最新更新日:2024/04/19
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江南市縁の七人の戦国武将 −8−

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このカテゴリーでは、草井小学校や草井地区、江南の歴史について考えていきます。
こうなん藤まつり会場では、毎年恒例の江南市縁の七人の戦国武将展が開かれています。
その七人の武将を順に紹介しています。
記載事項には諸説あるものも含まれていますのでご了承ください。

こどもの日の今日は、信長の子織田 信雄です。

2011年のNHK大河ドラマ「江〜姫たちの戦国」では、山崎裕太が演じました。
NHK大河番組HPには次のようにかかれていました。
信長の次男。本能寺の変の後、明智軍を攻めようと進軍するが、兵数が心もとないと撤退。清洲会議で織田家後継者の道を完全に断たれるが、のちに家康と組み、秀吉に対抗する。

また、三谷幸喜の映画「清洲会議」では、妻夫木聡おおうつけとして演じていました。
映画HPでは、信長次男。おおうつけだが自分では頭が良いと思っている。秀吉によって信長後継に擁立される。というキャラクターとして紹介されていました。

この信雄も、他の尾張の武将と同様、豊臣と徳川の争いに翻弄されます。

信雄は、信長の第2子。もちろん吉乃の子です。
信長は伊勢平定のため、信雄を北畠具房の養子としました。

長島一向一揆や雑賀衆、伊賀攻めに、弟の信孝と共に参戦します。
本能寺の変の後には、尾張、伊勢、伊賀の100万石を得て、織田姓に戻ります。

賤ヶ岳の戦いでは秀吉に味方し、柴田勝家に付いた弟信孝を攻めて岐阜城を包囲、野間大坊に送り自害させています。
兄弟といえども厳しい世界です。

この後、秀吉からの大坂城の招待を拒否し、対立します。
信長の後継者を自認する信雄にとって、秀吉のとった行動は許せないものでした。

秀吉が信雄を攻撃するのに対し、信雄は徳川家康と同盟を結びます、というより助けを求めます。
これが小牧・長久手の戦いとなります。

家康が清洲城に到着した日、織田氏の家臣・池田恒興が羽柴軍に寝返り犬山城を占拠します。
池田恒興は、姫路城を造った池田輝政の父です。

生駒屋敷(小折城)にいた信雄を訪ねた家康は、二人で富士塚古墳(写真下)に登って、秀吉側の動きを偵察したと言われています。

結果的に、領地を一部減らして秀吉と和睦。
長女(小姫)を秀吉の養女に出し、その小姫は徳川秀忠に嫁ぎます。
豊臣と徳川の間の微妙な位置関係に立ちます。

その後も、豊臣と徳川の間を立ち回り、子孫を存続させています。

優秀といわれた兄・信忠は早く命を落とし、それほどではなく、一部では「暗愚の将」とさえ言われた信雄の家系が続いていくのは皮肉です。

叔父有楽に茶を学び、茶道、和歌、歌舞に巧みな風流人でもあったそうです。

『くさの井史』P.136には、「尾張は本能寺の変後、信雄が領主となる−曼陀羅寺へ禁制下る」と書かれています。

明日は、有楽を取り上げます。
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5/10 あいさつの日
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