最新更新日:2024/05/17 | |
本日:16
昨日:27 総数:440855 |
ゆとりと充実について今から20年前のことである。 大学院の同窓会に呼ばれて講演したことがある。 その当時は、「ゆとりと充実」を進めるという意味での会であった。 これからいよいよ実施という段階にあった。 そのとき、私は率直に意見を述べた。 今回のゆとりと充実というのは、基本理念の方向性が間違っていると。 というのは、3割の内容を減らして(「厳選」と言った)、そして総合的な学習を進めるという。 どちらも誤りではないが、方向性は全く異なる。 減らすということは、知識を活用する道具が減るということである。 だから、これで総合的学習をするということ次第に無理がある。 例えば、ゴミの問題を総合的学習で扱おうとすると、単位は「t」トンを扱うことになるが、なんと、このときの改訂では削除してしまったのである。 だとすると、単位はkgだけとなってしまう。すると、扱う数は大きな数となる。 それなのに、小学校の計算の数値は難しい計算はしないことという。これで、実際に、ゴミ問題の計算は不可能であった。 道具もないのに、仕事をせよという。 ほとんど、お笑いの世界である。 このとき、知り合いの主催者からきびしいことを言われますなと助言された。 しかし、その結果どうなったか、ゆとりと充実路線は否定されたのである。 実施する前から学力低下問題が言われ火の粉を浴びたのである。 私の言うとおりになった。 厳選と総合的学習ではなくて、規制緩和して基礎と活用、さらに総合的学習だと言えばよかったのである。現在、その方向に向いている。 私の考えは20年早いのかもしれない。 でも、少し考えれば分かることである。 カリキュラムを創る人たちの見識は人間観・社会観をもって取り組みたい。 人間観の大本で言えば、「ゆとり」を与えれば勉強するか? という根源的な問題がある。 これは間違いである。ゆとりを与えれば「遊びたい」、これが真理である。 できない子どもに時間の余裕を与えれば勉強するのか、 「しない!」 これが真理である。 この真理を踏まえていかにして教育カリキュラムを創るかが大切である。 人材の育成管理のコツ組織はトップからひらの職員までで構成されている。 その際、トップはどこまで指導すべきか。 ひらの職員が20人いたとしたら、20人を1人1人指導していたらきりがない。 トップはすぐ下の立場の人を指導するのが基本である。 つまり、校長ならば教頭を指導し、教頭ならば教務主任(校務)を指導し、教務主任ならば学年主任を指導していくことである。 どうし何かを起こそうとしたとき、同じ気持ちのある人は、「どうし」である。 つまり、同志であり、動詞で共に動ける人である。 接点仕事の性格上、初対面のことが多い。初対面で何を話すのか。 今日は温かいですね。 これはごく普通。 1時間中、お天気の話題だけでは話は進まない。 私は何かしら相手との接点をさぐるようにしている。 相手と私との共通点は何か。 その共通点が会話の架け橋となる。 これさえ見つかれば次の話に移行できる。 特に、お互いが知っている人がいれば話題は盛り上がる。 それは、知人という信用がもつ裏付けである。 大いに利用したい。 偶然にも今日、O先生に研究室に来てもらって相談していた。 あとから、S先生も来られた。 2人はその後、一緒に美術館に行くところであった。 ところが、電話で問い合わせてみると、美術館はお休みであった。 だから、お二人の先生にまた相談にのってもらった。 結果的に大助かりとなった。 美術館のお休みは、必要で必然なのか。 行動すると行動すると、様々なトラブルが発生する。 そのトラブルを虎が出たからと言ってブルブルふるえていてはやられてしまう。 だから、トラブルを1つずつ解消するために、また行動することである。 そうしていくと、いつのまにか、トラブルは無くなっている。 読んだといっても読んでも理解しなければ…。 読んでないのと同じこと。 では、理解する読みとは何か。 全体的把握と部分的把握をすること。 初めから精読してはいけない。 おおまかにつかむ。それから部分に落とし込む。 大まかにつかむと脳の中に基地ができる。 そして、その基地と基地をつないでいくのが部分部分での関係把握がある。 算数の問題解決では、ざっくり読み、そして、じっくり問題文を分析することである。 すると、ある瞬間ぱっとひらめく。 心の変化人の心はすぐに変わるものである。 ちょっとした問題であってもああでもないこうでもないと悩む。 ところが、その解決の道筋が見えると、ぱっと切り替わる。 そういう連続が人の一生ではあるまいか。 だから、解決の道筋を早く見つけたい。 そのためにも行動することである。 行動すれば解決までのゴールに一歩でも近づく。 昨日の事で言えば、クルマの駐車場を探していた。頭の片隅で悶々としていたが、自宅の近辺を歩いてみたらあった。いくつかあたってみたら見つかった。 それならば、もっと早く行動すればよかった。 こんな毎日かもしれない。それもよしということにしよう。 直感の泉直感はどこから来るか。 知識の内化と知恵の外化によっていろいろな経験を積む。 新しい問題が生じたとき、ここから頭の中で検索装置が働き、心を無にしたときに直感がやって来る。 かわいい訪問者問題問題とは、問う題目のこと。 だから、問うことをしないような題目では問題とはならない。 では、何を問うているのだろうか。 それは、数量の計算の結果なのか、計算の仕方なのか、数量関係の表出なのか、問題解決の方法なのか、 これらの問いの種類によって、解くためのプロセスは異なってくる。 だからこそ、問いの吟味が大切である。 |
|