最新更新日:2024/05/20 | |
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熱く語るよりも熱く語ることは大切なことである。 語れなければならない。 でも、熱く語ると、聞いている方が引いてしまうことがある。 こうなると逆効果である。 相手の心に火を燃やすことがねらいである。 それには、相手の心のかすかな灯火を見つけて、少しずつ燃えるように風を送ることである。 大丈夫だよ。大丈夫だよと・・・。 その風がいつかは、小さな火となり、やがて大きな火となって燃えさかる。 キャンプファイアーのように。 教室経営でも、学校経営でも同じ原理である。 いけないのは、灯火に水をかけてしまうことである。 少しずつ風を吹いていこう。 緊張の原因は心がゆとりをもってくると、ちょつとしたことに腹を立てなくなる。 心が緊張状態にあるから許せなくなる。 その緊張はどこからきているのか。 ここの解明が大切。 何が堅く張り詰めさせているのか。 後から振り返れば、だいたいにおいて、どうでもいいことである。 どうでもいいことと判断するように、心をもっていこう。 人工と自然人工的な場所にいると、妙にイライラがつのる。 反対に、自然のある場所にいると、やすらぐ。 それがたとえ、荒々しい波の音であっても、やすらぐ。 不思議なものである。 知識と知恵ほんの12年前、これからは知識よりも知恵が大切と言われた。 だから、知識偏重教育はだめ。 内容の厳選と総合的学習が大切なんだと。 その当時、何を「あほな」ことを言っているのかと思った。 ある指導者は研究会で、知識より知恵が大事と高らかにうたった。 ならば、聞くが知恵だけを知っていても使えるのか。 豊富な知識がなければ知恵は生まれてこないのではないか。 知恵の格言だけを知っていても使えるのか。 時代は、急速に科学技術が進歩している。その際、知識がなければ新しい創造なんてありえないではないか。 子ども達には、もっともっと勉強しよう。読書もたくさんしよう。と言うべきではなかったのか。 そして、今は知識基盤社会だという。そこで、思考力・判断力・表現力が大切という。また、活用力も大切という。 知識偏重だと言っていたのが嘘のようだ。 要するに、知識と知恵はどちらも大切である。この世にうまれた限りはたくさんの知識と知恵を知り、新しい知識と知恵を生み出すような力をつけていきたい。 [学力アップを支援する志水廣の公式ホームページ] 花粉ショー気温が上がり、花粉が舞い散る季節となった。 眼がかゆい。 ハクション大魔王とともに鼻水たらたら。 ティッシュを慌ててとる。 その結果は鼻紙家の一族となった。 花粉ショーの開幕であった。 昨年はましだっが、今年はひどい。 眼を洗う。鼻うがいをする。ついでにのどうがいもする。 手の甲の指圧をする。 マスクで防衛。 でも、でるんだなあ。 ショウーがないか。 ご心配なく。本日は少し収まっている。 [学力アップを支援する志水廣の公式ホームページ] ごていあん年度末になり、来年度の企画が生まれる時期である。 ご提案することになる。 この「ていあん」の意味にはレベルがある。 「ご低案」ならば、困る。 「ご高案」でありたい。 すなわち、それは、「ご考案」である。考えて考えて練りに練った「案」でありたい。 すると、光り出す。 後光がさす、「後光案」である。 [学力アップを支援する志水廣の公式ホームページ] 「何を」から、「誰から」話を聞くとき、始めは「何を」聞きたいかを考える。 でも、同じ話だったら「何を」は消えてしまう。 そのとき残るのは、「誰から」である。 どうしても聞きたい人がいる。 営業でも、同じ品物ならば、「誰から」買いたいかを考える。 ここでも、この人から買いたいという人がいる。 学校でも教える内容が同じならば、「どの先生から」教えてもらいたいかが問われる。 最後は、「人」の魅力である。 [学力アップを支援する志水廣の公式ホームページ] 嬉しいサプライズ2月末が誕生日であった。 その日に学生の実習指導で授業を参観していた。 道徳の授業であった。 感謝の言葉、嬉しい言葉などを題材として扱っていた。 まめちゃんの日記の絵はその紙芝居であった。 授業の最後の44分目に、先生の感謝の印として、志水先生にプレゼントします。 ということで、上の寄せ書きをもらった。 すると、担任の教師は、ハッピーパースデーの歌を即座に合図して、子ども達が歌ってくれた。 実に粋な計らいをする学生と担任の先生であった。寄せ書きには、学生3人の文章があった。 ありがとうございます。 とっても嬉しいです。 [学力アップを支援する志水廣の公式ホームページ] 教材の価値エネルギー教材のもつ価値はエネルギーである。 このエネルギーは波動で表せると考える。 教師がこの価値エネルギーを感じることである。 このエネルギーの度合いによって、波動が高いか低いかが決まる。 子どもは教材と対峙することで、価値エネルギーを感じようとする。 それは、波動によって伝わる。 だから、元々の教師の価値エネルギーの高さが一番ものである。 算数の授業を見ていると、単に解き方を教えている授業と、 教材の価値を教えようとしている授業ではかなり落差がある。 3+2=5のどこに算数の価値を感じるか。 三角形、四角形の弁別のどこに算数の価値を感じるか。 そのためには、なぜ、この教材が生まれてきたのか。なぜ、この教材が今の子どもにとって必要なのか、そこのところを考えたい。 [学力アップを支援する志水廣の公式ホームページ] 自己重要感人は、誰でも自己重要感を満たしたい。 なのに、人に自己重要感を与える人は少ない。 なぜか。 それは、自己重要感は与えられるものだと思っているから。 でも、それを待っているといつやってくるかは分からない。 むしろ、自己重要感を与える方が楽である。 あなたは「えらい」。 あなたのおかげて助かりますよ。 と言うだけで良いから。 すると、やがて、与える人は与えられることになる。 [学力アップを支援する志水廣の公式ホームページ] ○付け法への招待128 自己有用感教職大学院の基礎領域の修了報告研究のテーマに、自己有用感、自己肯定感、自己重要感、自尊感情と言う言葉がいくつか見られた。 これらと、「わかる」「できる」こととの関連性について実践面から追究していた。 これらの言葉は、結局何かというと、 1.あなたは「えらい!」。 2.あなたは、人のお役に立っている。 の2つのことである。 だから、授業の中では、「えらい!」という場面を作り出すことである。しかも、その子どもにとって低いレベルではだめで、ほんの少し上のレベルに到達させることである。 「えらいね}と褒めるとよい。だから、○付け法、意味付け復唱法である。 授業の局面で、教材の価値について褒めていくことである。 ○付け法と意味付け復唱法は教材の価値を褒める道具である。 そうすると、教材の価値研究が不可欠である。 単に、態度だけを褒めていても不十分である。 褒めるために、教材の価値を見つけていこう。 [学力アップを支援する志水廣の公式ホームページ] ひかれる
3/2 今日のひとこと
ある人に惹かれるというのは、 その人の心の中にもつ、価値観が内在するからである。 つまり、同じ考え方をする人は、無理なく自然に惹かれていく。 違う考え方をする人は最初から寄りつかない。 また、最初は同じ考えであっても、お互いに違ってくれば、離れていく。 考え方が違うのであるから、無理に引き留めてもお互いが苦しくなるだけである。 人生の楽しさは、同じ考え方の人たちと心を共感・共鳴して、友として共に行動できることである。 [学力アップを支援する志水廣の公式ホームページ] 井手町学力向上へその石浦主事からのお礼のメールがきたので、抜粋して、紹介する。 「昨日は、お忙しいところお時間を取っていただきありがとうございました。 とても意義のある時間になりました。 来年度、引き続き本町のスーパーバイザーとしてお世話になりますが、よろしくお願いいたします。 志水先生とお話しさせていただくと、いつものことながら、元気とやる気がわいてきます。 来年度の方向性も見えてきました。 再来週の推進委員会で提起し、協議したいと思っています。 志水先生との打ち合わせは、講演などを聴くときとはまた違った充足感が味わえます。 この感覚を他の教員にも感じさせられたらなぁと思っています。 教務主任や研究主任レベルの教員なら、自校の学力実態とそれに向けた方策について語れると思いますし、またそれができないと困ります。 でも、そんな時間は取れないので、年間3回も訪問いただけるだけでありがたいことです。 それでは、ここ数日は暖かいようですが、寒さがぶり返すこともあろうかと思いますので、どうぞご自愛ください。」 石浦先生、ありがとうございます。 井出町には井手小学校、多賀小学校、泉ヶ丘中学校と3校ある。3回訪問する。これらを午前と午後をうまく回して、各学校を2回は訪問している。 学力の向上の成果はでてきた。授業の質も、また学力テストの数値も上がってきた。今後はさらなる充実である。 石浦先生と相談しながら、来年度の作戦が見えてきた。相談の中で光りが見えるものである。 石浦先生は、志水のHPやメール通信などを通じて、「愛で育てる」という志水哲学に共鳴されている。 このことが、井手町の教員にも伝わっている。ありがたいことである。 さて、相談の中で、「よろしいやん」という言葉がとても印象に残った。方向性を見据えた割り切りである。私も心を決めたひと言であった。 ありがとうございました。 [学力アップを支援する志水廣の公式ホームページ] |
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