最新更新日:2013/03/25
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ありがとう五反野小学校!さようなら五反野小学校!

5・6年生筑波山遠足11

 さあ、一休みして、気合を入れて、頂上を目指すぞ!!
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5・6年生筑波山遠足12

 頂上は2ヵ所あります。女体山頂(写真上)と男体山頂(写真下)です。その間をつなぐ山道の脇に、ガマ石があります。ガマ石とは…?

【つくばのむかしばなしより】

 江戸時代に、筑波山のふもと、新治村永井に、兵助という百姓の次男坊がおりました。兵助は貧しい百姓の仕事がいやになって、「何とか金持ちになりたい」と村を飛び出し、商家の小僧をしたり荷車ひきをやったりしていましたが、金持ちになるめどはなかなかつきません。

 そこで、郷里に帰って、田畠を分けてもらい百姓に戻ろうと思いましたが、「大金持ちになるまでは戻りません」と書置きをしてしまった手前、簡単に戻ることも出来ません。村を目の前にして、兵助は筑波山へと足を向けました。

 筑波山まで来ると、「ガマの油あります」という貼紙が、兵助の目に飛び込んできました。ガマの油の製造はいたって簡単で、資本となるお金もそういらないようでした。

 「そうか、ガマの油か。こんなものは江戸にはなかったぞ。うまく宣伝すれば売れるかもしれない」兵助は、筑波山頂の石の上で七日間、手を組んで考えました。

 そして生まれたのが、かの、「さあさあお立ち会い、一枚が二枚、二枚が四枚……」
と、おもしろおかしく紙を大きな刀で細かく切った後に、その刃を自分の腕にあてて切るように見せて軟膏薬を販売する、ガマの油売りの口上でした。

 兵助はこれで大金持ちになりました。また、筑波山頂のガマ石は、口の中に小石を投げ込むとお金持ちになる、と言われるようになって、口の中にはいつも小石がたくさん投げ込まれるようになったということです。

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5・6年生筑波山遠足13

 苦しい山道を山頂まで踏破して、さあ、いよいよおいしいお弁当にありつけます。
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5・6年生筑波山遠足14

 おいしいお弁当です。長い山道を登って、もうお腹はペコペコです。
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 おいしいお弁当です。長い山道を登って、もうお腹はペコペコです。
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5・6年生筑波山遠足16

 記念写真を写真屋さんに撮ってもらったクラスから、ケーブルカーで下山です。
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 ケーブルカーは急な斜面を下りていきます。
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 筑波山神社まで降りてきました。筑波山神社は、関東の霊峰「筑波山」を御神体と仰ぎ、約3千年の歴史を有する古社で、境内は中腹の拝殿より山頂を含む約370haにおよび、山頂よりの眺望は関東一円におよびます。

 高く尊い御神徳により、年間を通して多くの方が参拝に訪れるそうです。
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5・6年生筑波山遠足19

 神社の境内を抜けて下へ降りていくと、ガマの油を売っていました。さて、このガマの油、どの程度の効き目があったのでしょう。口上での効能は、切り傷に始まり、ひび、あかぎれ、しもやけ、痔、はれもの、などとなっています。

 一説には馬の脂肪で作った馬油と言う話もありますが、カエルの分泌物にそれらしきモノがあります。シナヒキガエルの毒腺の分泌物を集めた物で、蟾酥(せんそ)と呼ばれる物質があります。

 蟾酥には麻痺作用と血管を収縮させる作用があるそうで、昔は刀傷の薬として珍重されていたのでしょう。蟾酥に強心作用のあることが分ったのは近年のことです。

※四六のガマとは、前足の指が四本、うしろ足の指が六本のカエルをいいます。

 ガマの油売りに登場するガマは「そこらへんにいるガマじゃない、手前のこれは四六のガマだ。前足の指が四本でうしろ足の指が六本」と言っています。

 一般に脊椎動物の肢の指は前・後ろともに五本です。ところが「手前のこれは四六のガマ」と差し出されたのを確かめてみると、確かに指は前足が四本、後足が六本なので、なるほどこれは霊妙なガマだと思います。でも、ガマは前足の指が四本、後足のは六本なのは何も特別なことではないのです。

 ガマも基本的には前足も後足も五本なのですが、前足の第一指(親指)にあたるものは、痕跡的な骨があるだけで外見的に四本に見えます。そして後足では、第一指のそばに番外指と呼ばれる、これも内部に骨のある瘤(こぶ)があるので、六本指に見えるのだそうです。

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5・6年生筑波山遠足20

 帰りもTXは快適でした。体力的にはずいぶんとハードだったけれど、最後まで五反野小らしく頑張れた、思い出に残る遠足になりました。
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5・6年生筑波山遠足21

 最後におまけで「ガマの油売り」の口上を…

 「さぁ、ご用とお急ぎでないかたはゆっくりと見ておいで。遠目山越し笠のうち、ものの文色(あいろ)と理方(りかた)がわからぬ、山寺の鐘は轟轟(こうこう)として鳴るといえども童児一人(いちにん)来たり、鐘に撞木を当てざれば、鐘が鳴るやら、とんとその音色がわからぬが道理。

 だがしかしお立合い、手前持ちいだしたる棗(なつめ)の中には一寸八分唐子(からこ)ぜんまいの人形。日本には人形の細工人あまたあるといえど京都ゥにては守随(しずい)、大阪表においては竹田縫之助(ぬいのすけ)、近江の大じょう藤原の朝臣(あそん)。

 手前持ちいだしたるは近江がつもり細工。咽喉(のんど)ゥには八枚の歯車を仕掛け、背中には十二枚のこはぜを仕掛け、大道へ棗を据え置くときは天の光と地の湿りを受け、陰陽合体いたしたるとき、棗のふたをぱっと取る、つかつか進むが虎の小走り虎走り、雀の小間取り(こまどり)小間返し孔雀霊鳥の舞、人形の芸当は十二とおりある。

 だが、しかしお立合い、ほうり銭や投げ銭はおよしなさい。手前大道に未熟な渡世をいたすといえど、ほうり銭や投げ銭は貰わぬ。では何を稼業にいたすというに、手前持ちいだしたるは、これにある蟇蝉噪(ひきせんそう)四六のがまの油だ、そういうがまは、おれの家の縁の下や流しの下にもいると云うがそれは俗にいうおたま蛙、蟇蛙(ひきがえる)といって、薬力と効能のたしにはならん。

 手前持ちいだしたるは四六のがま。四六、五六はどこでわかる。前足の指が四本にあと足の指が六本、これを名づけて四六のがま。このがまが棲めるところは、これよりはるゥ..か北にあたる、筑波山のふもとにて、車前(おんばこ)、という露草(つゆくさ)を食らう、このがまの捕れるのは、五月に八月に十月、これを名づけて五八十(ごはっそう)は四六のがまだ、お立合い。

 このがまの油をとるには、四方に鏡を立て下に金網を敷きその中にがまを追い込む。がまはおのれの姿が鏡に写るのを見ておのれと驚き、たらァ..り、たらりと油汗を流す。

 これを下の金網にて漉(す)き取り、柳の小枝をもって三七二十一日の間、とろォ〜りとろりと煮詰めたるがこのがまの油。赤いは辰砂椰子(しんしゃやしう)の油、てれめんてえかにまんてえか、金創には切り傷、効能は出痔いぼ痔はしり痔、横根雁瘡(よこねがんがさ)そのほか腫れ物いっさいに効く。

 いつもは一貝で百文だが、今日はひろめのため、小貝を添え、二貝で百文だ。

 …まッいや、ちょっとお待ち。がまの油の効用はそればかりかというと、まだある。
切れ物の切れ味を止めるという、手前持ちいだしたるは鈍刀たりといえど、先が斬れて元が斬れぬなかばが斬れぬというのではない。ごらんのとおり、抜けば玉散る氷の刃(やいば)、お目の前にて白紙一枚を切ってお目にかける。さ、一枚の紙が二枚に切れる、二枚が四枚、四枚が八枚、八枚が十六枚、十六枚が三十二枚。春は三月落花の形、比良(ひら)の暮雪(ぼせつ)は、ふゥ..雪降りの形だ、お立合い。

 かほどに切れる業物でも、差裏差表(さしうらさしおもて)へがまの油を塗るときは白紙一枚容易に切れぬ。さ、このとおり、たたいて切れぬ。たたいて切れない引いて切れない。

 拭き取るときはどうかというと、鉄の一寸板も真ッ二つ。さわったばかりでこのくらい切れる。だが、お立合い、こんな傷はなんの造作もない、がまの油をひとつけ付けるときは痛みが去って血がぴたりと止まる。なんとお立合い…

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