最新更新日:2024/11/11 | |
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☆教授承認後のご褒美☆教授承認後のご褒美 後から聞いた話だが、ヒロシの教授承認を待っていた人がいた。それは、名古屋市の校長先生らである。この校長先生らが全国算数数学教育研究(愛知)大会の大会委員長に愛知県の数学教育研究会がヒロシを推薦してくれたのであった。突然の知らせであった。助教授ならば全国大会の委員長にはふさわしくないと思っておられたようだ。教授承認を本当に喜んでくださった。へぇー、そうなんだ。ヒロシも知らない所で、推薦の動きがあるんだと思った。 ここで、教授に昇任してから肩の重しがとれたように、ぱあっと世界が開けたような感覚になった。だから、たかが教授とはいうものの、昇任できたときは本当に嬉しかった。また、同時に、大会委員長というご褒美もついてきたのであった。 ちなみに、ヒロシは愛知県出身ではない、また愛知教育大学出身でもない、そのような者が愛知大会の委員長にかつぎあげられるというのはまさに奇跡的なことであった。助教授と教授では世間的には受け止め方が異なる。本来のヒロシは肩書きなどこだわらないが、必要な場合もある。肩書きがあってこそ信頼される範囲が広がるからである。 教授昇進の時期は今から考えると、世間的には遅いが、その後のヒロシの周りの出来事から推察して、ベストな時期だった。一年早くても…一年遅くても…。実にうまいタイミングで人事は動き出す。 教訓:人生に肩書きも必要である。 教訓:ベストなタイミングで事は起きる。 笑乱万丈 やっとヒロシは、教授になれることは分かっている。なのにチャンスが巡ってこない。この後、人事の面でいろいろなことがあった。 悶々とするうちに、48歳の10月か11月頃、そのチャンスがやってきた。ようやくである。資格審査委員会の名簿に登載された。このとき、ヒロシを応援してくれたのが、数学の金光教授と当時の田原学長であった。この二人の意志のおかげで教授にしてくれた。感謝している。 教訓:押し出す人がいてこそ、前に出ることができる。 笑乱万丈 なかなかだ☆教授昇進への歩み ヒロシは悶々としていた。いつになったら教授になるのだろう。 40歳で助教授として赴任したとき、45歳にはなっているだろうとイメージしていた。途中、ある国立大学の教授から教授昇進は結構なストレスだよと聞かされていた。若いイケイケのヒロシはそんなことはあるはずはない。私に限ってと思っていた。業績も十分である。だから、遅くても45歳と勝手に決めていた。にもかかわらずずるずると引き延ばされていく。なんだこの状況は。 ヒロシも人並みに肩書きに関心があった。大学人としては教授になって普通だから。 ヒロシの順風満帆の人生行路は教授昇進については突如閉ざされた状況であった。他の講座でヒロシより若い人が教授になっていくのをうらやましいと思った自分がいた。 |
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