最新更新日:2024/09/22 | |
本日:13
昨日:19 総数:444375 |
忙忙中、忙ありだあ。 隙間隙間をねらって何かの用件が入ってくる。 棒のようにぼうーっと立っていないで、動くしかない。 前提条件「まとめ」は子どもの言葉でやりたい。 私もそう思う。 ところが、だめな授業なのに、子どもの言葉でまとめたいと言ってもでて来る言葉が貧弱だとどうしようもない。 教師が教えたい言葉、子どもが感じている言葉。どちらも書けばまちがいない。 前提を明確にして議論したい。 参観者からのお便り12月末に木曽地区で示範授業をした。 その時に参観された先生から手紙をいただきましたので紹介します。 「先日は、木曽へお越しいただきありがとうございました。先生の示範授業を見せていただき、やはり授業者が楽しそうでなければならないと感じ、今年も元気をいただきました。」 歯磨き歯をブラシで磨いて、その後、「しかん」ブラシを探そうとした。 この名前が思い出せない。 目の前にあるのだが言えない。 脳が「しかん」していた。 今日はお休みだからか。 オー、ノウ。 一通りなのかどうか人生の問題解決に一通りの答えはない。 いろいろな選択肢がある。 だから、その場その場悪戦苦闘して答えを自分で見つけていくしかない。 でも、結果としては、一通りの答えを歩いている。 これが必要・必然だということである。 数値の力定期的に通っている健康検査で、数値の改善が見られた。 ほんの少し良いだけで、とても嬉しくなる。 数値の上下は気分に影響する。 3学期と4月当初は学力調査の時期。 学力調査があるにもかかわらず、何もしないというのは・・・。 上がれば嬉しい。だから、どうすればよいか・・。 必要・必然の理船井幸雄は、身の回りに起きるすべての出来事は、 あなたにとって、必要で必然だったのだと言います。 私の人生を振り返っても、あのときあのように行動せざるをえなかったということが多々あります。 この必要・必然の理を認めると、過去はすべてオール善だということも導かれます。 例えば、22歳の大学4年生のときに父親と祖母が亡くなりました。 これはどうしようもないことです。 その後、残された家族は生きるしかありません。 いないものを責めても意味のないことです。 もちろん、気分は落ち込みました。 だから、淡々と、毎日を過ごしました。 神戸市の教員になることの道を歩んだのです。 それから40年の月日が経ちますがこれで良かったのだと思えます。 共に共存共栄の世界でないと、物事は進まない。 二方良し。 三方良し。 四方良し。 となるような世界を考えてみよう。 すらすら力授業を受ける子どもは、今の話を理解できる子ども、なかなか理解できない子どもがいる。 なかなか理解できない子どもは、理解する前の知識・考え方などが不完全だと思われる。 授業を受ける力を伸ばしたい。 教師の話、友達の話をすらすらと理解できる力を「すらすら力」と呼ぶことにする。 すらすら力を付けるのが教師の役目である。 すらすら力に役立つのが、「どの子もできる10分間プリント」であることは間違いない。 知と心の勉強なぜ、人は死ぬまで知の勉強と心の勉強を続けなければならないのか。 人の脳の仕組みとして知の発達を支える働きがもともと備わっているから。 では、心の勉強はなぜしなくてはならないのか。 前世でのカルマの解消のためか? でも、言えることは知の勉強は無から有を生み出す作業だから毎回興奮する。 宇宙は、人に知と心の勉強をせよと強制しているのであろうか。 とても不可思議なことである。 並から特上へ昨年から並がやってきている。 並ではなくて、特上の波である。 授業力アップわくわくクラブも3月で5年が過ぎようとしている。 この5年間の積み重ねが今の運気、特上の運気につながっている。 ますます頑張りますよ。 何のために? もちろん、全国の教師、子ども、保護者の皆様にますます元気になってもらうために行動します。 |
|