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紫におう 雲見が峰の 日々新しき 光をあびて 今に花咲く 若草若木 みんな元気に 元気にのびる ああ下品野 たのし学びや

1963年 公民館兼講堂落成 昭和38年

 昭和38年12月5日、公民館兼講堂が完成しました。上左の写真は、公民館ができる前(昭和36年)、上右が公民館ができた後(昭和44年)の航空写真です。上下の写真は、落成式の様子です。下の写真は公民館の全景です。今のプールのあたりでしょうか。
 歴史ある下品野小学校です。
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1961年 ジャングルジム すべり台完成、給食室改造 昭和36年

 4月30日には、ジャングルジム、すべり台が完成しました。写真を見るとすべり台つきジャングルジムでしょうか。また、9月9日には、給食室も改造工事が終了しました。下の写真が従来の給食室ですからずいぶん近代的に改造されました。このころから高度経済成長期に入り、どんどん施設が新しく作られていきます。
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1960年 正門完成 昭和35年

 2月1日に正門が完成しました。写真から判断すると、今の品野西保育園のあたりでしょうか。今正門と呼ばれているところは、東門と呼ばれていました。
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1959年 伊勢湾台風猛威を振るう 昭和34年

 瀬戸市に合併したその年の9月26日には風速50メートル以上と言われた伊勢湾台風が猛威をふるい、死者5000人以上、全半壊の家屋多数という戦後最大の被害となりました。写真は下品野小学校の被害の様子です。
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1959年 瀬戸市に合併 昭和34年

 品野地区の8カ村合併を様子は以下の通りです。
江戸時代末期、この地域は尾張国春日井郡であり、尾張藩領であった。
1880年(明治13年)2月5日
 春日井郡が東春日井郡と西春日井郡に分割され、この地 域は東春日井郡となる。
1889年(明治22年)
 沓掛村、下半田川村が合併し、掛川村となる。
 下品野村と中品野村が合併し、下品野村となる。
 上品野村、白岩村、片草村、上半田川村が合併し、上品野村となる。
1906年(明治39年)7月16日
 上品野村、下品野村、掛川村が合併し、品野村となる。
1924年(大正13年)1月1日
 町制施行し、品野町となる。
1959年(昭和34年)1月1日
 瀬戸市に合併される。
 これを見ると、瀬戸市は多くの村や町が合併して大きくなってきたのですね。そして、この時に今の「瀬戸市立下品野小学校」となったのです。
 歴史ある下品野小学校です。

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1957年 研究指定 昭和32年

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こんな手記が残っています。
 下品野小学校は、私の母校である小学校尋常科6年と国民学校高等科2年の8年間、通学した学校である。私はこの学校に昭和32年から43年まで教員としてお世話になった。人工衛星打ち上げをはじめと、内外ともに話題が事欠かない。学校としては、計算技能単位学習を推進し(S33〜35)、算数科における「計算技能の向上」をめざし、自作問題集「計算の友」によって段階的に学習させた。(瀬戸市教育委員会研究指定)また、題材学習のを主とした教科(国語、算数、音楽、体育)について、教育効果を高めるための「学習形態」を研究し(S40)、導入段階における練習(試案)を作った。(愛日地方教育事務協議会研究指定)写真は、研究発表をしている様子です。今のようにプロジェクターでの発表ではありませんね。
 こんな頃から下品野小学校の教育研究が盛んにおこなわれていました。平成28年度、瀬戸市で一番にICT教育機器が導入されたのも納得のいくことです。平成29年度は瀬戸市教育委員会、平成30年度、31年度(令和元年度)は文部科学省の研究指定を受けています。
 歴史ある下品野小学校です。

7/20 品野祇園祭

 国道248号線を4時間余り通行止めにして、下品野地域の最大の祭りである品野祇園祭が盛大に行われました。下品野っ子はもちろん、品野西保育園、品野中学校など地元も園、学校も参加させていただきました。天候が大変危ぶまれましたが、みなさんの心意気で一粒も雨が降りませんでした。やっと、夏の訪れです。
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1955年 今井鎌三郎胸像除幕式 昭和30年

 昭和30年12月10日には、初代校長の今井鎌三郎先生の胸像の除幕式が行われました。上の写真左上が当時の胸像です。右上が芝生広場にある今の胸像です。まったく変わりがありません。上の写真の下が来賓玄関にある石こうで作られた胸像です。下の写真が除幕式の様子です。
 第11代早川治郎校長先生(昭和25年から31年3月まで)は以下のように記されています。
 今井先生の胸像、二宮金二郎の銅像があったが戦時中に供出され、その後、陶製の像が寄贈されていたが、ボールが当たり破損した。基台は立派であるため、初代校長の胸像を立てることになった。教え子のお骨折りで供金も集まり、職員室の写真をもとにして水南町の彫刻家能見八重夫さんに依頼した。少し太りすぎのようであるが感じがよくできているという話であった。毛布に包んで大切に黒崎の鋳造屋へ運んだ。値段は覚えていないが高いなあと思った。
 ここで、いくつかの疑問がわいてきます。
○ 戦時中の提出された胸像、昭和30年までの陶製の胸像は、いつ、だれが作ったのか。
○ 芝生広場にある胸像と来賓玄関にある胸像との関係は。
能見八重夫さんは来賓玄関の石こうの胸像を作り、それをもとに芝生広場の銅製の胸像を作ったという推測ができます。
 歴史ある下品野小学校です。
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1953年 2階建校舎 給食室 改築 昭和28年

 昭和28年には、2階建校舎と給食室が改築になりました。第二次世界大戦が終わって、少しずつ日本の経済も安定し、新築、増築、改築されるようになってきました。上が2階建校舎、中がその竣工式、下が給食室の写真です。今では影も形も残っていません。
 給食の歴史を探ってみました。以下の記録が残っていました。
 私の母校である下品野小学校にお世話になったのは昭和24年からです。入った当時は、みそ汁だけの給食でしたが、みんな喜んで食べました。その後、ミルク給食になり、道具のないまま手製のあわたて器(竹ぼうき)を使ってあわをたてたり、固くなったミルクをふるいにかけて溶かしたりしたこともありました。昭和28年2階建ての新校舎が建ち、その時給食室も新築されて10月8日より完全給食が実施されました。3人の給食婦さん、それにPTAのお母さん達の助けによって・・・・最初の日の献立は、ひじきのに付けで大きなはそりにいっぱい作られました。それ以降昭和38年3月まで同じ給食室で色々な献立の給食を作り児童達の偏食矯正に体力の増進にと力を入れてきました。
 歴史ある下品野小学校です。
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1952年 第3代伊藤源三郎校長記念碑除幕式 昭和27年

 明治41年に伊藤源三郎先生が第3代校長に着任され、15年間校長をつとめられました。その遺徳を偲んで岩屋堂に記念碑が建てられました。記念碑に記されている内容は、1908年をご覧ください。上の写真は、当時開催された除幕式の様子です。
 歴史ある下品野小学校です。

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7/12 1学期終業式式辞

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 昨日、すごいことに成功しました。新聞やラジオ、テレビでも紹介されたことですが、みなさん、知っていますか。そう、はやぶさ2がリュウグウへの再着陸に成功したのです。
 まず、みなさんは「はやぶさ2」を知っていましたか。「はやぶさ2」は初代「はやぶさ」の後を受けて、2014年、今から5年ほど前に日本が発射した小惑星探査機です。人は乗っていません。
 「はやぶさ2」が小惑星の「リュウグウ」に再着陸したのです。小惑星は、分かりますか。小惑星と言うのは、太陽の周りを水星、金星、地球、火星、木星、土星、天王星、海王星と8この惑星が回っていますが、これらの惑星ほど大きくない惑星のことを言います。小さい代わりに数え切れないほどたくさんあります。「リュウグウ」は、地球から2億5000万キロ離れており、大きさが約900メートルです。その「リュウグウ」への再着陸に成功したのです。
 1回目の着陸は、リュウグウの表面の岩石を採取しました。今回の2回目はリュウグウの地下の岩石を採取したのです。地下の岩石は、約46億年前に太陽系が誕生したころのままの姿の物質を調べることができます。これで、太陽系の成り立ちや生命誕生の謎に迫れる可能性があります。
 関係者は、「太陽系の歴史のかけらを手に入れることができた。言うことなし。パーフェクトだった。100点満点中1000点だ。」と振り返っていました。そして、「チームワーク以外のなにものでもない」と喜びを表していました。
 さて、みなさんはこのニュースを知って、何を感じ、どう思ったでしょうか。
6年生:46億年前の太陽系の岩石を採取できるなんてすごいと思った。やはり、何をやるのもチームワークが大切なんだ。(大拍手)

   令和元年7月12日
   瀬戸市立下品野小学校長 浅井 大司

7/11 教室に

 教室に美しい花が生けてあります。教室で鈴虫を飼っています。そんな落ち着きのある教室で学習ができることは、幸せですね。
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7/9 ツマグロヒョウモン

 ツマグロヒョウモンがさなぎから羽化しました。ツマグロヒョウモンの「ツマグロ」とは、「縁が黒い」という意味で、メスの羽の前半分が黒いので、この名前が付きました。写真はメスです。日本の本州、四国、九州に生息しており、山里、平地の草原や庭、道端、空き地など私たちの身近で見ることができます。幼虫は黒色の体をしていて、背中に赤い一本の線が縦に入っています。体にはとげとげの毛がたくさんあります。パンジーやビオラの中でよく見かけ、いかにも毒々しいのですが、毒もなく、刺すこともありません。もうすぐ、3匹羽化します。自然豊かな下品野小学校です。




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7/8 暑中見舞い

 暑中お見舞い申し上げます。例年とはちがい、1学期は今週で最後になります。他の市町村はまだ1週間1学期が続きます。この1週間を上手に使えるといいですね。
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7/5 愛知県消防操法大会激励式

 下品野消防分団は、瀬戸市の代表として7月20日にある愛知県消防操法大会に出場します。その激励の式を瀬戸市長、市議会議長、県議会議員、市議会議員さんたちが参加し下品野小学校の体育館及び運動場で厳粛に行われました。気合の入った号令ときびきびとした行動が印象的でした。あってはならないのですが、消防、防災は下品野消防分団に任せておけば安心です。地域の安心、下品野消防分団です。
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7/5 さる?人?それとも宇宙人?

 品野西保育園の子どもたちが育てているトウモロコシがおいしい部分だけ1つきれいに食べられていました。他のトウモロコシは異常がありません。びっくりです。さるでしょうか?人かも?まさか宇宙人?日曜日は七夕です。晴れて彦星と織姫星が天の川で会えるといいですね。
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7/5 暑中見舞い

 こんな暑中見舞いをもらったら、暑さなんか吹っ飛んでしまいますね。
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7/4 教室が空っぽ

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 今日の2時間目の放課です。久しぶりに運動場が使えました。教室は空っぽです。元気いっぱいの下品野っ子です。

7/4 クワガタランド

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 下品野小学校に迷って?飛んできたクワガタを集めていたら、しもしょうクワガタランドができてしまいました。自然豊かな下品野小学校です。

7/4 愛であ朝ごはんコンテスト

 愛知県教育委員会による「わが家の愛であ朝ごはんコンテスト」説明が栄養教諭からありました。「愛」には2つの意味があります。1つ目は、愛知県産の愛です。地元食材や郷土料理を使いましょう。もう一つは愛情いっぱいです。家族の愛が伝わる朝ごはんにしてください。
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