最新更新日:2024/11/06
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77 笑乱万丈

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ただし、いざ本を作るとなると、結構難関であった。それは、各自の実践はとても面白いものであるが、とても個性的で一般の数学教師にはなかなかこなせないような内容であった。また、文章の校正に時間がかかった。というのも、文章にも各自くせがあり、平準化するのに時間がかかった。皆さん初めて本作りに携わるわけでとても時間がかかった。研究のための文章と読み物としての文章は異なるからである。
 それでも苦労しながらできたときはみんなで祝杯をあげた。なんと言っても、研究してきたことが単行本という形になって現れたときこそ、これまでの努力が報いられたと感じる。形にするということは、とても大事なことだと私は考えている。

教訓:実際に見える形にしてこそ、本当にやりがいが生まれる。


感動しました 国語の中学校の授業

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めちゃくちゃ分かりやすい授業でした。


1つの発問、1つの動作に意味があり、生徒に分からせようという意志が強く感じられる授業でした。
後日、授業分析したいと思えるぐらいの授業でした。

感動しました2

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この板書を見るだけで、文法が体系的に学べます。

76 笑乱万丈 単行本『数学大好き』

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☆単行本『数学大好き』
 さらに、毎月研究物がたまり、たくさんの数学の授業アイデアができあがってきたので、単行本を作ろうということになった。それが『数学大好き−わかる楽しい授業のアイデア70集』(明治図書)である。明治図書の樋口雅子部長にお願いして刊行することとなった。

教訓:小さい宝石も貯まれば大きな宝物となる。

 『数学大好き』の書名は樋口部長がつけたものである。
 端的に意図を表現していて感心した。
 さて、単行本のための方針は次のように立てた。
・中学校の一年から3年まで全てをカバーすること。
・一つの題材は見開き2ページにまとめること。
・領域にも配慮すること。
 なぜ、このような方針を立てたかというと、中学校の数学教師の特性によるものである。短時間に面白いアイデアが読むことができるようにしたかったからである。しかも、学習指導要領にある内容を全てカバーすることによって、ハンドブックの形として使えるようにしたかった。
 このあたりのノウハウは、『算数科教科書の活用法』に学ぶところが大きかった。

教訓:一人ではできない仕事もリーダーがいれば力を結集して、大きな仕事をやり遂げることができる。

75 笑乱万丈 研究会の経過

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☆研究会の経過
 はじめは三人がレポートを持ち寄って討議していた。
 やがて、仲間が増えてきた。毎月定例の研究会をしていた。不思議なことに私の研究会はどこからも横やりが入らなかった。愛知には既存の組織もあり、新しいことをすると白い目で見られることが多い。
 愛知県内で講演活動をしていた関係もあり、信用を得ていたからだと思われる。
 そうこうするうちに、せっかく研究したことだから研究発表をしようということになり、夏の全国算数数学教育研究大会において研究発表した。群馬で研究発表したと記憶にある。また、その研究成果を愛知教育大学数学教育学会誌に研究発表した。
「数学探しの創造」というテーマであった。

波乱万丈74 中学校へ進出

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仕掛け2 プレ志水塾
☆中学校へ進出
 知立市のお好み焼き屋に3人の現場教師とヒロシが楽しく語っていた。 ヒロシは、率直に中学校の数学教師たちと勉強がしたいと話した。若い教師の3人は大いなる未来を語り合っていた。この会が将来の志水塾になろうとは想像もつかなかった。 
 ヒロシが愛知に来て3年目のことである。次の仕掛けを考えていた。小学校算数のことは分かってきたから、数学教育をやるためには中学校の数学を学ばなくてはならない。ついては、勉強会を開きたい。
 志水塾は49歳のときに発足した。その元となったのが、中学校の数学教師の研究会である。
 ヒロシはそれまでに知り合った中学校の数学教師を思い浮かべていた。
愛知教育大学数学科の大学院の修了生として鈴木正則先生、豊川の井上正英先生(岡崎の附属中)、名古屋の鈴木良隆先生(名古屋の附属中)の三人に呼びかけて研究会を作った。今でも思い出すのは、知立のお好み屋で打ち上げの相談をした。毎月、定例の勉強会を大学で行った。土曜日か日曜日の半日を研究会に当てていた。
 なぜ、中学校の研究会かというと、私は小学校のことしか知らないので、中学校の数学のことも勉強したかったからである。しかも、愛知県では数学の免許をもっている小学校の教師が少なく、中学校の方に多く配置されていたからである。

教訓 お互いの長所に学ぶと、共生・共創できる。


73 笑乱万丈 リボン事件

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番外編  リボン事件    
 ヒロシは校長室で校長先生と対談していた。
 突然、「どけっ!!」という大声が校長室に響き渡った。偉そうなかっこうをした人だ。
 ヒロシには、この人物が誰だか分からない。
「何を言うか」と思ったが、ぐっとこらえた。
 この瞬間、知り合いの指導主事に目配せしたが、無反応であった。
 そこで、別テーブルにヒロシは移動した。
 それならば、黙っておこうとしていた。
 時間が過ぎていく。
 どうもさっきのお方は教育長らしい。
 ヒロシは、怒りを抑えて黙りを決め込んだ。
 県の算数教育研究大会がこの学校であった。
 ヒロシは講演講師として呼ばれたのであった。
 その間、私のことを講師だと認知している指導主事は一つも動かなかった。
 ヒロシは頭に来ていた。
 いつ帰ってやろうかと。
 リボンが配布された。小さい白いリボンが私の目の前に置かれた。それで、白いリボンを胸につけた。
 15分ほどして、例のお方が口を開いた。
「そういえば、今日の講演の講師はまだ来ていないなあ」
 校長室の人が「そうですね」と相づちをうった。
 そこで、おもむろに小さな声で「私が講師なんですけれど…」と言った。
 そしたら、突然慌てだした。
 例のお偉いさんは、どうぞどうぞと言ってさきほどのソファーに案内してくれた。
 そして、「先生、どうぞどうぞ、この大きな赤いリボンに替えてください。」と。
 明らかに顔は怒っていた。
 睨みつけてやった。これもまた、笑劇的な事件であった。
 うっぷんをはらすかのように講演では、ヒロシパワーが爆発した。とてもうけた。
 


72笑乱万丈 学校訪問

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☆学校訪問
 愛知教育大学に来て3年目くらいから現職教育の依頼が来るようになった。5年もすると、年間10校は面倒をみることになった。この他、いろいろな県の地区の算数数学研究会の講師として出張することが多くなった。現在までに、北は北海道から南は沖縄ので47都道府県のうち、訪問指導していない県は秋田県、山梨県、大分県の3県である。本当にたくさんの学校や研究会とかかわって指導してきた。
 40代当初は問題解決型学習、40代後半から○付け法、意味付け復唱法などの志水メソッド。50代半ばから「愛で育てる授業」。50代後半からは学力アップ、最近はユニバーサルデザインである。
 そんな中、笑瀾万丈にふさわしい事件を紹介してみよう。 



授業力アップわくわくクラブの会員向けに「本当のこと」コーナーを設けて、動画を配信いたします。

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ながらく春眠してきましたが、目覚めました。
授業力アップわくわくクラブの会員向けに「本当のこと」コーナーを設けて、動画を配信いたします。
算数の理論と6400人の授業参観指導、100の著作を通じて得たことを述べていきます。
講演でも話せない内容を話していきます。
これを学べは確実に授業はうまくなります。
お楽しみに。

72 波乱万丈 〇つけとの出会い

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☆○つけとの出会い
 翌年のことであった。都築先生が三年生を担任し、授業診断することとなった。
 授業の冒頭が衝撃的であった。13÷3のあまりのあるわり算を扱う授業であった。まず、黒板に12÷3を書いて復習した。これを都築先生は机間指導で子ども全員に○をつけられた。確かに本時の復習には12÷3は必要である。
 ○つけ?
 何をするのか?
 なぜ、○をするのか。
 37人も子どもがいるのだから時間がかかるぞ。
 飽きてしまうぞ。授業がだれてくるぞ。
 こんな否定的な言葉が頭の中に次々と出てきた。
 そんな私の心の声もおかまいなしに、都築先生は淡々と○つけをしている。しばらくして、ふっと子どもの表情が見えてきた。にこにこしている。どの子もにこにこしている。
 もしかしたら、この方法はいいのかも・・・。
都築先生は、37人をわずか2分間もかからないで○つけをされた。私の指導観がぐらついた。都築先生に授業診断で質問した。
 「どうして冒頭に○つけをされたのですか。」
 「私は、どの子もわかる・できてほしいのです。みんなの学びをそろえたいので復習して確かめたいのです。だから、○つけします。」
なるほどと思った。


志水廣 1072 動画 6年 6月の教材研究 「分数×分数 : 逆数」限定配信

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笑乱万丈71☆羽根小学校の現職教育

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☆羽根小学校の現職教育
 羽根小学校から依頼があり、学校の授業相談にのることになった。はじめはA校長先生だった。次の校長が杉浦正明校長先生だった。学校規模は学年4クラスほどであった。まだ三河の地理に慣れていなく、名鉄の東岡崎の駅へ迎えに来てくれた。年に二回の訪問であった。
 さて、二年目のことだと思うが、5年生のT先生の授業を参観した。授業診断のときは、校長室でT先生と直接対面した。その冒頭に、T先生は、「どうせ下手ですもの。」であった。この一撃には参った。当時の私はまだ40代、眼光が鋭かった。だから、このようなひと言がT先生から出てきたのだと思う。そこで、「そうだね。あなたは下手ですね」と言うわけにはいかない。ボールペンの黒と赤で書かれたノートをぱたりと閉じて、「そんなことはないよ。こういう工夫をされていましたよ」と10個ぐらい事例をあげて述べていった。その事例でT先生は心を開かれた。そのとき、どんなアドバイスをしたかは覚えていない。教師の自尊感情は、いつも不満足なのかもしれない。

教訓:「どうせ…」のひと言に対するには、全面肯定しかない。

なぜ、このようなドラマを書くのかというと、このT先生が○付け法の発端であったからである。T先生とは、都築民子先生である。ベテランの先生である。


70波乱万丈 岡崎市立羽根小学校

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笑瀾万丈劇70  ○付け法との出会い

☆赴任当時の学校訪問
 豊田市立高嶺小学校の次に、岡崎市立羽根小学校と出会う。
 岡崎市算数数学部との出会いは、41歳のときである。当時、土曜日に授業があった関係で土曜日の午後に研究会があり、そこでは、大学の先生に示範授業をしてもらう企画であった。そこから岡崎市とはご縁ができた。体育館で示範授業をした記憶がある。そのときのエピソード記憶に、研究会のお世話をしていた太田恭子先生(現、岡崎市立連尺小学校長)がいる。

「本物教育のすすめ」月刊 『船井人間学と教育の未来像』

『船井人間学と教育の未来像』月刊「本物教育のすすめ」pp25-48

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