最新更新日:2024/05/17 | |
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段差肉離れを起こしたとき、松葉杖と車イスを利用した。 わずか1cmの段差でも車イスは動きにくい。 だからバリアフリーのありがたさを感じた。 ひるがえって、人生はどうだろうか。 人生にバリアフリーはない。 段差ばかりである。 この段差をいかに乗り越えさせることができるか。 ここが生きる力となる。 意図的にバリアフリーの世界を作ってはいけない。 いや作れない。 だから、段差はあるものとして、いかに楽しく乗り越えることができるか。 このこつを教えていきたい。 そのためには、子どもは自己肯定感をもつことが大事で、 大人は信じることが大切である。 また、大人が楽しく段差を乗り越えていく姿を見せることである。 情報の公開改革の前に、正しい情報を得ること。 次に、情報を公開する。 そして、情報を共有すること。 さらに改革した後は、続きの情報を得ること。 それをまた公開すること。 学力アップというのは、情報を得て、その情報に基づいて改善し、それを評価することにつきる。 なんとはなしでは、結局やっても無駄となる。 子どもから「子どもから」という理想と現実。 「子どもから」という言葉は美しい。 でも、現実は、いつもそうなるとは限らない。 例えば、学習の「めあて」は「子どもから」。 そうありたい。 でも、分数のわり算の計算の仕方を考えたいと本当に子どもがいうのか。 心から言うのか。 言わされているのではないか。 現実は、可能なこともあれば不可能なこともある。 これが本当のところだろう。 希望の星今はスターが少ない。 スターの役割は、闇夜の中で一点の光を放つことである。 閉塞感ただよう世の中で、スターが必要である。 でも、特別なスターはいらないのかもしれない。 それぞれがこの世の中で一点の光を放つことができるといい。 それぞれが希望の星になればいい。 そうすると、満天の空となる。 やや遅れのお祝いその際、鈴木朝弓さんが花束を持参された。 私の誕生日のお祝いである。 メッセージに「志水先生と出会って、算数のおもしろさに気づくことができました。」 とありました。 嬉しいです。 どんなときにも笑いを楽しいときに、笑いを。 普通のときにも笑いを。 苦しいときにも笑いを。 なぜ、苦しいときに笑いがいるかって。 苦しいからこそ、笑いが次のエネルギーになるから。 笑えないときには、笑えないなあと言いながら笑う。 笑にもすがるとはこういうこと。 カウントダウン学年末がもうすぐ来る。 何を子どもに残そうか。 あわただしい行事の中、何かを残したい。 納得の過程私の足が不自由だと分かる。 「どうしたんですか」と質問。 肉離れだと説明する。 これで納得するかと思いきや、 「なんで肉離れになったのですか」 とまた聞かれる。 といわゆる原因追究である。 そこで、「どんな状況で」 と、またまた聞かれる。 「短い距離をダッシュしたから肉離れを起こした。」 と説明する。 またまたまた、「どんな場面で・・・」 と質問する。 この後の答えは内緒。 その答えで、ようやく納得。 このパターンが多かった。 人は自分なりに納得するまで聞きたいものだ。 うまく行くとき本日、1時間の間に5本ほど電話した。 全て相手がでた。 うまく行くときとはこんなもの。 しかも交渉は成立。 ついている。 分離集団が何か新しい目標に向かうと、自然に2つに分かれるそうだ。 黙々と目標に向かって研鑽に努めていく集団と 傷をなめあって努力しない集団に分かれる。 不思議なんだよね。 [学力アップを支援する志水廣の公式ホームページ] つながるつながらない一つの出会いがある。 出会ってつながる人あり。 出会ってもつながらない人あり。 波動が合えばつながるし、波動が違えばつながらない。 面白いなあ。人生は。 ゼロと無限大ゼロと無限大は紙一重。 ゼロを極めようとすると、無限大に行き着く。 無限大を極めようとすると、ゼロに行き着く。 合気教育の基本は、気を合わせること。 教師の言葉で子どもが動くこと。 動くと言っても、子どもの気持ちが教師の指示に気持ちよく動くこと。 軍隊のように指示・命令伝達で動くようでは、気持ち良く動いたとは言えない。 教師の言葉に、子どももそうなりたいという気持ちが発生して動くことである。 そのためには、教師は子どもの気持ちもよく聴いて理解することに努めることである。 |
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