最新更新日:2024/09/24 | |
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順調と不調順調と不調の波はある。 不調のときにジタバタ動くとさらに不調になる。 不調のときは、じっくりと勉強する時期だ。 誰が何と言おうと、自分の方向に向かって勉強することである。 やがて、順調の波が来る。 そのとき、それまでの勉強が役立つことなる。 余談女性が「そう言えば、あれがねー・・・」というと、余談の始まり。 余談は余りの話かと思うと、大間違い。 時として、本談になりうる。 つまり、余談も余談じゃない。 よって、余談に油断するな。 音声「悠・愉」第107回を配信します。こんにちは。 音声「悠・愉」第107回を配信します。 今回は「ゼロからのスタート」と題して志水先生にお話をしていただきました。 どうぞお聞きください。 授業力アップわくわくクラブ 志水廣・近藤雅子 「志」談会人生論を語りました。 いつから始まったのかというと、授業力アップわくわくクラブの開始と同じ頃です。 つまり、8年前から毎月1回、算数教育とは異なる話を毎回続けてきました。 新たな気分でスタートするため志水廣の談話会ですので、志談会と名付けてやっていきたいと思います。 「志」とは、デジタル大辞泉によると、 「1 ア ある方向を目ざす気持ち。心に思い決めた目的や目標。 「志を遂げる」「事、志と異なる」「志を同じくする」「青雲の志を抱く」 イ 心の持ち方。信念。志操。「志を高く保つ」」 とあります。 これからの先の時代を見据えて、談話会をやっていきます。 わくわくクラブの会員様の参加を歓迎します。 ゼロからこれまでの人生を振り返ってみると、転職が多い人生であった。 神戸市立の小学校教師から東京の筑波大学附属小学校の教師、そして、愛知教育大学の教師(数学教育で15年、教職大学院で10年)、そして退職してフリーランスとして活動している。 そのいずれもゼロからのスタートである。 まったく異なる仕事である。 人脈ゼロ、信用ゼロ、知識ゼロ・・・。 すべてやりきってきた。 ゼロは怖くない。むしろわくわくする。 ゼロだから新しくすることが財産となる。 一度きりの人生、ゼロからやるのもいいものだよ。 自学自習義務教育の最後の目標は、自学自習ができることである。 そのためには、先生に頼らないという自覚、 そして、自主的にすること。 つまり、「自覚゛自主−」という字になろうか。 一宮市学校教育推進会議29年度の方針とともに、現在の施行状況について報告があり、審議いたしました。 この会の構成メンバーは幅広い層で成り立ち、大学教授から現場の校長代表、PTA代表、母親代表、成人代表、カウンセラーなどの方々が委員となって自由闊達に議論しています。 教育委員会は、中野教育長をはじめ多くの指導主事で構成されています。 この会は平成6年から始まり、それ以来ずうっと参加しております。現在、志水は議長としてとりまとめをしております。 一宮市の子ども達が自立に向けて学校教育の望ましいあり方の施策を提言していきます。 パッションリーダーは第一にパッションがなければつとまらない。 人を動かすのはパッションである。 その次に、冷静な判断。 最後に、論理的な思考である。 パッションがない人は「つとまらない」。ここで、「と」抜きをすると、 どうなるか。 じゃがいも堀り筑波大学附属小学校時代には毎年掘っていたので、26年ぶりです。 とにかく暑い!! でかいいもがざくざく取れました。 オール筑波サマーフェスティバル14日は盛山先生の「わり算」の授業を参観しました。教材開発の面白さを学びました。 15日は、細水先生が「ひき算のきまり」の授業をされました。この教材はとても面白く、まだまだ開発の余地があります。この授業のシンポジストとして登壇しました。 午後は、田中先生の授業を参観しました。問題提示のしかけのうまさに圧倒されました。実にうまいしかけでした。オノマトペで表現しますと、 ドカーン、ドン、ドン、ドーン といった感覚で図形を提示しました。このしかけで子ども達が動きだしたのです。これには参りました。 筑波大学附属小学校で勤めていたのは今から26年前です。でも、招いてくださることに感謝いたします。 はざま理想と現実のはざまに生きている。 どちらか一方にかたよって嘆くことは簡単。 二つの調和点を探すのが生きる力。 自然な流れ人生の展開は、どこかで岐路が来て、 流れの方向が変わり、 あれよあれよという間に、 新しい道を歩んでいる。 不思議なものだ。 生活と死活「これは、死活問題です。」といった人がいる。 たずねてみれば、なぜなら生活の糧だという。 それならば、生活問題といえばよい。 「死んで生きるか」と「生きて活きる」を比較すると、どちらの意味が大きいのだろうか。 死んだら生きれないよ・・・ 豊田学習会
本日の夜、豊田で学習会が開かれました。
20名の方が参加されました。 そこで、講演をしました。 タイトルは一問一答からの脱却です。 みなさんとても意欲的に参加されました。 おかげてゆったりと話し演習もできました。 落合先生、中根先生、この会の運営、ありがとうございました。 プレゼ ンhttp://www.schoolweb.ne.jp/weblog/files/2370003... 音声「悠・愉」第106回を配信します。こんにちは。 音声「悠・愉」第106回を配信します。 今回は高校生への講演について志水先生にお話をしていただきました。 どうぞお聞きください。 授業力アップわくわくクラブ 志水廣・近藤雅子 展開を若い教師は、45分間をどのように展開するかを考える。 しかし、その前に何を教えるべきことか、 何を考えさせたいことか、 何を身に着けさせたいことかが明確でないと、 展開は浅いものとなる。 そのためにはミニ指導案を書くとよい。 このHPでは、ミニ指導案を配布文書に入れている。 参考にしてほしい。 時の強調点の障害言語力が大切と言われたら、考えることもなく「説明しよう」が流行る。 考えて解決したこと、または途中まで考えたことを発表することに重きがいかない。 教師が求める説明は、正答の説明である。 これでは、解決できていない子どもはどうなるのか、全て切り捨てである。 アクティブ・ラーニングが大切、協働の学びが大切だとかで、グルーブで話し合うことを無目的で指示する。 これまた、4人の子どもがいて、解決できている子どもと解決できていない子どもがいる場合は話し合いにならない。単に解決できた子どもが解決できない子どもに教えているだけである。 次に、4通りの仕方で解決できたとする。これでグループ学習に入った。でも、配られたホワイトボードは1枚のみ。それなら、残り3人のアイデアはどうなるのか。これまた切り捨てである。 言語力にしても、協働学習にしても時の流行だけれど、授業の基礎・基本が理解されていない教師が実行すると、マイナスの効果をうむ。 若い教師はまずは授業の基礎・基本をしっかり学ぶべきである。 柔らかい指示は「何々しよう」「何々したらいいよ」と教師が言うと、それは殆ど命令である。 それが証拠に「何々」しなかったら教師は注意する。 同じことは、授業研究会の講師が「何々したらいいよ」と言ったら、それは依頼ではなくて命令だと感じる心を持ちたい。 人は誰しも命令されたくはない。だから、「何々したらいいよ」と婉曲的な表現をとるのである。 年月最近あるイベントが終了した。 毎年、終わってからこのように改善してほしいというのであるが、なかなか改善が示されなかった。最近になってようやく改善されてきた。今年はさらに事前打ち合わせからアドバイスできたので、かなりの進歩がみられた。 ふと気がつくと、今年のメンバーは知り合いが多くなっていた。 何事にも変化するためには、時間がかかるということである。 くどいくらいに変化を促せば少しずつではあるが変化するものだ。 諦めないで言っていくことだ。 毎月授業力アップわくわくクラブでは、毎月メールブック(A4で40−50頁)を発行している。 志水廣は巻頭言を担当している。 編集長として感じることは、原稿の質の高さである。とてもためになるし、面白い。 執筆者の皆様にはありがたいことだと感謝している。 集まった原稿を事務局の近藤が整理してくれている。 雑誌を創る作業と何ら変わらない。 2011年よりスタートし、8年目に入っている。この間、休み無く毎月発刊できていることに感謝、感謝です。 |
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