最新更新日:2024/05/16
本日:count up9
昨日:25
総数:440808
新規「授業力アップわくわくクラブ」サロン会員のご案内  新規「授業力アップわくわくクラブ」サロン会員のご案内 

笑瀾万丈44 出勤時の様子

画像1 画像1
出勤時の様相

☆事務室から
学校に出勤すると、まずは事務室で出勤の印を押す。事務室の存在は、当時の神戸市の小学校にはなかった。さすが国立は違うなあと思った。
その後、教官室に行く。誰もいない。
不思議な光景である。がらんどうである。ヒロシはまずこの風景に戸惑った。
♪今は〜、もう朝(秋)。だれもいない教官室(海)。知らん顔はしないが。廊下を教職員が通り過ぎていく。
何だか変なの。校長先生、教頭先生、教職員。誰もいない。どこに失踪したのか。行方不明である。冗談ですよ。学校内には、いるんです。各教科の部屋に。
すると、教官室の黒板に本日の予定が書き込まれている。例えば、避難訓練と板書されている。教官室にはヒロシの机はない。教官室とは名ばかり単なる会議室である。だから、職員全員と顔を合わせることはない。郵便物をチェックした後、本館の三階の算数部の部屋に向かう。ここにヒロシの机があった。算数部の部屋は、教室の2/3の広さがあるが天井が高いので中二階の部分が作られていた。現在は改築の時に消滅した。
上に述べたが、一番驚いたのは職員室がなかったことである。また、職員朝集、終会がなかった。だから、一日いても他の学年の教官と出会わなくても過ごせるのだった。全員が会うのは、二週間に一度の教官会議であった。または、毎週火曜日の講堂での朝会であった。だから、教室には電話があり、これで教官どうしは連絡を取り合っていた。
算数部室で着替えて、ヒロシのクラス一部四年に向かう。子ども達に挨拶して、8時10分には運動場に出て、ドッジボールが始まるのであった。全学年児童960名が二つの運動場に分かれてドッジボールを楽しむのであった。このとき、初めて学年の四人の担任と出会い、連絡事項があれば簡単な打ち合わせをする。運動場での学年会議、これこそ明るい空の下で行うオープン会議であった。なぜ、運動場かというと、教官室には机がないから、学年の教官が集まる場所がなかったからである。
その後、マラソン開始である。一年中、ドッジボールとマラソンである。ヒロシは耐寒マラソンは経験はあるが毎日マラソンは経験はない。だから、四年生の子ども達についていくことができない。占春園という公園をハアハアいって走るヒロシがいた。一時間目の授業では、動悸息切れの解消から始まった。知力よりも体力がいる学校だと思った。
子ども達は、体力がつく。勉強の前にまずは体力優先であった。
はじめの頃は、神戸の頃と全く違う動きなので戸惑ったが、二ヶ月もすればすっかり慣れた。


  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30