最新更新日:2024/05/19 | |
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人間性のレベル人間性にはレベルがある。 マイナス1のレベル いつも不平・不満を言っている。目の前の幸せにも感謝せず、短所ばかりに目がいくレベル。 プラスマイナス0のレベル プラスが起きるとプラスのことを言い、マイナスの事態が起きると、マイナスのことを言うレベル。 プラス1のレベル マイナスのことをプラスに受け止めることができるレベル。プラス変換できるレベル。俗にいうプラス思考の持ち主。 プラス2のレベル プラスもマイナスも超越したレベル。ニュートラル(中立)のレベル。淡々と受け止めることができるレベル。この段階になると、目の前のことを淡々と生きていくことができる。プラスにもマイナスにも直面しても、いつも感謝できることができる。 思うに、多くの人はプラスマイナス0のレベルではないかと思う。 一喜一憂して人間らしいのであるが、それほど心の貯金はたまらない。 プラス1や2のレベルになれば、心の貯金はたまり余裕がでてくる。 [志水廣の公式ホームページ] 良い説明型授業とえせ説明型授業ここのところの基本が明確になっていないと、授業は組み立てることができない。 説明型授業と問題解決型授業がある。 どちらも長所と短所がある。 今回は、説明型授業を認めたとして議論をしていく。 説明型授業でもよい授業と悪い授業があることを述べよう。 よくある授業タイプ 1.ひたすら説明するタイプの授業・・・だめだめ授業 ひたすらという意味は、子どもがわかろうが、わかるまいが話しつづけて、最後は、「どうみなさん、わかった?」「わかりました(一斉唱和)」となる授業 2.説明して分からせる授業・・・よい授業 「説明」というのは指導では重要な道具である。 良い説明とは、子どもが「分かる」ような説明をする授業である。子どもが分かるためには、子どもの既習の知識にそって、新しい数学の内容をつなげることである。 例 これまでは、こんなことを習ったね。そして、次の場合は、ここが今日の問題で新しいことだよ。この新しいことのためには、新しいルールがあるんだ。このルールのわけはこうなんだ。だから、このルールを使おうね。 第2学年 たし算の筆算 23+15の筆算はならったよね。今度は、23+19を考えてみよう。すると、一の位からたしてみると、3+9は12だね。この12は、これまでのきまりたど、一の位に書くね。すると、十の位は、2+1だから3ですね。すると、答えは、312となってしまうね。でも、数え棒でやってみたら、42となるよね。だから、一の位にある12というのは、十の束が1つと一のばらが2つということだから、この十の束1つは、十の位にあげますよ。これを繰り上げるといいます。 だから、十の束は4つと、一のばらが2つで、42となりますね。 このように説明することである。 この説明がきちんとできていることが大切である。 なお、説明でも途中の理由が欠けている授業は、よい授業とは言えない。 3.えせ説明授業・・・だめだめ授業 とにかく手順だけを教える授業。例えば、分数×分数は、分子どうしをかけて分子に、分母どうしをかけて分母にすればいい。はい、練習。 これで当面の練習もはばっちりできる。だけれども、文部科学省の全国学力テストになると、知識のテストにおいても破綻をきたす。まして、活用の問題などは全く手がつかない。 何も学力テストがそうだから、このタイプの授業が悪いというのではない。人間の頭にとって不都合だからこのえせ説明授業はだめというのである。そのわけは、意味がつながっていないからである。人間の脳は、「分かる」際には意味を求めるからである。脳の仕組みに合っていないからだめである。分かるためには、意味のつながり考えることが不可欠である。教師の役割は、意味をつなげることである。手順だけを暗記する教育は、馬鹿な人を製造しているだけである。当面の練習問題はできるけれど、後々の授業の問題において考えるようにはならない。それが証拠に、単純手順暗記で育てられた子どもは、次の担任が算数の授業で、みなさん考えましょうと問いかけても、行動を起こさない。そもそも考えるとは何かがわからないからである。罪深い授業だと自覚してほしい。 「えせ」と名付けたのは、当面子どもは解決できるだけに、良い授業と思われてしまうからである。よくできるようになるから、教師は困っていないし、子どももその教師に教わる限り困らない。でも、子どもの将来を考えると・・・困ったときがくる。 本当の教育とは、子どもが自ら乗り越えていくような教育でなければならない。 ぜひとも、説明型授業をするのならば、意味がつながる授業をしてほしい。 [志水廣の公式ホームページ] ○付け法 教材研究ワークシートご利用ください。 ○付け法の教材研究のためのワークシートを配布物にアップします。 ご利用ください。 <swa:ContentLink type="doc" item="26929">http://www.schoolweb.ne.jp/weblog/files/2370003/doc/26929/512281.pdf [志水廣の公式ホームページ] 数学がわかると楽しい中学校3年生のAさんの話。 Aさんは看護系の学校に進学したいと思っている。 ただし、数学が苦手である。 看護系に行くためには数学が重視される。 そのため、数学検定を受けようと思った。 そこで、再度苦手な数学の学び直しをした。 学校の先生、塾の先生、周りの友達にも教わった。 特に、比の問題は苦手だった。 比の問題が分かるようになった。 すると、理科の分野での比の問題も分かるようになった。 数学が分かるようになって、楽しいと思うようになった。 そして、数学検定を受検した。 見事合格した。 数学に自信をもちたいという人は、数学検定を受けてみるというのも一つの手である。 何級合格という目標を設定すると、そのために勉強を始めるようになる。 [志水廣の公式ホームページ] なぜか、うまくいくここ数日、原稿書きに追われていた。 ばだばたといくつかの仕事をこなした。 それでも、ある原稿の校正がなかなか終わらない。 出張のとき、空港の待合室、飛行機の中でも見た。残りは100ページある。 大学の仕事もたくさんあるなかで、原稿を見る必要があった。 大学の研究室で原稿書きをする時間はない。授業と会議と雑務で手一杯である。 自宅に戻ってからである。大学の研究室を出る時間は遅く、自宅に戻るとお風呂とHP更新で終わりである。だから、原稿書きの時間は、時間を生み出せないでいた。 やっと、普通通りに帰宅できた日が2日ほどあった。そこでたまった原稿を書いた。 明日は、印刷所に返却の日である。 夜中に、出版社の原稿を仕上げた。でも校正原稿は手つかず。 やむをえず、朝早く起きて原稿を見始めた。 1時間近く見て、大学に行った。1時間目は 授業があった。その後、すぐに11時から学生が来る予定である。これで1時間はとられる。とろこがなかなか来ないのである。 かかってきた電話では、調子が悪いのでゼミが終わった20時にしてほしいという。 これはラッキーであった。1時間が空いた。 また、この日は午後3人の訪問客があるはずだったが、一人は病気でキャンセルとなった。これもラッキー。時間が一人分空いた。 それでも2人の相談にのったので1時間は過ぎた。 どんどん校正原稿を見ていった。 すると、中学校の原稿のところがでてきた。 私も見て修正したが、中学校の先生にも見てほしいと思った。 すると、K先生が用事で年休とって研究室に15時に来る予定だという。これを知ったのはその日のことである。急遽電話して、来室予定の15時を13時30分すぎに来てもらうことにした。すぐに中学校の原稿も見てもらった。 そして、私の方は15時15分には原稿を見終わった。 K先生も同時に終了。 二人で原稿の確認をした。 終わったら、15時30分。 印刷所がやってきた。 間に合った。 この一日の動きを省みて、偶然が三回重なって、間に合った。 第1の学生は時間をずらすことなった。 第2の訪問客は相手の都合でキャンセル。 第3の中学校の先生は何日か前に訪問予定であった。それも別件で来る予定で、私は当日まで知らなかった。当日の朝、聞いたのであった。 3回偶然が重なるのは、確率的には低い。それが現実に起きた。 なぜが、うまくいった。 ありがたいことであった。 人に感謝、天に感謝であった。 このように、およそ不可能と考えられるほどつめつめの時間帯ではあるが、あるとき隙間が空き、通り道ができる。 本当に必要なときには、道を空けてくれるものである。 ありがたいことである。 [志水廣の公式ホームページ] 誠実さ信用は口先だけではつかない。 人は誠実さをみる。 誠実に行動しているかどうか。 この一点につきる。 「誠」を尽くして「実」行している者には、信用が積み重なる。 [志水廣の公式ホームページ] 前例をつくる前例がないとの理由で、新規提案は没になる。 でもよくよく考えてみたら、前例を作った人は、前例がないのに作ったのである。 とても勇気ある行動である。 前例がないから面白い。 こんなふうに考えたい。 [志水廣の公式ホームページ] 人の3倍ごくごく普通の人が伸びるためには、3倍努力するしかない。 同じ量だと優秀な人には負けてしまう。 30歳代の頃、筑波大学附属小学校にいた。そのときは、原稿書きが山ほどあった。 連載が月に6本という驚異的なペースで仕事をした。 毎日、担任として授業しながらこれらの原稿を書くのである。 お陰様で原稿を書くのが早くなった。 3倍の量を進めていくと、そのうち量が質を高めてくれる。 せっぱ詰まって原稿を書くと、どうしてもアイデアがほしい。このアイデアが生まれてくると、だんだんと良いアイデアがひらめきだす。 普通の人は3倍の量を自分に課してみよう。 すると、いつしかできるようになる。 [志水廣の公式ホームページ] 受容と強制教育は、新しいことを教えることである。子どもの立場で言えば、新しいことを学ぶことである。 この学びは新しいがゆえに難しい。 数学では新しい抽象概念を形成するから難しい。 このときに、「考えるんだ。考えろ!」「「やるんだ。やれ!」という教師からのかけ声だけでは、子どもは不安で仕方がない。 挑戦してみて成功したら、自信になる。 でも、挑戦してみて失敗したら自信をなくす。 この不安感をなくすことが教育の役割である。 でも挑戦させることも不可欠である。強制しなければ放任になり、何もやらなくても済んでしまう。 こう考えると、挑戦という強制と不安感をなくす受容の両面が不可欠である。 受容の反対は拒否である。拒否は不安感を増大させる。 「なるほどなあ」「そうだね」という意味付け復唱法での受容。 「いいよ」「ばっちりだね」「そうそう、その通り」「そう、そこが難しいんだよ」という○付け法での受容。 この受容があってこそ、健全に学ぶ。 常に、受容と強制をともなって指導に当たりたい。 [志水廣の公式ホームページ] どの子にも光を与えてほしいどの子にも学ぶ権利がある。 授業はともするとよくできる子だけに光が当たりやすい。 でも、できない子どもにも光を与えてほしい。 できない子どもははじめからできないでいいと思ってはいない。 日々の学習の連続の中で、できないという事実を見せられ、 友達から冷たい視線を浴びせられ、さらに愛のない教師は冷たい視線を浴びせる。 これでは、その子たちの居場所がなくなるのは当然ではないか。 私は、できない子どもだけを中心にせよとは言わない。 できる子どもに光を当てるのと同じように、できない子どもにも光を当ててやりたいのである。 授業を診断していると、不思議なことに知らない内にできない子どものそばに立っている。 ある中学校では転校してきたばかりの女の子に教えた。相似の問題ではあったができたのである。 次に、小学校6年生には、比の問題を教えていた。わずか1分間であったが、一言二言のやりとりで問題を解いた。 教師はよくできる子どもの発言を求めがちである。というのは、数学的なすぐれた発言をするからである。その裏には、できない子どもはすぐれた発言をしないという思いこみがある。まずはここから打破したい。 志水の授業は、できない子どもの発言も肯定して進める。未熟な発言であっても何かしら良い部分はないかと思いながら進めるからである。 すると、授業は俄然面白くなる。 それが愛で育てる授業である。 [志水廣の公式ホームページ] 一粒で3回おいしい福岡県の福智町金田小学校を訪問したときのこと。 桑野徳隆校長先生とは10年以上のお付き合い。 はじめに出会ったのは、彼が川崎小学校におられたときのことである。愛知教育大学にも来られたことがある。次に合ったのは、頴田小学校の校長先生としてである。その後、教育事務所の主幹のとき、そして、今回は金田小学校の校長先生としてである。 昨日の訪問のとき、嶋野勝教育長や浦田弘二町長も来られた。町長とも12年ぶりの出会いである。ふとしたことで、町長は志水が来られることを知り、わざわざ予定をつけて会いにてきてくださった。 校長室で桑野校長は教育長や町長の前でさりげなく志水のホームページを紹介された。 こんなことは普通なかなかできないものである。 志水の紹介をするのに、ホームページを毎日更新していることを話してくださった。それはゲストの私にとっても嬉しいことである。この事実は、桑野校長が志水のホームページを見ているというメッセージでもあり、また、広めようとしていることの意志の現れでもある。また、当日は、教育事務所の数学の指導主事も招いて、志水のそばにずっとおらせて学ばせた。私は、授業診断中に気づいたことを彼に教えた。志水なりの分析を知って学んでほしいから惜しみなく教えた。 つまり、たった一日の学校訪問ではあるが、その前のお膳立てをしっかりして、戦略を立てているのである。教職員、町長・町長、指導主事と3場面の設定をしている。まさに一粒で3回おいしい機会であった。こういう出会わせ力は桑野校長の持ち味である。 私もこの出会わせ力を学んだ。ありがとうございました。 写真上は、福智山。雪化粧。 写真下の先生は、愛知教育大学公開講座に来られました。6月に出会わせてくれています。 リンク http://www.town.fukuchi.lg.jp/annai/web.html [志水廣の公式ホームページ] 金田小学校訪問昨日、福岡県福知町金田小学校を訪問した。 桑野校長の要請で学力アップのために指導訪問した。 9学級の授業を参観したが、授業はとても引き締まっていた。 ○付け法は始まったばかりで、今後、伸びること間違いない。 まずは、授業を見てほしいという気持ちになっていることである。 この気持ちがなければ、授業診断しても響かない。また、受け入れない。 子ども達にわかってほしいという気持ちが授業に表れていて、さまざまな工夫が試みられていた。 ある人にアドバイスしたところ、「そこの点を改善すればよいのですね」と確認された。 そして、「悔しい」とつぶやいた。 この悔しいという気持ちが今後の発展のバネになる。 夕方の講演では、金田小学校向けに、模擬授業をしながら子どもにとって分かりやすい授業とは何かを話した。まさにライブでどこにも話したことがない内容で、金田小学校向けの話である。 この話を生かすのは、今後、金田小学校がどの程度志水メソッドを学ぶかにかかっている。本もあればDVDもある。セミナーもやっている。 次回も、楽しみである。そういう希望をもたらした訪問であった。 [志水廣の公式ホームページ] パート練習と全体練習算数数学の問題解決においては、数式化するのが定番である。 この数式の処理にはいろいろなルールがある。 例えば、乗除先行とか、分配法則などのルールがある。 これらを○付け法でやるとなると、 初手の行動確認が一番大切である。 分配法則では、まず、ただしく分配できているかどうかである。 3(x+2y)+4(−6x+3y) 上の式で言えば、( )の前の3とか4を正しく分配して×ことができたかどうかである。 これだけに集中して見ればよい。 だから、まず、式変形の一行目だけをやらせる訓練を積むことである。 これが確認できたら、その後、答えまで求めてみようということでもよい。 つまり、パート練習と全体練習に分けてやればよいのである。 そのための道具が○付け法であり、適用問題定着法である。 よって、この式変形では、はじめから全体練習でできるのか、パート練習が必要なのかは、事前に予想を立ててやればよいの。 [志水廣の公式ホームページ] 異なる視点異なる視点をもつ人どうしで、議論をすりあわせていくと、 新しく見えてくるものがある。 すりあわせるためには、お互いの立場を尊重しあうことである。 自分が偉いと思っていると、この尊重しあうことができない。 謙虚で腰が強いという両面が必要である。 [志水廣の公式ホームページ] かん度を上げる目の前に必要な情報はやってきている。 それをキャッチするのか、スルーするのか。 素直な気持ち、平穏な気持ちでいれば、 良い情報が来たときには、「なるほど、これかあ」と 情報をつかむことができる。 荒々しい気持ちのときは、情報をつかみ取る余裕がない。 素直な気持ちや平穏な気持ちでいれば、情報に対する感度があがり、 ひらめきに対する直観度が上がる。 [志水廣の公式ホームページ] いい話を聞いたらいい話を聞いたら、それで終わりではいけないね。 いい話を聞いたら、いい話を伝えるの。 また、いい話を実践するの。 だって、いい話を聞くためには そういうご縁があったということ。 このご縁を大切にする人が成功する。 もっと言えば、いい話を聞いたら、その講師に恩返しをするとよい。 受けた恩は、返すのが礼儀。 GIVEとTAKEの関係で言えば、恩返ししないのは、 TAKE&TAKEの世界。 これでは、バランスが崩れてしまう。 もらったら返す、ただそれだけのこと。 [志水廣の公式ホームページ] 寒暖の差朝、通勤の時間は特別冷えた。マフラーをしていても体が縮んだ。 夕方、帰る時間は寒さがゆるんだ。 少しでも温かいと「ありがたいなあ」と思う。 ほんの少しだけの変化ではあるが、感謝の心がでる。 [志水廣の公式ホームページ] 福岡県今任小学校訪問午後の特別授業では、山口先生が授業をされた。6年の分数のかけ算である。 教師と子ども達との息がぴったりあった授業だった。しかも、○付け法も上手であった。 あの声かけは普段からの実践のたまものであった。 彼は、3年間、公開講座と志水塾に参加されている。その成果が見える授業であった。 [志水廣の公式ホームページ] リーダーシップ組織を変えるためには、リーダーが方向性を示し、その後、部下が行動を起こすのをサポートすることである。 部下は、普通自主的に組織を改革しようとはしない。 もともと組織の構成員の中で自主的に行動できるのは1割にも満たない。 それをいかにして動かすかである。 この本がいいよ、この研究会がいいよ、この人がいいよと薦めて、行動を起こさせるのである。 広島県、鳥取県の校長先生は、愛知教育大学公開講座に職員を引き連れて一緒になって参加された。 長野県の校長先生は、志水塾のDVDを10部買われて職員に配布して観させた。 広島県の校長先生は、ある小学校で志水の模擬授業があるというので、午後の授業を振り替えて、職員全員にその授業を参観させた。 福岡県の校長先生は、志水の示範授業を観るために、バス1台貸し切りで参観に来られた。 静岡県の校長先生は、公開講座の初日はPTAの会があった。でも、夕方からかけつけた。 メール通信やHPの記事をうまく利用されている。 そこまでやれば、職員は動かざるを得ない。 校長や教頭が動かないで、職員を動かそうというのが甘い。 つまり、何がいいたいのかというと、講師の理念に惚れて、惚れたところを具体的に行動して見せてこそ、職員は変わるのである。 本当は、その校長先生方は、ご自身の教育理念をお持ちだし、指導技術もお持ちである。それでも、志水に託そうとされている。 ここが素晴らしいのである。「我」を捨てているのである。 誰をどのように動かそうというのか、それを明確にしていくこと。それがリーダーの役割である。 [志水廣の公式ホームページ] 上に立つ者は上に立つ者の役割は、部下を輝かせることなの。 そのためには、いかにして勉強好きにさせるかである。 勉強って楽しいよを教えるの。 自腹を切って学ぶことを教えるの。 それは、率先垂範なの。 部下が3冊志水メソッドの本を読めば、4冊読めばいいの。 これらをすると、教師が変わり、授業は変わるし、学校は変わる。 [志水廣の公式ホームページ] |
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