのはもっと後のことになるのです。(次回に続く) 大羽 沢子 UD3 朱書きで問いの発生を 6年線対称・点対象の導入のノートの写真である。 子どもが書いたこと「(ぴったり重なるという)関係がよくわかった」に対して、波線を引き、 教師は、「この関係は、どんな関係だろう?」 と疑問形で朱書きをしている。 その子に応じた朱書きは、教師と子どもとの対話を促進する。 子どもはぼくのノートを見てくれているんだ。 しかも、質問をしてくれている。だから答えたいと思う。 朱書きは、焦点化、視覚化を促している。また、教師と子どもとの共有化もはたしている。志水メソッドで言えば、「関係」というキーワードをとらえて、意味付け復唱法を使って切り返しているのである。 そういう意味で、朱書きは、一人一人の子どもをユニバーサルデザインの一つであると考える。 UD2 4月の算数授業で「やってはいけない発問」どの子も「わかる」「できる」という観点からいえば、 4月当初の算数授業は、どうすればよいか。 子どもは、期待に胸をふくらませている。 内容に対しての期待、教師の指導に対する期待がある。 授業の自力解決のあと、練り上げの場面で「この3つの考えでどれが一番簡単かな」と。 この瞬間、子どもたちは固まった。 どれが良いのかを考えることに固まった。 Aの考え、Bの考え、Cの考えの選択を迫られた。 ある子どもは「Aがよいと答えた」。 でも、教師は「うーむ、先生はBだと思う」と切り返した。 また、子どもたちは固まった。 なぜ、固まったのか、自分の考えを発表しても、他の子どもとの比較にさらされるのだと思ったからである。 あげくのはては、切り捨てられる。つまり、否定する教育である。 子どもの「心」を固まらせるような授業は、どの子も「わかりたい」「できるようになりたい」という精神からはほど遠い。 まずは、考えを思いつき、発表したことをほめたい。 4月の時期は、なんでも意見が発表できる雰囲気をつくることが大事である。 多様な考えを発表させたら、それらの価値の比較は慎むべきである。 むしろどの考えにも価値があるとことを示すことである。 それが教師の優しさである。 私ならば、ぞれぞれの良さを価値づけて終わりとしたい。 または、それらの共通性を見いださせるようにしたい。 前の学年まで発表しなかった子どもの「心」を解放し、何でも言える空気にしたい。 子どもが真剣に考えた意見を安易につぶさないことである。 そのためには、「なるほど・・・と考えたんだね」「そうだね。」と共感していくことであ。(意味づけ復唱法) 4月にこの空気を作れないと、正解だけがでる授業となる。もっというと、教師の求める正解だけの授業となる。 もちろん授業規律まで壊す雑音に同調する必要はない。 子どもは、教師の応答の姿勢を見ている。 優しさを表現していってほしい。 UD1 児童が使う分度器は2014年度に当たり「算数授業のユニバーサルデザイン」を世に出したこともあり、ユニバーサルデザインの観点から述べていきます。 児童が使う分度器と教科書で使う分度器と教師用の分度器の表記が異なると 児童は困ってしまいます。 写真は、市販されている分度器です。 大きいもの、小さいもの、0度の基線があるものとないものがあります。 どれも工夫されていますが、 基本的には現在、教科書に表示されているものに近いものを使うことをお勧めします。 2年前に、ある小学校で「角の大きさ」について分度器を使った授業をしました。 それぞれの児童が持参した分度器がばらばらで説明に苦労した記憶があります。 実際に児童は角の測定のとき、また作図のときに教師と同じものでないため、教科書と同じものでないために本当に困っていました。 0度の基線があるかないかで、角の測定、作図に困ります。 できれば、学級で統一、学年で統一、学校で統一した方が望ましいと考えます。 |
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