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紫におう 雲見が峰の 日々新しき 光をあびて 今に花咲く 若草若木 みんな元気に 元気にのびる ああ下品野 たのし学びや

1976年 健康教育県一位 昭和51年

 昭和51年10月13日、健康優良学校として愛知県で一位を受賞しました。体を鍛えることに加えて、手洗いうがいや歯みがき、廊下の歩き方など病気やけがの予防に着目した取り組みが加わりました、また、児童を含めた学校保健委員会も開催されるよいになりました。3年目にして県一位の受賞です。
歴史ある下品野小学校です。
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1975年 健康教育準県一位 昭和50年

 昭和50年10月14日、健康教育で準県一位(?)を受賞しました。縄跳び、球技、体力づくりなど体を鍛えることを中心に実践されました。卒業生に聞くと、新校舎の100メートルの長い廊下のおかげで、雨の日も廊下を走って体を鍛えたと言われています。本当かうそかはわかりません。今では信じられないことです。
 歴史ある下品野小学校です。
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1975年 観察池完成 昭和50年

 芝生広場とともに観察池も作られました。写真を見るとタンチョウヅルが2羽飼われていたようです。飛んで逃げ出してしまわないか心配です。今は近所が2匹とメダカがいます。逃げ出す心配はありません。うさぎランドはまだできていません。
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1975年 芝生広場完成 昭和50年

 下品野小学校のシンボルとなっている芝生広場。以下のように記録が残っています。
 「風の強い日などはたいへんな砂ぼこりである。砂ぼこり防止と低学年がはだしで遊んだり寝ころんだりできるように作り直してやろうと、PTAの方々にお願いして49年度末の芝植え時期に、芝を小さくしたものを植えた。」
 また、「ひと口に芝の苗を植えるといってもたいへんな仕事で、セメントのように固くなった運動場表面の掘り起し、中から出てきた相当量の石の処理(小石が一つあっても将来芝刈の際に機械の刃をこぼすので、何回もびっちゅう、鍬などでていねいに掘り返し徹底的に拾い出す)・客土の運搬と土入れ・水平になるように全面の土ならし・ローラーによるてん圧等苗植えにいたるまでの作業が大へんであった。そのかいあって美しく芽をふきはじめ、一面に芝が生えそろう日を児童たちも楽しみに待っている。」
 PTAも方々の苦労と子どもたちに対する愛情を感じます。(写真上、中)下の写真上左は、昭和50年当時の様子です。また、上右は今の様子です。カイヅカイブキがぐんと成長していることがわかります。卒業記念として屋外マイク施設が設置されました。今でも運動会などで有効に活用されています。
 歴史ある下品野小学校です。
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1974年 健康教育の先駆け 昭和49年

 昭和49年10月15日、健康優良学校として特選をいただきました。下品野小学校の健康教育の先駆けです。3年後の昭和52年にはみごとに日本一に輝きます。
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1974年 鼓笛隊 昭和49年

 この頃、「鼓笛隊」が結成され、いろいろな場面で活躍していました。鼓笛隊で使われる楽器は、大太鼓、中太鼓、小太鼓、ベルリラ、アコーディオン、トランペット、リコーダー等いろいろありました。また、バトンやトワリングでの振り付けもありました。上の写真は品野祇園祭、中と下の写真は運動会の場面です。楽器を演奏しながら列を整えて行進するのはかなり苦労したことでしょう。
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1973年 1億8,000万円の校舎 昭和48年

 新校舎の完成について、以下のような新聞記事が残っていました。
 瀬戸市立下品野小(児童数752人)は10月4日完成式を行った。新校舎は鉄筋3階建て、総工費1億8,725万円。
 同校の自慢は、玄関の陶製大壁画とモザイク絵の壁。大壁画は同行出身の陶芸家・加藤清之さんが寄付したもので、オリーブとハトをあしらい平和を表したもので時価約400万円と言われる立派な陶壁画。モザイク絵は同校元教頭で現在、本山中教頭の伊藤高義さん=二科会会員の洋画家=(当時)が児童から募集した童話の絵で構成、PTAの奉仕で作った。
歴史ある下品野小学校です。

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1973年 直線100mの新校舎 昭和48年

 大正2年からの旧校舎(写真下段)を取り壊して、昭和48年に新校舎(今の校舎)が完成しました。(写真中段)写真で見れば一目瞭然、昭和の高度成長期の香りが漂ってきます。何よりすばらしいのは、一直線で100メートルあることです。多くの学校は、北棟、東棟、第ニ棟などと特別教室が別棟になっています。下品野小学校は、図工室も音楽室も家庭科室もコンピュータ教室も一つの棟で納まっています。お客さんや保護者の方々が来校されても迷いません。あってはならないのですが不審者への対応もしやすいのです。本当かどうかわかりませんが、健康優良校をめざしたときは、廊下をランニングして身体を鍛えたと言われています。(今では考えられませんが)当時のPTA役員さんたちによる記念碑も芝生広場にあります。(写真上段)新校舎も今から40年以上たっています。
 歴史ある下品野小学校です。

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校舎の移転の歩み

 学校の場所をたどってみました。
1 同帰学校(明治6年) 上品野祥雲寺(写真なし)
2 品野学校(明治9年) 火の見下(左上)
3 中品野学校(明治20年) 中品野神明神社境内芝居小屋(右上)
4 下品野尋常小学校(明治40年) 下品野字植田(左下)
5 下品野小学校(大正14年) 下品野字島田(右下)
となっています。
 歴史ある下品野小学校です。
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1973年 新旧校舎比べ昭和48年

 新校舎と旧校舎の写真を並べてみました。新校舎は、所在地も少し移動しました。航空写真で見るとよくわかると思います。上が新校舎、下が急校舎です。品野中学校は広之田に移動し、新校舎は品野中学校があった場所に建てられました。そして、下品野小学校があったところは、現在、品野西保育園になっています。この写真を見ると、まだ、体育館もプールもないことがわかります。芝生広場もありません。
 歴史ある下品野小学校です。

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1973年 新校舎竣工式 昭和48年

 昭和48年10月4日新校舎竣工式が行われました。写真は、上が昇降口、音楽室、普通教室です。下が全景、理科室、来賓玄関です。ピカピカの校舎ですね。
歴史ある下品野小学校です。

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1973年 旧校舎解体 昭和48年

 昭和48年夏、校舎の解体の写真です。一番下の写真では、解体されつつある校舎の後ろに新しい校舎が見えています。
 歴史ある下品野小学校です。
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1973年 校舎移転作業 昭和48年

 昭和48年夏、移転作業が行われました。子どもたちは夏休み一週間程日程を決めて協力しました。保護者もよく働いていただけたと記されています。今では信じられません。
歴史ある下品野小学校です。

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1973年 校舎移転 昭和48年

 昭和47年10月13日の起工式に始まり、昭和48年3月8日に上棟式、同年10月4日に竣工式が行われました。その間、PTAによる校庭の樹木移植、PTAや児童による校舎移転作業などいろいろな作業が行われました。旧校舎の様子をご覧ください。当然木造校舎で井戸もありました。また、昇降口には壁画がありました。下の写真は、玄関、校長室、普通教室の様子です。
 歴史ある下品野小学校です。

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1954年 修学旅行? 昭和29年

 修学旅行がいつから行われているか。いろいろと調べてみました。昭和29年3月の「卒業記念」には上のような修学旅行の写真が掲載されています。「海洋楼」という旅館は当時も二見が浦にありましたが、児童や教師はまったく写っていません。夫婦岩から昇る太陽もいかにも不自然です。下品野小学校の沿革誌にも記載されていません。本当に修学旅行に行ったのか確証がありません。
 沿革誌には「昭和29年10月1日、修学旅行伊勢地方」と記載されています。これはかなり信ぴょう性があります。さらに、実際に子どもたちや教師が写っているのは、下の写真で、昭和33年度の卒業アルバムです。伊勢神宮でしょう。昭和46年度まで伊勢方面へ行っていたのでしょう。ただ、昭和34年度だけは、伊勢湾台風の影響で昭和35年3月9日に奈良・京都方面へ行っています。
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1972年 修学旅行 昭和47年

 修学旅行はどこへ行っていたのでしょうか。下の2枚の写真を見てください。上が昭和46年の修学旅行、下が昭和47年の修学旅行です。どこだかわかりますか。上は、御木本幸吉像、下は久能山東照宮です。したがって、昭和46年までは伊勢方面、昭和47年からは静岡方面となります。校長先生は変わっていません。
 今は、京都・奈良ですね。いつから京都・奈良方面に変わったかはしばらく歴史を下ってみなければなりません。また、いつから修学旅行が行われていたかは、疑問が残ります。
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1972年 廃品回収 昭和47年

 昭和47年には、6月と11月の2回、廃品回収を行いました。そのおかげで、各教室にテレビを入れることができました。当時、テレビ・洗濯機・冷蔵庫の家電3品目が『三種の神器』として喧伝されました。「もはや戦後ではない」と、これら3品目の家電は、努力すれば手が届く夢の商品であり、新しい生活の象徴でした。
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1971年 話し方大会最優秀賞受賞 昭和46年

 昭和46年6月5日には、瀬戸地方小中学生話し方大会で本校の6年生の児童が最優秀賞を受賞しました。話し方大会の原稿ではありませんが、受賞者が書いた文章を載せます。
 私たちの小学校。それはとってもオンボロでした。雨の日にはバケツが並び、廊下の掃除の時は、天井に住みついたハトのふんをとらなければなりませんでした。床にはところどころ、へこむところがあって、いつもいつも修理をしていました。冬になると冷たい風がすきまからヒューヒューと吹き込み、窓ガラスはガタガタとたえまなくなっていました。
 小学校の頃というとこんな変な、ボロ校舎のことばかり思い出します。でもこういう思い出が、今はとても楽しいのです。
 この文章を書いた小学生も今年、還暦を迎えられます。
 歴史ある下品野小学校です。
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1970年 Nコン優秀賞受賞 昭和45年

 昭和45年9月12日に「NHK唱歌コンクール愛知県大会」で優秀賞を受賞しました。「NHK唱歌コンクール」とは、今のNコン(NHK学校音楽コンクール)のことです。当時のNHK名古屋放送局のCKホール(放送局のコールサインであるJOCKからとった名前)で熱唱する写真を見つけました。
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1967年 シロクマのなぞ 昭和42年

 聖火園の彫塑台にいたシロクマ?のなぞがわかりました。聖火園の完成を記念して「長江録弥(ながえ ろくや)」という人からご寄付いただいたものです。長江録弥氏は、愛知県瀬戸市品野地区出身の彫刻家です。大正15年1月2日生まれ、日展で入選、特選、菊華賞、文部大臣賞などを受賞されています。平成8年には日展常務理事を務められました。シロクマ?と思っていましたが、やはりシロクマでした。
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